今度の部屋

授業でできなかったことや出版物についてフォローします(できるだけ^^)

巡検から帰ってきました(その3;2日目)

2013-03-05 07:35:08 | 日記
 


巡検報告2日目です。

2月28日(木)はグループ行動です。
【テーマ】地理写真をいかした授業の作り方と実践
  ・将来使えるようないい写真を撮る。
  ・時間が余るようならば新たに行き先を付け加える。
  ・安易にスマートフォンを使わない(地形図を使う)
  ・写真をうまくつかった15分の授業をつくる。

7:30 朝食
9:00 グループごとに出発

 (グループ行動)

16:00 祝戸荘到着
16:00 入浴/レポート作成
18:00 夕食
19:30 全体ミーティング(~20:30)テーマ「今日1日の報告」
21:00 入浴など
23:00 消灯/就寝

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 学生たちは、水利、万葉集、古墳などのテーマをもってグループで行動しました。

 わたくしは、「飛鳥川をさかのぼる」というテーマで、ひとり自転車行動をしました。

 祝戸から芋が峠に至るおよそ7kmの道のりです。もちろん坂道です。

 奈良盆地そのものがもともと水が不足しがちな場所であったため、昔から水を大切にしてきました。

 飛鳥川は大和川の支流ですが、古代からひらけたこの地の中心を流れ、万葉集にもうたわれてきました。

 地形図をみると、芋が峠のそばに源流があるらしいので、そこに行ってみようという考えです。


 

 

 ↑ 途中までは坂道でもきれいに舗装されているので、それほど大変ではありませんでした。



 ↑ しかし、峠の入り口あたりから道が細くなり、でこぼこしています。ほとんど人、車とはであいませんでした。


 
 ↑ 「ごろ滝」



 ↑ 実は古代の芋が峠の道は他にあるのですが、自転車では無理みたいなので、こちらを通りました。



 ↑ 源流があると思われる谷底(源流をみることはできませんでした・・・)



 ↑ ついに峠に到着しました。



 ↑ お地蔵様がいらっしゃいました。

 およそ、1時間半くらいで登り切りました。

 道が悪くなってからは、勾配がきつくなってきたので自転車を押しました。

 【芋が峠】(wikiより)
 芋ヶ峠(いもがとうげ)は、奈良県吉野郡吉野町、大淀町と高市郡明日香村、高取町との町村境付近にある峠。現在の県道が通る峠付近では、この4つの自治体の町村境が接続する。峠道は吉野町と明日香村とを結ぶものだが、北斜面を走る県道は峠から明日香村栢森までの大半は高取町内を通っている。なお、県道が付けられる以前の旧峠道は東よりの小峠を越え、尾根を登るため全て明日香村内を通り、旧峠も吉野町と明日香村の町村境にある(古道芋ヶ峠)。標高約500m。芋峠、今峠とも。また近世には疱瘡峠と書いて「いもとうげ」と呼んだ。

 古代において都のあった飛鳥と、離宮のあった吉野とを最短で結ぶ道として開かれ天武天皇、持統天皇などの天皇の吉野行幸では、この峠道が使われたのではないかと考えられている。また藤原道長が吉野に入るのに利用した。中世以降は吉野山、大峯山への参詣道として盛んに用いられたが、大和国名所旧蹟巡覧をする旅人は芋ヶ峠よりも多武峰・談山神社から入る龍在峠をよく利用し、芋ヶ峠は国中(奈良盆地)から吉野へと運ばれる物資が多く行き交っていたという。なお、芋ヶ峠の道は国中側では岡寺を経て八木まで通じており、これらを総じて吉野側では「岡街道(または岡寺街道)」、国中側では「芋峠越吉野街道」と呼ばれた。

江戸時代に吉野を訪れた上田秋成は麻知文に「鷹むち山こゆる坂路をいもがたむけと云ふ、むかひの峯に鷹取の城さゝげ上げたり」と詠んでいる。

明治時代まで、人や物資が頻繁に行き交ったが、1912年(大正元年)に吉野軽便鉄道(今の近鉄吉野線)が今の六田駅まで開通すると次第に衰える。街道として賑やかな頃は明日香村側の峠途中には三軒の茶屋があり、峠山頂付近には芋峠神社があった。また吉野町側の千股には江戸中期には農業兼業の旅館が7戸があった。

現在の県道は昭和に入ってから付けられたもので、旧道は久しく忘れられていたが、現在は明日香村側では古道芋ヶ峠として整備され案内板が立てられている。また吉野町側でも谷へと下る古道の案内板が立てられている。

【万葉集に詠われた飛鳥川】
飛ぶ鳥の飛鳥の川の上つ瀬に生ふる玉藻は下つ瀬に流れ触るらへ… (巻2-194)
飛鳥川 川淀さらず立つ霧の 思ひ過ぐべき恋にあらなくに (巻3-325)
今日もかも 飛鳥の川の夕さらず河蝦なく瀬のさやけかるらむ (巻3-356)
君により言の繁きを 故郷の飛鳥の川に禊しにゆく (巻4-626)
年月も未だ経なくに飛鳥川 瀬々ゆ渡しし石橋もなし (巻7-1126)
飛鳥川 七瀬の淀に棲む鳥も 心あれこそ波立てざらめ (巻7-1366)
絶えず行く飛鳥の川の淀めらば 故しもあるごと人の見まくに (巻7-1379)
飛鳥川 瀬々に玉藻は生ひたれどしがらみあれば靡きあはなくに (巻7-1380)
飛鳥川逝き回む丘の秋萩は 今日降る雨に散りか過ぎなむ (巻8-1557)
今行きて聞くものにもが飛鳥川 春雨降りて激つ瀬の音を (巻10-1878)
飛鳥川 明日も渡らむ 石橋の遠き心は思ほえぬかも (巻11-2701)
飛鳥川 水行きまさりいや日々に恋の増さらばありかてましじ (巻11-2702)
飛鳥川 行く瀬を早み早見むと待つらむ妹を この日暮らしつ (巻11-2713)
飛鳥川 高川避かし越えて来つ まこと今宵は明けず行かめや (巻12-2859)
神の帯にせる飛鳥の川の水脈早み生ひため難き岩が根に苔むすまでに (巻13-3227)

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 疲れましたが、それほど大変ではありませんでした。

 「芋が峠」は、疱瘡峠と書いたというのは興味深いですね。

 「疱瘡」とは天然痘のことです。

【天然痘】(wikiより)
 天然痘(てんねんとう)とは天然痘ウイルスを病原体とする感染症の一つである。非常に強い感染力を持ち、全身に膿疱を生じ、治癒しても瘢痕(一般的にあばたと呼ぶ)を残すことから、世界中で不治、悪魔の病気と恐れられてきた代表的な感染症。

 その恐るべき感染力、致死率(諸説あるが40%前後とみられる)のため、時に国や民族が滅ぶ遠因となった事すらある。疱瘡(ほうそう)、痘瘡(とうそう)ともいう。医学界では一般に痘瘡の語が用いられた。

 どうしてこの峠が芋が峠と呼ばれるようになったのかはわかりません。

 疱瘡(天然痘)が飛鳥のほうへ入ってきませんようにという願いがこめられているのでしょうか。これは推測です。

 地名をさぐっていくとおもしろいことがありますね。

 わたしもここで撮った写真を使って、学生の前で授業をやるつもりです。

 今日もきてくださってありがとうございました。