「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

オリンピック・マラソンランナーの足型 ( ロザ・モタ )

2012-07-11 21:36:10 | スポーツ











オリンピック・マラソンランナーのロザモタさんの足型












ロンドンオリンピックまであと16日となった。
女子マラソン界で日本でも馴染み深いロサ・モタ選手。
本当はロザ・モタと云うらしいが、ロサ・モタの方が親しみがある。

パンチ佐藤選手がオリックス入団当時から間もなくして、
彼の口からよく出てきた「ロサ・モタ」とは、
ポルトガル出身の女子マラソン選手の第一人者で、
1988年のソウル五輪女子マラソン金メダリストである。
「 (今の気持ちを) マラソンに例えると...」
(初めての春季キャンプを前にして)
「 今ロサ・モタが、国立競技場のスタートラインに立って、
手首足首を廻しているというところでしょうか 」 と言って話題を振りまいた
あのマラソンランナーである。



熊本県甲佐町 「 広瀬旧道眼鏡橋 」

2012-07-11 21:05:15 | 熊本の石橋



広瀬旧道眼鏡橋



















下流側から見た石橋の内部








上流側から見た石橋の内部








上流側から見た輪石








下流側から見上げた輪石の内側








上流側から見た橋








下流側にある道路からみた全景








橋の内部からの眺望








その昔は旧道として使われていた橋の通路部








橋の近くを走っていたトロッコ列車の鉄橋













甲佐町のやな場から緑川沿いを4キロほど上流に進むと広瀬旧道眼鏡橋がある。
ここに来るのは3度目だが、石橋の探訪でこの前の道を通るのを含めれば5度目である。
だけどここは競輪選手時代に練習で100回以上?その倍?は通ったかもしれない。
その当時は石橋にまったく興味がなかったけど、
坂道を好んで名越谷や囲などに行くのに、この付近はよく通ったものである。



架橋 / 天保12年 ( 1841年 )
石工 / 不明
長さ / 6.55m
幅  / 3.08m  高さ / 3.5m



広瀬旧道目鑑橋は、甲佐岳の麓の谷川に架かる小さな橋で、
日向往還旧道の一部である。
橋を支える基盤の高さが左右で異なる変則的な形状が特徴で、
秋になると渓谷を赤く染める紅葉が見事である。


広瀬旧道目鑑橋へのアクセス
広瀬旧道目鑑橋へは、御船インターより445号線を御船警察署の交差点を右折し、
国道443号線から県道220号線の川平キャンプ場付近にあり、
目の前の川に鉄橋が架かっている。
駐車は、路上駐車になる。

熊本県上益城郡甲佐町坂谷


沖縄県南城市  「 受水走水 ( うきんじゅ はいんじゅ ) 」

2012-07-11 20:30:22 | 沖縄























4年に一度の割合で干ばつになる。
その度に県庁に出向き、農政局に干ばつ対策としての補助申請の陳情を行ったものである。
自分は農業はしないが、田植え前になると雨量を気にしたものである。
雨も降らなければ困るし、降り過ぎても困るものである。

沖縄の南城市に緑の中でこんこんと湧き出る2つの泉と神田がある。
その2つの泉 ( 受水と走水 ) は、琉球における稲作発祥の地として伝えられている。
受水走水の神名は、ホリスマスカキ君ガ御水御イベとなっており、
現在も稲の始まりを神に感謝する行事が執り行われている。
言い伝えでは、稲穂を銜えた鶴が暴風雨にあって、
新原村の 「 カラウカハ 」 という所に落ちて死んだ。
鶴が銜えていた種子はアマミツによって受水走水の水田 ( 御穂田 ) に植えられたという。

百名の海岸近くのおだやかに流れる西側の受水 ( うきんじゅ ) の傍らには、
御穂田 ( みーふだ ) と呼ばれる田があり、
速やかに流れる東側の走水 ( はいんじゅ ) の前方には、
親田 ( うぇーだ ) と呼ばれる田がある。
これらが琉球における稲作発祥の地となっている。

玉城仲村渠 ( なかんだかり ) 区に継承されている田植えの儀式
親田御願 ( うぇーだぬうがん ) は、稲の始まりを神に感謝する行事である。
受水・走水に隣接する親田で田植えをし、
近くの御祝毛 ( うゆえーもー ) と呼ばれる広場で神事を執り行い、
参加者全員でご馳走をいただくという神事である。
これは南城市の無形民俗文化財にも指定され、
旧暦で毎年その年の初午の日に催されている。