フランスに揺られながら DANS LE HAMAC DE FRANCE

フランス的なものから呼び覚まされることを観察するブログ

J'OBSERVE DONC JE SUIS

今のこれ、これからのあれ

2007-08-07 19:32:48 | Weblog

これまでの仕事を振り返ることが多くなってきた。自分がどのように考えてやってきたのか。私の場合は、やっている間はほとんど考えていなかったことが明らかになってきた。いつも終ってから自分がどういう人間であったのかがわかる、自分のやり方がどういうものだったのかがわかるのだ。

それで今回の少し早めの退職を機に、総括してみようという気になった。この言葉は好きではないが、ハイデッガーの言う意味において極めて重要なことのように思えたからだ。

 「総括とは過去を再構成することではなく、過去と現在とを想像力によって組織化し、未来への身体的傾きを手に入れることである」

未来への身体的傾きを得るための活動の結果、これまでの私の精神活動の核にあったのは、「今のこれではなく、これからのあれ」 ということに尽きることが明らかになってきた。つまり、今やっているのはどこかへの準備のようなもので、本当の自分の骨頂はこれから現れるのだ、という心である。つまり、本物はこれから来ると考えているので、精神が常に遊んでいる状態であった。今ここにじっくりと腰をすえて考えを深めるということにはならなかった。

ある時期からこのことには気付いていたが、そのまま流れてしまっていた。この元にあるのは、ひょっとするとアメリカ時代の影響かもしれない。先が全く見えない不安定な状況においては、常に前に歩を進めなければならない。つまり、今は常に将来のためにあるのである。今に落ち着いている余裕など生れなかった。厳しく検証することもなく、その精神状況が日本に帰っても続いていたのではないだろうか。これは今ある問題を深く考えるという作業を蔑ろにすることにもつながったと思われる。

こういう観察は、未来に向けての身体的傾きを得るには極めて重要になる。そして、私のこれからに照らし合わせてみると、今までは、これでもない、これでもない、と進んできたが、ここに来て先に見えてきたものが、人生の意味を探り、人類の歩みを知るというとてつもなく大きな問題と言える。今の私にとって、「これからのあれ」 がなくなり、やっと 「今のこれ」 にとどまることのできる究極の対象と出会ったということなのだろうか。

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引越しモード

2007-08-06 23:39:45 | Weblog

やっと引越しモードという言葉が浮かんでくる。そのモードに入らざるを得なくなってきた、と言った方が正確なのだが、本当のところはまだその気にはなっていない。締め切りが目の前に迫るまで動かないという、いつもの体質がまた顔を出している。ただ、今回は相当に消耗しそうな予感がする。新たに壮行会の予定が3つ入ってきた。しばらくはハンモックからご無沙汰することになるかもしれない。

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壮行会

2007-08-05 22:38:33 | Weblog

先月あたりからぼつぼつ私のための壮行会を開いてくれる方が出始めていたが、金曜と昨日は連荘で会があった。金曜は研究室に関連の方たちが参加してのもので、懐かしの顔ぶれにもお目にかかった。すぐに昔の調子に戻るものである。最後に品のよい組み合わせのお花と匂い箱を記念の品としていただいた。特に匂い箱は日本文化をフランスに伝えるために使ってほしいとのこと。悪用しないようにとのお言葉も聞こえたように思ったが、空耳かもしれない。金曜の夜という貴重な時間を割いていただいた皆さんに感謝したい。昨日は私の身内が顔を出してくれた。たまには奢ってもらうのも悪い気はしない。この熱さの中の引越し準備と微かに残る時差ぼけで睡眠不足気味である。ハンモック気分からはどんどん遠ざかっている今日この頃である。

