郎女迷々日録 幕末東西

薩摩、長州、幕府、新撰組などなど。仏英を主に幕末の欧州にも話は及びます。たまには観劇、映画、読書、旅行の感想も。

宝塚キキ沼に落ちて vol4

2020年10月24日 | 宝塚
 
 花乃まりあさんは、明日海さんのお相手、トップ娘役さんになって、ほぼ2年で退団なさいました。
 予定通りではなかった、と言われているようです。
 ラブコメミュージカルは、よく似合っておられましたが、確かに、明日海さんとの並びがお似合いか、といわれると、この退団公演の「金色の砂漠」まで、しっくりきてはなかったような気がします。
 しかし、です。「人でない」オーラを放つ超絶美貌の男役さんに、よく似合う娘役さんなんて、果たしていたんでしょうか。
 
 
 「金色の砂漠」の脚本・演出は、上田久美子氏。宝塚専属の新進オリジナル作者です。
 デビューは、2013年月組バウホール公演『月雲の皇子 -衣通姫伝説より-』。バウホールといいますのは、宝塚大劇場付属の小劇場で、主には若手中心の公演を行っています。このときの主演は珠城りょうさん(現在の月組トップ)で、入団七年目、バウ公演初主演でした。
 これが大評判を呼び、めったにないことですが、東京の外部劇場で再演されました。
 題材の衣通姫伝説とは、古事記、日本書紀に載っています物語です。下のリンクは、別のサイトにまとめたものですが、道後温泉にかかわるともとれる伝説ですし、私にとっては、高校生の頃から慣れ親しんだ、悲劇でした。三島由紀夫が短編小説の題材にしてもいます。
 
 天翔る恋の歌
 
 木梨軽皇子(きなしのかるのみこ)と衣通姫(そとおりひめ)については、古事記と日本書紀を幾度も読み返し、私なりのイメージができあがってしまっていまして、見る気がしなかったのですが 結局、なぜそこまでの評判を呼んだのか、自分の目で確かめてみたくなって、つい先日、DVDを買いました。
 「従来の宝塚では考えられないほど、主人公がボロボロになって死んでいくお話」と聞いていたんですが、私に宝塚の常識がないせいか、そうは思いませんでした。
 文句を言えば、きりがありません。
 
 「天翔る恋の歌」に書いておりますが、古事記では、軽皇子は同母妹・衣通姫との禁断の恋ゆえに、弟の穴穂皇子との皇位継承争いに敗れて、伊予の湯に流されます。衣通姫は皇子を追って伊予まで行き、心中して果てます。
 一方、日本書紀では、軽皇子が同母妹・軽大郎皇女と通じたがために、天変地異が起こり、軽皇子は世継ぎであったので罪を問われず、軽大郎一人が伊予に流刑となります。十年余りのち、父帝が崩御し、軽皇子は大臣に裏切られて、弟・穴穂皇子との争いに敗れ、大臣の館で死にます。
 
 日本書紀の方では、悲恋の相手の同母妹は衣通姫とは呼ばれず、軽皇子の母方の叔母、つまり実母の妹で、父帝の寵愛を受ける女性が衣通姫です。
 
 三島由紀夫は、軽皇子の悲恋の相手を叔母の衣通姫とし、禁断の恋の結果、人心が軽皇子を離れ、弟・穴穂皇子が兵を挙げて皇位を奪い、軽皇子は伊予に流され、衣通姫は後を追います。軽皇子に仕えてきた石木は、伊予で反乱を計画し、皇子もそれに乗ろうとしていましたが、衣通姫が来たことによって、皇子は叛意を無くします。石木は衣通姫に自害を勧め、瀕死の姫を見た皇子は自害。石木は反乱を続行して畿内をめざし、穴穂皇子に鎮圧されます。
 
 で、宝塚です。
 近親相姦の話は避けて、軽皇子と穴穂皇子、二人の兄弟が子供のころ、父帝が焼き討ちにしたツチグモ(支配下にない人々)の村で赤子をひろい、二人の妹として育てられたその赤子が、衣通姫です。したがって血はつながっていないのですが、衣通姫は長じて巫女となり、男子禁断、言葉を交わすことさえ許されません。軽皇子も穴穂皇子も、衣通姫に恋心を抱きますが、穴穂皇子が兄に代わって皇位を望んだのは、結局、その出生の秘密ゆえです。
 軽皇子と衣通姫は通じたとされ、いったん、衣通姫が流罪と決められますが、軽皇子が姫をかばい、代わりに伊予へ流罪。軽皇子は自らツチグモの王となって兵を集め、畿内へ攻め上る準備をしています。
 衣通姫は巫女の任を解かれ、穴穂皇子の妻となっていますが、心は軽皇子にあり、脱出して、伊予へ向かいます。
 穴穂皇子は伊予まで討伐に向かい、軽皇子は「二人で逃げてひっそりと暮らしましょう」という衣通姫の提案を拒み、衣通姫一人を逃がし、穴穂皇子を迎え撃ちます。しかし、衣通姫は案内役のツチグモをかばって死に、軽皇子は穴穂皇子との一騎討ちで戦い敗れて死にます。
 
 文句から言いますと、まずツチグモの描き方がとても奇妙です。
 衣通姫伝説の時代は、倭の五王の時代であろうと、おおまかに推測されています。つまり、中国の南宋に使いを出した畿内の王の記録が残っている5世紀なんです。巨大前方後円墳が築かれた時代でもあります。現在、畿内の前方後円墳は治水に関係していたのではないか、という説が、有力になりつつあります。
 ツチグモとは、畿内政権に服従しない豪族の一党であって、百姓一揆の民とはちがいます。
 伊予にも一応、前方後円墳がありまして、畿内と関係の強い豪族がいたのではないかと推測できます。
 なにが腹が立ったって、「ここにいては飢え死にするばかり。早く豊かな畿内の土地をみなで奪ってください」というようなことを、ツチグモの一人が言って、伊予で飢え死にしていくところです!!!(笑)
 
 伊予は、豊かな土地なんです!!!
 時代は下りますが、聖徳太子が伊予の湯を訪れ、「神の恵みでわき出でる温泉は、庶民をも公平に癒やす。極楽浄土の蓮の池のようなものだ。椿が花咲き、実るこの温泉で、ゆっくりと憩いたい」というような碑文を残した、と言われているんです。
 日本書紀で軽皇子が弟に追い詰められて果てたのは、畿内でのことですし、伊予の湯に流されたのは妹一人です。
 一方、古事記では、「玉のように美しい妹、鏡のように輝く妻よ、生まれ育った飛鳥ももう恋しくはない。君がいる場所が、家であり故郷だよ」と歌って、二人は伊予の湯で心中して果てたというんです。
 
