作家 小林真一のブログ パパゲーノの華麗な生活

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【 あの日あの時(7) 】

2010-01-21 14:37:18 | 02 華麗な生活


当日の早朝、まだ6時にはなっていないから、
当然のようにベッドの中で寝ていた。

そこへド~ンときて、ぐらっぐらっと大きく揺れだし、
全日空ホテルが使用しているのと同じベッドを
特注で購入したものの上で、身動きもならず、
ただ揺れが治まるのを待っていた。
幸い寝室には家具は置かぬ方針で、作り付けの
衣類入れだけ、その他は低く細長い机だけの
部屋だったから、何かに頭をやられるようなこと
はなかった。

ボクは深夜でも起きだして、ふと浮かんだアイデア
を書き留めたり、どうかすると計算までやるタイプ。
原則として1時ごろまでは本を読むから、寝室は
各自が個室というのが我が家のルール。

長尺の家具類は、すべてリビングに集中して
あった。そのリビングで、激しく家具が倒れ、
ガラス製品が割れる派手な音が響いていた。

初めは、このド~ンぐらっぐらっを、地震とは思わず
てっきり北朝鮮がノドンをぶっ放し、神戸製鋼を
狙ったのが的をはずして、このマンションを直撃
したものだと思っていた。
いつまでも揺れが治まらず、それでこれは巨大な
地震なんだと思い直したことだった。

リビングを隔てて、息子の部屋と妻の部屋が
並んでいる。ボクは大声で「大丈夫か」と声を発し、
返事が聞こえたことで安心して、まずは玄関の
ドアを開けに行った。
暗くてよくは見えなかったのだが、リビングを裸足
で歩くのはとても危険な状態だった。
自動演奏装置が入った重いピアノが、壁に
くっつけて置いてあったのに、それが部屋の
真ん中辺りまで移動していたから、壁沿いに歩き、
それで怪我をせずに玄関ドアの確認に行け
たのだった。
サンダルを引っ掛けて、北側に行き本土の状況
を見たのはその続きの行動だった。

ボクは後で気づいたのだが、その前にバスルー
ムの栓をあけて、バスを水で充たしていた。
これは直感的にやったことで、このとき溜めた水
が後になってトイレ用に大変役立った。
起きだしたときは停電だったのが、突然明かり
がついた。本能的に米をとぎ電気釜のスイッチ
を入れた。

飲み水は、たまたま酒屋が運んできたカートン
入りが二個もあった。これで籠城する態勢が外れ
たのだと納得しラジオに切り替えた。
最初に地元の局を選んだのが間違いで、須磨に
ある局は震災の中心部から離れていて、まるで
要領を得ないのんびりした放送だった。

そこで朝日放送に切り替え、その日は一日中
ラジオを聞きながら、地図帳を開いて、火災の
場所を赤く塗り潰していた。逃げる道を確保する
ためだった。



                パパゲーノ

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