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語り部

2007-08-02 22:17:18 | Weblog

先日、私の職場で退職の挨拶メールを出したところ、何人かの方から激励やお礼の返答をいただいた。ありがたいことである。そして昨日、以前に研究所長をされていたH先生が私の部屋を訪れ、雑談をする機会があった。本来であれば、こちらから伺わなければならないところだが、私のことである、如何ともしがたい。第一声が、随分と違った方向ですね、であった。1年程前には今の研究をずーっと続けたいということをお話していたためだ。そこで、まずどういう経緯でこういうことになったのかを説明する。それから日本の現状、科学の現状、日本とヨーロッパの状況、フランスという面白いところについて話し込んだ。現状の認識はかなり共通するところがあった。その中で若い人に直接語り掛けなければならないということ。若い感受性に向けて抽象的な、概念的なことについて語ることにより、深く思索する人間を育てることにつながらないだろうか。このような接触から誘発される効果はそれほど大きなものには見えないが、長い目で見た時にこれがより深く成熟した社会を創るためには有効かもしれないという点で意見は一致した。

長い人生経験をしてきた人は若い人に語りかけること。これはある意味で、義務でもあるだろう。社会の酷さを託っているだけでは、いつまで経っても何も変わらず、ますます劣化の一途を辿るだろう。自らの経験に照らして語っておくべきことは残らず語るという姿勢こそが、今皆に求められているような気がしていた。一方、小中高のみならず、大の方でも広く経験者の話を聞こうとする真に開かれた姿勢を取ることが重要になるだろう。さらに重要なことは、狭い専門の範囲に閉じこもったお話ではなく (これは特に大学においては今でもある程度は行われている)、そこから進んで人間の精神に関わるところまで広がるテーマについて語ることのできる人を呼んでくること。この対話をしながら自らに引き付けて考えている時、これからの生活の大きな方向性が示されたように感じていた。

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距離感

2007-08-01 00:31:22 | Weblog

ハンモックから眺めている時とパリにいる時は、当然と言えば当然だが心の状態が明らかに違うことに気付く。ハンモックでは自分は横になり、完全な観察者でいられる。そこでは何の無理もなく日本的なものを保持しながら、そのベースから眺めている。いわば自らの内が静の世界からの観察になる。

パリでは最初のうちはこの状態を保つことができるかもしれないが、フランスという現実の中で生活することになると眺めているだけでは済まなくなるだろう。その文化の中で動き対応する間に体ごとその影響を受け、気付かぬうちにそれが自らの中に染み込んでくることになるだろう。アメリカでの経験からはっきりと言えることは、異なる音やリズムや思考からなる環境に身を置いているうちに活性化される受容体のタイプが変わってくる、あるいは自らの中にすでにあるものなのだが、日本という環境ではその存在に気付かなかった (あるいは抑制されていた) ようなものが活性化されるという印象である。

いずれにせよハンモックと同じ距離感でフランスを眺めることができるようになるには相当の時間を費やしそうな予感がしている。ただ、この過程を一度アメリカで経験しているので少し早くそのような時が訪れるような予感もある。しかし、その時のベースは以前とは大きく変わったものになっていることは間違いないだろう。そこからの眺めがどんなものになるのか、この距離感の違いがどのような形で表れてくるのか、それもこれからの楽しみに一つである。

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7月の記事

2007-07-31 20:26:14 | Weblog
2007-07-31 あみん、あるいは地上に舞い降りる
2007-07-29 再びハンモックから DU HAMAC DE TÔKYÔ
2007-07-15 パリから DE PARIS
2007-07-14 記憶する水 LA MÉMOIRE DE L'EAU
2007-07-13 上には上
2007-07-12 フランスの大学危機 UNIVERSITÉS : AUTOPSIE D'UN GÂCHIS
2007-07-11 生存可能な最初の星 ? LA PREMIÈRE PLANÈTE HABITABLE ?
2007-07-10 雨の東京 TÔKYÔ PLUVIEUX
2007-07-09 チャールズ・テイラーと共同体主義 CHARLES TAYLOR - COMMUNAUTARISTE
2007-07-08 共同体主義の大御所 LE PAPE DU COMMUNAUTARISME
2007-07-07 英語だけでいいのか? とフランス語教育界 POURQUOI LE FRANÇAIS ?
2007-07-06 大岡昇平 「スコットランドの鷗」 MOUETTE DE L'ECOSSE
2007-07-05 フランスからのメール UN EMAIL D'UN PHILOSOPHE FRANÇAIS
2007-07-04 アメリカの恩師のこと MON MENTOR AUX ÉTATS UNIS
2007-07-03 バス停で蟻 DES FOURMIS AU ARRÊT D'AUTOBUS
2007-07-02 促す言葉 LES MOTS QUI NOUS POUSSENT
2007-07-01 少し早めの退職、そしてこれから EN PRENANT LA RETRAITE ANTICIPÉE

