
マリオ・バルガス・リョサについては最近数回触れている(10月20日、26日、27日)。その勢いで彼の本を数冊注文してしまった。今日の本はその中の一冊。
« Entretien avec Mario Vargas Llosa » (Terre de Brume 2003)
1994年10月にブルターニュで開かれた会と関連した内容が出ている。いくつか響いてきたものがあったので書いてみたい。
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« Éloge de la marâtre » (「継母礼賛」の訳で出ている) についての話題。
「この小説の主人公はエキセントリックで狂っている。しかし私が賞賛することをやろうとしている。それは理想主義者 utopiste であろうとすること。社会の中にユートピアを求めること、完全なるものを求めること。しかし、それは不可能であり、破滅に結びつくことに気付く。ただ、人はユートピアなしには生きられない、完全なる世界という考えを抱かずして生きることはできない、絶対的なものを実現しようとする意志なくして生きられないことも理解する。
そう考えて、個人的な視点から完全を求めようとする。家庭の中で、個人的な関係において満足を求める。完全なるユートピアを求める。
つまり、自分自身を、自分の人生を、運命を自分で完全にコントロールしようとする。」
この小説を読んだわけではないので、作者が言いたいことは違うかもしれないが、自分自身をコントロールできる自由を持ちたい、自分の中にユートピアを求めたいという考えがかなり昔から心の奥底にあるためか、この発言に反応したようだ。この本は届いているので、いずれ彼の考えに触れてみたい。
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この他、いくつかの作品の背景について語っている。この手の本は小説を読んでから軽く流すのがよいのだろう。対談の最後に、政治との関係について聞かれて次のように答えている。
「今後は、実際に政治に専門的に関わることはないだろう。将来もう一度大統領を目指すというような。あれは事故のようなものだった。ただ作家として、インテリとして、今起こっていることには興味を持っている。サルトルの時代に育っているので、参加する義務があると感じている。書いて、考えて、批判を加えながら。それは知的生活の一部を成しているものだろう。」
フランスには「水を得た魚のように」に当たる « heureux comme un poisson dans l'eau » という表現があるが、政治をやっていてそう感じたのかと聞かれて、彼はこのような話をしている。
「余り楽しい経験ではなかったが、私を豊かにしてくれる (enrichissant) ものだった。その3年間で多くのことを学んだ。知っていると思っていたペルーとは全く違う国を発見した。キャンペーンをするということは、作家が政治的な議論をすることとは全く違う。政治のこともよくわかるようになった。さらに自分自身のこともよくわかるようになった。もう一度やりたいとは思わないが、振り返ってみると非常に学ぶことの多い経験だった。」
「ペルーは全く異なる三つの地域から構成されている。海岸線、都市が一方にあり、他方にアマゾン流域の森林地域、そしてアンデスの山岳地帯。3年間で今まで知らなかったアンデスをよく訪れた。そこは歴史の発祥の地であるが、現在は多くの難題を抱えた地域でもある。選挙後に « Lituma dans les Andes » という小説を書いている。それは野蛮で原始的な社会と精神状態について語った小説だが、それはアンデスに限らず、どこにでもあるものだと思う。
伝統的で、儀式に満ち、魔術的、『前理性的 pré-rationnelle』、先祖伝来 atavique といってもよいかもしれない。それは西洋の理性的な文明では地中に埋められているかに見えるが、消し去ることのできないものでそこ(底)にある。その野蛮な暴力的側面が何かのきっかけで蘇る。現代至るところで見られる説明できない暴力の背景にはこの問題があるのではないか。
そのため、私はギリシャ神話のディオニソス Dionysos を小説では使ったのです。暴力は人間の条件ではないか、われわれの中に埋め込まれているものではないのか。ギリシャ人はそのことを知っていて、理性の拒否、暴力、非理性の神話を作ったのではないだろうか。」
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彼はコロンビアの芸術家フェルナンド・ボテロ Fernando Botero (1932-) の本に 「ある有り余る豊かさ « Une somptueuse abondance »」 という序文を書いている。ボテロと言えば、去年の夏だろうか、« Quelqu'un m'a dit» の Carla Bruni のコンサートを聞きに恵比寿ガーデンプレースに行った時の感動を思い出した。最初に例の異常に太い、豊かな、黒い彫刻が目の前に現れた時、「これは何だ!?」という叫びと不思議な喜びが襲ってきたのだ。近寄ってみるとボテロという人であることがわかり、近くの本屋を探したが満足の行くものはなかった。その後執着することもなく忘れていた。
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「 たのしみはそぞろ読みゆく書の中に 我とひとしき人を見し時 」 (橘曙覧 たちばなのあけみ)
(version française)