所在地 / 大分県天ヶ瀬町馬原
架橋 / 昭和28年
石工 / 不明
長さ / 7.0m 幅 / 2.0m
拱矢 / 1.8m 径間 / 3.5m
環厚 / 40 ㎝ 単一アーチ
先釣橋は県道脇の町道に架かる橋で、
橋の両側をコンクリートで拡幅、補強されており、
とくに下流側は大きく拡幅されている。
この近くには穴井六郎衛門の旧宅がある。
穴井六郎右衛門
没年:延享3 ( 1746 )
生年:生年不詳
江戸中期の義民。幕府領豊後国(大分県)日田郡馬原村の庄屋。
享保19 ( 1734 ) 年に日田代官として入部した岡田庄太夫の年貢増徴策に反対して
年貢軽減,夫食給与を要求する。
延享3 ( 1746 ) 年六郎右衛門は次男要助と馬原村組頭飯田惣次の三人で江戸越訴を展開。
願書は受理され暮れに帰国したが,同年12月16日に幕府は彼らの処罰を命じた。
六郎右衛門は捕らえられて即日斬罪,獄門。
要助,惣次も処刑され,追放,過料に処せられた者も含めると441人に達する。
昭和25 ( 1950 ) 年4月日田市亀山公園に顕彰碑が建てられ,
墓は日田市財津竜川寺にある。