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あみん、あるいは地上に舞い降りる

2007-07-31 02:44:02 | Weblog

時差ぼけの夜。テレビをつけると SONGS という番組で岡村孝子さんと加藤晴子さんのデュオ、あみんが出ている。これまで真面目に聞いたことのないグループである。大学生の時に1年半ほどあみんとして一緒にやっていたが、加藤さんの方が違和感を感じ始めそれ以来別々の道を歩む。しかし40代に入って再び一緒に歌い始めるようになったと、何の衒いもなく自らを見つめ、淡々と語っている。そういう人生の歩みにある味を感じていた。

彼女たちの話や歌を聞きながら、長い間外国に滞在した後に日本に帰ってきて日本のものに触れた時、しばしばある変化が起こっていることを思い出していた。それは、そう実感していたわけではないのだが、それまで宙に浮いていた、あるいは天を舞うような感覚で生活していたところから、地上に降り立ったという感覚に陥ることである。これは特に時差ぼけの夜に訪れる。今日はそれを懐かしく感じていた。あみんの中にそう感じさせる何かがあったのかもしれない。

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再びハンモックから DU HAMAC DE TOKYO

2007-07-29 19:24:07 | Weblog

少し秋の気配を感じるパリの風であった。行きの飛行機は台風にもかかわらず定刻に出たのだが、パリでは機体の不調 (ドアを閉めたことがコックピットでは表示されないというのである) により2時間以上機内で待たされた。こちらに着いてまず驚いたのは湿気と暑さ。これから一月もこの状態が続くのかと思うと、憂鬱である。特にからっとした秋風の中から帰ってくるとそう感じるようだ。

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パリから DE PARIS

2007-07-15 22:12:40 | Weblog

2週間ほど、A VIEW FROM PARIS からの観察になります。


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上には上

2007-07-13 23:41:27 | Weblog

アメリカ時代以来の友人と私の渡仏を餌に杯を酌み交わした。どうしてそうなるのか、信じられないというのが彼の第一印象。しかしその宇宙人的人柄を考えればどこかで納得、ということらしい。なぜ哲学なのかということになり、ピエール・アドーさんの言葉を紹介する。目の前にあった花を指しながら、これを最初に、そして最後に見るものとして観ることが大切であるなどと話した時、彼は今頃そんなことに気付いたのか、と反応。その時初めて、15年以上前に肺癌で肺を三分の二も摘出していたことを知る。それ以来、いつ死んでもよいように、今日が最後だと思って生きているという。

私の 「100歳から現在を見る」 という考え方についても甘いと言う。私の視点は、別に100歳まで生きることを前提にものごとをやりましょう、ということではなく、(とりあえず) 100歳から見ることにより、現在がより立体的に捉えられるというところがポイントなのだが、そんな余裕は不要ということらしい。ところで、翌日何気なく新聞を読んでいたら、選挙報道があり、その中でドクター・中松氏が次のようなことを語っていた。すなわち、自ら考案 (発明) した健康法を実行すれば144歳 ? まで生きられるはずで、彼は未だ折り返し点にしかいない、というもの。台風を前になぜか元気が出てくる。

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フランスの大学危機 UNIVERSITES : AUTOPSIE D'UN GACHIS

2007-07-12 20:20:12 | Weblog

新たに届いた LE POINT の特集が、大学危機の解剖記事になっている。今回は人ごとではなくなっているので、じっくり読んでみようという気になっている。この問題は先日フランスからのメールでも取り上げられていたので、その大雑把な (相当に酷い) 状況は頭に入っていたが、解剖記事だけあってもう少し詳しい情報が聞けそうだ。以下に、気が付いたところから。

