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お良しなさい日記♪

三浦半島からこんにちは!

盛岡に来ています~\(^-^)

2019年06月02日 20時24分33秒 | おでかけ旅がらす

 こんばんは~f(^_^)

 

突然ですが、大好きな「第4回 黒船朝市」が開催されたというのに、無視して もっと好きな岩手県の盛岡に来ています。

 

 今年の稲の作付が滞りなく進んでいるか視察に来ました。

うん、よしよし。(。・ω・)ノ゙  良い田んぼじゃわい。

( 本気にしないでください 😋)

 

日頃の心がけが良いので(?) f(^_^) 、青い空 蒼い山々の良いお天気に恵まれた一人旅となっています(* ´ ▽ ` *)

感謝 感謝。

 

 

明日は30℃に達するって予報です(^_^;)

三浦半島の海風のような、冷涼な風が吹いていた 今日の盛岡市内でした。

 ・ 本日の歩数 10552歩です~ ・ 疲れた~(*>ω<*)

 

 

 

★ 盛岡訪問は12回目  詳しくは後ほど ★


東京港 竹芝桟橋から船を見る!Part3 & 小笠原DAY2018

2018年02月13日 20時00分51秒 | おでかけ旅がらす

 こんにちは 

お良しちゃんもしつこいねぇー!またお船の話かい・・・というお声が聞こえそうな、`船のおっかけお良し’ の放浪記(?)でございます。

 2018年2月12日(月・建国記念日の振替休日)、東京は竹芝桟橋の竹芝客船ターミナル第2待合所にて、小笠原村観光局主催の『小笠原DAY2018』が開催されました。

 小笠原村観光局HP

 昨年5月に生まれて初めて小笠原諸島へ行ったお良しは、大喜びででかけてまいりました もう、うきうきウッキッキーで、午後の京浜急行電車に乗って、新橋まで出て、新都市交通ゆりかもめで2駅目の「竹芝」で下車。

 会場へ入る前に、岸壁になにか船が停まっていないか確認してみると、最初の写真に写っている、黄色い船体も鮮やかな 東海汽船さんの「橘丸」(たちばなまる)がいました!写真では見たことがあったのですが、初めて本物を目にしまして感激ひとしお・・・

 橘丸は、遠く 八丈島方面へ就航しています。夜中に航行しているので、三浦半島からは見たことがありません。

 

 おがさわら丸は、レインボーブリッジ下の芝浦ふ頭に係留されていました。

 

 小笠原DAY2018の様子です

 

 お良しが会場に着いた時、ちょうどライブが始まるタイミングでした

 小笠原のみなさんにはおなじみの、okei(おけい)さんによる、『小笠原古謡の唄うたい `okei’ with 松井貴志 ミニライブ』

 okeiさん 『大切なもの』 ユーチューブへ

 小笠原 で、夕方の時報でも使われていて、お良しも毎日聴いた曲『レモン林』 ユーチューブへ

 

 東京都小笠原村 村長さん

ご挨拶と、小笠原DAY2018 開会宣言をしてくださいました

 

 

 15:00から18:20まで、さまざまなイベントを繰り広げてくださいました。

お良しが聴きたかった講演『返還50周年記念講演 History of Bonin ~小笠原諸島発見から返還までの歴史~』の一幕、ペリー提督来航。

 そう。小笠原諸島は、太平洋戦争末期の昭和19年、父島・母島のみならず、硫黄島など人が住んでいる所は全島民が内地へ強制的に疎開させられ、疎開では済まなくて、戦後は米軍統治時代となりました。そして、はてしない努力によって昭和43年6月26日(島民が去った昭和19年6月26日と同じ日)、日本に復帰、返還されたのです。そして今年は、小笠原諸島返還50年めなのです!でも、硫黄島などには、住民は帰還できていません。

 お良しは昨年の母島滞在中、お宿の本棚でみつけた『小笠原』の歴史の本で、その発見から返還までを一応勉強しました。

(戦争って本当にひどいことですね・・・。でも戦争がなかったら、今日はどういう小笠原になっていただろうか・・・悪い意味ではなくて)

 

 三浦半島 横須賀 浦賀に来る直前、ペリーは父島の二見港に寄りました。父島にもペリー記念碑があり、お良しは「あれー?ここにもペリー記念碑があるのかー」と、昨年行った時、驚きました。

そんな縁もあり、おがさわら丸は毎年 久里浜港にも立ち寄ってくれるようになっているのでしょうか。

 

 ステージの出し物は、世界自然遺産である小笠原らしく 真剣なものでした。野生化して小笠原の動物を襲うようになった猫の対策のお話も興味深いものでした。「駆除する(殺す)のではなく、保護する」という姿勢に感銘を受けました。小笠原の自然を守る一方で猫の命をとる ということはしない。去勢手術をして飼い猫にする(全ネコにマイクロチップを付けている)、さらに内地に保護して新たな飼い主を探す活動を、東京都獣医師会の先生たちが続けているということです。今後も猫だけでなく、様々な方法で自然遺産である小笠原を守る活動を推進していくそうです。

  小笠原の鳥たちが、そばを通る猫を怖がらない、ということにショックを受けました。もともと 猫という天敵の存在を知らないのです。

 

 

 いろいろなタレがお試し放題だった、島豆腐の試食コーナー。一人一個ですよ!

みそだれが美味しかったです 下の方に乗っけてある白い顆粒は、島の塩です。味わい深かったです

 

 島レモンジュース

甘酸っぱいレモンジュースは、小笠原 母島で飲んだ、懐かしい味

 

 

 会場では、ご当地WAONカード(小笠原の)を扱っていて、お買い物はすべてWAONカード決済でした。

小笠原の おがじろう と、WAON犬がそろい踏み (おがじろうは、ザトウクジラですよ)

 

 

 そのおがじろうとは、お良しは昨年の5月の久里浜港乗船の時以来の再会

出番前のお忙しいところ、お良しにポーズをとってくれました

 

 

 小笠原海運さんのブースに置かれていた、おがさわら丸の模型。

カッコイイ~

 

 

 この角度からのお姿は、実際には見ることができない貴重な姿。

 

 

 竹芝桟橋からは、東京湾クルーズ・レストランシップ「ヴァンテアン号」も就航しています

PRのおねえさんから、パンフレットをいただいたら、お食事(コース料理)の20%割引券が付いていました

ヴァンテアンクルーズHP

 夕方からの抽選会で、ヴァンテアンクルーズのご招待券も抽選したのですが、お良しは残念 ハズレ・・・。

 おがさわら丸の乗船券もGETできませんでしたが、楽しいひとときでした

 

 東京スカイツリーのおひざ元にある「すみだ水族館」の展示もありました。小笠原固有種の魚を出張展示してくれていました。

小笠原の海の固有種である オガサワラヨシノボリ

この顔!!! かわいい~ メスでもこの岩顔なのだろうネ

 水槽の壁に、なんだか吸盤みたいなものでくっついているみたいでした!

肝心の「ユウゼン」という黒地に鮮やかな黄色線が入る魚の写真を、みとれていて撮るのを忘れました

友禅染のような風合いの柄を身にまとった、`チョウチョウウオ’ の仲間でした。

 こちらの「すみだ水族館」HPをご覧ください

 

 学芸員さんから、じっくりと解説を聴くことができました。

「私、もともと昆虫の大学を出てまして・・・」

お良し 「っえー そういうお方に会いたかったですぅ~

もう一人の学芸員さん「あはははハー

(それにしても・・・昆虫の大学って、なんだろう )

 

 

 ふたたび okeiさんの歌声。「ナァ・プア・ナニ・オ・マクア」のみなさんと、フラをまじえて。

小笠原は、最初は欧米系の住民が住み着いたのです。ハワイの文化も入ってきていたそうです。

 アオウミガメの旅  この曲も披露されました

 

 

 小笠原観光局(?)さんだったかな? わずか3人の職員さんで頑張っているそうです

 

 

 最後は一本締めで締めて、再会を誓って無事終了。

表に出ると、すっかり日も暮れていまして、お良しは夜の桟橋へなにかお船がいるかなぁ・・・

 さるびあ丸が伊豆諸島から帰還して荷下ろし中でした。港湾職員さんたちは、夜遅くまでほんとうにごくろうさまです。 

 

 

 さるびあ丸のファンネルマーク と、行先表示板。

 

 

 さるびあ丸の前方では、ヴァンテアン号が ディナータイム クルーズへ出発していきました  

右前方には、明かりがついた おがさわら丸の姿も・・・。 

 

 

 昼間に見た 橘丸は、美しい夜景の中に

 22時過ぎに、八丈島方面に向けて旅立っていきます。

 

 なぁーんと、お帰りの京浜急行の電車は、行きと同じ車両でした!

お良しは乗り物全般が好きなので いつも車体番号を確認してしまうのです いい歳の女性なのに、恥ずかしいけれど・・・

 

  一夜明けて、2月13日・・・

 三浦半島南部の海岸では、またしても カモメが一羽だけで佇んでいる姿が・・・

12月に見つけたときと同じ場所に立っているから、そのときと同じカモメかなぁ・・・ 

 

 

 その向こうに、小笠原へ帰っていく おがさわら丸の姿が見えました

(背景は、千葉県 房総半島の 鋸山・のこぎりやま ←上の方のギザギザは、昔の時代から昭和にかけての石切り場。ロープウェイなどで頂上へ行けます)

 

 

 

 あいかわらずの 快調なスピードで、まわりの船を抜き去って、さっさか サッサーと、東京湾からサヨナラしていきました。

けっこう風が吹いているから、気をつけてね、おがさわら丸

 

 小笠原のピーマンを買いました。

島トマトは、WAONカードの購入者に配られました。甘くておいしいトマトです。

 

 ピーマンは大きくて肉厚。でも、生で食べられるほど柔らかいです。カリカリッ

味が濃いです!

 

 こんなに実離れがいいのです。新鮮な証拠!

 

 生で味わった後、ピザトーストにしていただきました。

 

 ピンバッチもいくつか購入。

ここには写っていませんが、小笠原にはもともとなかった木「アカギ」を伐採した材木で作ったピンバッチもありました。そういう木で製品を作り、活かすと同時に周知啓蒙する ということなのでしょうか。

 

 このイベントでは、昨年 小笠原へ行った時にお会いした方々と再会できて、また、たくさんの 小笠原LOVE おがさわら丸LOVE な人たちに囲まれ、幸せなお良しでした。あぁ、小笠原が好きな人たちがこんなにいっぱいいるんだなぁーと気がついて、なんだか、しょっちゅう家の前の海岸からおがさわら丸をみることができる自分が みなさんに申し訳ない・・というか、ありがたいといいますか。

 

 昨年の母島滞在では、お良し以外に人が見当たらなくて、山でも海でも、みんなに大人気の 石次郎海岸でも、お良しの独り占め状態でしたので、その点も申し訳ないというか、ありがたかったというか・・・ 

( しかし実際には、ものすごーく心細くて泣きそうな場面もありました が、小笠原の自然が「お良しさん、もっとこっちへおいでよ」と、励ましてくれていたような日々を送りました。)   「一緒におがさわら丸に乗ってきた394名様は、いったいどこ行っちゃったのー」という感じでしたあはは

 

 小笠原DAYは、とってもアットホームなイベントでした

 

小笠原フォト ライブラリー  ぜひ 

 

 

 

 

 

 


念願成就!東京港 竹芝桟橋から船を見る

2017年12月29日 15時38分08秒 | おでかけ旅がらす

 こんにちはー 2017年最後の投稿です

三浦半島南部、毎朝 最低気温を更新しておりますさっむーい! 風が冷たーい!! 冷えるぅー!!! 

 今朝のお良しの寝床の気温は、8.9℃。午前8時台のお外は、6.6℃でした。でも、三浦半島は暖かい方ですよね・・・。

 

 今年の秋、`10月猛暑’ と言われたほど、なぜか気温が高かった最後の日 10月10日、小笠原諸島航路の「おがさわら丸」を見に、竹芝客船ターミナルへ行きました。が、おがさわら丸は桟橋に居ず、会えませんでした。

10月20日付 「東京港 竹芝桟橋から船を見る!」の記事へ

 

 11月28日、東京に用事があったついでに、母から頼まれて、巣鴨にある「とげぬき地蔵尊」へ行きました。

 山手線の 巣鴨駅から歩いて10分ぐらいのところにあります。「高岩寺」というのが正式名称ですね。

 

 ここの境内に、体の悪い所を洗ってあげると、治るというお地蔵さまがあります。

以前は、たわしでゴシゴシ洗っていたので、表面がすり減ってしまっていたお地蔵様。今は100円でミニタオルがいただけて、それで洗いますが、順番待ちしているご夫婦が、「お地蔵さまじゃないね。観音様じゃない?」と言っていました。

信心深い母はこの写真を見て、「頭にお地蔵さまが居る。」と見つけました

でも・・・、座っていらっしゃる像はお地蔵様かなぁ

 ま、いいや、そんなことは!訪問の目的は、

1、お地蔵さまのお御影をいただくこと

2、地蔵団子を買ってくること

3、母の体が痛い所を、洗い清めてくること

 

「お御影(おみかげ)」とは、薄い紙にお地蔵さまの絵が描かれたお札です。お茶碗のお水に浮かべて浸し、丸めていただく(飲む)ものです。母は、具合が悪いときに、「お助けください」と願っていただいています。しょっちゅう しょっちゅういただくので、すぐになくなり、実弟や姪に送ってもらっているのですが、初めて実の子の私が授与(買う)してもらいに参詣した次第です。母は、この半年ぐらいで、なーんと250枚以上 も、飲んだんですよー それを頼りに生きてます90歳

 

 焼いてお醤油を付けただけの、香ばしいお団子

 

 

 賑やかな、地蔵通り商店街を歩きました

 巣鴨 地蔵通り商店街 公式HP

 

そのあと、再び山手線に乗り、新橋まで行って「新都市交通 ゆりかもめ」に乗って、竹芝へ行きました。

 

 このように竹芝桟橋に停まっているのは・・・

 

その前に( ^ω^)・・・

 

 水上バス

 

 こんな観光船も!

GOZABUNE と書いてありますね

 

 噂の ヴァンテアン号

ヴァンテアンクルーズ 公式HP ご覧ください(お良しは乗ったことはない

 

 竹芝桟橋のタイルは洒落てるなぁ などと感心して見ていると・・・

 

 レインボーブリッジの向こうから、お目当てのお船が( ^ω^)・・・

 

 車と ゆりかもめ線が行きかうレインボーブリッジをくぐってやってきたのは、愛しの

おがさわら丸です 



ボォーーーーーーーーッ!!! ボォーーーーーーーーッ!!!!!

 

 汽笛を2回。「来ましたよー!」と言っているのか お台場の フジテレビ社屋を背景に入港です。

・・・しかし、船の汽笛って、ものすごい音量 遠音がさす っていうのかな!

どのくらい遠くまで届くのだろうか???

 

 1000㎞の旅を終えたおがさわら丸を、港湾職員さんが出迎えます。

 

 お良しも、5月の乗船時にデッキ上から見た 船名看板などを懐かしく見上げました。

 

 

 お向かいには、伊豆諸島を回る「さるびあ丸」が停泊しています。

 

 西に傾いた日を浴びて、2隻は仲良くご対面 

 

 このように、今年はすっかりお船好きに なってしまったお良しでした。

父が造船の仕事をしていて、私も 家の前の岸壁から何回も進水式を見て育ちました。

船主に取り付けられたくす玉が割れて、色とりどりの紙吹雪が舞い、ドックから船が海面へ滑り落ちていく様を歓喜の表情で見ていました。

(「滑り降りていく」が本来ですが、子供の目には「滑りちていく」でした)

 

急上昇した海面の水が、岸壁のお良しの足元から噴水のように高く上がり、自分も辺りも水浸しになるのを体で感じていました。

しばらく忘れていたこの感覚を、おがさわら丸での長い航海が呼び覚ましたようです

 お良し宅近所の、素晴らしいお手軽「東京湾フェリー」にも今年はたくさん乗りました

 

 三浦半島南部、夕日の オーロラ カーテン

 

 みなさまも、Bon Voyage 

 

 


東京港 竹芝桟橋から船を見る!

2017年10月20日 16時03分09秒 | おでかけ旅がらす

 お良しちゃんも好きだねぇ( ^ω^)・・・と、呆れられちゃうほど、5月の小笠原諸島旅行で乗船した「おがさわら丸」が忘れられません

 

とうとう東京は竹芝桟橋まで、おがさわら丸の追っかけ   をしてきてしまいました

 

 10月10日(火)午後。この日は、`10月猛暑 ’とも言われた、熱中症になるかと不安になる暑い日でした 火曜日は、おがさわら丸はだいたい父島からこっちへ来ていることが多いので、事前にちゃーんと時刻表を確認してきたお良しは、たまたま用事があった東京詣での帰りに、京浜東北線の浜松町駅で下車し、てくてく歩いて竹芝桟橋まで行ってみました

 

 おーがさわら丸ぅ~ いるかなぁ と思ってデッキに上がると・・・あれっ いなーい、なんでぇ

待合室兼発券所で尋ねると、「昨日入港して、今日は二つ先の駅、芝浦の桟橋にいますよ」と、あちらの方にはしごく当たり前のことを質問してしまったらしく、

「なんのことやら??????」という応対の、オトーサンとおねえさん職員さんでした タハッタハッ

 

 お良しもまったく物好きで、行ってみましたよ、二つ先の駅「芝浦ふ頭」へ。(ゆりかもめ線の駅です)

たいへん高い所を、無人で走る「ゆりかもめ線」。おがさわら丸が、大きな倉庫が並んでいる岸壁に停まっているのが見えました

そうだよねぇ。竹芝桟橋からは各方面へいろいろな船が発着しているんだもの、大きなおがさわら丸が3日間も居座っているわけはないし、大荷物も積み下ろしするんだよね。

 実をいうと、竹芝桟橋のデッキから、遠く、レインボーブリッジ方面の岸壁に、おがさわら丸によく似た船があるのには気づいていました。でも、あの広大な東京港の、大きなレインボーブリッジのそばにあると、さすがの11000トン以上あるおがさわら丸も、父島に停泊しているときと違って、とても小さく見えるのですよ

 

 芝浦ふ頭の、何が入っているのかさっぱりわからない巨大倉庫群は、一般人は立ち入り禁止でした

なので、おがさわら丸を間近には見ることができず、その気配だけ、身に染みて 身に染みて・・・ うえぇーん(泣き (´;ω;`)

芝浦ふ頭駅の手前の ゆりかもめ車内からは、おがさわら丸のお尻(後方 貨物甲板)だけ見えていました。

 ゆりかもめからガラケーで写真を撮りましたが、ボケた小さな後ろ姿です。今 手元にガラケーのSDカードがないので、あとでしてお見せします。

私が撮影した、竹芝桟橋の様子、「さるびあ丸」が停泊していた姿も、お見せします。さるびあ丸も、いつも三浦半島の海岸から見ていると結構大きな船に見えるのですが、東京港では、まあまあの大きさに感じます。東京はやっぱり、何もかも巨大な都市ですね!