 伊予から畿内まで攻め上ろうとしたといいますのは、現代人である三島由紀夫と上田久美子氏だけでして、ありえないことです。伊予の一般庶民が、畿内に攻め上って、なんのいいことがあるでしょう? 
 もしも本当に、軽皇子と衣通姫が伊予の湯に流されていたとしましたら、地元の豪族にけっこう大事にされ、温泉三昧の日々だったと思います。
 そして、もしも本当に心中して果てたとしましたら、それは、自分たちは生まれながらに国のまほろば(文化の中心)に居るべき大王とその妃である、という誇りゆえだったでしょう。
 
 とはいうものの、衣通姫伝説ではなく、古事記も日本書紀も関係のないファンタジーだとして見れば、いいお話でした。
 軽皇子と衣通姫、穴穂皇子の関係性が上手く描かれていて、珠城りょう、咲妃みゆ、鳳月杏の三人も好演でした。
 そうです。咲妃みゆさん、この一年前の「春の雪」では、聡子のイメージじゃない、と思ったのですが、「月雲の皇子」の可憐な衣通姫はぴったりで、演技もすぐれていました。
 軽皇子はそのやさしい気質のままに、弟の手にかかって死ぬことを望みますし、出生の秘密故に心を鬼にしていた穴穂皇子も、最後に「この事件は史書ではなく、美しい歌物語として残せ」と命じ、兄への愛をにじませます。「なんのために?」と聞かれ「わからん」と答えるのですが、渡来人にはわからずとも、日本列島の住人には、わかるはずなのです。
 古来、我が国の美しい歌物語は、鎮魂のためにあります。
 
 唯一、しっくりこなかった人物造形は、兄弟の母、大中津姫(おおなかつひめ)です。日本書紀では、相当に気性の激しそうな女性として描かれているのですが、それよりこの物語では、穴穂皇子の出生の秘密にかかわって、悲劇の種をまいた当人です。知らん顔しすぎじゃないか、と思えます。またもしかして、それが渡来人の嘘であったとするならば、嘘にふりまわされた兄弟の行為が、虚しいだけのものになってしまいます。
 それをのぞけば、ほんとうによくできたお話でした。
 
 ただ、古事記と日本書紀をもとに、長らく私が思い描いてきた軽皇子は、「月雲の皇子」のように気の優しい人ではありません。
 並みはずれて美しく、異常なまでに誇り高く、氷の炎につつまれて‥‥、宝塚でだれかが演じるとすれば、そう、明日海さんしかいません!!!(笑)
 
 上田久美子氏は、翌2014年、宙組の別箱で『翼ある人びと -ブラームスとクララ・シューマン-』、2015年大劇場デビュー作雪組の『星逢一夜』と、どちらも大評判でした。
 
 そして、「金色の砂漠」です。
 「神話だと思ってもらえればいい」というようなお話で、ペルシャっぽくはあるのですが、ある砂漠の中の国、という以外、時代も場所もわかりません。「月雲の皇子」みたいに特定してしまいますと、私のように不満を抱く観客も出かねませので、これは、正解だったと思います。
 
 私、いったいなんで見たのか思い出せないんですが、「ポーの一族」製作の話が持ち上がったころには、テレビで一見していた記憶があります。現在は円盤を買って、幾度も見返しています。もちろん、キキちゃんにはまったがゆえに、です。
 
花組公演『雪華抄(せっかしょう)』『金色(こんじき)の砂漠』初日舞台映像(ロング)
 
上の初日舞台映像は、和物のショーが先にあって、その後です。
 
最初見たとき、妙に既視感があったんです。
 
 アムダリアって、ウズベキスタンの方だよね。ジャハンギールって、ムガール帝国? でもイスファンとか言ってるから、ペルシャ? イスファンディヤールにパードゥシャーって、ペルシャ語? ガリアって呼び名は、ローマ時代のものだよね。古代ペルシャっぽいけど、たしかに、いつとも、どことも特定できない! にしても、この既視感はなに?
 やがて、ふと、思い当たったんです。これ、「嵐が丘」だよねえ!
 
「嵐が丘」は、1847年、明治維新のおよそ20年前に出版された、イギリスの小説です。
 作者のエミリー・ブロンテは牧師の娘で独身。二十代にこの長編を書き、三十歳で世を去っています。
 舞台は、18世紀末から19世紀初頭。ナポレオン戦争の最中のはずですが、そんな世間とはまったく隔絶した、閉鎖的なヨークシャーの田舎が舞台です。これもまた、神話ともいえるような物語なんです。
 
 主人公の二人、キャサリンとヒースクリフは、荒野から生まれ出たように、激しく、強烈な個性の持ち主で、魂が呼び合うように、深く愛しあっていました。しかし、置かれた境遇ゆえに傷つけあい、それぞれに、互いを渇望しながら世を去ります。
 孤児だったヒースクリフは、下人のように扱われていたことで、キャサリンに裏切られ、復讐の鬼と化すのですが、イメージとしては、無骨で、荒々しく、粗野で、一見、明日海さんとは正反対です。
 
 まさか宝塚でやってないよね、と思ったら、やっていました! 1997年のバウ公演。ヒースクリフは和央ようかさんです。
 ネットで感想を見てみましたところ、和央さんは、汚れ役に徹して、ものすごい迫力で好演なさっていたみたいです。暗く、登場人物はいやな性格なのに、なぜかもう一度見たくなる作品、という声がありましたので、かなり原作に忠実だったのでしょう。
 
 「金色の砂漠」については、主演の明日海さんご本人が、「その人の個性にあわせて当て書きをしていただけて幸せ」と言っておられます。そして実際、主要登場人物の演技が、その人にぴたりと合って、実にすばらしいものでした。
 
 その昔、武人ジャハンギールは、砂漠の王国・イスファンに攻め入り、王を殺して国を奪い、王妃アムダリヤを自分の妃に望みます。アムダリヤには二人の幼い男の子がいて、その命とひき換えに、夫を殺した男の妻になることを承諾します。
 
 イスファンには奇妙な風習があり、王族の女の子には男の子を、男の子には女の子を、幼いころから寝起きをともにさせ、特別な奴隷として、一生、身の回りの世話をさせます。
 ジャハンギールには側室との間に作った三人の王女があり、アムダリヤの子供のうち兄のギィは第一王女タルハーミネの、弟のジャーは第二王女ビルマーヤの奴隷となります。しかし、ギィとジャーは自分の生まれを知りません。
 
