作家 小林真一のブログ パパゲーノの華麗な生活

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【 兄弟ともに70歳の大台に乗った 】

2012-08-06 18:30:20 | 02 華麗な生活

昨日、淡路島に住み着いた弟が、夫婦でボクに会いに来てくれた。

日本の敗戦、その直前にソ連軍の満州侵入。
そんな時期に、ボク等幼かった兄弟は、母の急死に遇った。
父は応召し、ソ連との最前線部隊に居た。

36歳で亡くなった母は、六人もの子どもを産み、その四人を乳幼児の
間に病死で失った。気の毒としか言えない人生である。
残ったボク(敗戦時11歳)と弟(4歳)も共に病弱児であった。

ソ連空軍による、初めての新京空爆があった、8月9日の昼前に、中隊長の
厚意で新京の我が家に帰ってきた父は、母が身代わりに死んだことで、
部隊全滅の運命から、唯一人逃れることが出来た。

8月1日が母の命日である。隣近所の人々が、母の葬儀を行なって下さり、
火葬も出来た。これがソ連軍侵入後なら、そんなことは不可能であったろう。

中学ぐらいから健康を取戻した弟は、71歳に達し、完全な淡路人として
二人の子ども育て上げ、300坪の邸宅を構えるようになった。
亡き母も、喜んでくれているだろう。

今も人工透析に、週三日通うボクは、病弱から縁が切れたとは言い難いが、
未だに硬式テニスにも熱心な、精神面では健常者である。

母の急死まで、殆ど我が家に居たこともなく、入院暮らしで終始していた
弟だが、ボクとの二人旅で、北朝鮮に逃れるところを、途中駅の奉天で
高熱を発し、それを理由にボク等は奉天で列車を離れ、医者に連れて行ったの
だった。

当時4歳でしかなかった、弟は母のことも、二人だけの逃避行も、一切の記憶が
無いという。なまじ記憶が残っていたら、より不幸な事であったかもしれない。

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