 

 まずはgoo画像からお借りした写真を載せて、今日の記事とします。

 おがさわら丸は、レインボーブリッジの右下の倉庫群の前にいました

 

 ゆりかもめ線は、新橋ー豊洲 間を結んでいて、とっても眺めのいい、素晴らしい路線です。レインボーブリッジも渡りますが、渡っている最中は、橋は見えません 新橋駅を出発すると、下に見える街は箱庭のようで、目の高さに迫るビルの間を縫うように抜けて臨海部へ。 ディズニーランドの人気アトラクションで、ゴンドラに乗って宙づりでいろいろな場面を巡る「ピーターパン」の雰囲気にそっくりですよ~

 

 

 お良しの実母が、10月19日早朝に転びまして、骨折なし、認知症なし(だから余計に辛いみたい)、元気な父あり なもので、しばらく実家に帰ります。ひきつづき、ブログはちょいとお休みします。 

 

 東京港客船ターミナル HP  この中で、「竹芝客船ターミナル」を選んでクリックしてご覧ください

 

 2017年10月24日  私が撮った写真と 追記

 

 さるびあ丸 in 竹芝桟橋

 伊豆諸島へ、ほぼ毎日就航している「さるびあ丸」。いつも三浦半島から見ていますが、東京港では、ウォーターフロントマンション群と、運河を巡る水上バスが走るそばに停泊しています。

 

 矢印のところに、東京スカイツリーが見えているのがわかりますか?

 

 おがさわら丸は、あそこに 

三浦半島から見る東京湾上のおがさわら丸とはえらい違いに、小さく見えていました。

 

 竹芝客船ターミナルでは、小型船から大型船まで、さまざまな船がお客さんをお迎えしているので、飛行機に乗るときのような、これはタラップとは呼ばないのかな? こういうものも備え付けてありました! 船に乗るとき、この境目でいつもワクワクしているお良しです


行ってよかった、大航海!小笠原紀行 .横須賀市久里浜港から出発☆ 総集編

2017年06月30日 21時04分33秒 | おでかけ旅がらす

 2017年5月8日~13日、私の初めての 小笠原諸島旅行の記録です。

最初の写真は、滞在した母島の、小笠原諸島最高峰「乳房山」登山途中からの眺めです。あとで詳しく書きます。

 

  20年ぐらい前は、フィルム写真を現像・焼き増ししてもらって、お店で買った お気に入りのアルバムに貼り、アルバムについているカードにイラストや文を書き、その他どこからか切ったパーツも一緒に貼って、一冊の`旅行記アルバム’ を作ったものでしたが、今や、このようにブログなどのSNSっていうんですか?・・・PC上で保存できるのですから、すごい時代になりました!  でも、アナログでアルバムを作った経験が、今 活かされていると、私は感じています

 では、横須賀市久里浜港から出発した順に記していきます

 

 2017年5月8日(月)、一週間のお休みをもらって、小笠原諸島のマスコットキャラクター`おがじろう’ に見送られ、三浦半島を後にしました。おがさわら丸が入港してきたとき、本当に行けるんだという感激に、涙が出ました この日のために、自分や高齢の両親の体調管理に努めてきたので、ほっとしたのです

 なぜ、小笠原へ行くことになったかというと、市の広報に、「新おがさわら丸が横須賀久里浜港に初寄港!市民クルーズ募集」と載ったのを見つけたからです。それまでまったく小笠原諸島など気にも留めていなかったのですが、広報でおがさわら丸の写真を目にして、「これだ」と、直感して急きょ決めてしまったのです。まったく突然の決定でした 出発まで2カ月なかったのです。

 

 

 ですから、ネットで、持ち物を検索しました とある人の旅行記を読んで、持ち物リストを書きだしました。たくさんあるなぁー と、どんだけの荷物になるか愕然としましたが、用意してみるとたいしたことはなく、これらほとんどを持っていきました。ただし、延長コード と 電源タップ は、不要です。新しくなったおがさわら丸には、各寝台にコンセントがあり、ははじま丸でも、フロアで充電できました あと、タオル類も、お宿に豊富に用意されていましたので、持っていきすぎでした。もうちょっと荷物を減らせましたね。

 私が一番重宝したのは、ミスト状化粧水(スプレー式大缶タイプ)でした。船内は乾燥しているし、コットンなしで顔・手足にシュッと使えます 

 母島のお宿の、お良しの寝床で撮影  きれいなタオルは、お宿に用意されている、大判バスタオル

 

 

 

 おがさわら丸内の掲示板。日々、興味深くカクニン

 出発日は波 風があり、全力前進する船は、つかまっていないと立っていられない揺れでしたが、一夜明けると、青い海

見たこともない奇怪な形の島影がいくつも見え、遠くへ来た…!という実感が湧いてきました。

島への物資も運びます トラックも・・・ 

船の軌跡が、海がきれいだから、とっても美しく見えました

 

ここで、当時のメモ帳に記した記録から抜粋

  出発して太平洋を南下していく船の中で  風強し。「外洋は違う」と皆言い合う波。鳥も通わぬ大海原。富士山など、とんでもなく見えない!たまに、でもよく出くわす船が 白波をかぶっているのを見ると、「小笠原丸、私、も あんな中にいるんだぁ~」寝台が下段で良かった・・・ここまでメモしてまだ5時かぁ~・・ヒマッ。・・・海上に、かなり大きな魚がピョンピョンはねて白く光る。・・・横ゆれ多し。

 

 カツオドリに歓迎され、父島が見えてきました。久里浜出港から、21時間で到着!は、そうとう速い航行でした!

 あたりが明るくて、蒸し暑い父島、二見港に接岸!後ろに控える`ははじま丸’ に乗り換えます。

  1000km移動した実感がわく、大航海だった。

 縦揺れアトラクション(?)ははじま丸で、2時間の船旅で、母島の、沖港に着きました

  お宿の人が、プラカードを持って迎えに来てくださっていて、母島に来たーーー!という実感が湧くワク

 疲れていてはいけない、と、すぐにお風呂をいただき、ロビーのテーブルで、まったりとした時間を過ごしました。

心のこもった美味しいお食事をいただき、夕方(6時半ごろ)散歩に出ました・・・

 

そう・・・。母島のお宿は、とっても居心地がよく、すべてに恵まれた時間を過ごさせていただきました。ほんとうに、心がこもった静かなおもてなしを感じました。

帰ってから、お礼の葉書を送りました

 

 

 島のオプショナルツアーで、`ナイトツアー’ というものもあるのですが、そういうのには予約せず(万一体調不良を起こしたら申し訳ないから)、一人でプラプラ・・・

 日没を待って、星空を見ようと思っていたら・・・

 れれれれー・・・??? なんか明るいなぁ????? あそこに街灯でもあるのか?

と思ったら、なぁーんと、ほぼ満月さま が上がってきまして、ポツリポツリと見え始めていた明るい星たちは、それ以上見えなくなりました

海岸では、虫の声がたくさん聞こえ、まるで三浦半島での秋みたい。

 

 愛車サンシャイン号 に付けている明るいライトを持っていったので、迷惑にならないよう、そこら辺を照らしつつ、初めての母島の夜を観察して歩きました。 この写真は、島中に大木で生えている`タマナノキ’ です。大きなまぁるい葉っぱです。大きな丸い実がたくさん落ちていました。南国風~

 母島は、夜でも生き物の気配が満載で、集落の中にいても、世界自然遺産の雰囲気を楽しめました。道の脇や、頭の上に、昆虫・爬虫類・鳥たちの動くのがわかるのです。最初は暗闇が怖かったですが、お良しの歩く一歩一歩に カサコソ逃げる見えない生き物に、いちいち立ち止まってチロッと目を向けました

 

 

 

 2017年5月10日

 内地(この言い方は、私は使ったことがありませんでしたが、島の人たちが使っているので、区別として、私もここで使います)とは、日差しの強さが比べ物にならないっていうので、日焼け止めをしっかり塗りまして、外へGO!

 はじめに行った、鮫ケ崎展望台からの、向島の眺め。母島の南側や、母島列島の島々がよく見えました。壮大な景色でした!!

思わず「うわぁー」と、歓声を上げました。お良し、魂の解放~!!! 

 展望台の下から沖港方向を望む。山には常に霧か雲がかかっていまして、湿度が高いんだか、そうでもないんだか、わからない気候でした。前日に父島に降り立った時のような蒸し暑さは感じられませんでしたが。

 上の写真を撮った防波堤の下を覗くと、赤い魚の群れが!おおーっ!南の島の魚って感じ~

 漁港には、ネムリブカ たちが、固まって休んでいて、足を洗おうと下りて行った私は、直前に気づいてビックリ仰天

 散策は、JAのお店で手に入れた ‘島レモンピール’ とお水を持って、へばらないよう気をつけました。

島レモンピールは、甘酸っぱくて、とても美味しかったです。日持ちするので、お土産としても購入しました。

 これは、タマナノキよりももっと葉っぱが大きい ‘モモタマナの木’ です。葉の裏に、桃のように、ふわふわの毛が密集していて、触ると気持ちいい~ ひゃいひゃい~

 母島には、あちこちにきれいなハイビスカスが咲いています。

 

 お宿で、美味しい手作りお弁当を食べて休憩し、午後から、また海岸へ散策にでかけました

南国の植物がきれいに植えられている、母島の道路。

 働く人もみかけた、母島の暮らしを支える発電所の脇を入り、木漏れ日が美しいタマナ並木を、ザクザク ザッザッと落ち葉を踏みつつ歩くと、

 御幸之浜に下ります。昭和2年に、昭和天皇が行幸されたので、この名が付けられたそう。

右端に、午前中に鮫ケ崎展望台でまぢかに見た、向島が。

 ふたたび林の中へ分け入り、次の浜を目指します。とにかく、母島は勾配がある島なので、浜に下りるには、急こう配で上ったり下ったりする 林道(はやしみち)を歩いて、小さな海岸をめぐるのです。でも、道はちゃんと整備されていて、危ないことはありません。油分を多く含んだ落ち葉が一面なので、靴はちゃんとしたものを履いたほうがいいです。

 御幸之浜展望台から、赤茶色の島々を眺めます。小笠原の地質は、赤くて、ちょっともろそうに見える土です。

 下を見ると、透き通ったきれいな海~

御幸之浜からまた林の中に戻り、お次に行ったのは

 大きな石がほとんどの、南京浜。

石の上では、小さな丸い貝たちが、ちょろちょろ チョロチョロ 動いていました。打ち寄せる波にも負けない吸着力をもつ生き物。

気温が高いので、足を入れた海の水は、気持ちいい温度  (この日の気温は、27度ぐらい)

 

 はぁはぁ ゼイゼイ言いながら道路まで上がってきて、アスファルトでなくコンクリートの都道を、これまた相変わらずの坂道を上がったり下がったり・・・ 

鳥たちや、珍しい植物を見ながら

 旧 母島ヘリポート(跡)

母島でもっとも星がきれいに見えるところ、ということです。

 

 

 この日の最後に尋ねたのが、沖港から近い 石次郎海岸です。

小さな浜ですが、先の二つの浜と違って、砂浜があり、海の色がきれいです ここも、急な階段をずいぶん下りたところにあります。

・・・ということは、帰りは上り階段を、どっこいしょ!です

 私の足も、水の中とは思えないほど・・・。光の模様がきれいです

この日も、宿泊客のだれよりも早く帰り、お風呂に入り、またまたテーブルで温かい飲み物をいただきながらまったりしました。葉書を6枚書きました。

 しゃーわせぇ~(幸せ~)

夜はですねぇ、寝る直前にエアコンでお部屋を冷やさないと、寝付けない蒸し暑さです。

母島は、最低気温が24度ぐらいで、日中は26~27度ぐらいでした。寒くないから、気温のストレスがまったくありません!快適です

でも、汗がとっても出ます! ですから、飲んで食べて!ができないと、バテると思います!! 散策には、水分と、お菓子などをたくさん持っていくべきです。

 

 2017年5月11日

 乳房山登山 向こうに見えているのは、鮫ケ崎展望台で見た、向島です。海がほんとうにきれいですねぇ・・・。

前日に、ガイドさん付きで登った、同宿のご夫婦から、「一人ではきついかも・・・。これまで登山の経験は?」と聞かれ、ちょっと不安になっていたので、だーめそうだったら、無理しないで引き返して来ればいいや~、ぐらいの気持ちで登り始めました。

 亜熱帯を感じる森の中を2.3km登ります。

 大きなシダ植物 オオタニワタリ も、たくさん見られました(中腹以上 上の方)。

 途中に設けられている水場には、ペットボトルのお水を注ぐと、すぐにハハジマメグロたちがやってきて、わいわい喜んでくれます

 中間点からの眺め  きれーい    

 ああ、もうクッタクタ で、1時間30分ほどかかって頂上へ

「えーっ!まだ500mしか来てないのぉ」、「えーっ!中間点って・・・あと1.2kmって、まだ半分も来てないのぉ ずいぶん登ったよー」という具合に、お良しの人生の中では、最長不倒距離に感じた2.3㎞でございました

 はぁー・・・ヒィー・・・ふー・・・へー・・・  という、「は行」での苦しみではなく、

カーッ・・・キィー・・・くーっ・・・ という「か行」での奮闘でした 

・・・「なんだか また広い所へ出そうだけど・・・、どうせ頂上じゃぁないんだろな・・・」とか諦め気分でいたら、頂上でした

あれぇーっ なんだ私、登れたじゃーん と、嬉しくなりました 山登りは、元気だからと最初から飛ばして登ってはイケナイ・・・ということがわかりました。ゆーっくり ゆっくり、一歩一歩です。

 

でも、かすかに見える頂上からの絶景に、達成感もアリ

 ははじま丸も見える、沖港の姿が・・・ 見えたぁー!

すごい高さまで、よく登れたお良しでした  ごくろうー

 帰り道に、小さな小さなカタツムリを見つけ、持っていったルーペで超拡大して観察しました。うすーい貝で、ほそーい縞目が無数にありました。きれいでした。 こんな小さくても、自然の造形は、素晴らしいです。

乳房山登山は、楽しかったです

 

 この夜は、疲れていましたが、島の太鼓の練習を見せてもらうため、栄養豊富な乳飲料 明治の『メイバランス』と、ドリンク剤のユンケルをカーッと飲み、島の人たちから太鼓を教わりました。島の人たちと触れ合え、よそ者なのに、好きな太鼓も叩かせていただき、とっても良い時間でした。たいへん勉強になりました!

 

 

2017年5月12日 

 母島滞在最終日は、ははじま丸が出航するまで、集落内を散策しました。

母が行ってきてほしいと言っていた神社へ参拝したり、漁港で小笠原諸島ならではの貴重な生き物にも出会えました

海岸で、サンゴのかけらを見ました。国立公園内ですし、固有種を守るため、島のものは持ちだせないので、写真だけ。

 町中散策の途中で  鏡の中に入るお良し 海をバックに、母島の風景に溶け込んだ、よい記念写真になりました

 この旅で、お良しが行動した範囲がすべて入っている地図。

乳房山だけは、もっと右上の彼方です

 

 神社巡りをしていたら、ポオーーーーーーーーーーッ!!!!! という大きな汽笛とともに、ははじま丸が、父島よりお迎えにきました!

499tという小さな体で、乳房山山中でも聞こえるほどの おっきな声が出る`ははじま丸’ です。

 

 ははじま丸 進水式(2016年 長崎県で) 「小笠原ブログ」(公式)お船のお好きな方、どうぞご覧ください

 

 前夜の太鼓の先生も港に来ていらして、別れを惜しみつつ・・・

 ザトウクジラ幟や、太鼓の先生による 木を叩く演奏と、ペットボトルのお水で桟橋にクジラとハハジマメグロと「see you」の文字を書くパフォーマンス。そして、若い人が桟橋から海に飛び込むお別れの儀式を涙で見ながらの出港・・・。。。

うえーん。゚(゚´Д`゚)゚。 泣き 泣き 泣き 

 遠ざかっていく母島に、「ありがとうー!ぜえったい、また来まーす

島にいたんだ・・・ということを実感した風景でした。

 

 カツオドリは、いつもお船と一緒

お顔が白くて、面白いカラーリングの鳥です

 父島の海も、美しい ‘ボニンブルー’

 父島 二見港でのみなさんのお見送りも、心のこもったものでした

 どこまでも、おがさわら丸を追いかけてきて見送ってくれる

小笠原自称「日本一のお見送り」です。

 さようなら、小笠原。 ははじま丸も、さようなら、ありがとうございました また会えるかなー

 同船のみなさん大勢と、だれもが無言で一緒に見た、小笠原諸島での最後の夕日。

 お良しの2等寝台  快適 

 美味しいホットケーキを食べました アツアツで、バターも メープル風シロップも、おいちぃーlove love

 おがさわら丸内は、カラフルポップな内装です。

 

 

 お帰りの横須賀久里浜港は、ドシャ降り「お良しさん、無事おかえりぃ~」

 

 余計な力を抜いて、ゆっくり行動すれば、できるんだ!ということを学びました。自分に自信がつきました。

 自分の太鼓も、力を抜いて、楽しくやろう!と思いました。

 小笠原諸島の素晴らしさを目にして、今住んでいる三浦半島のことをもっと見つめなおしてみよう!と思う機会となりました。(日常を忘れに行ったのに、日常を顧みさせてくれた)

 かかりつけの医者いわく、「心が洗われたのよ」なのか、帰宅以来、夜の寝つきが良くなりました。

また、行きたい

 

 

 母の日記帳

「こんなにも わが子が大事か 身にしみる」の句 

留守中に、こんなこと書いて、笑っちゃうよ と言って笑ったら、まじに「なにが可笑しいんだよ」と睨まれた

 

 父島と母島のそれぞれの郵便局から出した葉書。

風景印を押してもらいました

 

 おまけの写真~ でも、一番重要かも~

 

 出発前に、旅の無事をお祈りしていったお地蔵様

 

帰ってきて、その素性を知りまして、ビックリ仰天です

「岩船地蔵」といって、航海安全と水難除けのお地蔵様でした!

