郎女迷々日録 幕末東西

薩摩、長州、幕府、新撰組などなど。仏英を主に幕末の欧州にも話は及びます。たまには観劇、映画、読書、旅行の感想も。

土佐、近藤長次郎紀行 後編

2013年04月26日 | 近藤長次郎
 
 土佐、近藤長次郎紀行 前編の続きです。

 土佐:近藤長次郎紀行 Map

 高知市内にて、いよいよ龍馬と長次郎の生まれ育った町です。
 


 桐野利秋(中村半次郎)と海援隊◆近藤長次郎 vol1に書いておりますが、安政の南海大地震の後、河田小龍は、近藤長次郎の家の近くに引っ越してきまして、これを機会に長次郎は、小龍に師事することになりました。



 近藤長次郎生誕地跡碑から、道路を隔てて筋向かいに、小龍の家の近くにあった水天宮が残っています。



 龍馬が通った日根野道場跡付近には、築屋敷の石垣がわずかながら残り、昔の面影をしのばせてくれます。



 龍馬の生まれた町記念館にあります、龍馬と長次郎の像です。
 二人と並んで、記念撮影をする趣向。
 長次郎の家で使っていたもろぶたが展示されるなど、千頭さまがかかわっておられるため、近藤長次郎の面影がしのべる記念館です。



 9日はこれで終わり、私、元気をとりもどしまして、夜は中村さまと長話。
 翌10日、方向としましては、龍馬空港に近いあたりに、新宮馬之助の生家跡と描いた絵馬があるということで、中村さまを空港へ送りがてら、なんとかして見に行こうと企てておりました。
 結局、私の無茶な計画を聞かれました千頭さまご夫妻が、この日もつきあってくださることとなったんです。

 車ですからついでにと、まず案内してくださいましたのが、ホテルからほど近い武市瑞山道場跡と、次いで郊外の瑞山神社。田園の中で、だれもいなかったのですが、ここも龍馬伝放映中は、ものすごい人だったそうです。

 長次郎とともに河田小龍の弟子だった新宮馬之助は、社中の中でただ一人、長次郎亡き後の遺児のめんどうまでみた、といわれる人です。
 若かりし日に彼が描き、神社に奉納した絵馬をどうしても見たかったのですが、その神社が、なかなか見つかりませんでした。

 

 生家跡にほど近い熊野神社は無人で、小さな社は施錠されています。
 どうすればいいのか、とまどったのですが、千頭さまが、隙間から絵馬が見えることを発見されました。



 この後、絵金蔵のあります赤岡でおろしていただきまして、千頭さまご夫妻とはお別れ。
 絵金は幕末の土佐の絵師です。河田小龍とも交流がありましたし、絵が好きでした新宮馬之助は、絵金の芝居絵を見て育ったにちがいありません。



 
絵金
クリエーター情報なし
パルコ


 静かな赤岡の町でお昼を食べました後、絵金の絵を展示しております絵金蔵を見物して、空港へ。
 ここで中村さまとお別れし、私はバスで市内へ帰って、高速バスに乗り換え、一路松山へ。

 みなさまのおかげで、楽しい旅をさせていただきました。

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