「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

福岡市中央区天神  「 旧日本生命保険株式会社九州支店 」

2019-08-27 14:59:00 | 近代化産業遺産・土木遺産

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昭和通の一角に立つ、煉瓦造りの国指定重要文化財施設。

明治時代の我が国を代表する建築家・辰野金吾と片岡安の設計により、

日本生命保険株式会社九州支店として明治42年 ( 1909 ) に竣工。

赤煉瓦と白い花崗岩の外壁は、19世紀末のイギリス様式で、

ほかに尖塔やドームなど、小規模ながら変化に富んでいる。

 

東京駅の駅舎など数々の名建築を手掛けた建築家、辰野金吾が設計した建物で、

辰野は唐津の出身で、九州でも多くの建築を手掛けており、

外観の特徴は、赤レンガに白い石を帯状に配したデザイン。

これは辰野博士がロンドンに留学していた19世紀末にイギリスで流行した

 「 クイーン・アン 」 様式を取り入れたもの。

辰野が手掛けた建築に多くみられるスタイルで、 「 辰野式 」 と呼ばれている。

 

福岡市文学館として、福岡ゆかりの作家の資料などを展示している。

平成2年 ( 1990 ) まで市歴史資料館として使用された後、

平成6年 ( 1994 ) 2月、

有料の会議室等を備えた市民に開かれた施設 「 赤煉瓦文化館 」 としてオープン。

 

2019年6月1日(土曜日)から2019年8月末まで、改修工事のため休館。

 


大分県九重町  「 町田第二発電所 」

2019-07-24 16:16:02 | 近代化産業遺産・土木遺産

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

九重町の「町田第二発電所」は、

大正11年に九州水力電気株式会社によって建設された。

白色の石造ブロック積みで、

半円アーチの大きな窓が並ぶ、洋風建築の水力発電所である。

鳴子川と玖珠川から取水し、出力は6,200キロワット。

昭和48年、制御装置の導入で無人化され、

日田市天瀬町の日田発電所から遠方制御が行われた。

 

 


大分県大山町 ・ 国指定重要文化財  「 旧矢羽田家住宅 」

2019-06-25 15:25:45 | 近代化産業遺産・土木遺産

大分県大山町 ・ 国指定重要文化財「 旧矢羽田家住宅 」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

旧矢羽田家住宅は、江戸時代中期、

熊本県北部から中部にかけて見られた二棟造りの農家を解体、移築復元したもので、

国の重要文化財指定になっている。

 

大分県
江戸/江戸時代後期(1751~1829)
正面11.3m、側面11.8m、
コの字形寄棟造、
東南面突出部 桁行き4.0m、梁間4.0m、寄棟造、
東面突出部附属、茅・杉皮重ね葺、
南面庇附属、杉皮葺
 
1棟
日田市大山町
<指定年月日>昭和57年6月11日
日田市
重要文化財

 

※ 見学は無料だが事前に予約が必要

【住所】   大分県日田市大山町西大山3603 

【電話】    0973-24-7171(文化財保護課)

【営業時間】  8:30~17:00 

【休み】  土・日・祝日

 


大分県日田市  「 九州電力 女子畑発電所 」

2019-05-10 16:15:18 | 近代化産業遺産・土木遺産

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

女子畑発電所

運転開始  /  大正2年12月

出力    /   29,500KW

方式    /   水路式

水系名   /  筑後川


 

水力発電は、高いところから落ちる水の力で水車を回し、

さらに水車につながった発電機が回って電気を作っている。

また、 揚水式発電には上、下の2つのダムがあり、

夜、電気の力で下ダムから上ダムに水を運び、

電気が多く使われる昼に水の力を利用して電気を作っている。

 

女子畑発電所は、大正2年、

当時の九州の 4大電力会社の一つであった九州水力電気(株) によってつくられ、

大正3年からは、八幡製 鉄への電力供給を開始、電灯だけでなく、

九 州の産業の興隆を支えてきた。

昭和26 年の九州電力(株)設立後は、九電の発電所 として、電力を供給し続けている。

 

