家康の父も祖父もともに家臣の刃で殺されている。
徳川十五代の将軍の中で、正妻の腹から生まれたのは
三代家光だけであり、他の将軍はすべて妾腹の子である。
家光自身も、秀忠を父とは思わず、祖父家康を父と呼んだ。
家光の養育に当った、春日の局が産んだ家康の子である
可能性も高い。
源氏の流れ、新田氏の亜流、得川氏が祖という家系図も、
近衛前久に依頼して作成してもらったモノで、その正当性は
相当に怪しい。いや、有り得ない偽物である。
徳川将軍家は七代家継で途絶え、以後は紀州家が乗っ取った。
つまり、徳川将軍家は、家康からの七代と、吉宗を祖とする
二家が存在するわけ。
家光・綱吉・吉宗は、すべて暗愚の男で、尊敬するには当らない。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます