野田の「北方領土の日」が気になって、それがどんな年で
あったかを調べてみた。先ず2月だが、7日にロシアとの
和親条約を結んだとは出てこない。
ただロシアの使節プチャーチンなら、前年の安政元年に
長崎やら大阪やらに盛んに来ている。
当時の天皇は孝明天皇で、将軍は家定(13代)。
年表を見ていて、面白いと思ったのが、この年すでに佐賀
鍋島藩から、鋳造した大砲八門を江戸に海送の途中で、
紀州沖で船が沈没したとある。
幕末に上野の山に立てこもった彰義隊などが、佐賀藩の
大砲で爆破されて抵抗も終るのだ。大砲の指図を行なった
のが大村益次郎。この仁は長州藩では村医者であった。
士分に取り立ててのは、伊予の伊達藩主だった。
幕末に何もしなかった加賀前田藩は、藩邸の庭に佐賀の
大砲を置くことに同意しただけで、一応官軍方とされた。
ちなみにその場所が今の東京大学になっている。
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