昨日、遠雷を聞きながら写真展を見に恵比寿まで出かける。会場に着く頃にはどしゃ降りになっていたが、なぜか気持ちよく雨の中歩く。
-----------------------
決定版 ! 写真の歴史展
10周年特別企画
東京都写真美術館コレクション展
写真はものの見方をどのように変えてきたか
第三部 『再生』 Reconstruction
12人の写真家たちと戦争
-----------------------
このタイトルを見ていただければ、この美術館が相当に力を入れていることがわかる。今回の展覧会は、以前にこのブログでも触れた山端庸介という写真家が置かれた状況にも通じるところもあり、興味を持って見た。芸術家(には限らない)が戦時にどのような経験をすることになるのか。戦争画を書かされて、戦後もその整理がついていない日本画の大家の苦悩の姿を以前に見たことがある。それほど残酷なものなのだろう。今回、戦時の国策写真が少なかったので彼らの悩みを感じ取ることはできなかったが、。
木村伊兵衛(1901-1974)
濱谷 浩(1915-1999)
林 忠彦(1918-1990)
大束 元(1912-1992)
熊谷元一(1909-)
小石 清(1908-1957)
河野 徹(1907-1984)
植田正治(1913-2000)
桑原甲子雄(1913-)
中村立行(1912-1995)
東松照明(1930-)
福島菊次郎(1921-)
彼らの写真は、何とも懐かしい私の原風景のようなところに誘ってくれた。木村の「東京駅」などを見ていると、戦後、列車の窓から人が乗り降りをする景色の記憶を呼び起こしてくれたような気がする(ただ、この記憶は後から作られたものかもしれないが、)。
作家は今思い出せないが、上野公園かどこかで人々が地べたに座っている写真があった。ある人は一人で、ある人は子供連れで。その中に見られる、当時の人と人との間に広がる空間が今とは違う: 近いところに座っているのだが、その間は広いようにも感じるし、その逆のようにも感じる。その距離感の違いが非常に面白かった。自分の周りにあったと思われる世界がそういう距離感を持っていたのか、というある種の驚きを感じていた。
それにしても、ほんの少し前の景色がどうしてこんなにも古臭く、別世界の出来事のように見えるのだろうか。記憶に残っている景色とどうしてこれほどまでに違うのだろうか。
-----------------------
ほとんどの写真は、歴史的な過去を呼び戻すような作用しかしてくれなかった。別の言葉でいえば、当時の人がその時代を撮ったという印象である。その中で、明らかに異なる効果を及ぼしてくれた人がいた。その写真家は、植田正治。
彼の写真は、社会の断面を捉えるというよりは、その興味が私的なところにあるようだ。そして何よりも、彼の写真には詩情が溢れている。そしてその背後に、当時の社会の香りも感じ取ることができて、素晴らしいのだ。どうしてそうなるだろうのか考えてみた。彼の写真を見ていると、現代人がその時代にタイムスリップしてものを見ているような印象を受ける。彼はその時代を遠くから、何か絶対的な美の世界(そのようなものがあれば)から眺めていたかのようでもある。そのために対象は古くなっても、写真は色褪せないのだろう。この写真家との出会いは、予想もしなかった大きな収穫であった。
今、librairie にあった彼の写真集 UNA LINEA SUTIL: SHOJI UEDA 1913-2000 (Fondación "la Caixca") を見ているが、どの写真にも柔らかく訴えかけるものに溢れている。
--------------
(version française)
確かに総花的な印象で、自分の昔いたところを遠くから見直しているという感じでした。ただ、現場に出向くと思いもかけないことが何かしら起こるので、なかなか止められそうにありません。
また、立ち寄らせていただきます。
植田正治、大好きな写真家の一人です。
いつか植田の写した鳥取砂丘に行くんだ、とかなり以前から思いつつ、未だ果たせずにいます。植田の写真の印象から、鳥取砂丘になかば幻想を抱いてしまっているのかもしれませんが…。
植田正治の写真には、自分の体験ではないにも関わらず、自分のかつてを見るような懐かしさを覚えます。
ブラッサイも見たいですし、会期中に是非恵比寿を訪れたいと思っています。
鳥取といえば、漫画家の谷口ジローも確かそこの出身だったと思います。詩情あふれる作風といい、フランスでの評価といい、風土が少しは関係しているのでしょうか。
谷口ジローについても書いていますので、興味がありましたらブログ内検索をしていただければ幸いです。