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お良しなさい日記♪

三浦半島からこんにちは!

「密」を大きく避け過ぎて、箱根駅伝の現場を三浦半島から見る!!(*^^)v ← 新年からまた、わけわからない???

2023年01月03日 16時57分33秒 | おでかけ旅がらす・三浦半島編

 2023年1月2日と3日、関東地方では毎年恒例の「 東京箱根間往復大学駅伝競走 」( 通称・箱根駅伝 )が開催されています   

 

 私は人生 一度も現場で観戦したことがないのです。もっぱらテレビ中継観戦なのですが、今年は途中から愛車(自転車)を出動させて 高台から神奈川県の西部を眺めてきましたよ

 

( できることならば、今日の投稿は大きな画面でご覧いただきたいです )

 

 

 良いお天気ならば、画面中央に「富士山」が ドォーンと見えている 箱根の方角です!

 

 選手たちが「山上り」の5区を走っている時、アナウンサーが「雪がちらついてきました!」と言っていましたね。

たしかに、暗い雲がかかっていますね!

 

 なんとなく遠くに薄く山並みが見えていますけれど・・・

 

 

 はい! 小田原中継所です(笑)

 

 こうやって見ています 

 

 私、2本の脚で走ることは まったく苦手なので、あの箱根の上り坂を1時間以上走って登っていくということが信じられませんよ~

 

 

 お良しはもっぱら自転車の力をお借りして走ってしまいます( 趣味 )

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 で、箱根駅伝を遠くから観ているつもりになったところで、この高台をのんびりとサイクリングしてみました

 

 こんな所です(*^-^*)

 

 三浦半島の畑作地帯、今はダイコン、キャベツ、カブ、そして七草がゆで食べていただく野菜を収穫している真っ最中デス(*^^)v

 

 三浦半島の東側、奥に見えるのは さっきの小田原とは逆方向の千葉県房総半島です

 

 

 ズームイン!

 

 

 三浦半島の南側、東京湾の出口付近です

 

 

 

 三浦半島内の北方向を見ています

 

 

 キャベツ畑です

 

 

 中央の山は「三浦富士」標高183m

 頂上には浅間神社の祠がまつられています

 

 

 雲の影が 山や畑をなめるように渡っていきます・・・

 

 これから私はこの畑の中を、雲の影と一緒に巡っていきます(*^^*)

 

 ここから畑道へin♡

 

 

 まるで北海道みた~い☆

 気持ちがいいです~~~

 

 お良し in ダイコン畑

 

 

 縦横無尽に伸びる農道、ここを右折して・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 これは 何じゃ!?

 

 もう40年近く ここをサイクリングしてきたけれど、初めて発見! 「聖徳太子塚」ですって!

なんで ここにあるのかなぁ

 

 

 

 ここにあるといえば、地球を回っているワルイ衛星()を おっかけているパラボラアンテナ施設もございます

 

 

 サイクリングの間じゅう、先ほどお見せした「三浦富士」の2つ隣にある「武山」(たけやま)の頂上から、「武山不動尊」の鐘をつく音が聞こえていました。

 若い頃、父は毎年元日に「武山」に登って鐘をついていました。

懐かしい音色です(^-^)

 

 

 年が明ければ、あっという間に日にちは過ぎて すぐに鏡開き!

お写真は撮りませんが、今 三浦半島では 本当にたくさーんの人手をお借りして 心を込めて、「七草がゆセット」を収穫・パック詰めして出荷の準備をしています(*^^)v

 

 お店で見かけることがありましたら、どうぞ召し上がっていただきたいです~

 

 

 箱根駅伝 &  野菜畑から中継しました~


去りゆく2022年に置いていく、私の今の気持ち ☆彡 新しい年に向かって、レッツ・リセット!

