作家・浅田次郎のエッセイ集「勇気凛々ルリの色」を
読んでいたら、昭和46年の電話事情が明らかになった。
携帯電話など無くて当然だが、まだテレフォン・カード
もなく、百円玉が使用できる公衆電話も無かったとある。
1971年の日本の電話事情は、まだそんなものだった
のかと、改めて通信関係の発展の凄さを思い知る。
彼はその年、陸上自衛隊に入隊する。初任給が1万5千
1百円で、世間の5分の1か6分の1であったとある。
ということは、一般の初任給は7万5千円から9万円程
であったことになる。ボクの初任給は1万3千2百円で
1957年のことだった。池田所得倍増内閣があったが
14年間で7倍とは凄い。それに応じて諸物価も騰がっ
たことになるが。
同じ年の年末に、ボクは最初の海外勤務を終えて、本社
の課長に任じられた。はて給料が幾らだったのか覚えて
いない。ハンブルグでは3千マルク程度であった。日本
円に換算して27万円になる。当時の海外勤務者の待遇
は良かった。
浅田次郎のエッセイは週刊現代に連載されたもので、始
まったのが1994年だった。このエッセイによると、
「鉄道員」の初版が2万5千部で、それがエッセイ連載
中に90万部まで増刷されたとある。彼にとって、あの
連載エッセイは、無名作家から人気作家へのサクセス・
ストーリーを兼ねる結果となっている。
エッセイはその書き手によって、書かれた時代のことが
分る点が素晴らしい。自らは日記を残していないから、
小林信彦、倉本聡、井上ひさし等、ジェネレーションを
同じくする作家たちの作品で、過ぎ去った時代を思い出
すのである。浅田次郎ははるかに若い人であるが。
パパゲーノ
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