





三山統一のキッカケとなった嘉手志川 ( カデシガー )
嘉手志川がある大里は、今から七、八百年前は一軒の家も無く、
樹木の生い茂る森であった。
ある年、数ヶ月も日照りが続き、川の水さえも干上がってしまうほどで、
人々は水飢饉で苦しんでいた。
そんなある日、老婆の家に長らく飼いならした一匹の犬が、
全身をずぶ濡れになって帰って来た。
翌日も同じことが起こったので、老婆がこっそりと犬の後をつけてみると、
そこには豊かな水をたたえた泉があった。
老婆は喜び勇んで、近所の人々にそのことを報せた。
喜びにわきかえった人々は口々に、その泉を “ カリユシの泉 ” と呼び、
そこから嘉手志川と名づけられた。
この泉を頼って人々が集まり、大里集落が出来たという。
また、『中山世譜』には、次のような話が記されている。
山南を滅ぼす機会を窺っていた中山王・尚巴志 ( しょうはし ) は、
自分の持っている金の屏風と嘉手志川を交換しようと、
山南王・他魯海 ( タルミー ) に話を持ちかけていた。
見事な屏風が気に入った他魯海は、すぐさま尚巴志の申し入れを受けることにした。
こうして金屏風と嘉手志川を交換して嘉手志川を手に入れた尚巴志は、
嘉手志川の使用を規制する御触れを出して山南の人々を困らせた。
金屏風欲しさに川と引き換えた他魯海に対して恨みを持った住民は、
尚巴志にとって計算どうりであった。
さらに自分に味方する者には自由に水を使わせ、
山南の民衆を中山である自分の味方に付けてしまったのである。
こうして満を持して大軍を引き連れて山南に攻め入った尚巴志は、
他魯海王を打ち滅ぼし、三山統一を成し遂げる。
沖縄県糸満市大里