無事帰れると、貝の首飾りをかけてお礼するのだそう・・・。お良しも早くそうしなくちゃ!

6月28日になって新たに知ったのですが、写真の通り、お地蔵さまは、船の形の台座に乗っていらっしゃいます

わぁー、素敵です

おじぞうさま、ありがとうございました

 

行くべきして行った、小笠原旅行でした お天気に恵まれ、人々に支えられ、良い旅でした。

今回は、小笠原の歴史である、太平洋戦争の遺構を見ませんでした。高齢の知人に、その点を聞かれ、困りました。母島の宿で読んだ本で、お勉強はしましたが・・・(汗)

 

 今、思い出すのは、この曲の感じそのもの・・・ 山下達郎さん 『RIDE ON TIME』  ユーチューブへ飛ぶ

 

 

  このような旅ができるとは、9年前に患った病のときには想像もできませんでした。ここまで回復し、以前以上に良い日々を送らせてもらえていることを、心から感謝します!

 

 

 東京都小笠原村 母島ブログ  小笠原母島観光協会より、小笠原「母島」の様子を写真つきで毎日お届けしています。とのことです、母島の様子がわかります

 

 

 ★ 2019年2月12日 追記しました ★

 「行ってよかった 大航海!出発・到着編」

 2019年の「小笠原諸島への市民クルーズ」の申し込みが始まるせいか、私のこの稚拙な旅行記がたくさん閲覧されています。責任を感じております (汗)(-_-;) 

 詳しく記述した 横須賀市久里浜港からの出発・小笠原諸島到着編 もありますので、そちらもよろしかったらご参照いただければ幸いです。今年ご出発されるみなさま、どうぞ良い旅をなさってください! 管理人 お良し

 

 

 

 


行ってよかった、大航海!小笠原紀行 <ありがとう、さようなら編>

2017年06月24日 09時51分41秒 | おでかけ旅がらす

 

 2017年5月12日(木)、母島滞在 最終日となりました。

同宿のご夫婦の、ご主人様が、「とうとう この日が来ちゃったネ・・」と、朝食に行くとき玄関で、私にぽつっとおっしゃいました。・・・まったくおっしゃる通りです、あっという間でした・・・。

 

 基本のチェックアウトの時間は決まっているのですが、「ゆっくり、どうぞいいですよ」と、お宿のおねえさんが言ってくださって、お良し、名残惜しい時間をお部屋で過ごす・・・

でも、9時には宿を出て、母島での残り時間を、到着してからの時間と訪れた場所をいとおしむように、集落散策で過ごしました。。。

(大きな荷物は、11時に宿の方が、母島乗り場に届けてくださることになっている。お弁当も頼んだ

 

 どこへ行ったかといいますと・・・

 神社でございます

母島には二つ、神社がありまして、元地集落の南側 石次郎海岸へ行く急坂を上った左側の石段を登ったところにあるのが、こちら

『御嶽神社』さまです。

 下の道路から、けっこう石段を上がり、右へ左へと参道を歩きます。

 木が生い茂っていますので景色は見えませんが、道路沿いに、たしか夕日と一緒に写真が撮れる立派な朝礼台みたいなものが設けられていて、そこから海を見ることができます。一昨日に行った、『鮫ケ崎展望台』が、このように見えまして、うわぁー・・・

 急坂を下って帰ってきた、元地集落。前を向いてこれを撮ってい るお良しの背中側、坂!って感じ わかりますか?

 前浜海岸で、サンゴのかけらを見る。このような物が、たっくさーん落ちています。さすが南国

持って帰ることはできませんので、写真にパチリッ

 

 そのサンゴのかけらがいっぱいの浜の端っこでは、鳥たちが何かをついばんでいました。

 それから、母島乗り場の手前にある急な階段を、またまた、よいしょっ、こーらしょっ と登り、

 『月ケ岡神社』さまへお参りしました。

 境内には‘メグロ’ も多い、と、観光地図に書いてありますが、出会ったのは、メジロみたいですねー。

 

神様に、ブツブツお礼を述べていると、

ぷおーーーーーーーーーーっ!!!

と、ほんとうに大きな、元気いっぱいといった感じの、`ははじま丸’ の入港の汽笛が聞こえてきました、いきなり!

 境内の端に、下が良く見える場所があり、「はい! お良しさん、お迎えに来たでござるよ」とばかりに、ははじま丸が、スイスイスイスイ入ってきて、あっという間に接岸!

(写真 下の方にタラップが見えていますね)

この高い所からは、階段ではなく、坂道で港の北側に下りることができました

 

 

 漁港の建物に、こんな楽しいものがぶら下げてありまして、「どんな人が働いているのかなぁ~」と、会いたくなりました

 一昨日、ネムリブカがいっぱいたむろしていてビックリした港には、小さな魚が泳いでいました。

 漁港を取り囲む道には、こんな、マメ科の植物と思われる種がたくさん落ちていました。三浦半島で見られる「山藤(ヤマフジ)」に似ています。道路に落ちていても発芽の機会がないな・・・と思って、道路のすぐわきの、草木が生えている崖(山)の中へ ポイ しました いーけないんだぁ、いけないんだー 国立公園内で、人間が、こんなよけいなことしちゃイケナイんだぁー お良し、警視庁行き

 

 。。。。。

 

 とある場所にさしかかったとき・・・「ん? なんだろうか???」と思って近づいていくとぉ・・・

 

 っえーーーーー うっそー 生で初めてお目にかかりました!

太陽にキラキラ輝く ウミガメちゃんー love 

このウミガメちゃんは、甲羅に海藻をしょってます この大きさで、何年ぐらい生きているのでしょう?

 

 私が顔を出したら、ちゃんと見えていて、近寄ってきて目が合って、頭を上げて、口を開けて「プッハ!」とか言うんですよ~

かわいいの なんのって 会えて嬉しいよぉー 神社の神様、最後にまた素晴らしい出会いをありがとうございました。

 

 

 三叉路で自撮り!

(鏡の中を注目)きれいな海も見えています。

 その三叉路は、この写真(沖港)の左端にあります。

奥の浜は、サンゴのかけらがたくさんの`前浜’ です。

 

 まだ時間があったので、月ヶ岡神社の隣にある「清見ヶ岡鍾乳洞」の方へ行ってみました。清見ヶ岡鍾乳洞は、観光協会の許可がなければ中を見られないようです。お良しはそんなことも知らずに、入り口だけ見学。

 ちゃんと神様が祀られています。

 鍾乳洞のまわりの林の中には、以前の、どれくらい以前なのかわかりませんが、人々の暮らしの跡の、古そうな石垣がありました。

これは、`カルスト石’ というもので造ってあるようです。

とにかく、小笠原諸島は、戦況が厳しくなってきた昭和19年、住民全員の本土への強制疎開が行われ、49年前に日本に返還されるまで、失われた時間が過ぎたのです。硫黄島には、まだ誰も帰ることができません。

(私は、宿の本棚で小笠原諸島の記録本を見つけ、熟読しました 信州松本のお殿様、小笠原貞頼が発見したので、小笠原と名付けられたと知り 戦前の島の暮らしの写真もたくさん見ることができました。とても平和そうな、独自の文化生活を感じました)

 

 前夜の太鼓の練習でたまたま知り合った女性にお願いして、記念に撮ってもらいました

お良し、トレードマークの`首てぬぐい’ が おしゃれでしょ(?)

 

 

 12:30、母島のみなさんに見送られて、とうとう 母島を後にする・・・

鯉のぼりではなく、`ザトウクジラのぼり’  

 

 

なんといっても感動したのが、 ペットボトルのお水で描いてくださった、ザトウクジラ と ハハジマメグロの絵と、See You の文字。お良し、もう大泣き 心を込めて描いてくださったのは、母島観光協会の方でもある、昨夜の太鼓の先生!

 どうもありがとうございましたー エ~ン 「ぜぇったい、また来ますー

 

 白い防波堤燈台が遠ざかっていく・・・

ははじま丸、速く走り過ぎー

 

 頭の中に、この曲が流れてきました・・・

NHKテレビ放送中 『新日本風土記』テーマ 「あはがり」 ユーチューブへ飛ぶ

 

 

 母島。 崩れている。 上の方に高い山が(この写真ではなく)。 昨日行った、「乳房山」かなぁ・・・とか、しみじみ懐かしむ。

 

 遠ざかる母島。だんだんと薄らいでいく島影。

あそこにいたんだ・・・、と、自分がすごいところに居たんだと思う。

 

 

 ひとしきり物思いにふけったら、おなかが空いて、パンをかじる。

あ、まだ母島が見えていますね。早々と食べたんだっけ 悲しくて やけ食い???

 

 

カツオドリがお見送り・・・。

 

父島との間、けっこう沖まで、漁船が漁に出ていまして、驚きました。母島から20kmは沖です。

 

「ありがとう、母島。ありがとうございました、母島のみなさん・・・。」!!!!!


 

 

 3泊4日という短い間でしたが、母島での日々は自分なりに凝縮されていたので、寂しく、未練がまだありました。でも、

「なんだか、今 住んでいる所をもっと見直してみよう」という気持ちが湧き、「さぁ、帰ろう」という、背筋をしゃんとする気分でもありました。これまでと、これからの生活を見つめ直す機会となった旅でした。

 

 2時間ほどで父島の二見港に到着。

父島は街!でしたよー 信号がある大通りがあり、車もそこそこ走っている

生協などのお店屋さん、さすが資生堂!の販売契約店の看板がある薬局 。島の人の手作りのお土産屋さん、なんとcafeのようなテラスのある飲食店  

(写真 奥に、おがさわら丸が、デーンと見えています)

 

 なんと 横須賀にもある、『ペリー記念碑』(アメリカ合衆国 ペリー提督上陸記念碑)が父島にもあることをはっけん

「えーっ!クジラを追って、ペリーさん、ここにも来てたんだー」と、なんだかどこまで行っても横須賀から離れられない・・・

 

 父島の子供たち。

郵便局へ葉書を出しに行ったので、その真向かいに合ったバス停に下校途中のにぎやかな子供たちを発見!

港まで戻ってきて、ボニンブルーの海にまた感動。

 母島では、おもに浅いところを見ていたので・・・、大型船舶が停まれる岸壁は、たぶん水深がある。だから、より深い青色に見えるのでしょうか?

 おがさわら丸と と 二見港。 尖山は、「旭山267m」???

父島には、約2時間しかいられませんでした。おがさわら丸は、15:30に、東京港へ向け出港します。

 

 乗船すると、みなさんがお見送りをしてくださいます。小笠原太鼓 お良し、知ってるフレーズがあったよ 2004年に、東京で太鼓のお教室に参加したとき習った叩き方が、ここで出てきたのに気づきました。ららららー

 

 ばぁーん ばぁーん ばん ばん ばぁーん

というどらの音。小笠原民謡のBJMが聞こえ、ぷぉーーーーーーーー!!!!! という出港の合図の汽笛。

 

 いよいよ、おがさわら丸の船体が、父島の岸壁から離れていく・・・。

 

 お良しのまわり(デッキ)では、おもに若者たちが、島に残る知り合いの人に大声でいろいろなことを叫んでいました  

下からは、「また来てねー」の声。

 

 はい、これが自称「にっぽん一のお見送り」風景です。

事前の知識では、漁船団が並走してくれるのだとばっかり思っていましたが、父島のお宿とかの、クルーズ船が、たくさん たーくさん、おがさわら丸をどこまでも追っかけてきてくれて、お見送りしてくれます!ホント、感激します

「また来まーす!」と、思わず言っちゃう・・・と書いてあったのがわかります。

最後は、海に飛び込んで、気持ちを伝えてくれます。温かいお見送り、ほんとうにありがとう!

 

 

 午後6時過ぎ、最上階で落日を見ました。

同じ船に乗り合わせた、多くの乗客とともに、みなさん黙って、静かに、この小笠原の旅 最後の太陽を見送ります。

 

 

 あ・・ああ・・・ぁ・・ さようなら…

 

 おがさわら丸も、ピンクに染まります。

 

 ああー、おなかすいたえー。 夕飯夕飯 母島のお宿で作ってもらったお弁当 いっただっきまぁーすっ おいちー

 

 この晩は、ほっとしたのか、熟睡 おがさわら丸の、グゥーッ というエンジン音が子守歌・・・。

 

    翌朝は、予報通りの 大雨!

久里浜港で降りた方が早く帰れる、という人が多く、豪雨の中、大勢が下船しました。

京浜急行バスが臨時増発便を何台も用意してくださり、おがさわら丸に横付けで、京急久里浜駅までサクサクと移動。

 

でっもー。お良しは、雨の中、傘をさして、東京湾フェリーターミナルまで歩き、そこからバスに乗りました。

 おがさわら丸は、雨中でこんな状況

最後に試練が待っていた・・・という悲壮なキブンでしたよー

 

 東京湾フェリーとともに。

さようなら、おがさわら丸 ほんとうに どうもありがとう。ごくろうさま。

 

 バスの中から、スタコラと久里浜港から出ていくおがさわら丸の後ろ姿が、雨にけぶって見えました。エントツから黒い煙を吐いて、豪雨の中を東京港へ向かってさよならしていきました・・・。また、乗れるかな・・・?

(久里浜港下船に時間がかかったから、急ぎ足で竹芝桟橋へ向かう必要があったのでしょう。なんたってお客さんは、そこからさらに各地へ決まった列車などで帰る予定があるのですから)

 

 車窓から見る、横須賀の街は、なぜか小笠原が幻だったように、その(横須賀の)姿を懐かしく見せてくれているようでした。

 

見慣れた京浜急行の電車に迎えに来てもらって、なんだってこんな雨降りなの という状況の中、やっとこさ家にたどり着きました・・・ あ、駅近かのお地蔵様に、「無事帰ってこられました、感謝します」と、ご挨拶しましたよ 傘をちょいっと上げて。

 

 

 ものすごい雨ふりがわかっていたので、お良し人形も、ぐるぐる巻きのビニール袋入り状態で帰宅

「ミイラみたいじゃん!」と、主人。

主人も両親も、よかったよかった・・・ と、無事帰還を喜んでくれました。

 

 

 最初の回で書いたこと  駅近かのお地蔵さまの正体が、帰宅してから判明しました。

 

「岩船地蔵」さまといって、航海安全 と 水難除けのお地蔵様でした

ときどき願掛けに、信者が首を持っていくが(たしかに首が取れていた。が、今はセメントで固定してある)、満願すると戻される。首の貝飾りは、お礼の奉納。

ということですが、何気に拝んでいったお地蔵さまが、まさに航海の神様だったとは・・・ どんぴしゃり わぁー。

やっぱり、私はこの旅に、行くべきして行ったのではないでしょうか?