 ギィとタルハーミネ、ジャーとビルマーヤは、年頃になり、それぞれに恋心を抱くのですが、それは、まったくちがった形をとりました。
 美しく育ってゆくタルハーミネへの思いが、いつしか狂おしいものとなり、ギィは苦悶します。身分のちがいで、絶対に手に入れることができない、幼なじみの少女の着替えをさせ、毎夜、同じ部屋で寝るしかないんです。
 「おかしい!」と理不尽な境涯を訴えるギィに、アムダリヤつきの奴隷・ピピは諭します。
 「ギイ、愛には2種類ある。相手を自分のものにしたいという愛と、相手の幸せにつくす愛。つくす愛を選びなさい」
 
 しかし、相手の性格というものもあります。我が強く、わがままなタルハーミネを愛したギイは、相手を自分のものにしたいという熱情に身を焼きます。一方、弟のジャーが相手の幸せにつくす愛を選べたのは、ビルマーヤもまた愛するジャーを思いやり、その幸せに尽くそうとしていたからです。
 
 そうです。ギィはヒースクリフで、タルハーミネはキャサリン。
 もちろん、明日海さんがギイで、花乃さんがタルハーミネ。
 
 ジャーがキキちゃんで、ビルマーヤは桜咲彩花さん、べーちゃんです。
 べーちゃんはキキちゃんと同期で、去年、卒業なさいました。花組「オーシャンズ11」の新人公演では、相手役を務めています。
 ありえないほどやさしすぎる二人の愛に説得力を持たせるのが、二人のデュエットです。
 ジャーとヴィルマーヤが、「あなたを守りたい、あなたをささえたい。親しいその命を、変わらぬ心で」と歌を重ねるその響きの美しさは、トップ二人のデュエットに勝るほどで、胸に迫ります。
 
 私は昔から、自己主張が強く、激しすぎて、悲恋に終わるような物語が好きで、だから、少女のころ、「嵐が丘」は愛読書でした。
 明日海さんのギイ、花乃さんのタルハーミネは、ともに誇り高く、激しく感情をぶつけ合い、気がついたときには押さえようもない情炎につつまれて、破局を迎えます。
 当然のことながら、最初見たときは、この二人に目を奪われていました。
 
 物語に厚みを持たせているのが、鳳月杏さんのジャハンギールと、仙名彩世さんのアムダリヤです。
 ちなつさん(鳳月さん)は、「月雲の皇子」に続く、上田作品での敵役ですが、実に重厚に、無言のうちにアムダリヤへの深い思いが伝わるように、見事に、ジャハンギールという武人を演じておいででした。
 仙名彩世さんは、花組育ちのベテランとして、次の娘役トップを務められ、多くの作品を残されました。
 しかし、この王妃アムダリヤは、感情を抑えた静かな演技で、息子たちへの愛と、夫を殺した男への愛に引き裂かれる悲哀をにじませて、私はもっとも似合っておられたように感じられ、忘れがたい名演です。
 
 ギィはタルハーミネと情を通じ、愛を確かめ合うのですが、事の成り行きから、タルハーミネ本人に死刑を宣告され、責め殺されかかっていました。その地下牢へ、ひそかにアムダリヤが訪れ、初めて、ギィとジャーにその身分を明かし、ギィを逃がし、ジャーには、「兄についていくか、ここに残るか、思いのままにしなさい」と告げます。
 
 ジャーは残り、ギィは砂漠で、先王の遺臣のなれの果ての盗賊たちの仲間に入り、七年の後、復讐のためにイスファンの王宮へ帰ってきます。
 ジャーは、ビルマーヤとその夫(天真みちるさん、好演でした!)を背にかばい、兄と戦います。
 最初これを見たときは、「なにしてるのキキちゃん!!! ありえないっ!!! 兄さんに協力しなさいよっ!」と思わず叫んだのですが、円盤を見返していても、最初のうちは、「兄さんに協力して、兄さんが王になったら、ビルマーヤさんとその旦那は、協力に免じて許してもらうのが筋よねえ」と思っていました。
 
 タルハーミネはガリアの末の王子テオドロスを婿に迎え、男の子を産んでいましたが、夫との間は冷え切っていました。
 そもそもテオドロスが、「奴隷に無理矢理犯された、あの奴隷は死刑だと宣言すれば、あなたの命は助かり、結婚の約束もそのままに履行する」と言ったことで、タルハーミネは王女の誇りに固執し、愛するギィを見捨てました。
 
 テオドロスは柚香光さんですが、これも好演でした。
 この方は美しいのですが、明日海さんとはまた、全然タイプがちがいます。
 とても現実的で、人間的なんです。唯一、『愛と革命の詩-アンドレア・シェニエ-』で演じた黒天使は、人間離れした美しさでしたが、このときは、歌わず、しゃべらず、踊るだけでした。
 
 テオドロスは、とても合理的な人物で、砂漠の特別な奴隷の風習を「奇妙だ。やめるべき」とはっきり言うなど、いわば、現代人である観客の代弁者でもあります。
 一人、強烈な異国感をただよわせ、短いながら独唱があるんですが、音程が揺れ、歌詞が聞き取り辛い、その下手さ加減がまた、異国感にプラスしていました。上田先生の演出の妙、ですよねえ。
 テオドロスは、妻も子も捨てて、城を出てゆきます。
 
 ギィはアムダリヤを背にかばって戦うジャハンギールを斬り殺し、新しい王となります。同時に、タルハーミネを妻にする、と宣言。
 このとき、ジャーが叫ぶんです。「兄さん、その人の父がぼくたちの母にしたことを、今度はその人にしようというのか! その人に母さんと同じ苦しみを与えようというのか!」
 私、何度目かにこの言葉を聞いたとき、はじめて覚りました。
 ジャーは、ビルマーヤのためだけではなく、母のために城に残り、ジャハンギールを愛してしまった母のために、戦ったんです!
 
 ジャーは、最初から語り手でもあります。
「なぜぼくが語り部なのかって? 仕方ありません。みんな、もういなくなってしまいました。ほら。砂まじりの熱い風が吹いてきました。砂漠からの風が吹くこんな夜には、なつかしい人たちの魂がもどってくるような気がするのです」
 
 このキキちゃんの声の響きが、遠く、なつかしい人たちの魂にまで届くようで、やさしく、物語に誘われます。
 そして、幾度もくりかえされる主題歌が、なんとも美しく、耳に残るんです。
 もちろん、明日海さんの独唱もすばらしいのですが、乙羽映美さん、朝月希和さん、音くり寿さんのカゲソロも、それぞれにいいんです。
 砂漠の表現も幻想的で、限りある命を人が生きることへの哀惜と鎮魂が、感じられる舞台だと思います。
 明日海さんのまぎれもない代表作であると同時に、キキちゃんにとっても、転機となった作品ではなかったのかと、今にして思います。生で見たかった!
 
