これまでの仕事を振り返ることが多くなってきた。自分がどのように考えてやってきたのか。私の場合は、やっている間はほとんど考えていなかったことが明らかになってきた。いつも終ってから自分がどういう人間であったのかがわかる、自分のやり方がどういうものだったのかがわかるのだ。
それで今回の少し早めの退職を機に、総括してみようという気になった。この言葉は好きではないが、ハイデッガーの言う意味において極めて重要なことのように思えたからだ。
「総括とは過去を再構成することではなく、過去と現在とを想像力によって組織化し、未来への身体的傾きを手に入れることである」
未来への身体的傾きを得るための活動の結果、これまでの私の精神活動の核にあったのは、「今のこれではなく、これからのあれ」 ということに尽きることが明らかになってきた。つまり、今やっているのはどこかへの準備のようなもので、本当の自分の骨頂はこれから現れるのだ、という心である。つまり、本物はこれから来ると考えているので、精神が常に遊んでいる状態であった。今ここにじっくりと腰をすえて考えを深めるということにはならなかった。
ある時期からこのことには気付いていたが、そのまま流れてしまっていた。この元にあるのは、ひょっとするとアメリカ時代の影響かもしれない。先が全く見えない不安定な状況においては、常に前に歩を進めなければならない。つまり、今は常に将来のためにあるのである。今に落ち着いている余裕など生れなかった。厳しく検証することもなく、その精神状況が日本に帰っても続いていたのではないだろうか。これは今ある問題を深く考えるという作業を蔑ろにすることにもつながったと思われる。
こういう観察は、未来に向けての身体的傾きを得るには極めて重要になる。そして、私のこれからに照らし合わせてみると、今までは、これでもない、これでもない、と進んできたが、ここに来て先に見えてきたものが、人生の意味を探り、人類の歩みを知るというとてつもなく大きな問題と言える。今の私にとって、「これからのあれ」 がなくなり、やっと 「今のこれ」 にとどまることのできる究極の対象と出会ったということなのだろうか。