 無事帰宅のお礼に、貝で作った首飾りをかけてあげなくてはいけない・・・と思っていて、まだ実行していないお良しです 早くしなくちゃー

 

 5月いっぱいは、まだ船に揺られているような感覚がありました。

 

  何不自由ない、恵まれた日々でした、みなさんに心から感謝です  

   (・・・というか、船だから、島だから、と、気負いすぎたのが そもそも考え違いでした すみません・・・。 )

 

  余分な力を抜いて、ゆっくりやれば、できるんだ。もしできなくても、諦めることはない、必ず他の道がひらける、ということを学んだ。ご飯がちゃんと食べられる胃腸の状態で、汗も出やすいカラダになっていることが大事だと思いました。(体調管理

 

  小笠原諸島は、素晴らしいところです。

 

 みなさん、お元気で どうもありがとうございました。

 

 この世に生まれて、ほんとうに良かった

 

 最後までお読みくださり、ありがとうございました。この旅日記は、6月いっぱいで非公開記事とします。総集編を

します。                   2017年6月24日 管理人 お良し 

 

 


行ってよかった、大航海!小笠原紀行 <母島の夜>

2017年06月19日 19時56分16秒 | おでかけ旅がらす

 こんばんわです

 

今回は、魅力的だった、母島の夜 を書き留めたいと思います。

 

 到着した晩、6時からの夕食を食べ終えて、お宿から歩いて2~3分だった海岸へ散策に出かけました・・・

この連載の最初の回で書きましたが、夕闇が迫るにつれ、空にはポツン、ポツンと、一つづつ、見える星が増えていきました。

そうしたら、ほぼ満月 が上がってきて、星はかき消えたんだっけ・・・。

 

ザザン ザザン・・・ という、小刻みな寄せる波の音しか聞こえません。 ときどき、軽トラックが通ります。

あ、メモを見返したら、「虫の声が大合唱!」って書いてあります。頭では忘れましたが、そういえば秋の虫みたいに鳴いていましたっけ。蛾も飛んでた

 

 ふと・・・、海岸の、トイレ・シャワー付きお休み処に、手に手にレジ袋を提げた人たちが集まってきました。

「なんか顔見知りみたいだな・・・島の人かな?」 と見ていると、持ち寄ったお料理と缶ビールを囲んで、にぎやかに乾杯 静かな入り江に、和やかな時間が流れます。

「いいなぁ~」 お酒が飲めれば、お良しも混ざりたい・・・

 

そのあと、持っていた自転車用の超明るいライトを駆使して辺りの木々の写真を撮りつつ帰宿

海岸には、ウミガメのお母さんが産卵に上陸することもあるので、ライトで照らしてはイケナイのです。これは、来るときの`おがさわら丸’ の船内で、小笠原レンジャーのお姉さんから、みなさんお達しされた 重要事項です

 

 部屋に戻って、前日の久里浜港出発の折、東京湾フェリー待合所で買っておいた『アサヒ ドライゼロ』(ノンアルコールビール)をクイクイやりながら、ヨコスカお留守番の主人に`無事到着’ のメールを。このあとは、帰りのおがさわら丸下船まで、連絡を絶った`悪妻’ でごわす

 母島一日目の晩は、これでおやすみなさい

 

 翌、5月10日、母島2日目。

海散歩をして、汗びっしょりの私。夜、涼みにでかけると・・・

宿から山の方向に歩き出し、真っ暗闇にライトを向けて見ていると、行き止まりのような道の奥の崖?に、何か立っているのが目に入りました。

「あれ?・・・お地蔵様?」

母から、神社があったらお賽銭を上げてきて!と、5円玉を一つ預かってきている私。

暗闇を進んでいくと、ぼぉーっと、小さな白いお地蔵さまがそこにいらっしゃいました。

このとき、ライトをつけずに近づいていきました。

母島に、お地蔵さまがあるんだー と、目をつぶって手を合わせてご挨拶。

それから目を開ける・・・。目を開けた瞬間 暗くてよく見えていなかったお地蔵さまが、ハッキリと、お良しの目の前に、楚々とした上品な美しさで立っておられました。

「わぁー・・・お地蔵様、私を受け入れてくださった・・・」

と、感無量。 たぶん、暗さに目が慣れて、よく見えるようになったのだと思いますが、目をつぶって開いたら、白いお身体がはっきり というのは、神がかっていましたよ

「明日、あらためて参ります。」と、その晩はそのまま 後にする。

( 私は、よくよく、神様とか魂とかいう話を登場させていますが、とくに信仰している宗教はなく、親が手を合わせる姿を見て、幼少期より、そのような気持ちになっているだけです 神仏両方、柳田国男の『遠野物語』のように、路傍の草や石にも神様が宿っている・・・と感じる日本人になっています )

 

 宿の裏から役場のあるメインストリートに出て、集落の中へ奥深く入っていき、ロース記念館を夜陰に見る。明日来よう、と下見気分。夜来る人も私ぐらいでしょう

 小学校の前まで戻ってくると、つがいなのか、2羽の鳥が、小学校の2階バルコニーの上と、お良しの目の前、橋の欄干に、チャーッと来て、

「きょっきょっきょっきょ!」「ケッケッケッケ!」と、鳴きかわし始めまして、またもやビックリ仰天 しばらくそんな感じで、私は体を固くして、じっとして聴いていました。

 

 そのあとは次々に生き物の気配が満載 歩くごとに、道の傍で 「カサコソッ」、「パタパタ・・・」という音。

そのたびにお良し、飛びのくありさま・・・ なんだろうねぇ・・・ なにか「いる」のですよ。鳥、そして虫か、トカゲか??? 

 とにかく、母島の夜は、道の端っこを歩かない方がいい、ということを学びました

 

 海岸線に出て、ぐるっと回って帰りました。雨が降っていないようなので、川に水がありません。橋を渡るとき、何かが ものすごく慌てて、カサカサカサッ と欄干の下を走って隠れました!

「ぎゃあー なんだ なんだ なんだぁー  こっわー

となりのトトロ にでてくる、まっくろクロすけ出ておいでー みたいな姿だった・・・ たぶん、でっかいクモだと思います クモもビックリしたでしょうけど、お良しもビックリ仰天 歩いてじゅっぷん!だったよー 脅かさないでよ~ ただでさえ怖いんだからぁ。

 お地蔵さまには、翌朝、乳房山登山に出発する前に、母の5円玉と自分の10円玉をあげて、お参りしました。帰る日の朝も、旅のお礼をしました

 

 5月11日、乳房山登山に行ってきた。 

夕飯後、午後7時から という、母島の太鼓の練習を見に行きました

お宿のおねえさんも参加しているという太鼓。お良しは、小笠原に行く前に、お宿に葉書を送っていました。そこに、自転車と太鼓が好き と書いておいたので、お宿のおねえさんが誘ってくださったのです。どうもありがとうございます。

その太鼓の練習の風景は、お良しの祭囃子人生に、大きな転機を与えてくれました。

なんという、むだな力が入っていない太鼓。 なんという、楽しそうなみなさんの叩き方。 なんという、目上の人を敬うみなさんの心。

私は、昼間の、乳房山登山で学んだ、「ゆっくりと確実に動けば、できるのだ」ということを、再認識させられました。今年の祭囃子は、もっと力を抜いて、楽しくやろう と思い、楽しみになりました

母島の叩き手の方が、「内地の太鼓と全然違うから。」とおっしゃっていましたが、たしかに祭囃子とは違いますが、基本になるリズムの叩き方(地打ち)は、お良しの町の基本の叩き方の調子と同じでした。やっぱり、お良しの地域の長老たちが言っていた、「太鼓は母親のおなかの中のリズム」ということがハッキリとわかりました。共通なのは、みんな、おかあさんのおなかの中にいた、という記憶ですね、やっぱり。

 91歳の、太鼓のみなさんから「長老」と呼ばれていた方の太鼓、`最終的に行きつくところ ’・・・という感じでした。素晴らしい。若い人たちにやって見せ、それをみなさん真剣に聞いている。 お良しも、いつか、自然にそうありたい。

 練習中の写真は公開したくないので、翌日、練習場だった所に置いてある太鼓を ご紹介。お良しにも、手取り教えてくださって、叩かせてくださいました 二人が組になって叩きます。(地打ち と 流れ打ち?っていうのかな???)

お良しの叩きに、ありがたいアドバイスをいただきました。

 

  母島の太鼓は、父島にある『小笠原太鼓』とはちょっと違うということです。でも、小笠原諸島の太鼓は、八丈島から伝わったそうで、年に一度、母島では、八丈太鼓さんと一緒に叩く機会があるそうです。

 

 

 

 乳房山登山で疲れていた体に鞭打って参加したので、さらに疲れが襲ってきて、ふらふらになりながらの帰り道、きれいな花にはとっつかまってしまう お良しで、写真をパチリッ! (ライトをあてて、花びらたくさんの、これもハイビスカスの一種かな?)

 ベッドにばったり・・・ で、 なさい・・・ぐぅー 

 

 ホント、朝から晩まで、内容の濃い旅です

 


行ってよかった、大航海!小笠原紀行 <母島探検 山編>

2017年06月13日 18時20分55秒 | おでかけ旅がらす

 あたーらしい 朝が来た 希望のあーさーだ

喜ーびに 胸をひーらけ 大空あーおーげー

 

 おはようございます。母島3日目がやってきました!今日も晴れそうです

朝食が朝7時からなので、私は毎朝6:30に起きました  

 山行きの朝は、濃いバナナセーキが添えられていて、これこそ今日のエネルギーチャージだ   と喜びに満ちて、美味しい朝食を完食。

 

 表に出ると、道のあっちこっちにカエルちゃんがぺったんこになっていました けっこう大きなカエルです。ネズミも死んでいたりして、夜中にいかにたくさんの生き物たちが跋扈しているか・・・です。

 

 

 ちょっとここで、前回書いた、「母島の鳥たちはカメラの前にチャーッと寄ってくる」という写真が新たに見つかったのでします。

しゃがんでハイビスカスの花を撮影していたら、目の前にいきなり登場してきました

この鳥、最近「三浦半島の記事」で載せた、`イソヒヨドリ’ に激似!ですねぇ・・・。八丈島には生息しているそうですから、イソヒヨドリかもしれませんね。間違っていたら、小笠原のみなさまゴメンナサイ

 お宿の玄関には、このような小笠原の植物も展示してありました。ほんとに葉っぱから芽が出ています!

 今さかんに噴火活動中の「西之島」から流れ着いたという溶岩も!! 硬かったです

 

 朝食後、お部屋で身支度。顔・手足・首などにしっかりと日焼け止めを塗る。メガネには曇り止めを(サングラスに施さなかったのが失敗した)。前日の海行きとは違って、わりと厚手の長ズボンをはき、給水速乾半袖の上にはUVカット素材の長袖を着ます。虫に刺されたらイケナイので。

 朝の連続テレビドラマはちゃんと見たので、午前8時半過ぎにしゅっぱーつ 500mlの水と、同じくスポーツ飲料、おなかの中で膨らむカロリーバー3個、お宿で作っていただいたおにぎり3個などの食料。カメラに双眼鏡にルーペなどの観察用具。

 

 おーし ゆくぜ ・・・と、どんどこ どんどこ上がり始めたら、その急峻な山道に、すぐにバテまして、ゼイゼイ ハアハア (*´Д`) 汗がドーっと吹き出し、お水をがぶがぶ・・・心臓ドキドキ

「あぁ、これはいかん。ゆっくり上らなくちゃいけないんだわ。そういえば、以前、職場の山好きな女性が、ものすごくゆっくりお寺の200段ぐらいの階段をのぼっていたなぁ・・・」と、思い出し、小股で、段差の低いところを選んで歩いてみました。

 続ける前に、上の写真を解説します。

乳房山(ちぶさやま)登山道入り口。登山口は2か所あって、こちらから時計回りに登って下りると、比較的楽なのだそう。

左にある木箱は、小笠原国立公園を守るための、足の裏や服の表面をきれいにする道具が入れてあります。登山前後に、敷いてある青いすのこだわしの上で、ゴシゴシするのです。

 

 いざ!しゅっぱぁーつ!! と思った瞬間、すぐかたつむりを見つけました。「あぁ、ここでもう会えたから、頂上まで行けなくてもいいな。」とか思っちゃいました。

 

 母島は、とにかく、集落からすぐに急こう配で上っていくので、たいへんです

これはリュウゼツランでしょうか??? 登山口からまもなく両側がこんな感じで、圧倒されました。

 海の近くは、`林’ という感じでしたが、乳房山登山は、`森’ でした!

 こういうのって、取り囲まれると、怖い感じです 妖怪伝説っていうのがありますが、月夜の夜陰にこれを見たら、ほんと、`お化け’ に見えちゃうと思います       とにかく、植物の背が高い!

 誰もいないひとりぼっち・・・体中がビリビリ緊張状態でしたよ~ 息を止めちゃいけない!と、落ち着いて歩を進めます。

 木の表面も、三浦半島では見たことがないもの。でも、とってもきれい。

登っていると、道の脇の草の下で、カサカサッ カサカサッ と、一歩歩くごとに、なにか生き物たちが逃げる音が聞こえて、ドキドキします(標高が上がると、聞こえなくなった)>

 2か所、このような大穴がありました。火山性の土壌ですので、お水が入って崩れ気味なのか・・・???

これは、人間が作った、超大穴なのですが、何だと思いますか?

ひっどいことするなぁ とムッとしたお良し。そのわけは・・・

 コンニャロ コンニャロ

 

あ、マルハチ という木は、写真の真ん中に写っていますが、表面の模様が、〇にハ と書いてあるように見えるからですって、ほんとにそう見える、きれいな木です。

 汗びっしょりで登っていくと、開けた場所に出ました。

ときどき「登山口から何メートル、頂上まで何キロ」とかいう案内板が立っているのですが、私、この時ほど、頂上までの2.3kmっていうのが長かったことは過去にありませんでした 

 ときどき家で、海岸を5kmウォーキングしていて、海岸だから折り返し地点の2.5kmの場所が見えているのですよ。それを思い出すと、2.3kmという頂上は、たいしたことない( ^ω^)・・・と甘く考えていたのです。

なのに・・・「えーっ!まだ300mしか来てないのぉ」とか、「えええーっまぁーだ中間点なのぉ あと1.2kmって・・・だいぶ来たよぉ・・・これでまだ半分~ かんべんしてよ」 の連続攻撃

 途中の開けた場所からの眺め。前日に、海岸地帯から見た‘向島’ が小さく見えていました。  

もう、お水飲みっぱなし!汗ふきっぱなし!目に、日焼け止め入りの汗が入って、痛い痛い痛いー!!!!!

サングラスが曇り、前が見えないぃー!!!!! 曇り止め対策をしたメガネのほうのレンズはクリアで、その威力に助けられました。

体感気温はそんなに高くないのに、汗びっしょり 

 たしかに湿度は高いのか、菌類がそこらじゅうに・・・

 3cmぐらいの可愛いキノコ。

 まだ中間点に達しない所に、まるで巨人のようなガジュマルの木?に囲まれた広場がありました。

そこにはこのようなお茶碗が伏せてあったので、「ハハジマメグロの水場かな?・・・それにしてはちょっと・・・?違うかも・・・。でもいいや。」と、持っていた自分の水を分けてあげることにしました。

 ここは、全体写真を撮らなかったのが不思議なのですが、ちょっと圧倒されてしまう景色で、何メートルぐらいあったのだろう??? とにかく巨大な枝ぶりの木で囲まれた・・・それはあたかも神様が私のまわりに立っているような、畏敬の念がうわぁーっと押し寄せてくるような、薄暗い、不思議空間でした。

 

 そこを抜けるには、このように巨木神様の足元を通らなくてはなりません。

「神様、通していただきます、すみません・・・。」

 数メートル続く・・・・・・・・・・

 そこを脱けると、ご褒美処が現れます

母島にしか生息していない、目のまわりが黒い`ハハジマメグロ’ の水場です。母島の、自然を守っている人たちが用意してくださっているのだと思いますが、お水が入った2リットルのペットボトルが何本も置いてあり、左上に写っている`お皿’ に水が入っていない場合は、登山者が入れてあげる!ということになっているのです。で、私も、そうしました。だって、このとき小笠原諸島は渇水状態で、お皿の中には枯葉とほこりしか入っていなかったのです。

お水を注ぐと、これまでの経験上、お良し宅まわりでも、バケツの水を替えただけで、すぐ後ろにスズメやネコが寄ってくるので、このときも「お良しのことを見てて、すぐ来るな」と感じ、「ほらよ!」とか言いながら、その場をちょっと離れました。

すると・・・

 3mぐらいしか離れていないんですよ!メジロではなく、目のまわりが黒い`ハハジマメグロ’ ちゃんが、次々にcome come everybody!!!!!  大きさは、メジロより一回り大きいぐらいです。やさしいきれいな声で鳴いていました。

 水浴び~ 嬉しそう~ かわゆい~

あとで聞いた話によると、鳥は水浴びして羽根を洗わないと、ダニがついて死んじゃうんですって。

そして、入れ代わり立ち代わりメグロたちが来ていましたが、家族でないと、一緒にここに下りないんですって。他の家族は、上の方で順番待ちしているんだそうです。たしかに、お良しのまわりは、お水を入れてから、急ににぎやかな雰囲気の森になりました。

 

 この メグロの水場 を過ぎてから中間地点にたどり着き、しばらく休憩

 アップで撮ってみました。双眼鏡で、しばらく見とれる景色でした

 またまた延々と続くように感じられる、このような登山道を、もう、引き返すことなど考えもせず、ひたすら、「コンニャロメー」などと、意味なく頑張りながら一歩一歩登り続けました・・・

道はちゃんとしているので、危なくなく、歩きやすかったです。

 かの有名な「オオタニワタリ」というシダ植物。

むかし聞いた話では、胞子を放出して、どんどん谷の奥の方へ進出していくので、谷を渡る という意味でこういう名とか・・・。

ここからはホントの話 中心に枯れ葉がたまっていますでしょ?これを肥料にして成長し、上へ伸びて、下は腐葉土となり、ほかの着生植物が生育していくそうです。この株は、木の表面に根を下ろしています。暖かい地方では、こういう性質だそうです。

 

 お良し人形も、雨水のように、中心に落っこちましたぁー

(こんな写真を公開して、国立公園レンジャーさんに怒られるかなぁ)

 苔~コッコッコー  柔らかそうに見えますが、触るとそうでもない。けっこうしっかりしていた。標高が上がるにつれ、たくさんありました。

 大きな、空飛ぶじゅうたん みたいなシダも辺り一帯に。

 あぎゃーん こんな鉄の階段が2カ所ありました。軍手をしていてよかったです 力ちから

 行く手の頭の上に、タニワタリや、苔の岩・根。

 ますます道が狭くなってきたーーー! 山の上も、赤い大地です。

 

・・・・・・

 

なんか、また、開けた所に出たなー・・・。まだ頂上じゃないんだろううなぁ・・・

 

おおおー!

やったぁー!


  なんだ・・・着いた・・・ ガクーッ。来れたじゃーん、私・・・。

おーっ!万歳バンザイ 頂上だぁー、すごーい、来た来たぁ!

荷物を肩から下ろし、双眼鏡とカメラを持って、すぐそばの展望デッキへ。

北側、石門崎方面。 なぁーんも見えなーい。

 南側。常に霧が猛スピードで流れていて、ときおりチラッと見える。

ここは、大崩湾という母島最大の半円形の湾です。

もし、見えたらこんな感じですって

小笠原村公式サイト を参照

 

 お宿がある集落方面も、真っ白白!

