
お盆の時期ですので、ちょっとヒヤッとする話題を、というわけでもありませんが。
『シン・ゴジラ』の中で、今一つ読み解けないことがありました。
それは牧悟郎という、日本人老科学者の「謎」の行動です。
日本の学界を追われるようにしてアメリカに渡り、アメリカの諜報機関でエネルギー関係の研究をしていた人物で、奥様を広島の原爆で亡くされ、妻を見殺しにした日本と、核を恨んでいたとか。
その牧博士の乗っていたと思われるクルーザーが東京湾で発見され、無人のクルーザー内に残されていたのは、曼荼羅のような不思議な図形を描いた紙と、宮沢賢治の詩集『春と修羅』
そして、【私は好きにした、君らも好きにしろ】と書かれた謎のメッセージ。
その直後、東京湾にゴジラが現れます。
牧博士は一体何をしたのか。どうも今一つよくわからなかった。
曼荼羅のような図形は、のちにごじらの行動を止めるための重要な資料であることがわかります。要はこれを読み解けるか!?という博士からの挑戦なのでしょう。
『春と修羅』に関しては、自分は今、修羅の中にいる、という意味でしょうか。怒り、悲しみ、怨念といった修羅の境地から抜け出せない、いや、抜け出すつもりはない、ということなのかもしれません。この詩集には、病死した妹との別れを綴った詩も載せられており、あるいは原爆で死んだ妻の姿と重ね合わせていたのかもしれません。
しかし一体、なにを「好きに」したのでしょう?なにを「好きにしろ」というのでしょう?
ちなみに牧博士は写真だけの登場ですが、この写真の主は、庵野監督が師事し敬愛している映画監督、故・岡本喜八監督です。

故・岡本喜八監督。
ネットをざっと見ておりますと、この牧悟郎の行動について、ファンの皆さんが結構同じような解釈をしているのを発見しました。
牧悟郎の行動の意味、それは
ゴジラに「人間のDNA]を与えたのではないか、という解釈です。
なるほど!!皆さん頭いいーーーっ!!!(笑)
「人間のDNA」つまりは牧自身のDNAということか、なるほど、だからゴジラは、最終形態として二足歩行ができるようになったわけか!!
「好きにした」とは、そういうことか!!なるほど!!
人類が海底に捨てた放射能廃棄物を、古代生物の生き残りが食し、DNAに異常変化を起こします。その生物はどのような環境下でも対応できるような形態変化能力を身に着け、異常進化を遂げていく。
牧博士はこの生物に、故郷・大戸島の伝説の荒ぶる神「呉爾羅」の名を与え、英語表記を「GODZILLA」とし、GOD=神をその名に冠させました。
牧博士はゴジラに、地球を汚し続ける人類に対する、大地の怒りを見たのでしょう。伝説の荒ぶる神「呉爾羅」をそこに見たのでしょう。
そして、己自身の怒り、怨念をも、重ね合わせた。
自らの中の「修羅」を託す先として、ゴジラを選んだのです。
「好きにした」とはそうことなのでしょう。
一方で牧博士は、ゴジラを止めるヒントをわざと残しています。残すことで日本人に選択肢を与えたのでしょう。
おそらく博士は、最終的に核兵器がゴジラに対して使われるであろうことを予測していたに違いなく、それを日本人は受け入れるのか否かを試したかったのでしょう。そのためのもう一つの選択肢のヒントだけを残した。
さあどうする日本人!3度目の核攻撃を許すのか!?
「好きにしろ」とはそういうことでしょう。
ゴジラには、牧博士の「怨念」が宿っていたわけです。
しかし、ゴジラは本当に、牧博士の怨念「だけ」でうまれたのでしょうか?
私にはそうは思えない。
牧博士がいみじくも荒ぶる神の名を冠したように、そこには本当に大地の怒りがあったのではないだろうか。
牧博士は、大地の怒りの「依代」として使われたのだ、ゴジラを誕生させるために。
私にはそう思えてならない。
かの『帝都物語』で、まつろわぬ者どもの恨みと無念の依代となった加藤保憲と、牧博士の姿を重ね合わせてしまうのは、私だけだろうか。

加藤保憲(嶋田久作)
人類が犯し続けた過ちと、それによって生じた無念、怨念。
ゴジラとは、そうした人類の負の遺産の集合体なのかもしれない。
ゴジラは突きつける、人類が犯した「罪」を。
シン・ゴジラとは
『sin(罪)・ゴジラ』でもあるのでしょう。

ちなみに法的な罪はcrimeですね。
熊楠さん……そうか!曼荼羅とはつまり粘菌か!?牧博士はゴジラに、粘菌のごとく永遠の生命を見ていたのか!?そういうことでもあるのか!?
うう、益々迷宮に入り込みそうだあ(笑)
考察興味深く読ませていただきました。
うまいこと考えるなぁ、ドラマ性作ってきたなあ、と思ったのですが、深く考えてみると違和感がのこる。。。
その違和感にインスピレーションをえて、恥ずかしながら自分のブログでも考察記事書いてしまいました…
ご一読いただければ幸いです。
記事読ませていただきました。十人十色の考察ありがとうございます。があっていいと思います。良い作品は人を思考させる。様々な考察が入り乱れるということは、それだけ多くの人を思考させる良い作品だということですから。
大いに思考しましょう。
ありがとうございます。
という設定は、日本人ならではのような気がします。
世界の紛争に怒る国津神の災害も、紛争をあおる支配勢力より、それを阻止できない日本に来そうだし…。
なんにせよ日本は、「責められる」運命なのかな…。