フランスの高等教育は最早社会や経済の要求には答えられない状況に陥っている。登録料が国により決められ、大学に入るための競争はない。世界レベルで比較すると無残な状態が明らかになる。登録料に手をつけずに改善が可能なのだろうか。どうしたら信じられないくらいに劣化した建物、貧弱な図書館、年に3ヶ月も締まっていて夏には実質的に入ることができない大学、管理サービスの貧弱さなどを終わりにできるのだろうか。

年間に大学生に充てられる予算 (7200 E) は、高校生 (10170 E) や中学生 (7400 E) よりも少ない。高等教育にこのような金の使い方をしている国はない。高等教育に充てる額が高いほどイノベーションの戦いに勝つ傾向が明らかになる中で、フランスがまだ世界第6位の位置にいるのは奇跡に近い。

Paris-IV-Sorbonne の名前は世界に轟いており、26000人の学生 (うち博士論文準備者 thésards が2400人) を受け入れ、3200万ユーロの予算と給料分5400万ユーロが国から出ているので、学生一人当たりには3300ユーロしか返ってきていないことになる。この額は、フランスの学生平均の半分、幼稚園の小児より少なく、高校生の三分の一、メキシコの学生よりも少ない。

これに比べて米国のプリンストン大学の年間予算は7億3000万ユーロで、学生数が6677人。したがって、プリンストンの学生には年間11万ユーロ、すなわちソルボンヌの学生の実に33倍もの金が使われていることになる。ハーバード大学の資本は290億ドル。この数字は、アメリカの一大学がフランスの高等教育の国家予算を使える状況にあるということを意味している。さらに、図書館の状況を見てみると、1席当りの学生数はフランスで18人、ドイツやイギリスは5人。米国、カナダでは朝8時から夜11時まで開いていて、ウィークエンドにも使用可能であるが、フランスは週平均50時間しか開いておらず、日曜は閉館している。

ヨーロッパ並みの状況にフランスの大学をもっていくためには、さらに100億ユーロが必要になる。大学登録料が年180ユーロという携帯より安い状態のままでよいのだろうか、と指摘している。


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(13 juillet 2007)
私の学費が年1万2千円程度だったことを思い出した。まさに古き良き時代であったが、今のフランスの学費は当時の日本と余り変わっていないと言うことだろうか。私にとっては朗報なのだが、、

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フランスからのメール UN EMAIL D'UN PHILOSOPHE FRANCAIS

2007-07-05 23:48:17 | Weblog

新しいサイト A VIEW FROM PARIS で取り上げたが、強く感じるところがあったのでこちらにも書いておきたい。

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思いがけないことがたまに起こるものである。先日、フランスからメールが入っていた。メールの主は、大学で哲学を修めた後、哲学教師をされていた方で、これまでも私のフランス語版ブログにいくつかの貴重なコメントを残している。

今回届いたメールは、パリの大学に書類を出したことをフランス版ブログに書いたことに対するものである。A4に移すと2ページになるそのメールは、次のように始っている。

「今あなたの決心を知ったところです。それは非常に崇高な (noble) もので、あなたにとって重要な生命科学とフランス語の分野を発見しようとする意思の表れです。心から真摯な激励を贈りたいと思います。少し前に私の "友人" バシュラール Bachelard についてお話しましたが、科学哲学を学ぶことは素晴らしい旅になるでしょう。私はあなたが単なる目撃者 (le témoin) としてだけではなく、その当事者 (l'acteur) として積極的に働きかけることを願っております。そうすることにより、常に霊感を与えるような活力 (すなわち目覚め) が得られるでしょう。あなたを取り巻き、そして呼び覚ますものによってあなたが外に開かれるようになり、人間としての勤めを追求しようと冷静に結論を出されたことに心からの喜びを感じています。しかもあなた自身のものである考え方、尊厳をもって生きるという考え方を失うことなく。」