 続きます。
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宝塚キキ沼に落ちて vol3

2020年10月14日 | 宝塚

  「宝塚キキ沼に落ちて vol2」の続きです。

 「宝塚キキ沼に落ちて vol1」において、明日海さんが月組時代、オスカルを演じたことは、書きました。同時に、役代わりでアンドレイもなさっているんですが、私から見れば、ですが、どちらもお人形さんみたいで無駄に美しい!んです。「春の雪」をなさった時期ですし、もちろん、演技もすばらしかったのですが、存在にリアリティがないんです。
 いや、だったら誰がやればリアリティがあるのか、といわれると、アンドレイはともかく、オスカルはまったく思いつきもしませんけれども。
 オスカルが革命軍の側に加わる場面は、どうやってもふわふわしたファンタジーにはなりませんし、かといって、逞しいばかりのオスカルでは、フェルゼンに恋し、アンドレイに愛されたことの方に、リアリティがなくなってしまうんです。

 しかし、ですね。明日海さんの花組トッププレお披露目公演(キキちゃんがオスカルをやったものです)「ベルサイユのばら」、フェルゼン役はすばらしく、我ながらなぜ???と自問自答したのですが、DVDを見ただけで、生でみたわけでもないのに、泣けました!!!
 フェルゼン編ならいいのかと、和央ようかさん&花總まりさん、壮一帆さん&愛加あゆさんのものも見てみたのですが、泣けません。それどころか、明日海さんの相手が代わり、花乃まりあさんがマリー・アントワネットをなさった台湾公演で、すでに泣けなかったんです。

 ですから、もしかして、一つには、蘭乃はなさんのマリー・アントワネットが、情感あふれていたことがあったのだと思うのです。
 処刑直前のマリー・アントワネットは、娘息子の消息も知り得ません。なにもかも無くし、愛する子供たちの命が助かる確証もないみじめな状況で、死んでいくしかないんです。
 誇りを失うまいと、「私はフランスの女王ですから」と胸を張りながら、しかし、心残りがないということはありえないわけでして、哀れなその心情は、言葉ではなく、声の調子や目の動きで、表現されるべきものでしょう。蘭乃さんは、そうなさっていました。
 それに対する明日海さんのフェルゼンは、その人並みはずれた美しさで、滅びゆく旧体制の象徴となるしかなかったか弱い女性への、揺るぎなく、純粋な愛を体現していたんです。
 この二人が醸し出していましたのは、もはや男と女の情愛ではなく、滅びゆくものへの哀惜の情だったのではないか、と思います。

 蘭乃はなさんにとって明日海さんは、3人目のトップ相手役で、「ベルサイユのばら」「エリザベート」といいます大作が明日海さんのお披露目公演だったがため、この2作のヒロインを務めるべく、残ったトップ娘役さんでした。前の蘭寿とむさんとのコンビが一番長く、演目もあるとは思うのですが、蘭乃さん自身は、明日海さんとよりも、蘭寿さんと組んでいるときの方がしっくり似合って、のびのびしていらしたと思います。
 といいますか、蘭寿とむさんは明日海さんとまったくタイプがちがい、いかにも宝塚の男役さんらしく、相手役さんへの包容力にあふれ、アダルトな色香を漂わせた方でした。
 男役さんの包容力は、身長が高い方が見せやすいと思うのですが、蘭寿とむさんは小柄で、明日海さんとほとんどかわりません。にもかかわらず、しっかりと、女を受け止めてくれる頼もしい男性像を、現出されていたと思います。

 キキちゃんが、「いかに相手役を大切にし、自由に動いてもらうかが、男役道の基本。自分の相手役から愛情を込めて見てもらうことで、男役自身がステキに見える」というようなことを語っていまして、実際、いまのキキちゃんは、娘役さんのエスコートがものすごく上手いんですが、これは、主に、蘭寿さんから学んだことではなかったか、と思います。
 また、花組版「オーシャンズ11」で、長身のキキちゃんと並んでも、蘭寿さんは頼もしい大人の男にちゃんと見えて、やんちゃそうな少年スリを演じるキキちゃんへの「男にしてやる」という言葉が、自然な実感をもってひびきました。

 蘭乃さんは、蘭寿とむさんと添い遂げなかったことで、ファンから相当な批判を浴びたようですが、私は、あのマリー・アントワネットだけは、蘭乃さんならではだった、と思います。
 そして、明日海さんの次のお相手、花乃まりあさん。
 この方、素顔が綾瀬はるかさんに似た美人さんでした。明日海さんのお相手として宙組から呼び寄せ、抜擢されたのですが、96期(学校時代にいじめ裁判があった期だそうです)だったことも手伝い、早々からパッシングを受けたんだそうです。
 お披露目公演は『Ernest in Love』。



 実は私、最近になって、このDVDを買いました。
 キキちゃんが、「『Ernest in Love』のアルジャーノン・モンクリーフが、一番自分の地に近い役だった」 と言っているのを知り、しかたない、見てみよう!と買ったわけなんですが。

「リーズデイル卿とジャパニズム vol5 恋の波紋」をご覧になってみてください。
 『Ernest in Love』は、オスカー・ワイルドの戯曲「真面目が肝心」をもとにしたミュージカルですが、ストレート・プレイで「アーネスト式プロポーズ」という映画になっています。



 コリン・ファースが主人公のジャック・ワージング、ルパート・エベレットがアルジャーノン・モンクリーフ。
 つまり明日海さんがコリン・ファースで、キキちゃんがルパート・エベレット???!!! 
 映画がけっこう気に入っていましただけに、最初ちょっと、見る気がしなかったんです。

 コリン・ファースとルパート・エベレットといえば、「リーズデイル卿とジャパニズム vol2 イートン校」に書いておりますが、「アナザー・カントリー」でも共演。イギリス紳士と言えばこの二人、という極めつけの役者さんで、私は大好きでした。

 『アーネスト式プロポーズ』 予告編


 コリン・ファースについては、「映画『プライドと偏見』」にも書きました。BBCドラマ「高慢と偏見」のダーシー役で全英の女性を熱狂させ、そのパロディ映画で、すばらしいコメディセンスをも披露しています。

 明日海さんに、英国紳士というイメージはまったくなく、いったいどうなの???と、疑問いっぱいで見始めたのですが、見ているうちに慣れてきたんでしょうか、これもありかもね!と、楽しく見終わりました。
 明日海さんが、その卓越した演技力と確かな歌唱力でコメディを演じられると、「人でない」オーラは消え、とてもかわいらしくなるんです。
 コリン・ファースは、ほとんど表情を動かすことなくコメディを演じますが、明日海さんの表情は、コロコロコロコロ変化し、目が離せません。
 いや、かわいらしい英国紳士だっていますよ、絶対!!!

