おりおん日記

電車に揺られて、会社への往き帰りの読書日記 & ミーハー文楽鑑賞記

「牛を屠る」 佐川光晴

2011年11月18日 | さ行の作家

「牛を屠る」 佐川光晴著 解放出版  

 

 著者はこれまでに5回芥川賞候補となった実力派の純文学作家。作家になる前、十年半に渡って場で働いていた経験を綴ったノンフィクション。ノンフィクションといっても、小説的で読みやすい。(という言葉は、著者本人がこだわりを持って使っている)

 

 北大の法学部を卒業し、出版社に就職するも、社長とケンカして一年で失職。職安に通っているうちに希望職種を思いつきで「場」を変えたら、たまたま、自宅から通勤圏に場があった。それまで、近くにそういう施設があることを知りもしなかったそうだ。何か確固たる思想信条や、腹を括るような決意があったわけではなく、なんとなく流れで場に職を得る。

 

 突然、現業の職場に大卒の若造がやってきたことで起こるたハレーションや、どこの会社にも必ずいる仕事もできないのに意地悪なオヤジ、それでもマジメに仕事をしていれば、公正に評価してくれる人もあり―といった人間模様はある意味、普遍的。マジメで誠実な佐川青年に「昭和」の匂いを感じつつ、好意的な気持ちで読んだ。

 

 でも、なんといっても惹き付けられるのはのシーンだ。どんなふうに、豚や牛に刃物を入れ、皮をはぎ、解体していくのか。体力だけでなく、技術と熟練が問われる職人の世界でありながら、血・生命への畏怖と恐怖と切り離してみることも難しい。情緒的に書かれていたら滅入ってしまったかもしれないが、当事者でいながら、どこか、客観的というか、上から俯瞰しているような冷静さに救われる。

 

 キレイにスライスされ、白いトレーに美しく並べられ、パックされた肉を見慣れていると、ついつい忘れてしまいがちだが、改めて、私たちは「生命をいただいている」のだ。そして、そこに至るまでには、畜産やをはじめとする多くの人の手がかかっていることを考えさせられた。私が子どもの頃に比べると、日本の食環境は格段と豊かになり、でも、その豊かさに感謝するというよりも、当たり前のように思ってしまっているのは、私たちのテーブルに届くまでのプロセスを意識することがないからかもしれない。

 

 ところで、「とさつ」を変換しても「」という漢字は出てこなかった。改めて、「そうか、(世の中的には)使ってはいけない言葉なのか」と気付かされた。私が子どもの頃は使っはいけない言葉には分類されていなかったと思うけど…。 どちらがいいのかは正直わからない。