郎女迷々日録 幕末東西

薩摩、長州、幕府、新撰組などなど。仏英を主に幕末の欧州にも話は及びます。たまには観劇、映画、読書、旅行の感想も。

『ナルニア国物語』と『十二国記』

2006年03月02日 | 読書感想
昨日、ナルニア国物語 第1章:ライオンと魔女 で、『ナルニア国ものがたり』は異世界もの、と書いたのですが、最近の日本のファンタジーで異世界ものの代表をあげるならば、小野不由美さんの『十二国記』シリーズではないでしょうか。

実は、映画の『ナルニア国物語』なんですが、原作2巻目『カスピアン王子のつのぶえ』の映画化が決まり、2007年公開予定だそうで、ざっと読み返してみたんです。
今回の『ライオンと魔女』より、あるいは映像向きかな、という気がしないんでもないんですが、うーん。
あらためて、願わくは、戦いではなくファンタジー的な部分を、もっと丁寧に描いて欲しいなと、感じました。

それはさておき、読みながら、『十二国記』シリーズの『月の影 影の海』を思い出しました。
似ているといっても、お話の骨格といいますか、基本的な構造が、なんですが、さすがにナルニアは古典だなあと、感心したような次第です。


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ナルニア国物語 第1章:ライオンと魔女

2006年03月01日 | 映画感想
先週の土曜日、先行ロードショーで見てきました。
一言で感想を述べるならば、イギリスの田舎へ旅に出たはずなのに、そこはディズニーランドだった、という感じ、です。あるいは、イギリスの素朴な田舎料理を食べに出かけたら、ファーストフードが出てきた、とでも。

いえね、ディズニーランドにはディズニーランドの楽しさがありますし、ファーストフードにもそれなりのおいしさがあります。だから、まったくだめだ、というわけではないのですが、大昔に原作を読んでいて、わくわく期待した身にとっては、はずれ、でした。
『ロード・オブ・ザ・リング 』の原作となった『指輪物語』にくらべて、『ナルニア国ものがたり』は、正統派ファンタジーであるだけに、映画にするのはより難しいのでは、とは思っていました。
『指輪物語』は大人向けで、スペクタクルの規模も大きく、物語世界に観客を引き込む仕掛けが、映像に向いているともいえます。
一方の『ナルニア国物語』は、いわゆる異世界ものなので、ごく普通のこちら側の世界と異世界と、双方を自然に描く必要があり、しかも今回映画化された第一巻『ライオンと魔女』の設定では、こちら側の世界が第1次世界大戦中、つまり百年近く昔です。百年近く昔の子供たちに観客を感情移入させた上で、今度はその子供たちが迷い込む異世界を、無理なく受け入れさせなければいけないわけでして、そうなってきますと、ディテールが非常に大切になってくるんですね。

ちなみに、『指輪物語』と『ナルニア国物語』の原作者はともにイギリスの大学教授で、お友達。書かれた時期もともに50年ほど前で、重なっています。

まず冒頭、原作の舞台である第一次世界大戦中のイギリスを、映画では第二次世界大戦中に変更していて、これに違和感がありました。
『指輪物語』ほどではないのですが、『ナルニア国物語』にも、反近代的な気分とでもいうのでしょうか、近代消費社会への嫌悪、つまり皮肉なんですが、ファーストフードやディズニーランド的な世界を拒否する姿勢、があります。
指輪にくらべてナルニアは、あまりにもキリスト教的、それもプロテスタント的ですので、くっきりと浮かび上がってはこないのですが、滅びゆく伝統社会への哀惜は、やはり、そこはかとなく漂っているのですね。

その気分を描くには、第一次世界大戦中でなければいけないのです。大正から昭和へ、第1次大戦後の30年は、大きいのです。『春の雪』が大正でなければ成り立たないように、です。
それが影響しているのでしょうけれども、こちら側の世界で異世界への通路となった田舎のお屋敷、これが映画では、ただの田舎屋敷なのも、いただけません。原作では、長い歴史が積み重ねられた館のように描かれていますし、であれば、中世の修道院や城から増改築を重ねたマナーハウスでしょう。
ナルニア国を内部に隠した衣装ダンスは、雑然と堆積した過去の遺物の中にあってこそ、存在感を持ちます。つまり、こちらの側にも数奇な歴史があることを感じさせなければ、不思議が起こりえる臨場感は、かもし出せません。

子供たちをはじめ、フォーンのタムナスさんや白い魔女(どこかで見たと思ったら『オルランド』)など、役者さんの演技は悪くはありませんでしたし、異世界の描き方には、よくできている部分も多いのです。たとえば、衣装ダンスからナルニアへ、というその瞬間の場面は、さすがに秀逸でした。
にもかかわらず、全体に臨場感がないのはなぜなのか、と思うのですが、やはり、ディテールが丁寧に描かれてはいないんですね。
原作を読んでいて、異世界をリアルに感じるのは、ほっかりと湯気があがっているような料理の描写だったりするのですが、そんな皮膚感覚が、映像ではいまひとつ伝わってきませんし、作りものめいた感じが、どうにもぬぐえません。

例えばケンタウロスなんですが、上半身の人間の部分は風格が備わっているにもかかわらず、やはり下半身がとってつけたように感じられたりします。
ケンタウロスといえば、パゾリーニの『王女メディア』に出てきまして、古い映画ですし、それほど資金に恵まれていたとも思えないのですが、人間の上半身のゆれが馬の下半身の筋肉にほんとうにつながっているような、そんな生々しい感じを受けた記憶があります。ケンタウロスの動きが少なかったので、できたことだったのかもしれませんが、ああいったリアルな感じがなぜ出せてないのか、不思議です。

またパンフレットによれば、「スペクタクルを見せる映画ではない」というようなことを、監督さんは言っているのですが、しかしやはり、たとえば調理や食事の場面など、原作が丁寧に描いている細部は省いて、原作では数行でしかない戦場スペクタクルには、力を入れています。
たしかに『ロード・オブ・ザ・リング』は、スペクタクルの方に重点を置いて映画化に成功しましたが、そもそも『ナルニア国物語』はそういうお話ではありません。
それでも力を入れるのならば、戦闘場面にもそれなりの臨場感を出すべきであって、中途半端に「血は流さない」というようなきれいごとばかりにしてしまったのは、失敗でしょう。決闘の場面など、相手は人間ではなく、狼なんですから、もう少しスリルや迫力を出す描き方をしても、残酷で子供に見せられないということには、ならないと思うのですが。

とはいいつつ、続編が製作されるのならば、全編見てしまうと思います。DVDは買いませんが。
なお原作の『ナルニア国ものがたり』は全7巻ですが、全体として一つにまとまりながら、それぞれ一冊の読み切りとしてでも読めてしまう形式です。
原作を読んでいなければ感想も変わったか、といわれると、あるいは、そうであるかもしれません。しかしおそらく、そもそも原作を読んでいなければ、この映画は見なかったでしょう。

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