 で、これを見たのは最近ですから、私の関心はキキちゃんの方に傾き、最初は、ルパート・エベレットとはえらくちがうよねえ、と違和感を持って見ていたのですが、次第に、かわいいっ!!! コメディセンスよすぎっ!!! 見えるわよ、イギリス紳士に。ただ、まだオックスフォード在籍中みたいだけど。と、夢中になってしまう始末、でした。
 歌も悪くないですし、珍しく、最後に2組でデュエットダンスをする構成なのですが、手足が長いだけに、こればっかりは明日海さんより上手い! と思ったのはひいき目でしょうか。

 映画では、最後にジャックが弟でアルジーが兄とわかるんですが、宝塚は反対。明日海さん演じるジャックの方が兄で、キキちゃんは弟です。
 しかしね、そうなると、弟が家を継いでいた、ということで、現実には、相続に問題が起こるはずです。
 まあ、それはフィクションだからいいとしましても、キキちゃんのヴィジュアル(特に髪型)をもう少しアダルトによせて、映画と同じく兄でもよかったかなあ、と。
 雰囲気的にも、ルパート・エベレットによって、オックスフォードは出ていそうに見えたと思うんですけど(笑)

 ヒロイン・グエンドレンを演じました、トップ娘役、花乃まりあさんも、溌剌として、役にあってました。
 ただ、確かに、蘭乃はなさんにくらべれば、明日海さんとの並びがよくなく、デュエットダンスの出来がキキちゃんの方がよく見えた、というのは、それもあったように思います。蘭乃さんは、蘭寿さんの薫陶もあったんでしょうか、相手役さんに寄り添うことがお上手な方でした。

 次が、大劇場トップ娘役お披露目公演の『カリスタの海に抱かれて』。
 これ、私、テレビで見た記憶が、かすかにあるんです。テレビドラマの脚本家・大石静が書いたオリジナル作品だったそうなんですが、花乃まりあさんどころか、キキちゃんも明日海さんも、さっぱり印象に残っていません!!! ただ、この3人は、三角関係の主役ですので、なんとなく覚えているんですが、柚香光さんがナポレオンをやったとか、まったく記憶にありません。
 DVDを買う予定はあるので後日見てみますが、明日海さんに似合った役ではなかったのではないか、と思います。

 続いては台湾公演の「ベルサイユのばら フェルゼン編」。先に書きましたが、花乃さんのマリー・アントワネットはいただけませんでした。しっとりと、哀れを誘わなければいけないような役には、向いていなかったのではないでしょうか。

 続く『新源氏物語』は部分的にしか見ていなくて、とばします。そして、『Ernest in Love』役代わり再演。無難ですけど、明日海さんは全体に再演が多いような印象です。

 そして、『ME AND MY GIRL』 。宝塚定番の海外ラブコメミュージカルですが、以前、テレビで見たときに、キキちゃんがジョン卿というアダルトなジェントリーを演じていまして、ものすごく似合っていて、このころはまだキキ沼に落ちていたわけではないのですが、かわいらしい明日海さんよりも印象に残りました。現在は、キキちゃんの役代わりも見たいと、ブルーレイを買って堪能しています。明日海さんは、ほんとうに芸達者で、実に楽しいコメディです。

 余談ですが、要するにキキちゃんは、イギリス上流階級の紳士が似合います。もし幕末維新を宝塚で舞台にするとすれば、キキちゃんにはぜひ、イギリス外交官・アルジャーノン・バートラム・ミッドフォード、後のリーズデイル卿を!(笑)
 
 次の『仮面のロマネスク』。これがまた、短期間で再演していまして、今までに私が見たのは、花乃さんが退団なさった後のものです。
 主人公はいわゆるプレイボーイですが、明日海さんに似合っていなくもなかったように記憶しています。なにしろ、芸達者ですから。
 ただ、ですね。これも私、コリン・ファース主演の映画をdvdで見ていて、明日海さんの印象は薄いんです。



 監督がミロス・フォアマンのわりに、おもしろかったか、といわれると、いまひとつの映画でしたが、なんで明日海さんは、コリンがやった役ばかりなさるのかと、首をかしげました。
 これもキキちゃんが出ている方のDVDを、いずれ買う予定です。

 そして、いよいよ次回、花乃まりあさんの退団公演で、二人への当て書き、明日海さんの本質をもっとも突いていました「金色の砂漠」について、語りたいと思います。

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宝塚キキ沼に落ちて vol2

2020年10月08日 | 宝塚
「宝塚キキ沼に落ちて vol1」の続きです。

すでに、宝塚を卒業なさっておられますが、明日海りおさんという男役トップスターは、歴代でももっとも切符が売れたスターだったといわれます。
過去のスターと比べることは、そのときの体制のちがいなど、いろいろあって難しいと思うのですが、私自身、明日海さんの引退公演では、宝塚ホテル宿泊とセットで二人10万円かかりますSS席の予約において、サーバーが落ちてどうにもならなかった、という経験をしまして、人気のほどを思い知りました。

「桐野利秋in宝塚『桜華に舞え』観劇録 前編」において、私は以下のように書きました。

一昨年、宝塚は百周年を迎え、テレビ露出や地方公演が増えて、どうやらそんなきっかけから、私の友人もファンになったようなんですね。
 このときトップ・オブ・トップといわれ、歴代でも有数の人気を誇っていたのが、星組男役トップの柚希礼音さん。私の知り合い、友人も、軒並みこの方のファンだったみたいです。
 

 2014年、宝塚は百周年を迎え、この年、明日海さんは花組トップとなり、翌2015年、星組トップだった柚希礼音さんが卒業なさいます。
 つまり、百周年を境に、柚希さんから明日海さんへ、トップの中のトップ、という立場がバトンタッチされたわけですが、このお二人、相当にタイプがちがいます。
 柚希さんはダンスが、明日海さんはお芝居が、とびぬけてすばらしかったといわれます。もちろん、お二人とも歌唱力もすぐれ、明日海さんのダンス、柚希さんのお芝居も、魅力いっぱい。
 なにより二人がちがったのは、スターオーラのタイプでしょう。
 柚希さんは青池保子さん描く「エルアルコン 鷹」、明日海さんは萩尾望都さん描く「ポーの一族」の世界から、まさに抜け出してきたような雰囲気でした。
 
