解体が予定されている北海製罐第3倉庫。
北海道新聞「水曜討論」で大きく取り上げられていた。
堀川氏が著した「町並み保存運動の論理と帰結: 小樽運河問題の社会学的分析」という本を図書館で借りて読んだこともあって、この記事も興味深く読みました。
運河沿いに巨艦のようにそびえ立つ威容は、北運河地区のランドマークです。
残したいのはやまやまですが、これだけの古い大きな建物を維持管理していくのは、現実問題として容易な話ではありません。
非常に難しい問題です。
北海製缶小樽工場第3倉庫
小樽運河完成翌年の1924年(大正13年)に建てられた。
鉄筋コンクリート造り4階建て、延べ約7200平方メートル。
主に缶の保管に使われていた。
小樽市指定の歴史的建造物。
ーーーー
倉庫解体問題が問う 小樽観光の原点
出典:北海道新聞
小樽運河のシンボル的存在といえる北海製缶(東京)の小樽工場第3倉庫が解体の瀬戸際に立っている。新型コロナウイルス禍による同社の業績悪化や建物の老朽化が要因だが、運河や歴史的建造物を生かした街並みを観光の核としてきた小樽市は同社に猶予を申し入れ、結論は今秋まで先送りされている。かつて埋め立てか保存かを巡って揺れた運河論争を経て、道内有数の観光地となった小樽。運河沿いに巨艦のようにそびえ立つ同倉庫の解体問題を契機に、今後の小樽観光はどうあるべきか、地元経済人と専門家に聞いた。
小樽運河のシンボル的存在といえる北海製缶(東京)の小樽工場第3倉庫が解体の瀬戸際に立っている。新型コロナウイルス禍による同社の業績悪化や建物の老朽化が要因だが、運河や歴史的建造物を生かした街並みを観光の核としてきた小樽市は同社に猶予を申し入れ、結論は今秋まで先送りされている。かつて埋め立てか保存かを巡って揺れた運河論争を経て、道内有数の観光地となった小樽。運河沿いに巨艦のようにそびえ立つ同倉庫の解体問題を契機に、今後の小樽観光はどうあるべきか、地元経済人と専門家に聞いた。
■歴史的建物 魅力高める 小樽商工会議所会頭・山本秀明さん
小樽商工会議所は、1月に発足した北海製缶第3倉庫の保全・活用策を考える民間のミーティング組織の事務局を務めています。今年9月をメドに保全・活用プランを小樽市に提出する方針ですが、この過程で大事なことは「市民合意」だと思っています。
市民が第3倉庫を必要だという認識に立てるかどうか。保全した場合の維持費や補修費をどう捻出するのか。市民が納得できるプランを打ち立てる必要があります。
そもそも私は「解体の方向にはさせられない」との認識を持っています。1924年(大正13年)、小樽運河完成の翌年に建築された歴史性や、運河のランドマークとしての景観、小樽港との連動性を踏まえ、第3倉庫は小樽が今後も観光都市として生きていくために欠かせない建物だからです。
特に、市や会議所を中心に現在進めている小樽港第3号埠頭(ふとう)の再開発との連動性は重要です。港湾商業都市として発展した小樽ですが、物流をメインとした小樽港の優位性は崩れているのが実情です。農産品などを道外に送る港として考えた際、陸送コスト、時間において苫小牧港の方が有利と言えます。逆もしかりで、例えば日本海側から道内に輸送する際、積丹半島を回って小樽に入るより、津軽海峡から苫小牧に入る方が短時間で済みます。
そうなると、物流で小樽港を生かすだけでは厳しく、大型クルーズ船の誘致を含めた観光・商業型の港湾機能の充実が不可欠です。その前提に立つと、第3号埠頭と造成当時の景観を残す北運河までの回遊性を促せる第3倉庫は、立地的に中心となるのです。
今回、解体方針が明らかになる前、北海製缶は会議所などに相談してくれました。小樽発祥の企業として、第3倉庫の公共性を鑑みてくれたからだと思います。しかしこれは幸せなケース。第3倉庫以外にも、小樽には明治から昭和初期の古い街並みを形作る建築物が多くありますが、所有者が「生活に困って手放したい」「壊して転用したい」となった時、基本的に止めるすべはありません。行政が保全の規制を強くかけ過ぎると私権の制限につながる事態にも直面します。