発電所建屋に残る明治後期から大正期 の重厚な石造遺跡や

第二調整池ダムの昭 和初期のコンクリート遺跡など、近代遺 跡としての価値がある。

 


熊本県旭志村 ・ 近代土木遺産 「 姫井橋 」

2019-04-03 16:06:27 | 近代化産業遺産・土木遺産


































橋の袂に立つ碑文







唯一残っている独特な形をした親柱







親柱の下に円形の中に架橋年が掘られている







新しい橋と並行して架かっている







左右の欄干の袖の位置が違う斜橋形式で造られている

































所在地  / 熊本県菊池市旭志弁利字楠原・中須
竣工  / 大正14年3月 ( 1925年 )
構造  / 鉄筋コンクリート造単アーチ橋、
橋長  / 18m  幅員  / 4.6m
親柱付 1基
登録有形文化財 ( 建造物 )
登録年月日  / 2010年1月15日

姫井橋は菊池市内を流れる合志川上流に架かる道路橋で、
橋長18m、幅員4.6m、鉄筋コンクリート造単アーチ橋である。
表面モルタル仕上げとし、道路線形に合わせて斜橋形式で造っており、
径の太い2本のアーチリブの外観が特徴的な
熊本県内でも最初期の鉄筋コンクリート造橋梁であり、
菊池市最初の国指定登録有形文化財である。


福岡県田川市 ・ 近代産業遺産 「 三井田川炭鉱 」

2019-01-05 13:53:36 | 近代化産業遺産・土木遺産



吹き付けられた雪が残る大煙突の間から伊田第一竪坑櫓が見える

















炭住と大煙突








大煙突の下部








下から見ると独特な迫力がある第一竪坑櫓






















第一竪坑櫓から吊り上げられた炭坑ケージ








これに乗って多くの坑夫が坑内に降りていっていた








アニメに出てくるような出で立ちをした第一竪坑櫓








抗内用機関車




















炭鉱住宅













石炭の運搬に尽力を注いだ9600型蒸気機関車

















かつての表札として使われていた石表








韓国人坑夫の慰霊碑








第6坑ボタ山







世界記憶遺産になった山本作兵衛の画集






伊田第1竪坑櫓 ・ 大煙突 ・ ケージ等 ・ 第6坑ボタ山


竣工 ・ 煙突   /  1908年  (明治41年) 操業開始
     竪坑櫓 /  1910年  (明治43年) 
   ボタ山発生 /   1948年  (昭和23年)
■  竪坑櫓   /  Cランク近代土木遺産


筑豊のシンボルとしてそびえる第一竪坑櫓のタワーと大煙突。
お月さんも煙たがった大煙突は今も健在である。
黒ダイヤに賑わっていた時代の面影がここにある。
この付近一帯は田川炭鉱の痕跡をとどめる遺物が数多く残され、
第6坑ボタ山も見える。
筑豊といえば炭鉱を思い浮かべた時代は遠く去りつつあるが、
歴史の光と影を未来に残す場は必要である。


筑豊炭田は明治中期ごろ、それまでの小規模坑による無秩序な掘削から
鉱区選定による大規模経営へと転換期を迎える。
このころ三井鉱山が進出して三井田川炭鉱が発足し、
伊田竪坑の計画はここからスタートした。
大正末期には同坑の出炭量が100万tの大台を超え、
昭和39年の閉山まで日本を代表する炭鉱として不動の地位を築いていた。

現在、伊田竪坑跡には田川市石炭資料館が建設され、
周囲は石炭記念公園として整備されている。
第1竪坑櫓や大煙突、炭鉱住宅の他に、
各種掘削機械や坑内電車なども保存・展示されている。
高台には三井田川炭鉱で犠牲となった坑夫や外国人坑夫たちの慰霊碑もあり、
歴史を感じさせる。


