時代劇などを見ておりますと、当時の日本人は、移動手段として「駕籠」を使っていたことが分かります。
疑問に思ったことはありませんか?
何故日本では、車文化は発達しなかったんだろう?
【すべての道はローマに通ず】なんて言葉があるように、道路整備と文明の発展には切っても切れないものがあります。
しかし日本においては、明治以前に本格的な道路整備というものが行われた様子はあまりないようです。
日本は地形的にいくつもの山脈、山地で区切られており、その間を無数の河川が流れています。ですから物資運送の際には、起伏の激しい陸路よりも、川や海を利用した船運の方が遥かに速い、ということはあったでしょう。しかし内陸の都市部などへ搬入するには、一端船から荷を降ろし、陸路を行かなければならない。その際に道路を広く平らにし、さらには石畳等で舗装しておけば、牛車、馬車に大量の荷を積んで、一挙に大量輸送が出来た筈。江戸時代頃であれば、その程度の技術は当然にあった。
にもかかわらず、それをしなかった。
というより、出来なかったというべきか。
やはり時代劇などを見ておりますと、平安時代の貴族などは、牛車に乗って移動していたのが分かります。
牛車はお隣の中国から輸入されたものです。日本は律令制度などの法制を中国から取り入れると共に、文化も輸入しました。牛車もその一つ。
しかし中国文化のすべてを取り入れたわけではありません。日本に「合わない」文化は意図的に取り入れなかった。
その最たるものが「宦官」でしょう。
宦官とは要するに去勢された官僚たちです。古代中国では何故か、律令制の下、政治の中枢に関わる官僚たちを去勢していました。考えるだにおぞましく、縮み上がってしまいますね、いや、マジな話。
日本では律令制こそ取り入れたものの、宦官などは置かなかった。日本人の感覚では、到底受け入れることは出来なかったということです。
ところで、牛車や馬車を自在に動かすためには、牛馬を思い通りに動かさなければいけません。
しかし牛や馬は非常に警戒心が強く臆病なので、ちょっとした刺激ですぐに暴れ出し、いう事を聞かなくなる。
そうなってしまったら、もう処置なしです。
では如何にすれば、牛馬を暴れさせずに済むのか。
その方法で最も有効な手段が
「去勢」なのです。
牛馬を去勢することによっておとなしくさせ、自在に動かす。大陸辺りでは当たり前に行われていた方法です。この方法、技術は当然、日本にも伝わっていたはずです。
しかし、日本人はこれを受け入れなかった。
人間の去勢はもちろん、牛馬の去勢も同様に受け入れなかったんです。
日本人は牛馬を買うとこれに名前を付け、家族のように扱います。そこには当然情が生まれます。
たとえ牛馬であろうと、家族として、同じ生き物として、去勢なんて残酷なことをするのは忍びないし出来ない。
これが日本人の平均的な感覚ではないでしょうか。
だから、去勢文化は日本に定着しなかった。
日本の牛馬は去勢していませんから、平安貴族の乗る牛車の牛も、よく暴れていたようです。これをお供の者たちが数人掛かりで抑えている画が残っているとか。
だから牛車での移動は非常に効率が悪かった。だから普及することはなかったわけです。
蒸気機関の発明以前は、動力といえば牛か馬しかなかったわけですが、日本ではその動力源を自在に使いこなす技術が、「心情的」に発展しなかったわけです。牛馬たちは刺激の少ない農村で、のんびりと田畑を耕し、農民から重宝がられ可愛がられた。
牛馬を移動の動力として使えない以上、他の動力源は人間しかありません。だから日本の道路は、人間が二人すれ違える程度の広さがあればそれで良く、駕籠などの人力を使った移動手段以外、あまり発展することはなかったわけです。
面白いですね。森羅万象鳥獣虫魚、この世のすべてのものに魂が宿るとする日本人の生命観は、牛馬にも人間と同じ「命」を、「仏性」を見ていた。
だから、出来なかったんです。去勢なんて残酷なマネは。
その日本人の生命観が、先進国の中で最も悪い道路事情を生み出した。
そういう理由なら仕方ない、納得出来る。そう思えませんか?
そう思えるあなたは、正真正銘の「日本人」です(笑)
参考文献
『日本史の謎は「地形」で解ける』
竹村公太郎著
PHP文庫
しかし。僕の兄の妻の僕の姉は。兄の話で。作業服のニッカポカを真冬でも水で手洗いする。だからてが荒れている。と言ってました。しかし。そんなに喧嘩したければ私を殴れと言ったら。ほんとうに殴った兄は。馬鹿です。でも日本人の感じ薫りがします。互いに尊敬のトムとジェリーを思考します。とりあえず。僕も実家にいったら。犬さんと猫さんには、挨拶と感謝は欠かしません。でございます。m(__)m。これは。ないしょ話ですね。