大震災の時点から、顔を合わせるたびに挨拶に加えて
少し話す人がいる。
同じマンションの住人だから、エレベーターの中で会うことが
多いのだ。
カレには気の毒なことに、赤ちゃん時代に障害を負った
お子さんがいる。
その子がどんどん成長して、今ではお父さんの身体を
しのぐようになった。
ボクも障害者一級の認定を受けているから、障害者まして
お子さんが障害を持つ親御さんへの同情の気持ちは強い。
なるべく他の人と話したがらぬカレも、震災時から顔見知りに
なっているボクには心を許して語ってくれる。
お子さんは一人で立つこともできない。
小柄なお父さんは、その子をベビーカーの大型に乗せて、
運びだし養護学校のスクールバスまで運ぶのが朝の日課である。
スクールバスがマンションの前まで来てくれるから助かって
いますと言うが、成長し過ぎたから、自分もその子も共に
危ないと、嘆いておられた。
人間が五体満足で生まれてくること自体が、きわめて幸運に
恵まれたことだと痛感する。
何も悪いことをしていないのに、不幸な運命の下に障害を
持って生まれてくる子供。
それを思えば、新生児を産むこと、そのものが、すでに
大いなる賭けとなる。
少子の時代が進行するのも無理はない。
パパゲーノ
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