三井田川炭鉱へのアクセス
三井田川炭鉱へは、JR日田英彦山線の田川伊田駅より
田川市炭鉱記念公園まで徒歩約10分。
駐車は、田川市石炭資料館に隣接する駐車場(無料)を利用できる。

福岡県星野村  『 六町弓暗渠 』

2018-09-30 16:19:47 | 近代化産業遺産・土木遺産






























六町弓暗渠は、耳納高原病院から星野村へ向かう途中にあり、
幾重にもなった棚田に水を送るために造られた橋幅2.7m、
径間1.0mの暗渠である。
ただでさえ水の少ない山間部にあって、
谷水に頼らなければならない棚田へ水を供給する先人の知恵と技術を垣間見た。



熊本県大津町  「 上井手取り入れ口の頭首工 」

2018-09-12 16:41:02 | 近代化産業遺産・土木遺産




























































上流側に頭首工なる物がある。
ほとんど同じ造りだがこちらは純粋な石造構造物で
さらに重厚な造りである。
下流部には倒れ止めのような突っ張り桁石が設けられている。
やはり5門。この直ぐ前が取水口になっていて、
白川に堰を設け水門を造り流れ込む仕組みになっている。


頭首工 ( とうしゅこう ) とは、
河川などから農業用水を用水路へ引き入れるための施設の総称。
用水路の頭首に設置される工作物であることからこの名称が用いられる。
通常,取水ぜきと取入口から構成されている。
灌漑地区へ送水するのに必要な水量と
水位を取入口で安定して確保できるよう取水ぜきを設ける。
その位置としては,河川のみお筋が安定していて
取入口を設ける岸の近くを流れ,
洪水による河床の洗掘や土砂堆積を生じない地点が選ばれる。
またせき上げ取水による上下流への影響が少ないことも要件となる。


ハーフティンバー様式

2018-04-28 08:17:34 | 近代化産業遺産・土木遺産



旧門司三井倶楽部 ( 北九州市門司区 )





ハーフティンバー様式 ( half timbering ) は、
北方ヨーロッパの木造建築の技法である。
半木骨造とも呼ばれ、アルプス以北の
北方ヨーロッパ ( 英、独、仏 ) の木造建築に多く見られ、
特に15世紀から17世紀、英国の住宅に多用された。

ハーフティンバーの名称の由来は、
壁と木造の部分が半々となる ( 半分木造の意味 ) ためとも、
割られた材木を外部に見せるためとも言われる。
柱、梁、斜材 ( 筋違 ) 、間柱、窓台等の軸組は隠されず
装飾材としての役目を兼ね、
軸組の間を漆喰や煉瓦、石などで仕上げている。



鹿児島市  「 鹿児島港新波止砲台跡 」

2018-03-27 12:00:47 | 近代化産業遺産・土木遺産



薩英戦争でこれらの砲台から攻撃した石積み










薩摩藩砲台跡の碑








石を積み上げた上に設置された砲台跡の碑銘








桜島行きのフェリー乗り場の対岸に築かれた石垣








なだらかな勾配で築かれている







船着場の跡だけがせり出ている







明治天皇行幸所船形台場の碑







砲台が据えられていた跡は平坦になっている








石橋記念公園に隣接した祇園之洲砲台跡








仙厳園の反射炉前にある150ポンド砲 ( 復元 )








150ポンド砲の説明板






■ 所在地 /  鹿児島市本港新町
■ 竣工  /  1854年 ( 安政元年 )


砲台は桜島を望む錦江湾に向かっていた。
幕末の薩摩に欧米の力が忍び寄っていた。
通商や艦船への補給を求めて開港を迫る諸外国の来航。
次第に衝突の機会も増え、
薩摩藩は他に例を見ないほど徹底した防衛策を講じていた。
海に臨む要衝に砲台を築き大砲を備えた。
城下の海岸線には防塁を築き、
文久3年(1862)にはこれらの砲台によって
英国軍艦を撃退したのである。