私は、建物を残した方が価値が高いと判断されれば、所有者はあえて売却や解体をしないと考えます。中身はレストランでも工房でも、外観が保全された建物が集積するエリアの魅力は高まります。
もちろん行政による条例の縛りの強化は必要です。(観光地の)堺町通り商店街から北運河のエリアに限定し、色や高さ、形などの外観を保全する。これは昨年11月、会議所が小樽市に要望した施策に入っています。
いま一度「小樽観光とは何か」との原点に立ち返ることです。運河論争を経て、半分は埋め立てられましたが、歴史的な町並みや運河など小樽全体の景観が資産として残ったことで、全国的な知名度が高まったと言えます。だからこそ、年間800万人規模の観光客が来て、新たな投資を生む好循環につながる。歴史ある第3倉庫を生かす方向付けをすることが、小樽観光の発展につながるはずです。
■運河論争の意義考えて 法政大教授・堀川三郎さん
第3倉庫の存廃は、観光都市・小樽にとって極めて重要な問題です。私は小樽の運河論争を37年間研究してきました。
保存側(市民)と埋め立て推進側(行政、経済界)両方を昼夜問わず徹底的に取材しました。両者が運河論争でさんざんけんかした後、小樽は観光都市としてやっていくことが事実上決まったのです。
しかし歴史的景観は徐々に失われています。私は1997年から毎夏小樽を訪れ、運河沿いから堺町など約280棟の建物を定点観測しています。その結果、特にこの10年で運河に近い色内や堺町辺りの景観が変わったことが分かりました。
観光でうまくいくと駐車場が必要になる。そこで、歴史的な建物でも中途半端なものは壊して駐車場にする。あるいは、観光地となり地価が上がって固定資産税も上がると維持できないから、壊して新しいものを建てて人に貸す。こんな悪循環が起きているのです。
小樽らしい建築様式から離れた建物も見られます。小樽の倉庫群の屋根は同じ角度でそろい、軟石を使ってある種の統一感がありました。ところが一部のスイーツ店などがコンクリート打ちっ放しに(フラットな)陸屋根、すりガラスといった建物を造り始めたのです。
でも、これらについて市民の間で議論は起こってきませんでした。運河論争を経て、歴史的な景観を生かした観光都市を選択したのに「議論なき路線変更」が起きたのです。それで小樽の人はいいのでしょうか。
かつて運河保存派は、都市の変化には戦略や思想が必要で、「歴史的な街並みを元手に歴史と景観で生きていくのが、小樽の生き残る道だ」と主張しました。論争は決着せず、結局は分裂して運河は半分埋め立てられてしまったわけですが、最終的に小樽の経済界も「そっち(保存)の方が分がある」と保存賛成に回り、ふたを開けてみたら「観光爆発」が起こった。
だから「保存運動は正しかったし、先見の明があったよね」と市民レベルでも思っている。北海製缶が強硬に第3倉庫を壊すと言っていないのも、運河論争の歴史があるからでしょう。
(解体は)私企業がやることだから文句は言えません。でも建物は公共的なものです。必ず人が見る、目に入らざるをえない。そして、その公共空間が変わったら、影響は市民全体に及ぶのです。
運河保存運動が求めたのは、その変化を「市民にコントロールさせろ」ということでした。保存だから、昔のままさびれた小樽にしろということではない。「変わっているということは悟られないように、変えていく」こと。禅問答のようですが、なだらかに徐々に徐々に変えていくことが一番大事ではないか。そんな市民自治の要求だったのです。
第3倉庫のある北運河地区は(半分埋め立てを免れた)オリジナルの運河の景観を残す大事な場所です。市が運河公園を整備した結果、景観変化が抑えられてきた側面もあります。
解体か保存かには(企業の)私権と公共性をどう結びつけるか工夫が必要ですが、運河論争の歴史に立ち戻って考えるべきだと思います。