「聖夜」 佐藤多佳子著 文藝春秋社
キリスト教系の高校のオルガン部に所属する少年の成長の物語。父は牧師。子どもの頃から、賛美歌の伴奏のために家にあったオルガンに慣れ親しんできた。オルガン部は、高校の礼拝で演奏を担当する。少年にとって、音楽は、信仰と共に存在するものだ。
しかし、彼にとって、音楽は「罪」の象徴でもあった。ピアニストだった少年の母親は留学中にドイツで父親と巡り会い、バッハ好きで意気投合し、結婚した。しかし、少年が10歳の時に、今度は、著名なオルガン奏者と恋に落ち、家族を捨ててドイツへと旅だってしまった。その喪失感が、彼を、ちょっとひねくれ者の高校生にしてしまったのだろう。
宗教や音楽は人の人生に何をもたらしてくれるのか―少年の思考を通して、私自身も考えさせられる。そして、人間の罪と人間の幸福はコインの裏表のようなものだと思う。罪を犯した彼の母親は、そうすることでしか幸せになれなかったのだろうけれども。その代償としてあまりにも多くのものを失ってしまった。かたや、少年は、母が犯した罪を受け入れ、消化することでしか、次の一歩を踏み出すことができない。
牧師の家庭、キリスト教系の高校、賛美歌にバッハ。登場するアイテムは宗教色が強いが、でも、結局のところ罪にいかに向き合い、罪をいかに受け入れるか―というのは人間が生きて行く上で普遍的なテーマであり、この物語が伝えたかったものもキリスト教的なことではなく、普遍的なことなのではないかと思う。
3月11日の巨大地震発生以来、あまりにも想像を絶するような映像を何度も何度も目にし、未だに着地点がまるで見えない福島原発事故の報道に、どんどん、心が弱っていっているのを感じていました。そんな時、無性に聞きたくなるのはバッハでした。高校3年生までピアノを習っていて、バッハを好きだと思ったことなど無かったのですが…。テレビを消して、目をつぶって、ボリュームをしぼってバッハを聴いていると、不思議と、ざわついていた気持ちが落ち着いていくのです。バッハの音色もまた普遍的なものを人の心に響かせるのだと思います。
キリスト教系の高校のオルガン部に所属する少年の成長の物語。父は牧師。子どもの頃から、賛美歌の伴奏のために家にあったオルガンに慣れ親しんできた。オルガン部は、高校の礼拝で演奏を担当する。少年にとって、音楽は、信仰と共に存在するものだ。
しかし、彼にとって、音楽は「罪」の象徴でもあった。ピアニストだった少年の母親は留学中にドイツで父親と巡り会い、バッハ好きで意気投合し、結婚した。しかし、少年が10歳の時に、今度は、著名なオルガン奏者と恋に落ち、家族を捨ててドイツへと旅だってしまった。その喪失感が、彼を、ちょっとひねくれ者の高校生にしてしまったのだろう。
宗教や音楽は人の人生に何をもたらしてくれるのか―少年の思考を通して、私自身も考えさせられる。そして、人間の罪と人間の幸福はコインの裏表のようなものだと思う。罪を犯した彼の母親は、そうすることでしか幸せになれなかったのだろうけれども。その代償としてあまりにも多くのものを失ってしまった。かたや、少年は、母が犯した罪を受け入れ、消化することでしか、次の一歩を踏み出すことができない。
牧師の家庭、キリスト教系の高校、賛美歌にバッハ。登場するアイテムは宗教色が強いが、でも、結局のところ罪にいかに向き合い、罪をいかに受け入れるか―というのは人間が生きて行く上で普遍的なテーマであり、この物語が伝えたかったものもキリスト教的なことではなく、普遍的なことなのではないかと思う。
3月11日の巨大地震発生以来、あまりにも想像を絶するような映像を何度も何度も目にし、未だに着地点がまるで見えない福島原発事故の報道に、どんどん、心が弱っていっているのを感じていました。そんな時、無性に聞きたくなるのはバッハでした。高校3年生までピアノを習っていて、バッハを好きだと思ったことなど無かったのですが…。テレビを消して、目をつぶって、ボリュームをしぼってバッハを聴いていると、不思議と、ざわついていた気持ちが落ち着いていくのです。バッハの音色もまた普遍的なものを人の心に響かせるのだと思います。