 簡単に言ってしまえば、柚希さんは線が太く、力強く、包容力に満ちて、従来の宝塚の男役像を、よりパワフルに、現代的にした感じ、だったのではないでしょうか。
 私は柚希さんの現役時代を知らず、断片的に映像を見ただけなのですが、それでも、生きることに、そして愛に、熱情をそそぐ男性を目前にしたような、臨場感を味わいました。
 そして、どこが現代的だったかといいますと、トップ娘役・夢咲ねねさんとのからみが、なんとも官能的、いまふうにいいますと、エロかったことが一番、だったと思います。

 一方の明日海さんは、といえば、従来の宝塚男役像からは、大きくはずれていたのではないでしょうか。
 宝塚には以前から、フェアリータイプ、といわれる男役さんがいて、涼風真世さんがその代表だそうですが、それともまた、ちょっとちがっていたように感じます。
 明日海さんの舞台姿は、何をやっても(コメディの場合はちがいますが)、夢幻のように美しいのですが、オーラが青い氷の炎で、本質は苛烈なんです。
 その「人ではない」感といいますのは、俗に言うファンタジーの妖精ではなく、そうですね、強いて言えば「指輪物語」のエルフのような、甘美でありながら芯もあり毒もあり、だからこそ、存在そのものがせつない雰囲気を、醸し出していたのではないでしょうか。

宝塚xSMAPコラボ「闇が広がる」


 明日海さんの代表作、といいますと、まずは「エリザベート」のトートです。
 とはいえトート役は、またちがった魅力を持つトップさんが歴代にいらっしゃいましたし、私、望海風斗さんがトートをなさっていれば、明日海さんに勝るとも劣らなかったと確信しています。
 
 今年に予定されていました望海風斗さんの退団公演は、コロナ禍で延び、来年となりましたが、プレ退団コンサートは、会場を変え、なんとか今年、行う運びとなりました。
 私、手にしていた東京公演のチケットが、中止払い戻しという憂き目にあい、がっかりしていました。もちろん、コロナのせいです。
 しかし、宝塚も考えたもので、仕切り直してセッティングされましたコンサートでは、自分の家のテレビで、有料ライブ配信を見ることができるようにしたんですね。
 
 さっそく私、楽天TVで、真彩希帆さんが出演なさる回を選んで、見ました!
 そりゃあ、生のステージにはかないませんが、家で、それも回を選んで見ることができるのは、地方のファンにとってはとてもありがたいことです。
 「エリザベート」から「私が踊るとき」を二人がデュエットなさったんですが、私、こんなすばらしい「私が踊るとき」を、これまで見たことがなく、涙がにじみました。
 望海風斗さん、真彩希帆さん、お二人の「エリザベート」を見たかった!

 明日海さんのお相手のエリザベートは、蘭乃はなさんで、私は、それほど悪くない、と思っていました。
 なにより、同じ月組で育ったということがあったんじゃないでしょうか。明日海さんとの相性がいいように思えましたし、なんというんでしょうか、独特の色香があり、演技力と相まって、強い情感をかもされる方でした。退団後に東宝版のエリザベートに抜擢されましたのは、小池修一郎氏が、その色香を気に入られてのこと、と、思います。
 しかし、やはりお歌は、すばらしいというわけではなく、とはいうものの、私、エリザベート役者といわれる花總まりさん(宝塚出身)も、すばらしくお歌が上手いわけではないので、こんなものだろう、と思っていたんです。
 しかし、真彩さんのお歌を聞いて、ここまで歌えるんだ!と、目から鱗でしたし、相乗効果で、望海さんのトートは明日海さんのそれを凌駕し得たにちがいない!、と思った次第です。雪組で、ルッキーニとフランツ・ヨーゼフをだれがやるかは、ちょっと問題だったでしょうけれども。

 明日海さんしかできない役、といえば、トートよりも前、月組時代に演じておられた「春の雪」の松枝清顕です。
 明日海さんの「春の雪」!!! 絶対に見なければ!!!と、 エリザベートに続いて、DVDを買いました。
 


 「春の雪」につきましては、「『春の雪』の歴史意識」に、映画の感想を書きました。

《予告編》 春の雪


 ヒロイン聡子役だった竹内結子さん、亡くなられてしまいましたね。
 
 ヒロインはひとまず置いておいて、主人公の松枝清顕。妻夫木聡が似合っていたわけではないんです。ただ私は、だれも清顕の役はできないよね!と、思っていました。
 『春の雪』は、あくまでも『豊饒の海』の中の一巻 、だとするならば、松枝清顕とは、友人・本多繁邦(宝塚では、現月組トップの珠城りょうさんが演じていました)が見た天人であって、本質的に、「人ではない」んですね。
 だからでしょうか。過去には、テレビや舞台で、様式美を追求してきました歌舞伎役者さんが起用されたようですが、なにしろ、清顕が天人であることのなによりの証は、その人並みはずれた美貌でして、そんな美貌を、能面をつけるでなく、現代劇で表現するって、至難の業ですよねえ。
 唯一、私が、適任者では?と思い浮かべていたのは、原作者・三島由紀夫の友人だった、ごく若い頃の美輪明宏です。しかし三島が「春の雪」を書いたとき、すでに美輪明宏は、それほど若くはありませんでした。
 そして、清顕を筆頭に、輪廻転生していきます天人は、20歳で夭折することこそが、その証でもあります。

 「三島由紀夫の恋文」

 「豊饒の海」全体のおおまかな筋は、上に書きました。
  清顕の恋は、真摯な、死に至る自己完結の美学でして、自己中心的で、その美しい笑顔は、時に酷薄でさえあるんです。
  このときの明日海さんは研10だったそうですから、20歳はとうに過ぎていらしたでしょうけれども、まさにこの世のものとは思えない美貌と、突出した演技力で、ものの見事に清顕を演じきっておられました。

 ヒロインの綾倉聡子役は、咲妃みゆさん。後に雪組娘役トップとして、演技力を賞賛された方です。
 「宝塚キキ沼に堕ちて vol1」で述べましたが、私はテレビで、この方の退団公演を見ました。とても魅力的に、生き生きと、遊女を演じておられました。
 そして、この若き日の綾倉聡子役も、けっこう評判はいいようなのですが、私はどうにも、イメージがちがいました。咲妃さんのお顔立ちは福々しく、庶民的にすぎるんです。
 こればかりは、竹内結子の方がよかった、と思いました。
 
 理想を言えば、三島由紀夫が好きだった女優さん、村松英子が若ければなあ、という感じです。
 で、宝塚を見渡してみれば、雰囲気の似た方がおられました! 凪七瑠海さん(現専科)です。
 明日海さんと同期で、このころは宙組の男役さんでしたけれども、明日海さんがいた月組の「エリザベート」に、エリザベート役で特別出演なさっているんですよねえ。ちなみにそのとき、明日海さんは役代わりで、ルドルフでした。
 しかし凪七さんは、身長が明日海さんよりわずかに高いですし、「春の雪」は実験的な小作品ですから、特別出演なんて、無理な話ではあったでしょう。