ここに到着してまもなく、下の方から話し声が聞こえてきて、「だれか登ってくるな。どんな人だろう???」と、ちょっと不安になり、思い切ってこちらから下へ向かって「こんにちわー!」と声をかけてみました。

 すると顔を出したのはお若い男性と女性で、すぐにうちとけて話をしました。

男性は、なんと!お良しと同じ 横須賀市出身の方で、お互いにビックリ。

「カタツムリいたぁー!!」というので見てみたら

 およよよ、しっかりした体格のでんでんむし。

頂上に、緑色のトカゲがいまして、男性によると、「カタツムリを食べてしまう外来種のグリーンアノールという生き物。`アノールホイホイ’を仕掛けなくちゃ!」だって お良しは登山口近くで、頭が四角い大きなイモリみたいなトカゲを見ました。

ちょっと、眼下を展望。

 あ、沖港が見えました。ははじま丸がやってきています。

これは望遠で撮っているので、お良しの目には遠くに小さく見えています。

 

 

3人で頂上でお昼ごはんを食べました。

手の込んだ、美味しいおにぎりでした。このたくあんが、絶妙に美味しかったです 大感涙!

 

  若者たちには先に下りていただいて、彼が言った通り、「向こう側の降り口へは遠回りだから、来た道を戻ります。」というのに共感して、時計回りを続ければ新しい景色も見られるだろうけれど、無理しない無理しない!反対向きに歩いても、新しい発見はあるものだ!と、登ってきた道を下りることにしました。先の道に未練もあったのですが、ここは出会ったあの青年の言うとおりにしてみよう、と思いました。見えない力に導かれ・・・

 よし、帰ろう!と下りだした3歩目。  ズルッ!どっでーん!!! 「ああーっ、ころんじゃったぁ!」

お肉が充分ついた私のお尻は、意外に痛くなく、ズボンのお尻もまったく汚れていない。(湿っぽい地面だったのに)

「母島さま、地響き立てちゃって、ごめんなさーい」ってな感じ。気を引き締めて下りないと、危ない、と意識。

 同じ道でも、下り方向に見ると、違った感じに見えます。

 はい!これは、お宿のブログで4月から見知っていた、`ハート型の苔’ です。上るときは気がつきませんでした。帰り道、苔の方から私に声をかけてきまして気がつきました。ブログでは、2月ごろの様子を写真で見せてくれていましたが、5月になって、まるまる太っていましたよ!お見事!!!!! (この小笠原の記事は、6月いっぱいで消しますが、この苔にいたずらしてはいけませんよ。国立公園!・・・たとえ国立公園でなくても、自然の造形は侵害してはいけないとおもいます)

 

 小笠原にも、竹がある。

板状になった根っこ。

 地面には、アリの行列  

登るときに通った、あの神様のいらっしゃる広場。午前中より曇ってきたのか、ますます薄暗く、ほんとうに畏怖・if・畏怖・if・・・ 怖いけれど、`守られている’ という雰囲気でした。丁重に頭を下げ、「末永く、母島のことをお守りください」と祈りました。あのような場所は初めてでした。(たとえば、行ったことはありませんが、比叡山とか・・・どうなのでしょう?)私は、なんとなく、岩手県の早池峰山中にある「早池峰神社」に行ってみたくなりました。母島の乳房山のこの大きな木が囲む場所は、`神域’ にちがいないと感じました。

 上るときも通った開けた場所で、葉の上に小さなカタツムリを見つけました。チラッと見えているお良しの指と比較してみてください。

持っていたルーペで、細密に観察しました。殻の表面の筋も、細かくキレイに見えまして、感動。透けるような殻です。

 上り口から最初の東屋休憩どころでみつけた、くだんの`グリーンアノール’ 。もとは母島にはいなかったらしい。

 ははじま丸が見えるところまで下りてきたー と、喜んだけど、ここからがずいぶんと長い道だった・・・

帰り道は、「わたし、こーんなに登ってきたんだー」と感嘆するほどの道のりでした

これまでの人生で、この登山の2.3kmが最長不倒距離の2.3kmに感じました。

 上りに1時間半、帰りは1時間かかりました。ま、写真を撮り撮りでしたし、ゆっくり上ったし。

 

 朝の登山道入り口に帰ってきて、ちゃんと靴と身体をきれいにし、お山の方向に一礼

無事、登頂、帰還させていただき、どうもありがとうございました。

 タコの木の実が、大好きなパイナップルみたいに笑ってお出迎えしてくれました。

 

 早々に下山し、まだ時間も体力もあったので、ロース記念館に行ってみました

  ここには、小笠原諸島母島の、人々の民俗と歴史が展示されていました。

 ロース石でできた、昔のかまど。

ロース記念館   母島観光協会HPから

 ロース記念館の敷地内にこんな・・・

たしかに、島中のいろいろな木の高い所に、大きな実が鈴なりでした!!

5月下旬、木の実の切り落とし作業が行われたようです(母島観光協会のブログによる)。

 えへへ なぜこの写真??? と思われると思いますが、ここと同じ地名が、お良し宅近所にあるのですー

由来は同じかなー?

 元地の集落内を歩いてみました。下に見えているのは、小・中学校。山々に囲まれています。町の中も、アップダウンがかなりあります

 お宿に帰って、またしても誰よりも早々とお風呂に入り、下着・着替えは充分持っていったのですが、もう汗びっしょりで、しかたなくお洗濯もしました。お良しの部屋の窓だけは、連日、表から洗濯物の満艦飾状態が見えていました。恥ずかしー

 さっぱりパリパリして、ロビーのいつもの席で、まったりとお茶をいただきました。この晩は、行くところがあるのです けっこう疲れが出ていたのですが、美味しくたくさん食べた夕食後、持っていった「ユンケルL」(サトウ製薬のドリンク剤・お良しに激効き!)と、「メイバランス コーヒー味」(明治の、高カロリー栄養乳飲料)をカーッと飲んで、ふらふらしながら、とあるところへ、とあることをしに出かけました

 そのことについては、次回に書きます。

 ぐったり疲れて帰ってきて、バターン・・・と、寝ましたが、疲れすぎて、なかなか寝つけなかった・・・

うつらうつらしていて、眠ったのか眠っていないのかわからないまま、

しらじらと、部屋の中が明るくなり、鳥の声がジュクジュクと聞こえてきてから、ちょっと深く眠りました

 

 

  乳房山登山で学んだこと 

 

 ゆっくりと、確実に行動すれば、できるのだ、ということ。自分に自信がつきました

小笠原は素晴らしいところです

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


行ってよかった、大航海!小笠原紀行 <母島探検 海編ー2>

2017年06月08日 21時22分06秒 | おでかけ旅がらす

 お読みいただき、ほんとうにありがとうございます。

海編ー1では、この`向島’ が見える、「鮫ケ崎展望台」方面へ行った、5月10日(水)の午前中のことを書き留めました。

 向島を見渡せる場所には、『ザトウクジラの行動図解』という、ここから見ることができるザトウクジラが、いろいろな動きを海面でやるので、そのイラストと行動の名前が書いてあります。そしてその下に、見渡す島々のパノラマ写真に、島名が書いてありましたので、私は持っていた茶封筒に、見える景色をスケッチしてみました

見える景色のあまりの広範囲に、最初っから大きく描きすぎてしまい、2段に分けて描きました。 こちゃこちゃ描いてありますが、壮大な景色です!実際は。

お空は真っ青 海も真っ青 (ボニンブルー)

4月までなら、この展望台から、   ザトウクジラの姿が見えるそうなのですが・・・残念ながら、お良しの到着を待たずに、ほかの海へ行ってしまった。 イルカも見えなかったぁー

 

 ではでは、お宿のお部屋でお弁当をいただき、少々休憩した後 向かった、海岸散歩その2でございます

 これが立っている`前浜’ から、この写真で見えている山の急坂!自転車であるサンシャイン号にとっては`激坂’を歩きで上って、歩いて行ける範囲の`御幸之浜’`南京浜’`石次郎海岸’と、めぐりました。

 モモタマナの木の下で、キョーレツな太陽を仰ぎ見る!

 激坂を上から見たところ。あーっというまに、海岸が下の方になってしまうほど、高度が上がる坂。

 午前中に行った、白い防波堤燈台が見下ろせます。

 歩道の脇には、ほんとうに見たことのない微妙な色のハイビスカスが、たくさーん咲いていて、ほんとうに綺麗なのです。

暖かいから、大きいんです!!

 おおー。南国の植物。これは方向が分かる植物ですね。

平たい葉の開きの向きで、東西がわかるんだっけかな? 道に迷ったときに目印になるんですって。

 

 ほどなく歩くと、分かれ道。いちばん上の看板にある、`御幸之浜~南京浜 遊歩道’ というのに従って右折。

この角には発電所があって、母島の暮らしを支えている職員のみなさんが、暑さの中、お仕事されていらっしゃいました。

「私、旅行者で、遊んでてごめんなさーい・・・」と、心の中で。

 進んでいくと、珍しい~と思ったのが、南国の木と、針葉樹が並んでいる風景。

こういうものに、いちいち魂を感じてしまう私は、「おぉ、お良しさん来たか、こんちは。」といわれているような気分でご挨拶 Hellow

いつまでも元気でねー!

 母島の木々は、太いものが多いです!いつから生きてるの、ここで

 出発した‘沖港 前浜’ から歩くこと1.3km。「タマナ並木」と呼ばれる、タマナノキが両側に生えている、木漏れ日も美しい林の中を、「ザクッ ザッ、ザクッ ザッ」という、大きな落ち葉を踏む足音をさせながら進みます。

いやいやいや、生き物に囲まれて歩いている、嬉しくもおののく気分で、50mぐらいだったかなぁ・・・?歩くと、タマナ並木を抜けます。初めての景色と、乾いた足音に、思わず動画を撮りました。

 

 母島の、亜熱帯の林の中は、見上げるとこんな感じです

だいぶアップダウンを繰り返し、丸くて大きなタマナの葉っぱを踏みながら、赤い地面の遊歩道を行きます。

 休憩所のところを、海へ出る小道にそれると、`御幸之浜’ に下りられます。

午前中に真正面に見た`向島’ が、右端に半分見えます。ずいぶんと南方向へ来たのです。

 私の偏光サングラス越しに見ると、このように見えます。昼間の歩きでは、ほとんどの時間、サングラスをかけていたので、こういうふうに見ていました。もちろん、ときどき外して、本来の色で景色を見ました。

 ここでしばし波と戯れ、景色を見て、もと来た小道を引き返し、遊歩道を展望台方面へ

 御幸之浜園地展望台に到着!`小笠原国立公園’ の立派できれいな看板が立っていて、奥の海岸上に展望台がありました。

ガイドマップには、「沖港から45分」って書いてあります。

 おおーっ!きっれーい♡ この写真は、お良しの、偏光サングラス越しに見た海ですよ。

 お良しの左足の下方向。中央付近に、小さな浜が写っていますがわかりますでしょうか。

この後行く、`南京浜’ です。

 海底をアップで撮影。 私の目にも、こんなふうに鮮やかに見えています。

 偏光サングラス越しに見ると、このような色。紫外線カットレンズを通して見ると、海底までよく見えるのです。

 遠くの島に、やっぱり赤い崖を発見! 

 えへへ お良しとお良し人形 御幸之浜展望台での監視(じょーだん)。これまた壮大な、母島列島の景色を展望中

双眼鏡は、重いけど、持って行って正解 帽子も上着も、UVカット素材。しかも長袖!でも、日差しは暑いけれど、気温的には「あっちっちー」ではないのですよー。小笠原諸島では、気温は、上がっても31度止まりだそうです。でも、汗はかいてます

海につきだした展望台は、このとき風がけっこう吹いていたので、双眼鏡と お良し人形を海に落とさないように踏ん張っていました

それからまた、南国風 林道(はやしみち・・・と読んでください)を歩いて・・・

 こんな写真まで撮ったりしながら・・・

あ、これは、お良し人形の、むかって左に、繊維質の、木の組成を記録したかったのです(もちろん倒れた朽木をそのまま撮影)。こんなふうに繊維でできているから、強風で倒れにくいんだなぁ?と思ったのです。

それから、右は、紅葉して落葉するんだぁ!と感じた、モモタマナの木の葉。まわりの枯れ葉を見ていただいても、つやのある厚い葉が多いことがお分かりになると思います。 あとで教えてもらったのですが、これらの葉は、油分が多いので、滑るのだそうです。・・・そう、足元が滑りやすかったのです

 こういうふうに、なんだか`おばけ’ のようにも見える、林の中の、お良しのまわりです。

昔の人が、夜の暗闇でこれを見たら、ぜーーーーーったいに、おばけに見えちゃうかも!と思いました、ひえー

 南京浜におり立ちました! 砂浜ではなく、大きな石ころの海岸です。波がザブン ザブン、小刻みに寄せていました。

石の上には、小さな巻貝ちゃんたちが、うようよ

 海面すれすれに撮影。

 驚いたことに、漂着物には、どれも、このようにおびただしい数の貝類がくっついていまして、いったいいつごろから海を漂ってきたの という驚き この浜には、とくに漂着物が多いらしく、ちょっと陸に上がったところに、拾い集めて海岸をきれいにしたと思われる、ちょっとした集積場所があって(ほんとに ちょっとした です)、日本語じゃない文字で書かれた各種容器がたくさんありました。私も、3つばかり、拾って清掃しました。母島で、モノを動かしたのは、後にも先にも、これきりです。国立公園ですから、収集は絶対禁止

 

 南京浜へ流れる水の道。雨が降らなくて、枯れ枯れ 母島では、大小どの川筋も、お水がほとんどありませんでした。毎日夕刻、村内放送で、ダムの貯水率と節水の呼びかけが流れていました。お良しが帰った後、雨模様になり沖縄が梅雨入りしたあと、5月下旬から大雨で、一時「大雨警報」や、「土砂災害警戒注意報」などが出され、乳房ダムの貯水量も100%となりました。

あそこが大雨かぁ・・・と、たいそう大心配しました

 南京浜から都道へあがる遊歩道は、こんな丸い木の実だらけでした。

 はぁ~・・・ やれやれ、やっと普通の道に出たわい。

アスファルトではない、セメントの道路が白く反射し、お仕事のトラックがときおり通ります。

 バナーナの木ですな。三浦半島では、植物園の温室の中でしか見られません。

手の届く高さにも生っていますが、ドロボーするわけにもいかず、写真だけパチリッ!

 あらららら! こんなきれいな花、これもハイビスカスの一種でしょうか???

この花にカメラを向けていたら、目の前に、なぁーんと!`ハハジマメグロ’ さまが しゅわーっと飛んできて、興味深そうにこっちを見てきました!  

 っえ~ 母島の鳥たちは、午前中の散歩の途中でもそうだったのですが、カメラの目の前に、チャーッと近寄ってくるんですよ!

「えさ ちょうだい」ではなく、ただ、好奇心からみたいなのです。人を怖がらない???

今思うと、渇水だったから、お水がほしかったのかも・・・。

 広い道路「都道」の脇に、「わぁーい!首飾りみたいな実~

 夜は、満天の星空となるようですが、お良し滞在中は、ほぼ満月でしたので、誰に聞いても、星はあまり見えなかったそう。

 初めて見た、ガジュマルの木。大迫力!!! この写真に納まっている範囲で、2.5mぐらいの高さがあります。

このガジュマルの木のあるカーブを過ぎると、最初に右折した、案内看板のある場所に戻りました。

そこから、沖港前浜から来た道を戻って、来るときに素通りした‘石次郎海岸’ への下り階段を下り、

 うひゃぁー!岩がひさしのように張り出して、下を通るのが怖いー

でも!下りてしまえば、素晴らしい景色。

向かいに、白い防波堤燈台が見えています。

 あっらっらっらー なんと美しい浜でしょう

小さな小さな浜なのですよー。

 水中で脱げないサンダルで海の中へ入ってみます。

わぁ~、きっれーい。

 お良しの足。またまた、お水がないみたいです。光だけの世界。

 偏光サングラス越しに見ると、こんな色。

私、この小さな海岸が、一番気に入っちゃったです まるでプライベートビーチみたーい

 海の中から海岸を振り向くと、こんな感じのところです。

お水がほどよい冷たさで、気持ちいい~♡ 涼しくなったぁ。

 急な階段をえっちらおっちら上がって、先の激坂の途中の、モモタマナの木の葉っぱを触ってみるお良しの軍手の手

ほえ。お花が咲いていますね。葉っぱの裏は、ほんとうに、桃の表面のように ふかふか

 午後の散策を終えて帰ってきたら、ははじま丸の姿はなかった・・・ 父島へ向けて行っちゃった・・・。

日の光の感じも、午前中とは違う角度です。 でも、終日良く晴れてくれていまして感謝ですよ~

どなたに感謝かといいますと・・・このお方!

 じゃーーん!!! 母島でみつけた(というか、夜の散歩で導かれて出会えた)お地蔵さま~

・・・詳しくは次回に。

 お宿には、だれよりも早く帰ってきて、いちはやくお風呂に入り、ロビーでこの景色を見ながらマッタリとくつろぎました ああー・・・適度な疲れぇー 

そして、「今日は海へ行きまして、顔が真っ赤になりました。明日は山へ行く予定です。」とかナントカ、葉書を6枚ぐらい書いたのよネ。

普段の生活では、毎日こんなに動かないから、疲れすぎてダウンしても困るので、私はゆったり過ごすことを心がけました。小笠原まで来て、たくさん観光しないともったいないかもしれませんが、来れただけでも幸せで、行き当たりばったりの滞在を、神様の言う通り~に楽しみました

 母島初日、お宿のおねえさんにおススメコースを教えてもらったのですが、「ひとりで歩いて物騒じゃないのですか???」と聞くと、「ぜんぜん物騒じゃないです!!!」と、内地では考えられない、顔色一つ変えない、さらーっとした即答、デシタ

 

     

 この晩も、心がこもった美味しい夕食をたんといただき、元気回復 

「明日は、小笠原諸島の最高峰、乳房山463mに上るつもりだけれど、ガイドさんもいないし、体力的にきつかったら、ひっかえしてくればいいや!」ぐらいの気持ちで床につきました。・・・・・しかし、BUT お良しを待っていた運命の5月11日(木)は~( ^ω^)・・・ つ・づ・く 

 

   『小笠原紀行』シリーズは、次回 と 最終回 投稿後、10日ほど経過したら`非公開記事’ とします。総集編をして、公開ブログ上に保存します  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


行ってよかった、大航海!小笠原紀行<母島探検 海編-1>

2017年05月29日 21時01分39秒 | おでかけ旅がらす

 おはようございます!