弘化元年(1844)に始まった砲台整備は
錦江湾の周囲から外海まで及んだ。
砲術は長崎に洋式砲術を学ばせ、
鋳製法と呼ばれる鋳物場を設けて、青銅砲などを鋳造し、
さらに火薬に至るまで研究を重ね、
洋式の製法で自家製造にあたっている。
こうして構築された大防衛線は
長崎海軍伝習所の蘭人のカッテンディーケをも驚かせた充実振りであった。
ここには150ポンド爆砲をはじめ11門が備えられていたと記録にある。


鹿児島港新波止砲台へのアクセス
鹿児島港新波止砲台へは、鹿児島中央駅より市電鹿児島駅行きに乗車し、
鹿児島水族館口で下車。そこから徒歩で約7、8分。
車では国道10号線を城山交差点を海側に入り水族館へ向い約3分。
駐車は、水族館付近に多数駐車場が有り。


鹿児島市  「 旧島津家吉野植林所 」

2018-02-27 16:51:11 | 近代化産業遺産・土木遺産

























































所在地 /  鹿児島市吉野町
竣工  /  明治42年 ( 1909年 )
登録有形文化財

旧島津家吉野殖林所 ( 植林所 ) は、
鹿児島県吉野村 ( 現・鹿児島市吉野町 ) に
明治42年に建てられた洋館の事務所で、
当時は吉野村から吉田村 ( 現・鹿児島市吉田町 ) にかけて広がっていた殖林で、
それを管理していた事務所である。
現在あるものは、昭和61年に移築再現されたものである。


旧島津家吉野殖林所へのアクセス
旧島津家吉野殖林所へは、尚古集成館の隣になるため、
尚古集成館を参考にしてもらいたい。
駐車については、裏にお客専用の駐車場がある。


鹿児島市  「 旧芹ケ野島津家金山鉱業事務所 」

2018-02-20 11:41:15 | 近代化産業遺産・土木遺産





























































所在地 /  鹿児島市吉野町
竣工  /  明治37年 ( 1904年 )
登録有形文化財


どっしりとした落ち着きのある建物はただ単に洋館というだけではなく、
日本の造りにバルコニーなどの洋風な造りが融合したもので、
6連のアーチになった2階のバルコニーだけを見ると西部劇のようであるが、
和風の屋根と協調しあうように造られている。

芹ヶ野金山は薩摩藩時代から採掘が行われいた金山で、
後の串木野鉱山の4つ( 西山坑 ・ 芹ヶ野坑 ・ 荒川坑 ・ 羽島坑 ) のひとつである。
そこで明治37年に鉱山事務所として建築れてたものである。
串木野鉱山は三井串木野鉱山として現在も経営されている。

薩摩藩主・島津斉彬は嘉永4年 ( 1851年 ) に殖産興業、
富国強兵の政策から精錬所を設け、
反射炉を造り大砲などの生産に乗り出す。
維新後の明治元年になってから芹ヶ野金山を家業とした島津家が
日本の近代化に力を注いだ遺産が集成館を始め、数多く残されている。


旧芹ヶ野島津家金山鉱業事務所へのアクセス
旧芹ヶ野島津家金山鉱業事務所へは、
旧島津家吉野殖林所の隣になるため、
尚古集成館を参考にしてもらいたい。
駐車は、芹ヶ野鉱山事務所の施設の前か、
旧島津家吉野殖林所の裏になる。


鹿児島県鹿児島市 ・ 近代土木遺産 「 鹿児島市役所本館 」

2018-01-02 16:37:37 | 近代化産業遺産・土木遺産



一見、外観は角ばって硬そうな感じに見える








壁に埋め込まれた銘板







本館の中央上部に掲げられた市章







レリーフの下に連続して並ぶアーチ







正面玄関のアーチは凝灰岩で縁取られている







駐車場へ行く通用門にも優しいRが施されている





所在地   / 鹿児島県鹿児島市山下町
竣工    /  昭和12年 ( 1937年 )
設計者  /  大蔵省営繕管財局工務部
■  有形重要文化財


鹿児島市役所・本館は戦前の昭和12年に竣工された庁舎で、
木造建築物が多かった当時としては珍しく、
鉄筋コンクリートで造られた斬新的なものであった。
玄関部分や随所にアーチが設けられ、
角ばった外観の持つ硬さとは裏腹に
柔らかいRが役所の持つ硬いイメージを和らげる効果を発揮している。
また玄関ポーチや中央塔に取り付けられたレリーフが気品を感じさせる。


