1月入ってからずっとパットしない。
ま、風邪引いてしまった影響でしょうが。
今はなんとか回復しました。
そんな中、今日は尼に行ってきました。
先週は咳き込む中、行って死にそうになったが、
今日は大丈夫。
大阪ハーフ前にガツンと刺激を入れたいところ。
そういう時はOJ君に付かせてもらおうと今日の
ペースを聞くと。
10kmを36分で通過するとのこと。
これや、これ。
このペースに付いていかないと。
10km36分ということは3:36/kmペース。
1周(1200m)は4:19。
スタートして付いていく。
1周目は4:15。
早いぞ。
そして2周目。
更にペースアップ。
付いていけましぇん。
ということでほぼここでThe End。
3周目以降は1人になったのでどんどん
ペースダウン。
なんか、今日はもうええかなと5周で辞めました。
大阪ハーフ前に気持ちよく終われませんでした。
一様、展開は以下。
4:15-4:18-4:27-4:34-4:34
6kmを22:07(3:41/km)で終了。
それにしても、ここ3年ほどほとんど走力上がってないな。
いや、ダウンしているかも。
でも、いつか記録の確変がくること信じて頑張ります。
思い起こせばこんな私にも確変が起こった時期があった。
4回ほどあったので振り返ってみる。
①一番最近の確変は一昨年の2009年春。
5000mの記録が伸びた時期があった。
3ヶ月の間に20秒ぐらいベスト更新出来た。
17分06秒までいった。
でもこの時に17分カットできなかったのが痛かった。
②その次の確変は2006年の秋から2008年春まで。
これは2006年秋から本格的に練習始めたから。
この時期は練習が即、記録に現れてくるので
楽しかった。
フルで30分ぐらい。(3時間30分→3時間3分)
ハーフで10分ぐらい。(1時間28分→1時間18分)
10kmで4分ぐらい。(39分台→35分台。)
③結構、前になるが、2001年秋。
まだ、私が20代のころ。
この当時、私は長野県に居た。
秋の10km,5kmの大会に出るため1人で2ヶ月ほど練習。
めきめき早くなるのを感じた。
(と、言ってもこの頃の練習はせいぜい1日10km程度ですが。)
この時の大会の記録は5km 17分33秒。
高校生に果敢についていき大撃沈しながらのタイム。
16分前半でゴールした高校生に3kmまで付いていったから
3km通過で10分切ってたかも。
でも、この時はこれでやめ。
秋が終わると長野は冬。
周りに走る人もいないし、続かなかった。
でも、今から思えば、この時、いい環境があれば
当時の私なら5km16分30秒切れたのでは?
と、妄想してます。
④更に昔になります。
20年ぐらい前。
当時は私は高校生。
某高校の陸上部に入部した私。
中距離を志す。
しかし、始めの一年は全然伸びず。
毎日のきつい練習。
当然、先輩は早いし、同級生も早いのばっかりで
付いていけなかった。
そんな私が目が出たのは2年を迎える春。
実はきつい練習で肉体が悲鳴を上げていて極度の
貧血に陥っていた。
それで、1年の時は全然伸びなかった。
貧血が治ってから急開花。
1500mを5分切れなかった私が、3ヶ月ぐらいの間で
40秒ぐらい早くなり4分20秒台突入。
4分20秒カットは余裕。10秒台もいや4分カットも
いけるのではと思った時期。
(4分カットは流石に妄想。)
この時は毎日の練習はきついけど、それでも
楽しかった記憶がある。
しかし、好事魔多し。
急激に早くなったためそれに耐える筋肉が付いていかなかった。
疲労骨折発症で1ヶ月走れず。
勢いを失った私はその後は結局1500m4分20秒切れずで終わったのでした。
*当時の私の高校インターハイに出るようなのは
いなかったが、駅伝では大阪でトップ10入りしてた。
公立高校では私の居た間は常にトップ3に入って
いた記憶がある。
でも、聞くところによると、今はもっと早いらしい。
駅伝で大阪6位以内に入る年もあると聞く。
なんでも5000m15分台を4人揃えているとかいう話も。
やっぱ、高校生も高速化?