小笠原旅行3日目、母島2日目、今日もいいお天気そうです

 

 お宿の朝ごはん たっぷり食べて、栄養をつけて今日の行動に備えます

右にあるコップの中身は、お宿の敷地にあるレモンの木から獲った母島特産のレモンで手作りした、島レモンジュース 

甘くて爽やかで、お良し、動力源チャーーーーージ

 コーヒー・紅茶、冷たいのと熱いお茶、好みのお茶碗でいただいてよいのです うれっしー!

ご飯茶碗も、いろいろ自分で選んで、ご飯は自分でよそります

 

 美味しくて、心のこもった朝ごはんを食べ終え、外に出ると

 毎日そうだったのですが、山の方向は、朝と夕は雲がかかっていました。

亜熱帯を実感 三浦半島の`三浦富士’ にも、雨の日は雲がかかりますが、ちょっと規模と様相が違いますねー・・・どう表現したらいいかわかりませんが・・・。

  お部屋に戻ったら、最初の写真通りに、顔・からだに日焼け止めを塗りたくって・・・

 お宿を飛び出す

なぁーんて、絶海の孤島で、じたばたしてもしかたがない!

 のーんびり行こうぜー おーれーたちはー 

朝、まだ 昨日ここへ連れてきてくれた`ははじま丸’ が停泊しています

この、前浜という海岸には、このような、距離を書いた方向板が立っていて、非常に興味深く、何分間も目が釘付け!!になりました

ちなみに、見えているところでは、「北海道1780km」って書いてありますね。もっともっとすごいのは、ハワイが確か6千キロを上回っていたと記憶しています。

それにしても、ちらっと見えている海の色がきれいだと思いませんか?小笠原諸島の海の色を、『ボニンブルー』と呼ぶそうです。

 叩くとポンポンという音がした、`トックリヤシ’

 

「今日はひとまず海へ行こう!」と考えて、ぷらぷら歩き出しました。その前に、まずは、お良し 毎度おなじみの、「地域の人に会いたい!」と、3つしかないお店屋さんへIN 母島の特産品を知るため、いろいろ物色

あとでお写真見せますが、`島レモンピール’ をお買い上げ これを補給食に、歩き回ろうってワケ

お店のかたには、自分がどこから来ただれそれで、どこに泊まっていて、「3日間お世話になります」とご挨拶しておきます。自分がどこかで`行き倒れ’ になった時のことを考えての措置デスハッハッハー!

 

 で、そのあと、この農協の販売所だったお店とつながっている、母島簡易郵便局へ。

みなさん、制服姿ではなく、南国風シャツ・ブラウス姿です 郵便局には3日連続で通ったのですが、たしか1日目は、面白がって貯金したのです。なぜかというと、通帳に、母島郵便局のハンコを押していただけるからです。母島にしか生息していない`ハハジマメグロ’ という鳥のイラストが押される記念押印。

「3行使うので、3回に分けて入金していただけますか?」というようなことを、パッキリではなく、それとなく察してもらうように、やんわりと教えてくれた、優しい女性局員さん。

小笠原限定の記念切手、去年夏に引退した「先代のおがさわら丸・ははじま丸」と、小笠原の動植物の切手を、買い求めました。

 

 

 はじめに行ったところは、ははじま丸が泊まっている湾をまわって、ちょっと上がる『鮫ケ崎展望台』。砂浜からすぐの、林道を上って、開けた所へ出ると

おおーっ!!!

4月まではザトウクジラの姿も見られるという青い海! 向こうに見えているのは、その名も「向島」。もちろん無人島です。

壮大な、突き抜けた、ワーイドな風景に、お良しの感覚も解放された感じ うわぁー! の言葉も出なくて、心の中で、とにかく母島へ来たことを思い知らされた感じ。

南側からカメラを振ってみます。

ゴツゴツした島は、三浦半島とは大違いな景色。

鰹鳥島(カツオドリジマ) とか、いろいろ小笠原らしい名前がついている島がたくさんあります。

右の方に、砂浜があることが、双眼鏡を見ていてわかりました。白く写っているところ。あそこへは誰も行けないのかな?

 お良しの正面が、先ほども載せた、この`向島’ の景色

 いちばん北側です。訪れたこの時期、干潮ぎみだったようで、どの海岸も、海の底までよく見えました!

 鮫ケ崎展望台には、このような『明日へ』という像が建っています。

それから、さっきの写真に写っていた、先っちょにある、防波堤燈台の足元へ

 昨晩、緑色の閃光を放っていた燈台です。

はい!ここで、お店で手に入れた、母島で作られている「島レモンピール」 と、水は 我が家から持って行ったもの。

旨味さえ感じる甘酸っぱさで、エネルギーを得ましたよ~ 水分と、お菓子などの食べ物は、もっと持って歩いたほうが良かったと思いました。

燈台から、このような風景を見ながら引き返してきてくるとき、

(奥の山には、あいかわらず雲がかかっているざましょ)

おぉーっ!お魚、はっけーん 何かと思たら、魚の群れでした。三浦半島南部の三崎漁港などでも見られますが、こんな赤い魚の集団は初めて見ました きれーい

底は、こんなに透明 おひょー 吸い込まれそう!

砂浜には、こんな波の砂模様が・・・。

光がこんなふうに浅い海に

あ、また魚! 濃く見えているのは、影 ですよ~。魚本体は、上の方に薄く見えています。

きれいな海には、お決まりの`なまこ’ がいます。なまちゃんが、海をきれいにしてくれているのです。(砂ごと海水を吸い込み、栄養素を摂って、きれいな砂と海水を吐き出して浄化している)

お良しの足も、水の中とは思えないほど、ハッキリ見えていますね。

その「脇浜」という小さな海岸は、このように白い砂。よく見ると、細かい貝とサンゴなのです!

道の灯も、ウミガメさんの模様。

砂だらけの足を洗おうと、漁港に下りようとしたら、お良し!前方に異変を察知

`ネムリブカ’ という、1mぐらいのサメちゃんたちが、かたまってお休み中でして、「うーわっ、びっくりしたぁー!!

あやうく足を食いつかれるところでした・・・

三角の背びれが見えますか? (おとなしい性質らしいのですが・・・)

前夜に見た、`タマナノキ’ より、もっと丸い葉っぱを発見。`モモタマナ’ というらしく、大きな丸い葉の裏は、こまかい毛があって、ふわふわな触り心地 お良し、軍手をはめていますが、釣りをしたときに、暴れる魚で手が痛くないために持っていったのですが、釣りなどせず、もっぱら日よけと、そこらにつかまる力になりました。

湾の奥まで戻ってきて

下を見ると

なにを見つけたかといいますと、道路標識。

「東京都」と記されています。そっか~。ここは東京都だったなー。さすが東京都だ、ぜーんぜん不便じゃないし、きれいに整っている。

まだ2日目だというのに、断言しているお良し 怒られちゃうかな?

お良し人形を、タマナノキに引っかけて、母島に行った`証拠写真’?

すごーくわかりづらいと思いますが、お良し人形の左手の下(画面 向かって右)に、丸い白いものが見えますか? あっちこっちにたくさん落っこちている木の実です。タマナノキの実なのかな??? 国立公園ですから持ち帰るわけにいかないので、写真に収めました。

 砂だらけになった足は、海岸の休憩所にあるシャワーで洗い落としました。ボタンを押すと、ぶわぁー!っと、勢いよくお水が出て、「水不足なんだから、もういいよ~、止まってぇー!」ってくらいたくさん水が出まして、サンダルの中も洗い流せました。

この休憩所の灰皿も、なんと貝! さすが!!

ははじま丸乗り場にある「小笠原村平和都市宣言」の銘板。読んでいて感動しました。

 

この方向板が立っている通りには

初めて見るような、微妙な色合いのハイビスカスがいっぱい咲いていました!島のそこここに、いろんな色のハイビスカスが、それも、どれも大きい花が咲き乱れていました。

ここには書き表したくない、貴重なものも見させていただきました。暑さに慣れない私は、午前の散策を早々に切り上げて、11時に予約しておいたお弁当を受け取りにお宿に帰りました。

お良しの、偏光サングラス越しに見ると、こんなふうに見えています。ますます熱い空気感が感じられますが、父島に降り立った時のような、蒸し暑さはありませんでした。でも、適度に疲れました・・・「消耗した」という感覚です。

 栄養満点 手の込んだ、愛情たっぷりの、お宿の手作りお弁当と、自宅から持って行ったハーブティーで、元気を取り戻しました

(お宿の自室で休息 )

お天気が良くて良かった、5月10日(水)の午前中 

そのころ、三浦半島は、気温17.9度の雨の日だった どしゃしゃっ  ヒトの不幸を笑うお良し!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


行ってよかった、大航海!(✖大後悔)小笠原紀行 <出発 とうちゃこ編>

2017年05月26日 21時02分50秒 | おでかけ旅がらす

 2017年5月8日~13日までの、お良し初めての小笠原諸島 母島行きの記録

 

始める前に、プロローグとして、まずはこちらの「冨田勲さんによる、NHK新日本紀行」のテーマソングを、よかったらお聴きくださいませ

『新日本紀行』 ユーチューブへ飛ぶ

 

 はい。最初に書いておきますが、昔のように、写真を焼いてもらってアルバムに貼っていき、記録を保存する、という作業以外でも記録を残すことができる今、このブログ記事が、私のアルバムとなります。詳しく書き留めますので、小笠原の現地の方のご迷惑になるやもしれない?詳しいことも書きますので、何回かに分けてする記事は、最終話が10日過ぎたところで、加筆して非公開(お良しだけが見られる)の状態にしたいと考えています。

ですから、お読みくださる  ありがたいみなさま、お良しのペースについてきてくださいねー

 

 最初の写真。本当は、氏神様(神社)で参拝しているところを主人に写真に撮ってもらったはずなのに、見つからないので、このお地蔵さまをご紹介します。出発するときに、駅への道すがら、

「神様 仏様 お地蔵様。これから小笠原諸島母島まで長い船旅にでます。どうぞ無事、行って帰ってこられますように、お守りください

と、住所・氏名を告げて(神様にお詣りするときは、ちゃんと身元を明らかにしないと、どこのだれだかわからないんだって!)、お願いしていきました。・・・・・このことが、無事帰宅後、なんというまぁすごいことが判明するのですが、それはまた後ほど( ^ω^)・・・

 

ありました!ありました、出発前日に、無事帰る祈願しているところ

 ご利益 大ありでした、神様ありがとうございました

 

 

 

`おがさわら丸’ 内、液晶掲示板より

 

 すべては、ここから始まりました

横須賀市久里浜、「東京湾フェリー」旅客ターミナル

「しらはま丸」入港中

 ターミナル内に、小笠原諸島行きの受付が用意されていました。

親切な「小笠原海運」の職員さんたちでした。忙しく、どうもありがとうございました!

 お良しは、東京湾フェリーターミナルの中で、思わずノンアルコールビールなんぞ買ってしまったよ

おがさわら丸が着くのは、大きな岸壁なので、普段は立ち入り禁止エリアのそこまで、小笠原海運の方が私たち久里浜乗船のお客さんを引率して連れて行ってくれました。

すると・・・

動画でしか撮らなかったのですが、なんだかおっきな船が入ってくるのが見えて、「ああーっ!!おがさわら丸きたー!」と、大感激 

 

真面目な話、おがさわら丸が入ってきたとき、「わぁー、おがさわら丸だー、おが、おが、おがさわら丸ぅ、うわぁーん」と、

感激のあまり、涙が出てきちゃったんです。本当に行けるんだと思うと感無量でした。だって、この日まで、自分はもちろん、高齢の両親の体調を万全にしておくことに全精力を傾けて準備してきたのですから。わたし、去年の春先からあまり体調良くなかったし・・・。あー良かった、と気が抜けちゃった・・・。

 で、まだ接岸に向けて動いているさなか、小笠原海運の方が、希望者に、ザトウクジラの`おがじろう’ と、おがさわら丸をバックに記念写真を撮ってくれました ありがとうー いい記念ですぅ

 おがさわら丸 と しらはま丸。一緒に写るのは、稀の稀でしょう。

 お良しは、こんなところも興味があって、撮影してしまう( ^ω^)・・・

子どもの頃から見ている情景なんです。岸壁と船体。あんまりおもしろくないと思いますが・・・

 東京 竹芝桟橋からのお客さまも、船内放送があったのでしょう、デッキに出てお出迎えしてくれました!

 新おがさわら丸が横須賀初寄港!ということで、歓迎式典などが晴れやかに行われました。(お金をかけていないふうでしたので、盛大に とは書かない。でも充分。とても温かみのある式典でした。)

横須賀市長さん、おがさわら丸の高橋船長さん、ほか関係者のみなさんが船をバックに記念撮影しているのでしょうが、それを後ろから撮っているお良しのこの写真は貴重でしょうはっはー。

 横須賀市のキャラクター、‘スカリン’ ちゃんと、小笠原諸島のキャラクター、‘おがじろう’ が一緒にいまーす

なんかしゃべってる???

 頭に乗せている物があって、スカリンは`ヨット’ で、おがじろうの頭には`麦わら帽子と、母島にしかいない ハハジマメグロという鳥’ が乗っかっています。

 地元、自衛隊久里浜駐屯地のみなさんによる「久里浜太鼓」も力強く大歓迎

東京湾フェリーの`かなや丸’ が入ってくるのが見え、おがさわら丸の乗組員さんたちが、「かなや丸が入港してから出発しよう。」と話しているのが聞こえまして・・・

 

市長さんの挨拶が熱が入っていたから、そんなこんなで約30分遅れで、一路(一海?)小笠原諸島父島へ向けて出港しました。

「今日、一つ残念なことは、私がみなさんの側に行けないことです

とおっしゃっていた市長さんはじめ、ご覧のみなさんが、私たちが見えなくなるまで、手を振ってお見送りしてくださいました。お良しも、『よこすかみこしパレード』の参加賞でもらった手拭いを、大フリフリして 行ってきます!しました。

 おがさわら丸が久里浜港へ入港するときや、出港時 方向転換するのを押してくれていたタグボートともお別れ・・・。

おがさわら丸の船長さんは急ぐ旅だから、ご挨拶は短めでした

 それからは、とにかく おがさわら丸の本領発揮!!!といわんばかりに、猛スピード、全速前進ーーーーー  という感じに、あぁぁぁぁぁーーーーーっという間に、房総半島の霞む洲崎灯台脇を過ぎ、東京湾から、「ダーッ!」、スタコラさっさ っと出てしまいました。それはまるで、東北新幹線はやぶさ号が、大宮を出発して仙台まで1時間、猛スピードでぶっ飛ばしっぱなし!!!の、あのすごさを思い起こさせる感じでした 「本土にはもう用はないよ!速く早く!急げ急げ!」って感じでしょうかねぇ。

言葉は悪いですが、お良しの素直な第一印象は、「はっえー」(速っえー)でした、ホントに

 出発地 久里浜は穏やかに晴れていましたが、近海は霞んでいて、プロの方々には大した波ではないでしょうが、乗客のみなさんが口々に、「やっぱ、外洋は違うね」というぐらい、船はそこそこ揺れまして、階段は、手すりにつかまって下りないと危なかったです。廊下のすれ違いも、おたがいにまっすぐ歩けていなくて、「あ、すいません」「ごめんなさい」と言いかわしながらの船出でした。

 私は、念のため、内科の先生から、『トラベルミン』という酔い止めをもらって、乗る前に飲んでおきました。

手すりにつかまっての階段下り。

 船内売店「ショップドルフィン」前に掲示される、その日の情報

 出発日の夕食は、横浜名物『崎陽軒のシウマイ弁当』 にしましたー こんな時でないと食べられない、うれっしー

外の景色が見える、7デッキの展望ラウンジでいただきました。外が見えるといっても、海だけですが

 そこで気がついたのは、

椅子が固定されているということ。

 船室内のドアも、こんな感じに留めてアリマス・・・・・どんだけ揺れるの???・・・

ちょっと外のデッキに出ましたが、風と水しぶきがすごくて、ちょっとの間も居られませんでした。

海上はなぁーんにも見えませんでした。母が、「富士山が見えるんじゃないの?」とか言っていたことを思い出しましたが、西の方向も見ていられないくらい、キモチがあわただしくて、早々に自分の寝台にこもりました。

 お良しの寝床、2等寝台です。空いていたせいか、下の段で、上の方も居なくて、良かったです

小柄なお良しには、上等な所でした。各寝台にコンセントもついていて(一つ)、携帯とデジカメを順番に充電できました。

 でも、寝台に寝っ転がっていたって やることないから暇でヒマで、すぐに飽きて、船内探検にうろつきまわってばかりいました

長旅に慣れていないお良しは、ほんとうに「船旅でなくて、暇旅だ。」なぁーんて気持ちになってしまいましたが、背中に「ogasawara ranger」と書かれたポロシャツ姿の大柄の女性が(カッコイイです)、大きな食堂「レストランははじま」で、乗客を集めて、小笠原諸島の紹介とご注意点などを教えてくださいました。

「小笠原諸島は、一度も大陸と接したことがない、海洋島」ということに感嘆する。

 大荷物は、ちゃんと荷物置き場が用意されているので、そこへ鎮座させます

 キッズルーム などもあり、子供たちを遊ばせていてビックリ!

