郎女迷々日録 幕末東西

薩摩、長州、幕府、新撰組などなど。仏英を主に幕末の欧州にも話は及びます。たまには観劇、映画、読書、旅行の感想も。

土佐、近藤長次郎紀行 前編

2013年04月25日 | 近藤長次郎
 私、高知には幾度も……、おそらくは30回くらい、旅行しております。
 隣の県ですし、仕事の取材も10回くらいはあり、妹が住んでいたこともありまして、引っ越しの手伝いをしに行っただけ、ということもありましたが、一番近い旅行は、一昨年、友人とバスツアーで行った絵金祭り、です。

 大昔には、青山文庫に史料のコピーにかよったり、高知で行われました龍馬祭りのはしりにも、行ったことがありました。大河ドラマと土佐勤王党に載せています写真は、そのときのものでして、横に組まれました櫓から撮ったものです。

 

 あー、トントのよさこい節、思い出しましたっ!

 わしが稚児(とんと)に 触れなば触れよ
 腰の朱鞘が鞘走る~♪
 よさこい、よさこい~♪
 

 志士たちへ花束に書いておりますが、このとき望月亀弥太の墓探しにつきあい、喫茶さいたにやで聞いた話では、「龍馬におまかせ」というドラマで、岡田以蔵を反町がやりましてから、以蔵さんのお墓がきれいになり、お花が絶えない、というお話でした。

 しかし、近藤長次郎に関しては、これまでの旅行で、まったく関心を払っていなかったですし、千頭さまご夫妻がご案内くださるとのことでしたので、中村さまをお誘いし、今年の3月8日から10日まで、2泊3日の長次郎紀行を計画しました。
 行った場所のおおよそを、以下のマップにマークしてみました。
 土佐:近藤長次郎紀行 Map

 中村さまは、7日(木曜日)に松山へ来てくださって、一泊。8日午前中の高速バスに乗り、昼頃、はりまや橋バスターミナルに到着しました。
 宿泊は2泊とも、セブンデイズホテルプラスです。

 私、出かけるためにあれこれと雑用があり、睡眠不足でぼおーっとしておりまして、ホテルに落ち着いて初めて気がついたのですが、なんということでしょうっ!!! 右と左と、履いている靴がちがうんですっ!!!
 気がついてみましたら、なんだか歩きづらく、中村さまにおつきあい願いまして、まずは高知大丸でアシックスの靴を買い、履き替えました。
 この日は、二人で観光です。



 この河田小龍生誕地・墨雲洞跡の碑ははりまや橋バスターミナルのすぐそばで、ホテルに近かったものですから、靴を履き替える前に訪れています。
 その後、町中の吉田東洋暗殺の地の碑だとか、四国銀行帯屋町支店にあります武市瑞山先生殉節之地の碑を訪れ、高知城へ。
 疲れでめまいが起こりまして、お城見物はすでに数回しております私。途中のベンチで休憩して、中村さまを待ちました。
 そのうち夕方になり、タクシーで自由民権記念館へ。出版物をあさって、この日はおしまい。

 爆睡しました翌9日朝、千頭さまご夫妻が、ホテルまで車で迎えに来てくださいました。
 まずは、近藤長次郎とライアンの娘 vol5に書きました護国神社の南海忠烈碑(明治18年建立)へ。





 この碑ができましたときには、海がすぐそばだったそうですが、今は埋め立てられ、昔日の面影はありません。

 龍馬像が太平洋をにらみます桂浜へ行き、しばらく散策。
 龍馬記念館は、私も中村さまもすでに行ったことがありましたので、外から見ましただけです。
 六体地蔵と一領具足供養の碑に案内していただきました。




 車は一路、青山のじじいの故郷、佐川へ。
 私、青山文庫の史料をコピーさせてもらいに、通った過去がありますが、当時は、展示室がありませんでした。
 展示室ができてはじめてなんですが、当日のメインの展示テーマは幕末ではないと、あらかじめお聞きしておりました。
 佐川へ向かう途中、国道沿いに北添佶摩顕彰碑があり、カメラにはおさめたのですが、地図上でどこだったのか、マークできませんでした。

 

 昼食は、佐川町大正軒で天然うなぎをごちそうになりました。
 天然うなぎの香ばしさは格別でして、忘れがたい味です。



 食事の後、なつかしい青山文庫へ。
 お電話で親切にお答えくださった学芸員の方にご挨拶。
 
 佐川は、植物学者・牧野富太郎の生誕地でもあり、また清酒司牡丹の蔵本の地でもありまして、白壁の美しい町並みが続きます。
 ぜひ、桜が咲いている時期に再訪したいなあ、と思いつつ、再び車は高知市内へ。
 次回に続きます。

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コメント (7)
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