 綾倉聡子は、清顕の本質を知りながら深く愛し、苦汁を呑みくだして、その美の祭壇へ、自らを捧げた聡明な女性です。
 冷え冷えとした炎を燃やす清顕に、透明なオーラを持って対峙し、やがて壮大な物語の最期をしめくくります。
 それだけに、これだけはやめて欲しかった改変は、原作では「豊饒の海」全編の最後の最後、覚りすました綾倉聡子が、老いの果てになにもかも無くして訪ねて来た本多繁邦に告げるセリフ「その松枝さんというお方はどういうお人やした?」 を、宝塚版では、まだ清顕が生きているうちに「松枝さんとはどなたですか?」 と言ってしまうところです。

 奈良の月修寺で髪をおろし、尼となった聡子は、二度と清顕とは会わない決心をしているのですが、清顕は肺病を患った瀕死の状態で、最期にひと目だけでも会いたいと、聡子のもとを訪れます。
 ついには動けなくなり、見かねた本多が、代わりに月修寺を訪れ、「なんとかひと目だけでも合わせてやっていただけないか」と門跡に頼みます。門跡は静かに断り、別室でそれを聞いていた聡子は、あえかに、あるかないかの嗚咽をもらし、それを漏れ聞いた本田は、瞬時に溶ける春の雪のようなはかなさを感じる‥‥‥‥。というのが、原作でして、舞台のように、ここでけろっと清顕を忘れてしまっていたのでは、聡子の苦悩もそれほどたいしたものではないではないか、ということとなり、「いったい、いままでの話はなんだったの?!!」と、あきれてしまいかねないんですね。少なくとも、私はしらけました。

 映画を見たときも思ったのですが、年老いた本多が月修寺を訪れる場面を、入れることはできなかったんでしょうか。
 「桜華に舞え」では、本編になんの関係もない犬養毅の回想場面が最初と最後にくっついていたりしましたが、あれはいりませんでした。
 しかし、「豊饒の海」の最期の場面は、うまく構成することができれば、長い年月を経て、月修寺の外の世界は移ろい、生涯をかけて追いかけた人の世の夢でさえも、あるいは幻だったのかもしれないと、足下がくずれるような感慨を、もたらしてくれると思うんですね。

 しかし、ともかく、明日海りおという希有な男役がいればこそ、宝塚は、「春の雪」の舞台を現出することができたわけです。

 ポーの一族まで話がいきませんでしたが、もう少し、明日海さんの魅力を、語っていきたいと思います。
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宝塚キキ沼に落ちて vol1

2020年10月03日 | 宝塚

 「桐野利秋in宝塚『桜華に舞え』観劇録 後編下」の続きであり、 「幕末維新はエリザベートの時代 vol1」の続きでもあります。
 といいますか私、「宝塚」というカテゴリーを作ってしまいました。
 現在私は、中村様いわくの「老いらくの恋ですねえ」状態。我ながら呆然としますことに、2次元や死人ではない、生きている実在の人物に、生まれて初めてどっぷりとはまり込み、歴史ブログを書く気になれませんで、新しいブログを作るのもめんどうなものですから、ここに思いの丈を書いてしまうことにいたしました。
 「桜華に舞え」を見に行ったあのときには、まさかこんなことになろうとは、思いもしませんでした。

 宝塚花組 明日海りおほかSMAPとコラボ「闇が広がる」ほか


 ことの始まりは、思い返してみれば、 「幕末維新はエリザベートの時代 vol1」でもご紹介しました、スマップと「宝塚歌劇団花組のみなさん」の共演にありました。
 YouTubeには、実は2パターンあがっていまして、前回にあげたものはミュージカル「エリザベート」から「闇が広がる」のみでしたが、今回のものには、続いて披露された「オーシャンズ11」の「FATE CITY」、「ロミオとジュリエット」の「世界の王」と合わせて3曲、現在の宝塚を代表する楽曲が演じられていました。

 このときの花組は、2014年、トップ明日海りおさんお披露目公演「エリザベート」の直前か、最中か、だったんでしょうか。
 2曲目の「FATE CITY」は、香取慎吾さんと望海風斗さんが歌っていますが、明日海さんはこの前年、次期トップさんとして月組から花組へ移動して来ていまして、「オーシャンズ11」は未経験でした。
 
 「エリザベート」は「幕末維新はエリザベートの時代 vol1」でご紹介しましたように、ウィーンミュージカルの上演権を宝塚が得て、小池修一郎氏の手で宝塚向きに改変され、大ヒットとなり、再演を重ねました。同じ小池氏の演出で、系列の東宝では男性ミュージカルスターをまじえて上演され、これも再演を重ねて、いまも大人気で切符がとれない、といわれるほどです。

 「オーシャンズ11」は、同名のアメリカ映画を、宝塚独自にミュージカル化したものでして、やはり小池氏の脚本・演出で、2011年星組で初めて上演され、2013年花組で再演、そしてこの2014年、香取慎吾主演、山本耕史共演で、東宝版が演じられたところだったようです。
 私、山本耕史が歌が歌えるとは、まったくもって存じませんでしたわ。

 私が知っています香取&山本コンビは、「土方歳三 最期の一日」でわずかに触れております2004年のNHK大河「新撰組!」、近藤勇&土方歳三だけです。ご贔屓の土方さんを山本耕史がやったのは、ちょっと微妙だったんですが、この「最期の一日」だけは、よかったです。

 いや、でもねえ。私、「誠の群像」を見損ねてしまったんですが、現在雪組トップでおられる望海風斗さんの土方の方が、よかったのではないかなあ、と思ったりします。
 楽天TVで予告編を見ることができますので、検索をかけてみてください。惚れ惚れします、望海さんの土方。
 実は一昨年の春、「誠の群像」の宝塚公演が高松に来ると知り、切符を買ってたんです。ところがその直前、歴史探訪旅行に参加しまして、宇和島城の天守閣で転げ、足を折ってしまいました。
 仕方なく、今治に住む宝塚好きの友人にチケットを譲りましたが、その友人はすっかり、望海さんのファンとなり、今年はじめ、うらやましいことに、「ONCE UPON A TIME IN AMERICA」を見に宝塚大劇場まで出かけました。
 この「ONCE UPON A TIME IN AMERICA」がまた、アメリカ映画を原作とし、小池氏が脚本・演出を手がけた宝塚独自のミュージカルでして、今年が初演でした。
 これも他組で上演するんだろうか、と首をかしげるんですが、といいますのも、ネット上で感想などを読んだ限りでは、歴代でも歌唱力トップクラスの望海さんと、そのお相手で稀代の歌姫、トップ娘役・真彩希帆さん、二人の存在があればこそかなあ、という感じなんです。