洗面所・トイレ・シャワー室など、男女別に、たくさんあって、不自由なく過ごせました 感謝です

 

 あんまり眠った気がしなかった一夜が明けて・・・

 奇怪な島影が・・・・・

 穏やかな青い海と、`カツオドリ’ がお出迎え。

カツオドリは、お顔が白くて、翼が鋭利な感じで速く飛べそうで、ずーーーーーーーーーっと、おがさわら丸のまわりを飛んで、ついてきていました。

レストランははじまでいただいた朝食。一皿一皿のチョイス制。ご飯は、サイズ違いの、白米とおかゆ。

行きも帰りも、ナスの揚げびたし(しょうゆ味と味噌味。)が美味しかった

 

 父によると、「いい重油使ってるんだ」という、こういうちゃんとしたお船。

帰りの船で、小笠原小学校の3年生が、就航直前の新おがさわら丸を見学した感想文が壁に貼ってあるのを見たのですが、ほとんどの子が一様にビックリして書いていたのは、

「東京ー父島間の往復で、重油17万リットルを使って、1000万円かかる!」っいう事実でした お良しも、びっくりだよーん

 週一便の、父島・母島への荷物!トラックなんかも!!

 海の色も、波の軌跡もきれいでしょ

 最初に見えてくるのが、`聟島列島’ で、これはだんだんと大きな島々が見えてきて、いよいよ父島が近づいてきたかな・・・という実感が湧いてきたところ。

 話だと、「夕べ、そうとう飛ばして航行したらしい。」ということで、予定より早く父島の二見港へ到着のご様子。

だって、ははじま丸の出港もおがさわら丸に合わせているんだし、おがさわら丸が遅れると、母島の人も困るわけで・・・おがさわら丸は、久里浜港から、遅れを取り返すべく、懸命に航行したんですよ!

夜中のエンジン音がすごかったし・・・(お良しが寝ていた4デッキは、下の方だから、駆動部の音がそれだけ聞こえやすい)別に、迷惑じゃありませんよ!

父島入港とははじま丸出港は遅れる、と久里浜港で知らされていましたが、そんなことはなく、午前11:30に、父島二見港に無事とうちゃこいたしました 接岸時、ハッチが開いて港の様子を目にしたとき、ガイドブックなどで見ていたとおりの風景に、超感動してしまいました!「あぁ~・・・来たなー。」と実感が湧きました。

父島に降り立った時のことは、忘れられません。

「明るーい 蒸し暑ーい

南に来たって感じ~、満載。

 小笠原諸島は世界自然遺産に登録されているところなので、「何も持ち込まない、持ち出さない」が原則です。

 ですから、おがさわら丸を下りるとき、海水を含ませたブラシ付きのすのこに足をついたら、ゴシゴシゴーシ!お良しの荷物の車輪も、ゴーシゴシ! ははじま丸に乗るときもゴーシゴシ。ですから、持って行ったサンダルも取り出して、ゴシゴシしました。三浦半島の微生物・植物の種・土などを持ち込んじゃイケナイのです。帰りも同じです。小笠原のものを三浦半島まで出さないようにゴシゴシしました。

 父島に着くと、積んできたコンテナなどを急いで下ろし始めました。

左奥に見えているのが、お良しが1時間後に母島へ向けて乗っていく、「新ははじま丸」です。

 このフォークリフトをスバヤク走らせて、コンテナをははじま丸に積み替えていました!

奥に写っている山は、小笠原村公式HP内のライブカメラで毎日見ていましたので、本物の景色を見て、「やったぁ!」と感動しました。

 あのトラックも、こんなふうに陸揚げ。カーフェリーと違うから、なんでも甲板に積むのね。

 ははじま丸乗り換えまで1時間あったので、母島行きの切符は自分で買うことになっていたので買って、靴とサンダルを、さっき書いた通りゴシゴシきれいにしてから、お昼ごはんを食べました。待合所の外で、「暑いなぁ・・・」と思いながら、でもちゃんと食べなきゃ!と、持って行った日持ちするパン(酵母パン←船内売店でも売っていた)と、水。あ、最初に野菜ジュース飲んだんだっけ。

 おがさわら丸から394人が下りたということですが、ははじま丸に乗り換える観光客らしき人は少なく、お仕事の方々が多く見受けられました。

 

 午後12:30、父島二見港を出港!

「おがさわら丸~、ありがとう、まーたねー

おがさわら丸は、東京へは帰らず、お良したちが帰ってくる日まで、父島にいてくれます。ごくろうだったね。

 父島をあとに、ははじま丸も、猛スピードで母島へ、レッツラゴーです

 父島って・・・というより、小笠原諸島って、火山活動でできた島で、地殻変動もたくさん経験しているようで、全般的に地層がこんな感じです。

父島の姿も、母島の島影も見えない、絶海を進むははじま丸は、「波 乗り越えて~」という感じで、前方から迫りくる大きな波を、どんぶらこ!と乗り越える感じでいくので、`縦揺れ’ をします。おがさわら丸は、ほとんど横揺れでした。

 父曰く、「縦揺れでやられちゃうんだな」 という、エレベーターで上下する乗り心地で、私は酔い止めを飲んでいたから大丈夫という前向きな気持ちでいたから、酔いませんでしたー まぁ、あのくらいは揺れているうちには入らないとは思いますが・・・ 帰りの船で若者が酔っていました  母島で知り合った男性。

私は、「おおぉーっ!」とか言いながら、船の揺れを楽しみました

 そんな人のために、おがさわら丸にもははじま丸にも、このような、一見すると、お掃除道具洗い場みたいな流しが常備されています。

お世話にならなくて良かったー

 母島の海域に入ってきました!そそり立つ岩だらけです。

 港の入り口の燈台。内湾に入ったところ。

 ははじま丸乗り場が見えてきました

お宿の人がプラカードを持ってお迎えに来てくださっているはずです。

 

 下船後は、ハワイ風に着飾ってくださったお姉さんが車でお迎えに来てくださっていて、「来たぁー やっと着いたー」という実感で、感慨無量 

 「車で5分もかかりません」というとおり、港をまわるようにしてすぐに写真で見覚えのあるお宿に、5組のツアラーがご到着!

 通されたお良しのお部屋~ 快適~、清潔ぅ

 窓からの景色~ 三浦半島を忘れるー 崩れやすそうな地質に見える岩山。

 お良しは、さっそく出歩いたりはせずに、身体を休めます

まずはお水を飲んで、お風呂に入りました。 バスタブにはお湯を入れませんでした。だって、私が一番乗りで、追い炊きできなそうだったから、迷惑かと思って・・・。ま、暑いし、シャワーだけでいいや、と。

1階に、すてきなテーブルがあったので、ここを3日間の居場所と決め、用意されていた絵葉書(お宿の女性が撮影したというもの)を見つくろい、これまた至れり尽くせりで用意されていた飲み物をいただきながら、休憩しました。

 その席で発見した、`第一生き物’ は、蛾デシタ

 思いっきりヨコスカの、手拭いで汗を拭きながら・・・じゃないんですよねー。汗かかないんですよ、この時は。気温は28℃ぐらいあるんですが、父島の二見港で感じた`蒸し暑さ’ が、母島では、ないんですよー 

 お良しから葉書が届いたみなさん。ここでこうやって書いたんですよ~

 夕飯は、ものすごいご馳走!汁物のおだしが、味わったことのない、とってもいいお味で、何を使っているのか質問したら、はぐらかされたの・・・ヒ・ミ・ツね。聞いちゃダメね。左の端っこにちょろっと写っているデザートも、毎晩、主の奥さまの手作りで、とーーーても美味しいんです あと、島トマト!甘ーい 果物みたい。

 

 

夕食後、散歩に出かけました。「ナイトツアー」というガイド付きのオプショナルツアーもあるのですが、予約して行って万一体調が悪くなっていたらイケナイと考えて、終日自主行動をすることにしておきました。

ははじま丸が泊まっています。今夜は父島へ帰らないのね。左の緑の光は、昼間目にした、湾の入り口の燈台ですね 光った瞬間を撮るのに苦労しました

夕暮れ時から、こんなに暗くなるまで、ここで過ごしました。でも、日暮れはあっという間でした。

星空を見ようと散歩に出たのですが・・・

あれー???あんなに明るい、あそこには灯があるのかなぁ???

と思ったら!お月様が上がってきました、それも、バリバリの満月 (一日欠け)

群青色の空に、一つずつ、お星さまが増えて見えてきていたのに、こーのマ・ン・ゲ・ツ!さまのおかげで、満天の星空とはいかなかった・・・と、だれもが帰りの船とかで話していましたよ。でも、三浦半島より、たくさんの星が見えましたよ

 

 ちゃーんと自転車用に使っている明るいライトを持って行ったので、バナナの木も、夜景で写してみました。

 太い木ばかりだった、まあるい葉を持つ、「タマナノキ」

島の集落中、あちこちにデーンと立っていました。

帰ってきて、お部屋で、久里浜で仕入れたノンアルコールビールを一人飲みました。(お部屋に小型冷蔵庫あり。飲み物も用意されている・有料)

 

 1・2日目の感想

 大航海でした。

 船の進行方向に頭を向けて寝るのが良いと気づきました。

 亜熱帯でも同じ日本。北海道の日本離れした景色や、岩手県の四季のハッキリさに驚いていた私は、また違う日本に行けた。

 お宿がとっても居心地よくて、静かな温かいおもてなしだとビックリした。お風呂のアメニティ類が、お良し宅のより、ずーーーと良品なんの不自由なし。ありがたい。

 

 

 

 東京 有楽町駅前広場で、5月26日(金)~28日(日)

東京愛らんどフェア 開催中  東京都島しょ振興公社 公式HPへ飛ぶ

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


無事、小笠原から帰ってまいりました!<プレ報告編>

2017年05月14日 09時37分56秒 | おでかけ旅がらす

 

 

 

 おがさわら丸 船内、案内映像より

 

 あぁ~・・・大航海でした・・・ 1000km、連れてってもらいましたよ、新しい 大きなお船で。

小笠原諸島は、ほんとうに、絶海の島なんですねぇ・・・。大海原に浮かんでいたです。私も、あそこに寝泊まりしていたんだなぁー っと、帰りの船上から、つくづく実感しました。

 

 出発日の5月8日は、横須賀は晴れ

小笠原のゆるきゃら、ザトウクジラの `おがじろう’ も来てくれて、小笠原海運さんが、希望者に記念写真を撮らせてくれました

後ろに見えるのが、入港してきた`おがさわら丸’ です。まだ、接岸にむけて動いています。

おがさわら丸が、港に入ってくるのを最初に目にしたとき、このところ海岸で双眼鏡を駆使して見張っていて見ていたので、本物をこの目で見て、それも、お良しを乗せてってくれるために来てくれたので、嬉しくて感動がこみあげてきて、涙がうるっとにじんでしまいました。

 「お良しさん、お待たせー

 「おがさわら丸~、ありがとうー

久里浜港からは、けっこうな人数、一緒に乗りました。

なぜ今回、お良しは小笠原諸島へ行くことになったかといいますと、2016年7月新造船就航!新おがさわら丸が横須賀初寄港!ということで、横須賀市民クルーズを募集したのです。『広報よこすか』に載ったのです。3月に申し込みしました。お良しは今年も、岩手県に行こうと計画していたのですが、急きょ!!はるか小笠原に行先変更になりました こういうことも、人生の好機会というものです。「これだ」と、ピーンときて、飛びつきました

 

 

おがさわら丸内の、売店「ショップ ドルフィン」の入り口に毎日掲示されるその日の情報。

小笠原様は、気温は上がっても31度ぐらい止まりなんだって。

 

おがさわら丸は、父島まで。母島へは、ははじま丸でさらに2時間、50㎞の船旅 常に`カツオドリ’ が並走

 母島、沖港を望む海岸。`ははじま丸’ の姿が見えます。

 沖港近くだったお宿から、歩いて15分ぐらいのところにある、小さな「石次郎海岸」。見てください!この透明ブルーを!

小笠原の海の色を、「ボニンブルー」というそうです。

この海岸へは、超、急な坂を上って、これまた急な崖路(ちゃんと階段を設けてあります)を、下ります。

 

 疲れをとるために、今日は、おおざっぱに伝えたいことだけ、ご報告して、終わりにしたいと思います。こうして椅子に座っていても、まだ船の揺れを感じています

 

 今日14日も、横須賀久里浜港を出発する方々もいらっしゃいます。

もう、この私のブログをご覧になる方はいないと思いますし、旅慣れている方には余計なことですが、「持ってって良かった」お良しの装備をご紹介しておきます

 左から、すぐ乾く手拭い・つば広UV帽子・サングラス・あめ・スプレー式化粧水・ライト・UVリップクリーム・筆記用具・双眼鏡・ルーペ・日焼け止め・後ろの赤いのは反射板(丸く輪になって、どこにでも巻き付くタイプ)・UV素材の長袖上着・小さなリュックサック

 左から、洗顔は基本、泡で出てくるタイプ(船も、渇水状態の小笠原諸島でも、お水をよけい使わなくて済む)・整腸剤・スキンケアはいろいろ持ってかずオールインワンゲルでパパッと・ケガしたとき筋肉痛の時のための消炎鎮痛クリーム・先にも登場したスプレー式化粧水(フランス天然水ミスト状化粧水アヴェンヌ300ml。これがイチバン重宝しました!日焼け乾燥した手足にもgood たっぷり使える)。ならば、日焼け止めもスプレー式のを持っていくべきでした

 

 お水を使わなくて済む、シート状お化粧落とし(今のものはたいてい美容液入り)・お口くちゅくちゅモンダミン歯磨きできない時のために・いざという時のための尿取りパッド

 メガネの曇り止め

とくに山歩きの時、ものすごく汗をかいて、サングラスが曇ったのですが、その下にかけていたメガネはまったく曇りませんでした

すごい性能

 

 あと、紙コップですね。真ん中の赤いのを家から持っていき、ボロボロになるまで使いました。左は、おがさわら丸の洗面所に配備してある紙コップで、右は、6デッキの売店`ショップ ドルフィン’ で買ったコーヒーを飲んだ時のもの。ペットボトルの飲み口から直接飲んではバイ菌が繁殖しちゃうから、紙コップは常に持ち歩き

 でも、小笠原諸島は、けっして不便なところではなく、おがさわら丸も、洗面所がたくさんあって(男女別)、ちゃんと歯磨きできましたし、シャワーも一押しするだけで充分すぎる量のお湯が出て、シャンプーがついた髪を一発で洗い流せました(行く前に髪を短く切っておいたお良しは大正解!)。

 渇水状態の母島でも、海岸のシャワーも、「もういいよ、止まってぇー」って程のすごい量のお水がジャァーッ!ぶわぁー!って出てくれるし、お宿もお良し宅より素晴らしいお風呂でしたので、水には不便しませんでした。だからといって、贅沢はしませんでした。

 

 おがさわら丸内の、7デッキにある展望ラウンジで売っている、2番人気だという`ホットケーキ’ 380円、おススメです。熱いです!美味しいですホットケーキ大好き

 4デッキにある‘レストランははじま’ での朝食、行きはお醤油味、帰りはお味噌味 だった、ナスの揚げびたし、さいこーに美味しかったです 朝食は、いろいろな小鉢を選ぶのです。ご飯はサイズ違いで白米とおかゆがありました 私はおなかに負担をかけたくなかったので、おかゆをチョイス

 やっぱり揺れる船だから、お盆もテーブルも、滑らない素材でできていました。海を望める席で食べたい方は、7時の開店前に並ぶことをおススメします。か、あとからゆっくり行くか。たしか9:30ラストオーダーだったと思います。

 帰りは、久里浜は大雨でタイヘンでした!低気圧ちゃんが、お良しの帰還を歓迎してくれているのか、おがさわら丸がお良しとの別れを悲しんでくれているのか・・・ 「この雨を小笠原に降らせてあげたい!」と、オジサンが言っていました、たしかに

お宿の、お良しのお部屋の窓から。日焼け止めは必須です!

小笠原諸島レンジャーの話によると、「小笠原の日差しは内地の数十倍で、さらに今の時期はまだ人間は紫外線に慣れていないモードの肌だから、やけどみたいになっちゃう」ということです。

 小笠原に行かずとも、5月26日から28日まで、東京 有楽町駅前で、東京都の島しょ部が集まったフェアが開かれるそうです

 

 今のところの総括 小笠原諸島は、太平洋の海洋島でした。文化や環境が、太平洋です!でも、人は一緒でみな温かかった

           胃腸が丈夫で、ちゃんと飲んで食べて、体調の自己管理ができないとやっていけない旅でした

           とにかくすべてが楽しかったです ほんとうに行って良かったです

 

 

 

 

 

 

 


予告通り、とんでもないところへ行ってきまぁーす!

2017年05月08日 08時44分33秒 | おでかけ旅がらす

 おはようございます

わたくし、本日これから、横須賀市久里浜港13:50出航の、写真に写っているお船で、水平線のかなた、1000km遠くへ行ってきまーす 

(三浦半島南部の海岸から望遠で、お良しが撮影した、東京湾を一路南下していく・・・ )

それはどこかと言いますと・・・

ハイ! 下へ下へ、スクロールどうぞー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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小笠原諸島 母島 でーーーーーす

 

ほら!母が見つけてくれた、占い。お良しのトコ見ると、「旅行も大吉。海外や、できる限り遠方へ。」って、ちゃんと書いてあるぅ

母、「あぁ~、おかあさんも小笠原、行きたくなっちゃったなー なんでも若いうちだ、お良し!自信もって行きな!!

お良し 「はいよー

いろいろ不安もありますが(酔い止めは、念のため、かかりつけの内科の先生にもらった)、行くからには、ハプニングも含めて、楽しく行ってきマス 旅程は、「おがさわら丸」で、久里浜から父島へ22時間、さらに母島へ2時間の船旅です。

 

 パソコン類は持って行かないので、日常からまったくオサラバです (私のは、インターネットも契約していないガラケーなの!)

主人も、愛車  サンシャイン号も置き去りの、一人旅です(大丈夫!)

 

 お良しがいない隙に開幕する、ウィンドサーフィンのワールドカップ横須賀大会のポスターを張っておきます。

津久井浜海岸ライブカメラも、ご覧になっていてください 生映像~

シャロウ・リーフ ライブカメラ   地元サーフショップ「シャロウ・リーフ」さま、またお借りいたします

 

順調に、お船が出航できたら、5月13日(土)の夕方、帰宅します

海が荒れて、父島を出航できなかったら、あと一週間ばかし帰れません 

しばしのお別れです また、『お良しなさい日記』に、寄ってくださいね~ みなさまも、どうぞお元気で!

