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『坂の上の雲 八』(その3)

2013-03-10 08:48:42 | 日記


 こんにちは。

 『坂の上の雲 八』(その3)です。

 「運命の海」83~148頁


【日本】 
・旗艦三笠の艦長伊地知彦次郎大佐は、当時海軍でもっとも優秀な船乗りと言われてた。伊地知はこの戦場への航行中に総員に対して別れのあいさつをし、祖国の永遠のために万歳をとなえた。
・「沖ノ島の西方」が東郷の司令部が出した会敵地点であった。しかし、予定よりもはやく戦場付近に到達してしまった(27日正午頃)。この正午過ぎ、片岡七郎が率いる第三艦隊から「敵は壱岐国」と入電があり、さらに「敵は二列縦陣でやってくる」ということも知った。
【ロシア】
・ロジェストウェンスキーは、単縦陣にするために第一艦隊がスピードをあげ、第二艦隊と第三艦隊に減速するように命じたが、縦一列にはならなかった。
【日本】
・13:15:第一艦隊の第3戦隊旗艦笠置をはじめ、バルチック艦隊に同航して敵所在を通報していた第三艦隊各艦が列をなして第1・第2艦隊に合流しはじめた。
・13:39:三笠がバルチック艦隊を視認。航海長布目満造中佐は海図で敵の位置をはかり、砲術長の安保清種少佐は秒時計をにぎっていた。参謀長の加藤友三郎は望遠鏡を目に当てたままほとんど微動だにせず、東郷は幕僚達よりも半歩ばかり前に出て立っていた。秋山はすこし後方に立ちノートに記録していた。
・13:45:バルチック艦隊の全容を視認(日露の距離1万2000m)であったが、東郷は「戦闘は7000メートル以内にはいらなければ砲火の効果はない」という考えであったので砲撃は開始しなかった。
・東郷はこのとき「へんなかたちだね」と言ったという(二列縦陣でもなく、ダンゴのようだったから)。ロジェストウェンスキーも海戦では単縦陣でなければ砲火の効果を十分にあげられないことを知っていた。しかし、日本の第3戦隊の巡洋艦たちによって陣形を乱され立て直すことができないまま、戦闘に入ろうとしていたのが実態であった。

【ロシア】
・13:20:すでに兵たちは昼食を済ませ一休みしていた(昼寝・お茶)。
・13:39:バルチック艦隊も日本艦隊を、遂に視認する。

【日本】
・13:55:秋山が東郷に「先刻の信号、整へり。直ちに掲揚すべきか」ときく。各艦とも信号書をもっている。その信号書に、この出動の数日前、四色のZ旗が掲げられた場合の信号文が、鉛筆文字で書き込まれていた。秋山が許可を乞うと、東郷はうなずいた。秋山がすぐに信号長へ合図した。四色の旗が舞い上がった。

 「皇国の興廃、此の一戦に在り。各員一層奮励努力せよ」

 各艦とも、この信号文が肉声にかわり、各部署の伝達管を通じて全員の耳につたわった。
・秋山は東郷に「司令塔(14インチの装甲)の中に入ってください」とたのんだが、東郷は動かなかった。「自分は齢をとっているから、老い先から考えてどこでどうなってもしれている。だからここ(艦橋)にいる。みなは塔の中に入れ」といった。
・加藤参謀長は「秋山とおれとが、おそばに残る」といい、砲術長や、測距儀を操作する長谷川清少尉などが残った。
・これまで各砲ごとに独立してばらばらに発砲していたが、日本海軍はこの方法で黄海海戦で失敗したことから、艦橋にいる砲術長が指示を出し一斉に発砲する方法に切り替えられていた。したがって安保砲術長の責任が大きく、自艦や敵艦の速力や方向、風向き、風力などを瞬時に計算し各砲に号令しなければならない。
・しかし、東郷はどういう陣形で戦うのかをなかなか明示しなかった。測距儀を操作する長谷川清少尉が「距離8500メートル」と言ったとき、安保砲術長は「もう8500メートルです」と叫んでしまう。それに対して、加藤は「砲術長、君がひとつスワロフを測ってくれるか」といった。のぞいてみると、もはや8000メートルになっていた。安保砲術長は「どちらで戦さをなさるのですか」と問う。左舷か右舷か決めてもらわなければ、発砲の準備ができないからである。
・14:05:そのとき、東郷の右手が高く上がり、左へむかって半円を描くようにして一転した。加藤は「艦長。取り舵一杯」と叫んだ。
・艦長の伊地知は驚いた。敵の射程内に入っているにもかかわらず、敵に大きな横腹をみせてゆうゆうと左転するということに疑問をもったからである。「取り舵になさるのですか」と頭上の艦橋へどなりあげると、加藤は、「左様取り舵だ」と繰り返した。これにより有名な敵前回頭がはじまる。
・「丁字戦法」を東郷はとった。三笠以下の各艦がつぎつぎに回頭しているあいだ、味方にとっては射撃が不可能にちかく、敵にとっては極端にいえば静止目標を射つほどにたやすい。たとえ全艦が15ノットの速力で運動していても、全艦隊がこの運動を完了するのは15分はかかるのである。この15分間で敵は無数の砲弾を東郷の艦隊へ送り込むことができるはずだった。
・東郷がこの作戦を採用した理由は、風向きが敵に不利であること、敵は元来遠距離射撃に長じていないこと、波がたかいためただでさえ遠距離射撃に長じていない敵にとって高い命中率を得ることは困難であること、などである。

・14:08:(距離7000m)回頭する三笠をみたロジェストウェンスキーはすぐさま射撃を命じ、主力艦が砲撃を開始する。三笠は応射せず陣形運動をつづけ、ロシアからの敵弾をうける。それでも東郷は双眼鏡をかざしたまま艦橋に立ちつづけた。
・14:10:(距離6400m)連合艦隊の第1戦隊は回頭を完了し、右舷側にバルチック艦隊の30隻以上が見渡せた。回頭を完了した艦からバルチック艦隊の先頭の第1戦艦隊旗艦「スワロフ」と第2戦艦隊旗艦「オスラービア」に対して一斉砲撃を開始する。三笠の「試射」1射目は目標を飛び越えて海面で炸裂した。2射目は手前の海面を波立たせた。3射目が「スワロフ」の前部煙突を吹き飛ばした。4発目でスワロフで火災が発生。
。14:15:オスラービア炎上
・14:17:(距離5000m)連合艦隊の砲弾がバルチック艦隊の両旗艦に多数命中し火災を発生させる。この頃、連合艦隊第1戦隊は命中率をさらに上げるために距離を詰め(5000m以下)、バルチック艦隊との同航砲撃戦は互いに最高潮となった。「三笠」の被弾も急増した。連合艦隊第2戦隊(装甲巡洋艦6隻)も回頭を完了し同航砲撃戦に加わった。
・東郷は敵に打撃を与えつつ、どきどき針路をかえた。目的は常に敵の全面を抑圧しつづけるためであった。(バルチック艦隊のウラジオストックへの進路も遮蔽するため)
・14:27:第2戦隊所属の装甲巡洋艦「浅間」が被弾により戦列から離脱。
・14:43:「スワロフ」「オスラービア」が戦線を離脱
・14:50:オスラービア沈没(スワロフは炎上、戦闘不能)

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 今日も来てくださってありがとうございました。