 私、中村さまに教えていただいてびっくりしたのですが、真彩さん、「桜華に舞え」で会津のお姫様をやってらして、私は宝塚初観劇で、実はこの歌姫の美声を聞いていたんです。「桐野利秋in宝塚『桜華に舞え』観劇録 中編」に書いておりますが、私はただただ「ありえへん姫様設定」に気を奪われ、気づいていませんでした。
 真彩さんは、もともと花組にいらして、望海さんと同じ舞台に立っていらしたのですが、その後星組に移り、「桜華に舞え」に出ておられました。
 望海さんが雪組トップになられたときに、おそらくは、なんですけれども、望海さんのたっての望みで相手役に迎えられたのではないか、と思います。
 といいますのも、宝塚歌劇団は、歌劇団と名がついていますのに、わりと、トップ娘役の歌唱力に無頓着です。望海さんの希望がなければ、真彩さんがトップになることはなかったのではないかと、私が考えるゆえんです。
 そしてどうも、「ONCE UPON A TIME IN AMERICA」は、トップ娘役の歌唱力がなければ、いい舞台にならないのではないか、という感じなんです。

 えーと。話がそれましたが、2014年に話をもどしますと、望海風斗さんは2013年花組で再演された「オーシャンズ11」に出ていまして、トップ娘役・蘭乃はなさん、後ろで踊っています若手男役二人、芹香斗亜さん(現在宙組2番手)、柚香光さん(現在花組トップ)も、同じく、そうだったんです。ちなみに芹香さんは、星組から花組に組替えしてきているので、2011年星組初演も経験しています。

 次いで「ロミオとジュリエット」ですが、これはフレンチ・ミュージカルです。演出はまたしても小池修一郎氏。
 初演は2010年星組、2011年雪組、2012年月組、2013年星組再演でした。そしてこれまた、外部でも上演しています。
 キキちゃん(芹香斗亜さん)は星組で初演を経験。明日海さんは月組で、役代わり主演を務めていました。
 明日海さんのロミオは、すばらしく美しかったそうです。

 もうお気づきでしょうか。私がはまってしまっているキキ沼とは、キキちゃんと愛称で呼ばれる芹香斗亜さんのことでして、明日海さんでも望海さんでもないんです。
 しかし、それはごく最近のことでして、私はキキちゃんを生で見たことがありません。
 「桜華に舞え」以降に観劇できましたのは、明日海さん率いる花組の「ポーの一族」と「A Fairy Tale -青い薔薇の精-」のみですので、明日海さんと、ずっと花組ににいて現在跡を引き継いでトップに就任しておられる柚香光さんは生で見たのですが、そのときすでに、望海さんは雪、キキちゃんは宙に組替えしていましたので、見ていません。

 YouTubeのこの動画は、ずいぶんと、宝塚の布教に役立っているのではないかと思います。
 少なくとも私は、これを見てすぐに、花組「エリザベート」のDVDを買いました。
 明日海さんのトート、望海さんのルッキーニ、北翔海莉さんのフランツ・ヨーゼフ、主要3役がみなさん相当な歌唱力の持ち主ですし、なんといっても明日海さんのトートは、「人ではない」神秘的な美しさを醸し出していまして、まさに、甘美な世紀末の死、そのものでした。
 DVDで見た限り、望海さんのルッキーニがまた、歴代有数の歌唱力、演技力で、生で見たい! とは思ったのですが、当時、望海さんは雪組に移って2番手を務めていらっしゃいまして、トップではなかった、といいますことは、主演じゃないですから、出番少なめです。
 このときの雪組トップ・早霧せいなさんとトップ娘役・咲妃みゆさんの退団公演「幕末太陽傳」は、テレビで見てけっこうおもしろかったのですが、題材的に、私が重い腰をあげ、宝塚まで観劇しに行くほどの吸引力はありませんでした。ただ、次期トップ望海風斗さんが、高杉晋作をやっておられて、「三千世界の鴉を殺し」の都々逸を詠ってくださったのは、感激でした! よかった!

 キキちゃんと柚香光さんは、「エリザベート」において、役代わりで、動画ではスマップが集団で歌った、皇太子ルドルフをやっていました。
 柚香光さんのお歌が上手くないのはこのころからでしたが、ビジュアルはまあ、よかったのではないでしょうか。
 で、キキちゃんです。お歌は柚香光さんよりはよかったのですが、それでもうまい、というほどではなく、なによりビジュアルとして、明日海さんとの身長のバランスが悪いんですね。
 
 明日海さんも望海さんも、男役としては小柄な方ですし、柚香さんは、それより少し高いのですが、キキちゃんほどではありません。
 とはいえ、キキちゃんも公称173㎝で、男役としては普通なんですが、動画の中で見る限り、香取慎吾さんを除けば、他のスマップメンバーより高身長なんじゃないんでしょうか。
 ともかく、トートよりもルドルフが高身長といいますのは、なんんとなく収まりが悪く、キキちゃんはできるだけ足を折り、明日海さんより大きく見えないような努力は払っていたようだったんですが、辛そうでした。

 「エリザベート」の一つ前に上演されました、明日海さんのプレお披露目公演「ベルサイユのばら フェルゼン編」もDVDで見たのですが、ここでキキちゃんはオスカルに抜擢されています。
 似合ってないわけではないんです。後に月組時代の明日海さんのオスカルを見ましたが、これはもう、あまりに美しすぎまして、国王軍と戦う決心をする場面など、「いや、やっぱり、どこからどう見てもフランス人形だから、ありえない!」と感じてしまって、まるでリアリティがないんです。
 その点、キキちゃんは身長があるだけに、十分男にまじって戦っていけそうな力強さが感じられたのですが、いかんせん、フェルゼン(明日海さん)よりもアンドレイ(望海さん)よりも身長の高いオスカルって!ありですか?

 まあ、結局です。最初、私がDVDを買ったりして映像で追いかけましたのは、すでに花組トップだった明日海さんで、必然的にキキちゃんの軌跡も途中まで追うこととなり、好感は持ちましたが、まったくもってはまったわけでは、ありませんでした。

 というわけで、次回はまず、宝塚歴代の中でももっとも切符が取りずらかった、といわれます、トップオブトップ、明日海りおさんと「ポーの一族」のお話から、始めたいと思います。

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