ちょっと気になる世間のこと、自分のこと

気になるアレコレ。自己満備忘録。
勝つか、負けるか、やるだけやるさ。

どうにもならないの(*´д`*)

2013年06月23日 | 気になる言葉
どうにもならないの。
化粧でごまかせることと、
ごまかせないことがあるの。

ないものを
あるようには見せられるけど、
あるものを
ないようには見せられないの。

(黒笑小説、東野圭吾)



世のなか、
ごまかせることは、
けっこうある。

言葉なんか、
その一つの例で、

知っていないのに、
知っているように
見せることなんか出来る。

また、
知らない人々の前で、
長々としゃべって、

さも、意味のあることを
しゃべっているように
見せかけることさえも出来る。

日本語というのは、
ある意味、便利だ。

謝る気持ちがなくても、
それにふさわしい言葉を使えば、
それが謝意を示したことになる。

逆に、
謝る気持ちはあっても、
言葉を間違えば、
謝意がない、
と決めつけられかねない。

化粧でも、礼儀でも、
やり方を知っている、知らないでは、
人に与える印象が変わってしまう。

その印象を大事にするか、
あきらめるか。

その思い次第で、
見せるために、
本当の努力をするか、
ごまかすか、
違ってくるんでしょうね。


人間は、何かを感じたら、心が動いて体も動くもの。

2013年06月22日 | 気になる言葉
行動に出ることなく
感じているだけだと、
ますます行動できなくなり、
結局は感じることも
できなくなるものなのさ。

(悪魔の手紙、C.S.ルイス)



人間は、
何かを感じたら、
心が動いて体も動くもの。

そう決まっているように思う。

だから、
心が動いても、
体を動かせなかったり、
それが億劫になったりしてると、

心が感じることを
遠慮するというか、
拒否するようになるだろう。

それは、最初のうちは、
自分から意識して
そうなっているように見えるけど、

だんだんと無意識に
そうなっていくんですよ。

センサーのスイッチを
オフにしたような感じ。

もう、そうなったら、
人間はダメですね。

年をとっていったら、
センサーのスイッチの入り具合が
鈍くなるのはしょうがないけど、
そうなる前に使い物にならない、
ってのは、もったいない。

もちろん、
センサーが敏感すぎて、
心が忙しいっていう病も
あるでしょうけど、

そうでもない限り、
心で感じたことには、
体も動いていたいものです。


投資とは「将来」のためにお金を使うこと。

2013年06月21日 | 気になる言葉
消費とは
「今の感情」のためにお金を使うこと、
投資とは
「将来」のためにお金を使うこと。

(なぜゴッホは貧乏で、ピカソは金持ちだったのか?、山口揚平)




おカネも含めて、
世の中のものは、
たいてい
使えば減っていく。

しかし、
使い方によっては、
逆に増えていくものもある。

そういう使い方を
見つけられる人は、
ものの見方が、きっと
「投資」的な人。

そして、
不思議なことにというか、
自然なことにというか、

どんどん
増やしていける人と、
どんどん
減らしていく人が、
世の中にはできてきて、
二極化現象が起きる。

よく
「魚を与えるより、
 魚釣りの方法を教えなさい」
という言葉が言われるけれど、

人は、根本的に、
「タダ」で魚を
もらえることに慣れたら、

魚釣りなんか覚えるのは、
バカらしくてやってられない、
となってしまう。

だから、
消費することしか
思いつかない人が出てくるし、

一方では、
投資のアイデアが
いろいろ湧いてくる人もいる。


「自分への投資」に心を向けさせるのは、
やはり、かなり大変だ。


あらゆるメディアを嫌う必要はないだろう

2013年06月20日 | 気になる言葉
テレビは短い時間で
はっきりした結論を出すことを
非常に好むメディアです。

「こういう可能性がある、
 そうではない可能性もある」
といった曖昧な話よりも、
「これは危険です!」
「これなら安全です」
といった断定的な言い切り型、
単純明快型を好みます。
善か悪か、白か黒か
といった二元論で
スッパリと切り分けて
しまうのです。

(テレビに破壊される脳、和田秀樹)

テレビ、ラジオ、
新聞、インターネット、
いろんなメディアをあげて、

1日にどれくらいの時間、
それぞれと付き合っているかを、
振り返ってみれば、
自分の志向が見えてくる。

わたしは、
1.インターネット
2.ラジオ
3.テレビ
4.新聞
5.その他、かな。

東日本大震災以降、
わたしのなかで、
ラジオの順位はアップしたように思う。

ただ、あの地震が起きた瞬間には、
偶然にも、ラジオを聴いていた。

あらゆるメディアを
嫌う必要はないだろう。

どんな付き合い方がいいか、
自分なりに探してみるのがいいと思う。


この世での一番の宝探しは、人との出会いだと思った。

2013年06月19日 | ツイッター
この世での一番の宝探しは、
人との出会いだと思った。

(twitterより)



私はまだ(もう?ヽ(*´∀`)ノ)67年しか生きていないけれど、
その人生で見つけた宝と言えば、
やっぱり、モノじゃないように思う。

実際、そんなにモノを集めもしないし、
持ってもいないから、そうでしょうが…

じゃあ、本当に、
人が「宝」かと言えば、
探して見つけたというよりも、
今のところ、ちょうど目の前を
通り過ぎてくれた人を
つかまえたというのがほとんど。

もっと必死に探せば、
もっと見つけられるんでしょうか。
ちょっと、そこが疑問です…

それに、宝だとすれば、
たくさんの宝を見つけることがいいのか、
価値ある大きな宝を一つだけでも
見つけるのがいいのか、
人それぞれの考え方、哲学で
選択が分かれるところでしょう。

私は、後者かな。
私にしか見つけられない、
価値ある大きな宝を見つけたい。
もしかしたら、
見つけているかもしれないけれど…

今日も、宝探し、宝探し。
大きな宝の中には、
さらなる宝もあるでしょうからね。

そして、もしかしたら、
別れも、宝なのかも。


買い物の値段は たいそうむずかしい。

高いのか安いのか、 それとも妥当なのか。 買い物の値段は たいそうむずかしい。 それどころか 人生の永遠の課題でもある。 (野蛮な読書、平松洋子) お正月には、 ほとんどの売り場に、 「福袋」が並んでいます。 かなり以前には、 その中身は買ってからの楽しみ、 ということが多かったように思うが、 今は、最初から 分かっていることの方が多い。 福袋っていうより、 ふつうの買い物であり、 問題は、その値段で お得かそうじゃないか、 ってことになっている。 何を、いくらで買うか、 いくらだったから買わないのか、 っていうのは、生き様に通じる。 何かを買う、 っていうのは、 お金と交換するばかりでなく、 それに付き合う時間を作る、 っていうことも含めて 決めていることになりますからね。 逆に買わない、っていうのは、 今持っているものと付き合う時間の方を 大切にするってことだろうし。 お金が流通するようになってから、 買い物は、生きることと同じくらい、 大切なことになっちゃっている。 てきとうにやることもできないし、 逃げることも、 まかせっぱなしも、 できないことだろうなぁ~^^