2023年01月03日 16時08分53秒 | 気持ち・考え 告白部屋

 ※注※ この投稿は、2022年12月31日に書いたものの再編集です

 

 

過ぎ去った2022年に置いていくことにする 今の気持ちです

 

 今年の半分が過ぎたころ、実父と夫が相次いで病を得て 私の生活がガラッと変わりました。

 

 2018年に実母がくも膜下出血で突然亡くなってから、急に一人暮らしになっちゃった当時91歳の父と過ごすことが多くなりました。

 

 始めの2年ほどは 父娘の二人暮らしが「二度とないかけがえのない時間」だと思っていました。本当にそう思えたし、優しくしてくれる父と 寂しさを分かち合って お互いに支え合って暮らしていたと思います。

 

 夫と暮らす自宅と父の家を行き来する二重生活でした。人様からは「二つも家があって、別荘みたい。いいねぇ」と言われました。

 

 たしかに、片方の家で疲れると もう片方へ行って気分が休まる・・・という面もあったような気がします。

 

 

 でも、最近の2年ぐらいは正直 つらかったのです。

 

 夫は長らく精神を病んでいます。仕事の忙しさにやられたのです。物事の変化にとても敏感になってしまっています。私が二つの家を行ったり来たりしていることがストレスだったのです。もともと、わたしと結婚する前から自分一人で生活する力がある人でしたので、私がたまに帰宅すると 私の家事のやり方、はたは存在自体が邪魔でストレスになっていきました。

 

 私たち夫婦は、ひどいケンカや諍いをすることが多くなっていきました。

 

「もう家に帰ってこないでほしい」「分かれて別々にやっていこう」と、夫から言われました・・・。

 

私はその真意を推し量るのが困難でした。

 

 

 一方、父の方はだんだんと弱っていきました。

 

「歩けなくなると困るから」「毎日の食べ物が必要だから」という自立の気持ちが強い真面目さがある大正生まれなので、毎日バスと電車を乗り継いで街へ買い物に出かけていました。「年寄りくさいから嫌だ」と言って杖も使わずに 痛い膝をひきずって外出していました。

 

 一昨年ごろから外で転ぶようになりました。駅のホームで転んだり、バスを降りてから 家の近くで転んでご近所さんに抱えらえれて帰り着くこともあったようです。熱中症で駅員さんに救急車を呼んでもらったこともありました。

 

 父は立派だと思います。でも、そのたびに呼び出されたりするのは困りました。謝ってまわるのは私にとっては何でもないことです。でも、365日24時間、父についていることは無理です。

 

 父も自覚して杖を使ったり、リハビリデイサービスに行って筋肉を鍛えたりすることは前向きにやってくれましたが、私は一人っ子なので父の将来を背負っていくことが心配になってきました。

 

 夫との仲が良くないことが、私の力を奪っていくようでした。

 

 

 そんな中で、私が 今年もまた熱中症が怖い夏がやって来ることを危惧していた矢先、父が「左尿管結石性腎盂腎炎」で救急搬送されたのです。

その2日前には、夫が「網膜剥離」で緊急手術入院しました。3カ月の間に3回の手術をしました。

 

 夫は、すっかり気弱になりました。本当は寂しかったのだと思います。

 

 今は 母が生きている頃のように、つまり以前のように普通に一緒に暮らせています。

 

 お互いの努力が大切ですね。

 

 なんだか、女って 勝手な男の間にはさまって ずっと損をしている気がしていました。

 これ以上父と一緒にいたら、不安と心配で虐待してしまうかも、という限界を感じていました。

 

 

 これからまだ父のこと、実家の整理など やることがたくさんやって来ると思います。

 

 私自身の時間を大切に保って、来年からも生きていくつもりです!

 

 私たち3人、みんな頑張ったので、誰も悪くないのです。

だから! 正直、ホントにキツかった これまでの4年間のことは、忘れることにします

 

 ブロ友のみなさまの投稿を読んでいるだけで、わたしは本当に励まされました!

 

 長々とお読みいただいて、付き合ってくださり、どうもありがとうございました!また来年!!