 それでは、行ってまいりまーす                管理人 お良し

 

 

おまけの写真 (・・・まいど、オマケからが長くなる・・・

 津久井浜海岸、今のところ、`サイドショア’ (海岸線と並行に吹く風)が吹いてますよ~。(住んでいるお良しにとっては、洗濯物・お布団干し、窓ふきなど辛い時もあります

遠くに、天然ガスを運んでくれているお船が航行しています(丸くて白い球体が並んだ)。生活を支えてくれている、感謝!

W杯出場選手がもう来ているのか、ゲレンデには、普段よりたぁーくさんのサーファーが、いつもより速くて上手で迫力ある滑走をしています 期待

  横須賀・三浦地元めし、出場選手のお国料理のブースもたくさん出るので、上空には美味しいにおいが立ちあがってると思います。トンビに食べ物を奪われたり、手をケガしたりしないよう、くれぐれもご警戒

  風でお顔が砂だらけになりますので、帰宅後の洗顔は、砂でじゃりじゃりしますから、お肌が痛くならないよう、やさしく優しく( ^ω^)・・・

 

 

 I wish you a pleasant journey !  以前、東北新幹線やまびこ号に乗ったとき、よくアナウンスされていた、「いってらっしゃい、道中御無事で、さようなら」 自分で自分に言い聞かせている、お良しでアリマス 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


国立科学博物館(通称 科博)へ行ってきました!②

2017年02月09日 19時56分36秒 | おでかけ旅がらす

 2月2日に行ってみた、上野公園内にある 『国立科学博物館』見学記の続きです

トップの写真は何だと思いますか?写真撮影が許されていましたので、何枚か記録に得てきましたが、この1枚だけUPします。

これは、金属みたいに見えますが、実は・・・22500倍に顕微鏡で拡大された、「珪藻」の微化石 という生き物です

「藻」ですよーこんなに幾何学的な姿なんて~ これ、日本の下町職人企業さんが作る、例えば`真円’ とかに匹敵する・・・というか、努力と技術で人間が作り出す機械より、いとも簡単に生まれてしまうこの精巧な生き物のほうが、すごいなー と思いますよ。やっぱり、神様が作ったのか と、多くの科学者が結論付けちゃうのもわかりますねー

 

 お良しは、目的だった 『世界遺産ラスコー展』を見た後、常設展示室の、`地球館’ の地下3階から地上1階まで見学しました

地球館では、地球の生命の誕生から順を追って、様々なものが展示されています。地下3階の最初は、「原子」の説明から始まります。

写真の「珪藻」は、その地球の誕生からまもなく・・・といっても、何十億年と経っているんだけれども・・・最初の方に登場する展示物です。最初の頃の生物について、お良しが驚いたことを書き記します。

 まずは、海から陸上に生物が進出したときのこと。そういえば、あたりまえのことだなぁ・・・と思ったのが

「陸に上がるということは、、紫外線を遮るオゾン層ができたという環境が整った。、乾燥から身を守る丈夫な表皮が必要。、ガス交換装置が必要(葉っぱの裏の、なんていったけ?あの穴とかです。)、水分・養分の通過道が必要。、重力から体を支える体勢が必要。」 ということです。

 たしかにそうですよねー。うんうん。

 そして、生命が繫栄してきた過程では、なんとれまで5回もの「大量絶滅」を繰り返してきたそうなんです大量絶滅は、絶滅と進化を促す地球環境だということです。

 古生代末の2億5000万年前に、超大陸パンゲアを分裂させた、激しい火山活動と海洋の酸欠事件があり、これが史上最大の大量絶滅だったそうです。でも、かならず、生き残った生物がいて、彼らがその後、ぶわーっと繫栄していくのだそうです。

 6500万年前の白亜紀末には、地球への小天体の衝突による地球規模の寒冷化が進み、大量絶滅が起きたそうです。

 こんなことが研究によりわかっているなんて、

 写真や模型や化石標本で、いろーーーーーーんな生き物が展示されていますが、昔の生き物って、なぁーんであんなに でっかい のでしょうか? 「大きい」という言葉よりも、綺麗な言葉ではありませんが、「でっかい」さらには 「でっけぇーーー!!」という言葉のほうが当てはまります。なんなんだこりゃぁーーー ですよ。魚の頭がありましたが、お良しの頭を一飲みにする大きさの口をしています。歯も、ギザギザで怖いし・・・

恐竜はもちろん、恐竜絶滅後に繫栄した大型の哺乳類も、お良しの頭上に、お腹も肩も首も頭も、どっかーーん と、そびえたっています。

おもわず、そこかしこにいてくれる、展示物に詳しい係りの人に質問しちゃったもん。「こーんなに大きく育つには、よほど大地に栄養があったのでしょうねぇ?」と。そうしたら、お答えは、「巨大化する必要があったのは、一つには外敵から身を守る手段だったんですよ。」ですって。そうかぁー・・・、なるほどねぇ・・・。それにしても、植物だけ食べて、あんなにでかくなったなんて、なんという体の仕組みでしょう。

 午後2時、地下2階だったかな?「人類の出現と進化」のコーナーで、たぶん退職した学芸員さんとかだと思いますが、男性の係りの方が、3Dプリンターで作られた、原人・旧人・新人・現代人の頭蓋骨を見せてくれながら、進化について「5分間解説」をしてくれました。

頭蓋骨の盛り上がりの違いから、脳の発達がわかりました。ここには、原人で アフリカで発見された女性ルーシーちゃん(あ、背が低くても成人女性だから、ちゃんづけはイケナイね)ルーシーさん、旧人の少年(といっても、お良しより背が高い)、新人であるネアンデルタール人の成人男性(がっしりした体格の、毛皮を着て手に槍を持っている、毛深いオジサン)の実物大の人形が立っています。

係りの人 「ネアンデルタール人なんて、こんなにがっしりした姿なのに、絶滅してしまったんですからね。不思議ですね。やっぱり、脳が発達して知能が高くなり、いろいろなことができるようになる必要があったのです。でも、脳の体積が大きいから良い、とういうわけでもないのです。今の私たちより、体に対して、脳の体積が大きかった人類もいたのです。」

うーん もし、人類の脳(平均2kg)の割合を、地球上最大生物 シロナガスクジラにあてはめてみると、脳の重さは2600キロになるそうです。今の人間が、いかに脳が発達しているか、です。その脳の、すべての部分を使っているわけではないのですからねぇ・・・

もったいないから、お良しも、もっといろんなことにチャレンジしようっと

・・・もとい。

係りの人 「科学者の中には、今、もう6回目の大量絶滅が始まっている、と言っている人もいるのです。地球の温暖化とかね。でも、人類は、なんとか生き残ろうと工夫するでしょうけどね。」ですって。それって、ひょっとしたら、人類がスイッチを入れちゃったのではないか・・・と、質問しようかと思いましたけれど、言葉が出ませんでした。`何とか生き残ろうと・・・’って、生物的にですかね?それとも、脳で考えるのですかね?

 もうひとつ。

面白い試みが行われているようです。それは、古代人が、いかにして海を渡ったか という実験です。「3万年前の航海」というプロジェクトです。植物で編み上げた小舟に8人ぐらいが乗って、艪で漕いで、潮の流れに乗って、海の向こうの新たな陸地を目指すというものです  帆はありませんよ。

日本列島へは、北の北海道は陸続きでしたが(25000年前渡来)、対馬ルート(38000年前渡来)と沖縄ルート(35000年前渡来)は、海上からだったということです。 たとえば、南太平洋の島々にも、人が住んでいるでしょう。なんとなーく、南太平洋のみなさんは、お顔が似ていますよねぇ。

 ちゃんとした船がそばについて、古代の船で海を渡る再現実験をしているようです。その費用を、科学博物館では、寄付を募っていました。

 

 最後に・・・。人類の展示の中で、解説板に次のような内容が書かれていました。

「人類は、現在、研究者の間では、`人種’ という言い方、区分の仕方はしていません。おおまかに、アメリカ・アジア・ヨーロッパ・アフリカなどという、棲んでいる場所で分けています。これは、差別を防ぐためです。」

 「人種の壁」。白人とか有色人種とか、ユダヤ人とか、暗黒の歴史がありますよね。

ちょっと、脇道に、また それそうですが、お良しが好きな、この米国人歌手 ファレル・ウィリアムスの『HAPPY』という曲。公式ミュージックビデオには、さまざまな市井の人が次々に登場してきます。もう3年も前の曲なのに、2017年2月の現在、9億2千万人以上の人がこのユーチューブを見ています。

ファレル・ウィリアムス HAPPY

一応、日本語訳がついている方も・・・ ファレル・ウィリアムス HAPPY 日本語訳付き まさに、お良し、今こんなキブン

 

 現代人のふるさとは、遠く400万年前のアフリカで一緒です

国立科学博物館HP

 

 地球館の最上階には、おもにアフリカのサバンナに生息している動物を中心に、鳥と哺乳類の実物剥製がずらーっと並んでいます。高いところ、透明な、たぶん強化してあるアクリル板の下に、つまり、立っている見学者の足の下に、動物が並んでいたりして、すごい迫力の広ーい展示室です ここだけは、以前見たことがあるお良しです。途中の階の、昆虫やら海洋生物やらの展示室はまだ見たことがないので、ラスコー展の後に開催される、『大英自然史 博物館展』を見に行くときに、見学してこようと考えています。

その前に、来る2月11日(土)、横須賀市自然・人文博物館の、自然史展示室の解説見学(午後2時から)に行ってこようと思っています。お良し、2月は博物館月間になりそうです。

 横須賀市自然・人文博物館、    自然館ミュージアムトーク


国立科学博物館 (通称 科博)へ行ってきました! ①

2017年02月05日 16時59分00秒 | おでかけ旅がらす

 お良しが大好きな、博物館 という場所

どこかへ旅行に行くと、行った先の町の「博物館」へ必ず足を運びます。博物館は、その土地の歴史や風俗を知ることができるからです。

地元の、横須賀市自然・人文博物館 はもとより、思いおこすと、札幌・釧路・岩手県遠野・横浜にある 神奈川県立・千葉県佐原市にある『国立民俗博物館』(ここは、大規模で、くまなく納得いくまで見学するのは一日がかりです)などへ行きましたね。

 今回 見学に行ったのは、上野公園の中にある、『国立科学博物館』です。お隣りには、日本の歴史・民俗のこれまた膨大な展示物・非公開のお品の数々を所蔵している、『国立博物館』があります。こちらも、見学は一日がかりです お良しは、ここで、本当に大きな `銅鐸’(どうたく) を目にしたのが強く印象に残っています。教科書でしか見たことがなかった銅鐸が、小さいのもあれば、こーーーーーんなにおっきいんだぁーーーーーーと、大驚きしたからです。いったい、どうやって造ったのだろう 重いだろうに、これ、吊るしたのかなぁ・・・と、ビックリしますよ。

 えー・・・。国立科学博物館へ、なぜ行ったかと言いますと、これも、学校の教科書で習った、`フランスで少年たちに偶然発見された、クロマニヨン人が描いた、ラスコーの洞窟壁画’ が見られる(もちろんレプリカ)というので、去年11月1日から始まっていたこの『ラスコー展』を、ようやく観に行ったのです。

 一応、時間を追って記事を書きますー。

久しぶりに、上野駅 公園口に降り立ちました

駅を出て、すぐに道路を渡ると、正面には、上野公園内にある施設の数々で、今どんな催し物をやっているか、の一覧表示が立っています。まずは、これをキッチリ確認

駅に一番近いところにある、『東京文化会館』は、コンサートなどが行われることが多いですね。ここのレストラン、だいぶ前に食べたきりですが、経営者が変わっていなければ、とっても美味しいですよ 上野駅公園口の2階にあるレストランも美味しいです。奥の奥の方に秘密のお座敷があって、お良しは、絵の会に所属していた時、毎年新年会がこの公園口2階のレストランのお座敷で行われていて、生ガキのオリーブオイルがとーーーーっても、美味だったことが忘れられません

 ・・・なんだか、すぐに食べ物の方へ話がそれちゃって、本題まで遠くなってしまいます ゴメンナサイ。

世界遺産にめでたく登録された、『国立西洋美術館』を過ぎると、真後ろが目指す『国立科学博物館』です。頭に日本の国旗が青空高くはためいています。

左に写っているのは、科博の象徴、地球上で現在最大の生物、シロナガスクジラの実物大オブジェです。下から見上げると、本当に大きいです。海の中だから生きていけるのかも・・・とか考えちゃいます。

ラスコー展は、楽しみに行ったのですが、入場券売り場で、大人1600円 と知って、うわっ、高い!・・・と思って、外へ引き返しちゃったのです。しばらく辺りを見回して、「行くべきか、やめとくか・・・」 と、逡巡してしまいました。(これを読んだ主人が、「ケッ!1600円で渋ってるなんて恥ずかしー」と、お良しのことをバカにしました。こんにゃろメーあなたが決めている、おこずかい上げてくださいよー!)

 

そんな中、目に留まったのが・・・こちら

「多摩産木材を活用した園路舗装」 というもの。まさしくお良しの足元、上野公園内の道路、真ん中はアスファルトですが、端の方1.2mぐらいは、ご覧のような、凝った木組みになっています。この看板を見なければ、気がつきませんでした。スーッと、ラスコー展に入場していたら、知ることはなかったでしょう。

 で、結局、「交通費使ってここまで来たんだし、1600円で、常設展示室も見られるんだし・・・。」と思い直して、清水の舞台から飛び降りる気持ちで、なんとかなるだろう!と、入ってみることにしました。(交通費使って・・・と書きましたが、この日の午前中、もともと東京に用事があって、そのついでに上野へ行ったのです)

 ラスコー展は、意外にも、フラッシュをたかなければ写真撮影が許可されていて、貴重な展示物を何枚か カメラに収めましたが、詳しくは公式ホームページをご覧くださいますかね。

科博 ラスコー展 HP

 

 ちょっと、補足と感想を書き留めます。

HPに出てくる、女性と少年の親子の等身大の人形ですが、HP写真ではわかりませんでしたが、これ、近くで説明付きで見ると、お母さんが子供の顔に、ボディペイントを施しているところなんですよー 少年の右目のまわりに、キラキラ点々の模様を筆で描いているのです クロマニヨン人って、今の私たち人類である、`ホモ・サピエンス’ なのです。

DNA解析でわかっているのだそうです。猿人・原人・旧人(ネアンデルタール人が代表的)・新人と来たのが、クロマニヨン人で、彼らが、起源であるアフリカを出て、ヨーロッパやアジア、さらにはシベリアからアラスカを経てアメリカ大陸へ、または陸続きだった日本へもやって来て、それぞれの気候・風土に順応するように進化してきたそうです。(★注★ 猿人・原人・旧人は、みな絶滅。新人は、彼らから進化したのではなく、新たに生まれたのです。新人の中で、ヨーロッパに到達したものがクロマニヨン人と呼ばれています。)

この、親子の姿は、お母さんがフランス、少年がイタリアで見つかった人骨から、推定で作られた姿だそうです。「やっぱり、もうヨーロッパの人の顔しているわぁーおー!」と、思いましたね。

 ラスコーの洞窟は、劣化防止のため、今は閉鎖されて見学できないそうですが、真っ暗な部屋に、実物大の壁画のレプリカが描かれているのを見ることができます 真っ暗になったり、ぼんやり明かりがついて、絵を見られる状態になったりを繰り返して、神秘の世界を体験させてくれています。

 お良しはなんたって、「いつの時代でも、絵が上手な人っているものなのねーーー」と、つくづく感嘆  牛・馬・鹿 ほか、いろいろな動物が、ホント躍動的で、写実的なのにはビックリです。クロマニヨン人による壁画の製作は、およそ4万年前から始まったとされ、ラスコーの洞窟壁画は2万年前のものだそうです。

 発見のいきさつは、1940年の9月、遊んでいた少年たちと一緒にいた犬が穴に落ちてしまい、犬を救出するために、その穴を掘って広げたところ、思いもよらぬ深さと広さがあることがわかり、少年たちが入ってみてビックリ仰天 すぐに学校の先生に知らせて、先生も、「これは大変」 と思って、地元の歴史家でもあった神父さんを呼んできて、大騒ぎになったんだそうです。

 手近な鉱石などで、赤・茶・黒・黄・紫などの顔料を作り、指や動物の毛などを使った筆で、粘土で作ったランプ台に、灯心にネズノキの小枝をさし、獣の脂を燃やして灯かりとし、真っ暗闇の、深くて奥が広い洞窟に、梯子を使ったりして絵を描きました。なんのためでしょうねぇ??? 絵を描くことが好きなお良しとしては(私の場合、単なるいたずら書きですが)、純粋に描きたかった、という気持ちしか思いつきませんけどね 恵みに感謝する、祭祀の場だったとか・・・?うーん・・・?

 とにかく、迷ったけれど、見ておいて良かったと、今は思っています トランシーバーみたいな端末を持って聴きながら見学する、「音声ガイダンス」も用意してあって、混雑する列に並ぶのが困難な人や、海外から来てくれている方には、便利だと思います。解説パネルや、音声や映像による解説も充実していて、至れり尽くせりの展示でした。これだけでなく、そこもまた広大な、常設展示室(地球館と日本館がある)も見学できるのですから、よく考えてみると、1600円は高くない!と感じました。

 ラスコー展を見た後、地球館の地下3階から地上1階まで見学しました。まだまだ上の階があり、ほかに日本館というのもあるので、午後からの2時間ぐらいでは見切れませんでした 

 話が長くなりましたので、科博の見学日記は、ラスコー展だけ、まずUPいたします。宇宙館も、とーーーーっても、面白かったので、そのレポートは次回へ続くということで

 ラスコー展は、今月 2月19日(日)までです。興味のある方は、お急ぎください 疲れますが、常設展示室も見学した方がいいので、午前中からでかけましょう ( 館内に、食事ができるレストラン有り  )