  この中の 「単なる目撃者ではなく、当事者として」 というところは、私に迫るものがある。

しかしその後には、悲観的な見方に許しを請いながら、フランスの現状を分析している。例えば、フランスは崩壊しかかっている。1992年以来哲学や古典 (ラテン・ギリシャ) 研究へのグラントはなくなっている。フランスは大学の学生・研究者よりも初等教育に金を使っている唯一の国である。科学哲学の領域にも、大きな変化が起こっている。フランスの大学は昔に比べると相当に酷い状態である。フランスはもはや文化の国でも知の国でもなく、没落する過程にある。むしろドイツの大学の方が大学の名に値する内容を持っている。そして、誤った現状認識のもとに今回の決断をしたのではないか、もしそうだとしたら "理想の国" フランスでの生活に落胆するのではないかという危惧が綴られている。さらに必ずしも学生になる必要はなく、むしろ大学というフィルターのない遊歩者として、旅行者として直接フランスを経験する方が多くのものを学び、より大きな喜びを得るのではないかと助言までしてくれている。

最後のところは私も同感であるが、如何せん遊歩者としての滞在期間に限りがある。ある程度の滞在を望む場合には、このようにせざるを得なかった。このメールで彼は本名を名乗り、フランスを善き方向に導くためにある政党の候補として国政を目指していると告白している (ネットで調べてみると、今回はその望みを満たすには至らなかったようだ)。見ず知らずの者に対して、これだけ真摯に声をかけてくれる人がいるということに感動している。生きることが確かに旅で、今その道行きにあるという実感が湧いている。

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アメリカの恩師のこと MON MENTOR AUX ETATS UNIS

2007-07-04 00:23:51 | Weblog

20年以上前のニューヨークのことになるが、イギリス人のEAB先生の研究室で5年もの間スタッフとして時間をともにさせていただいた。振り返ってみると、現在の私のベースができたのも彼の研究室で感じ取ったものによるところが大きい。それを一言で言うと、外のことは気にせず (邪心を捨て)、そのもののためにだけ黙々と打ち込む、ということになる。この原則は仕事だけに限らず、この人生を生きるうえでの指針にもなるものであった。それ以来、はっきりと意識していたわけではないが、「生きることが仕事」 という私の内なる理想ができあがることになった。その意味で、私にとって貴重な5年間であった。

先日、同じ研究室で研究され、今もなおアメリカで研究を続けられているY先生に連絡をしたところ、先生がアルツハイマー病で入院中であることがわかった。23年生れなので今年で84歳になる。先日のカンデルさんのお話によれば、70歳代の人の30%はこの病気になるというので驚くにはあたらないのかもしれない。しかし、人生が味い深くなるであろうこれからの時期に意思の疎通ができなくなるのは、やはり寂しい。

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バス停で蟻 DES FOURMIS AU ARRET D'AUTOBUS

2007-07-03 00:19:52 | Weblog

週末の気だるいバス停。コンクリートが避けているところから木が伸びている。根元を見ると蟻が歩いている。そこに蟻がいることには気付いていたが、この日はバスが来なかったのでさらに注意して見ると、急にそこら一面に蟻が歩いているのが目に入ってきた。見なければ見えなかったのである。中には仲間と一緒にものを運んでいるのが見える。流石に働き者だな、と思った瞬間、右腕がムズムズ。見ると2匹の蟻が私の上を歩いている。どこから上がってきたのだろうか。

・・・そっとコンクリートの地面に落としてあげた。

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促す言葉 LES MOTS QUI NOUS POUSSENT

2007-07-02 00:59:53 | Weblog

昨日、これからの道を明らかにした。その中に、「このブログでの観察の助けも借りながら」 という一節がある。これはどうしても言っておきたかったことである。振り返ってみると、この意味は非常に大きいような気がしている。解答を求めて何かを探しているような、格闘しているようなこれまでの2年ほど。この間に読み、見たことは血となり肉となっているように感じる。しかもそれらは単なる知識としてではなく、私自身を促す力としてあったということに気付く。このブログの中に埋まっている素晴らしい無数の言葉が、見えない形で私を促していたように感じている。私は生まれて初めて、本の読み方、ものの見方が少しだけわかってきたように感じている。その結果蓄積されていたものが、ここぞという時にものを言い出したのだろうか。何の目的もなしに本を読み、ものを見ておくことの大切さが身に沁みる。

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