と、まあ、いい時だけを久しぶりに振り返りなんだか気分が盛り上がってきた(笑)
いつの日か5回目の確変が来るのを信じて頑張ろうと思います。
最近の練習
1/21
ノーラン
1/22
朝12km
夜8km
1/23
泉州国際試走会に参加。
前半の浜寺公園の往復を除いた33km走る。
橋もちゃんと走りました。
今日は33kmだから走れたけど、本番は撃沈の予感が。
1/24
12km
1/25
4km
1/26
尼。
アップダウン合わせて8kmだけ。
1月の走行距離は284kmと低調。
ま、ほとんど風邪ひいてたからしゃーないか。
ま、風邪引いてしまった影響でしょうが。
今はなんとか回復しました。
そんな中、今日は尼に行ってきました。
先週は咳き込む中、行って死にそうになったが、
今日は大丈夫。
大阪ハーフ前にガツンと刺激を入れたいところ。
そういう時はOJ君に付かせてもらおうと今日の
ペースを聞くと。
10kmを36分で通過するとのこと。
これや、これ。
このペースに付いていかないと。
10km36分ということは3:36/kmペース。
1周(1200m)は4:19。
スタートして付いていく。
1周目は4:15。
早いぞ。
そして2周目。
更にペースアップ。
付いていけましぇん。
ということでほぼここでThe End。
3周目以降は1人になったのでどんどん
ペースダウン。
なんか、今日はもうええかなと5周で辞めました。
大阪ハーフ前に気持ちよく終われませんでした。
一様、展開は以下。
4:15-4:18-4:27-4:34-4:34
6kmを22:07(3:41/km)で終了。
それにしても、ここ3年ほどほとんど走力上がってないな。
いや、ダウンしているかも。
でも、いつか記録の確変がくること信じて頑張ります。
思い起こせばこんな私にも確変が起こった時期があった。
4回ほどあったので振り返ってみる。
①一番最近の確変は一昨年の2009年春。
5000mの記録が伸びた時期があった。
3ヶ月の間に20秒ぐらいベスト更新出来た。
17分06秒までいった。
でもこの時に17分カットできなかったのが痛かった。
②その次の確変は2006年の秋から2008年春まで。
これは2006年秋から本格的に練習始めたから。
この時期は練習が即、記録に現れてくるので
楽しかった。
フルで30分ぐらい。(3時間30分→3時間3分)
ハーフで10分ぐらい。(1時間28分→1時間18分)
10kmで4分ぐらい。(39分台→35分台。)
③結構、前になるが、2001年秋。
まだ、私が20代のころ。
この当時、私は長野県に居た。
秋の10km,5kmの大会に出るため1人で2ヶ月ほど練習。
めきめき早くなるのを感じた。
(と、言ってもこの頃の練習はせいぜい1日10km程度ですが。)
この時の大会の記録は5km 17分33秒。
高校生に果敢についていき大撃沈しながらのタイム。
16分前半でゴールした高校生に3kmまで付いていったから
3km通過で10分切ってたかも。
でも、この時はこれでやめ。
秋が終わると長野は冬。
周りに走る人もいないし、続かなかった。
でも、今から思えば、この時、いい環境があれば
当時の私なら5km16分30秒切れたのでは?
と、妄想してます。
④更に昔になります。
20年ぐらい前。
当時は私は高校生。
某高校の陸上部に入部した私。
中距離を志す。
しかし、始めの一年は全然伸びず。
毎日のきつい練習。
当然、先輩は早いし、同級生も早いのばっかりで
付いていけなかった。
そんな私が目が出たのは2年を迎える春。
実はきつい練習で肉体が悲鳴を上げていて極度の
貧血に陥っていた。
それで、1年の時は全然伸びなかった。
貧血が治ってから急開花。
1500mを5分切れなかった私が、3ヶ月ぐらいの間で
40秒ぐらい早くなり4分20秒台突入。
4分20秒カットは余裕。10秒台もいや4分カットも
いけるのではと思った時期。
(4分カットは流石に妄想。)
この時は毎日の練習はきついけど、それでも
楽しかった記憶がある。
しかし、好事魔多し。
急激に早くなったためそれに耐える筋肉が付いていかなかった。
疲労骨折発症で1ヶ月走れず。
勢いを失った私はその後は結局1500m4分20秒切れずで終わったのでした。
*当時の私の高校インターハイに出るようなのは
いなかったが、駅伝では大阪でトップ10入りしてた。
公立高校では私の居た間は常にトップ3に入って
いた記憶がある。
でも、聞くところによると、今はもっと早いらしい。
駅伝で大阪6位以内に入る年もあると聞く。
なんでも5000m15分台を4人揃えているとかいう話も。
やっぱ、高校生も高速化?
と、まあ、いい時だけを久しぶりに振り返りなんだか気分が盛り上がってきた(笑)
いつの日か5回目の確変が来るのを信じて頑張ろうと思います。
最近の練習
1/21
ノーラン
1/22
朝12km
夜8km
1/23
泉州国際試走会に参加。
前半の浜寺公園の往復を除いた33km走る。
橋もちゃんと走りました。
今日は33kmだから走れたけど、本番は撃沈の予感が。
1/24
12km
1/25
4km
1/26
尼。
アップダウン合わせて8kmだけ。
1月の走行距離は284kmと低調。
ま、ほとんど風邪ひいてたからしゃーないか。