鹿児島市役所・本館へのアクセス
鹿児島市役所・本館へは、鹿児島中央駅前より
市電にて 「 市役所前 」 にて下車。
徒歩、数十秒。


北九州市八幡西区 ・ 近代土木遺産 「 旧折尾駅舎 」

2017-12-26 10:29:55 | 近代化産業遺産・土木遺産



門司港同様にレトロな雰囲気を醸し出す駅舎









1916年7月に竣工した東口駅舎
























梁と柱をつなぐ支持金具まで装飾が施されている








1階待合室の柱の台座まで凝った造りになっている








鉄骨がむき出しになったホームの屋根裏







高架のホームから1階改札口へ向かう階段








やや勾配のついたホーム








高架の鹿児島本線から筑豊本線への乗り換えや出口へ向かう階段








ベンチや梁に昭和が残る







長いホームが石炭や製鉄の隆盛を物語る








黒ずんだ壁面が当時の面影を偲ばせる








坂を上るように入ってくる鹿児島本線の列車







同じ大きさの煉瓦を積み重ねた連絡通路








鹿児島本線の下を通る連絡通路







小さな煉瓦が幾重にも重なり合って強固なアーチを造る






JR折尾駅は1891年 ( 明治24年 ) の開業で、
日本で最初の立体交差になった駅である。
上に鹿児島本線が、下には筑豊線が通っている関係から、
開業間もないころは九州鉄道と筑豊興業鉄道の
二人の駅長がいた珍しい駅だった。


折尾駅は1916年 ( 大正5年 ) に改築された
ルネッサンス洋式の木造2階建て駅舎には風格が漂うが、
連続立体交差化などの事業にともない現在取り壊されている。

近代化、合理化、構造上の耐震強度などの観点から
こうした近代遺産が姿を消して行くのは忍びがたい思いである。
現代建築の水準は高く、
一度造ったら半永久的に維持が出来るほどの技術を誇っているが、
そんな建築物が経営原理などの理由から
クラッシュ・アンド・ビルドを繰り返す。

1番ホームに立って上を通る鹿児島本線の高架の黒ずんだ壁面を見ると、
かつて石炭産業で一世を風靡した筑豊の重みを感じさせる。




福岡県岡垣町 ・ 九州鉄道 「 海老津赤煉瓦アーチ 」

2017-11-22 13:26:32 | 近代化産業遺産・土木遺産








































































海老津赤レンガアーチは、
九州鉄道本線(現在の鹿児島本線)の旧線跡に残る橋梁の遺構である。
九州最初の鉄道会社である九州鉄道は、
1889 ( 明治22 ) 年に
博多駅〜千歳川仮駅 ( 現在の佐賀県鳥栖市 ) 間で開業後、
門司に向かって延伸して翌年に遠賀川駅まで開通した。
海老津赤レンガアーチはこの時に建設されたと思われる。

当初の路線は城山 ( じょうやま ) 峠を越えるルートで通されたが、
急勾配が蒸気機関車には負担だったため、
山を貫通する城山トンネルが建設されて
1909 ( 明治42 ) 年にルートが切り替わり、
峠越えルートは廃止された。
この旧線跡をはっきりと示す遺構は、
海老津赤レンガアーチの他には残っていないようである。
なお、海老津赤レンガアーチとは後年に付けられたものであり、
現役時代の本来の名称は分からない。


住所 : 福岡県遠賀郡岡垣町海老津
竣工 : 1890 ( 明治23 ) 年頃