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「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

沖縄県糸満市 ・ 琉球三山統一の切っ掛けとなった嘉手志川 ( カデシガー )

2012-02-23 08:47:51 | 沖縄の文化財













































三山統一のキッカケとなった嘉手志川 ( カデシガー )




嘉手志川がある大里は、今から七、八百年前は一軒の家も無く、
樹木の生い茂る森であった。
ある年、数ヶ月も日照りが続き、川の水さえも干上がってしまうほどで、
人々は水飢饉で苦しんでいた。
そんなある日、老婆の家に長らく飼いならした一匹の犬が、
全身をずぶ濡れになって帰って来た。
翌日も同じことが起こったので、老婆がこっそりと犬の後をつけてみると、
そこには豊かな水をたたえた泉があった。
老婆は喜び勇んで、近所の人々にそのことを報せた。

喜びにわきかえった人々は口々に、その泉を “ カリユシの泉 ” と呼び、
そこから嘉手志川と名づけられた。
この泉を頼って人々が集まり、大里集落が出来たという。


また、『中山世譜』には、次のような話が記されている。
 山南を滅ぼす機会を窺っていた中山王・尚巴志 ( しょうはし ) は、
自分の持っている金の屏風と嘉手志川を交換しようと、
山南王・他魯海 ( タルミー ) に話を持ちかけていた。
見事な屏風が気に入った他魯海は、すぐさま尚巴志の申し入れを受けることにした。
こうして金屏風と嘉手志川を交換して嘉手志川を手に入れた尚巴志は、
嘉手志川の使用を規制する御触れを出して山南の人々を困らせた。

金屏風欲しさに川と引き換えた他魯海に対して恨みを持った住民は、
尚巴志にとって計算どうりであった。
さらに自分に味方する者には自由に水を使わせ、
山南の民衆を中山である自分の味方に付けてしまったのである。
こうして満を持して大軍を引き連れて山南に攻め入った尚巴志は、
他魯海王を打ち滅ぼし、三山統一を成し遂げる。


沖縄県糸満市大里



沖縄県うるま市 ・ 沖縄の文化財  「 安慶名城跡 」

2012-02-20 22:36:21 | 沖縄の文化財





指定年月日 : 昭和 47 ( 1972 ) 年5月15日 
Designaed Date : May 15,1972
所在地 : 沖縄県うるま市安慶名亀甲原
Location : Agena,Gusikawa,Uruma-Shi,Okinawa-ken



安慶名城跡は、沖縄本島中部にある旧安慶名集落の東北を流れる天願川河畔の琉球石灰岩独立丘に
築かれたグスクであり、別名大川グスクとも呼ばれている。城壁の石垣は自然の岩を巧みに利用して積まれ、
南に開く城門は岩と岩との隙間を上手く利用して片方に石積みを施して自然のアーチ門を造っている。
内郭は山頂に位置し、そこに一の郭と二の郭が配置されており、外郭は山の中腹から石垣が積まれ、
内郭を擁護するように輪郭式の城を形成している。築城年代は14世紀ごろといわれているが
詳細については不明である。伝承によれば伊波城主の子が安慶名グスクを築き、
この付近一帯を支配していたといわれている。


 The castle is on a Ryukyuan limestone hill by the Tengan River which is
at the northeast of old
Agena viillage in the central region of the island of Okinawa. THe castle
is also known as Okawa Gsuku.
Stone walls of the castle are built by piliug up natural rocks skillfully,
and the castle gate is made taking advantage of an opening between two
rocks ingenioulsy. It is said that Agena Castle was established by the
son of the lord of Iha Castle to rule the area.