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 風の向くまま薫るまま

その日その時、感じたままに。

石つぶてを打つ者達

2020-02-15 15:52:15 | 時代劇

 

 

 

 

 

大河ドラマ『麒麟がくる』第4話に、石つぶてを投げる謎の集団が出てきました。

 

石を投げるといいますと、なんだか子供の遊びのようにも思えますが、これだとて精度を上げれば、人をも殺しうる武器となります。往古日本では、これを「印地打ち」といい、戦場において兵法の一つとして使われていたそうです。

 

石を使った戦法は弥生時代にはすでにあった。この戦法は戦国時代にあっても結構使われていたらしく、武田信玄の軍勢にこの「印地打ち」を使うものがいたという記録が残っているそうです。

 

 

どこからともなく石つぶてが「飛ぶ」現象。「飛礫」などととも言われるこうした謎の現象は、古今東西を問わず見られたようです。

 

日本に於いては「天狗飛礫」などとも呼ばれるこうした現象。近年においては「ポルターガイスト現象」の一つではないかと言われているようですが、いずれにしろこのような超常現象を、古代日本人は「神の表われ」であるとして畏れました。

 

こうした観念から、石を投げる行為を「神事」として行う神社も数多くあったようです。熱田神宮などはその代表だったようです。

 

これが11世紀ごろになると、興福寺などの僧兵が「神仏の意志である」と称して、この石打ちを強訴に使うなど、ある種の武器として使われる頻度が多くなっていった。13世紀ごろには、印地打ちを職能とする集団「印地の党」なるものが存在し、南北朝動乱などで活躍したらしい。

飛礫は神の意志であるが故に、神の意志は南朝と北朝といずれに在りや!?そのような意味も含めて、印地の党の活躍があったもの、かも知れませんね。

 

 

石打ち、飛礫は神事であった。では具体的にはどのようなことが行われていたのでしょう?

 

代表的なかたちとしては、2チームに分かれて石を投げ合う「石合戦」を行い、この勝敗によって吉凶禍福、豊作不作を占う、というものだったようです。

石を投げ合うわけですから、当然かなり危険。双方とも勝とうとして本気になりますから、けが人が出ることは勿論、死者が出ることも度々でした。

 

鎌倉幕府により、この石合戦は禁止されますが、幕府の支配の行き届いた関東では効いたものの、関西では逆に、神事を行わないと祟りがあるとした庶民からの猛抗議が寄せられ、幕府は禁令を緩めざるを得なかったようです。

 

京都・祇園祭なども、戦国時代のころの祭りは殺伐としたもので、神の権限であると称して飛礫が飛び交った。当然ケガ人や場合によっては死者も出た。これが元で多くの喧嘩沙汰や殺生沙汰が絶えないものだったらしい。

 

江戸時代に至り、徳川幕府によって完全な禁止令が出されるまで、京都辺りでは結構大規模な石合戦が行われていたようですね。

 

徳川幕府による禁令後も、他愛無い子供の遊びとしての石投げは、絶えることなく行われ続けたのでしょうね。私が子供の頃などは、河原の石を拾って川面に向かって投げ、水面を跳ねさせる「水切り」なんて遊びをしたものです。

最近では河原に下りることさえ禁じられた川が多くなってしまって、イマドキの子供たちは水切りなんてやっているんでしょうかね?

 

 

それはともかく、このように石打ち、飛礫、印地打ちには、子供の遊び、神事、戦場における武器、戦術といった様々な側面があったということです。

 

 

 

 

いままで戦国時代を扱った時代劇には、こうした「印地打ち」「印地の党」といったものが具体的に描かれることはほとんどなかった。そういう意味では、今年の大河ドラマに、印地を打つ謎の集団が出てきたことは、画期的であるといえます。

 

ネット上では、この謎の集団と、岡村隆史さん演じる菊丸との関係性や、菊丸の正体について様々に憶測されているようです。「菊丸忍者説」「菊丸服部半蔵説」等々取り沙汰されているようです。

 

 

今年の大河は、奴隷として売られていく人々が描かれていたり、行く先々で通行税が取られたり、今まであまり描かれることのなかった戦国時代の実態が描かれていて、非常に興味深いですね。まだ4回しか放送されていませんが、今年の大河は

 

 

面白い。

 

 

 

 

薬草売りに変装して尾張に潜入する、明智十兵衛光秀(長谷川博己)と菊丸(岡村隆史)この後、織田信秀の刺客に襲われ、絶体絶命のピンチとなった時、謎の「印地打ち」集団に救われます。

 

菊丸とは一体何者?番組プロデューサーによれば、あと1ケ月もすれば正体がわかるそうです。

 

それまで待て!

 

いや、ほんと、今年の大河は

 

 

面白い!


映画『決算!忠臣蔵』 令和元年(2019)

2020-01-23 07:14:52 | 時代劇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

忠臣蔵を経済の視点から描いたコメディ。

 

しかしコメディとはいっても、基本的な史実の部分はしっかりと押さえており、決していい加減な作り方はしていない。相当な量の資料を読み込んでいるようで、その資料と資料の間にある「見えない」部分を、どのようなドラマとして組み上げていくかという、その展開のさせ方が秀逸なんです。

これは凄い映画ですよ。

 

 

赤穂藩お取り潰しから討ち入りに至るまで、何にどれくらいの経費が掛かったか、というのは、大石内蔵助自身が非常に細かく、具体的に記した書付が残っているので、この資料を基にして物語は展開していきます。

 

作中では、折あるごとに軍資金の残金が、現代の円に換算された金額で、スクリーンの右下にスーパーインポーズで示されます。物語が進むとともに、その示される額は当然ながらどんどん減っていくわけです。

 

勘定方の矢頭長助(岡村隆史)は無駄遣いを諫めますが、そんなもの利くものではない。長助は「金の使い方を知らん侍は、木偶の棒や!」と言って大石内蔵助(堤真一)を詰り、二人は大げんかをしてしまいます。

 

この矢頭長助と大石内蔵助は同い年の幼馴染。子供の頃はよく遊んだ仲だったらしい。しかし大人となってからは身分の差がはっきりとし、交流は途絶えていました。

 

しかしこの矢頭が、大石と間違えられて刺客に襲われてしまいます。息も絶え絶えになりながら、最期まで無駄遣いを諫める長助。

長助の死後、大石は長助の意志を継ぎ、倹約するよう努力し始めます。

 

この辺の展開が、実に上手いですねえ。

 

史実としては、長助と内蔵助が幼馴染だったという資料は存在せず、長助の死因は病死であって斬り殺されたわけではありません。しかしこの「嘘」の御蔭で物語は大いに盛り上がったわけで、

 

こういう「嘘」なら、許して良いでしょう。

 

 

登場人物一人一人は実に人間臭く描かれており、現代人にも親しみやすい。しかし武士の厳しさというものもしっかりと描かれており、コメディだからといって、その点は手を抜いていない。こうしたメリハリが見ていて実に心地よい。

 

 

親しみやすく分かりやすい展開の中、右下に示された残金の額はどんどん減っていく。これを見せられ続けた我々観客は、いつの間にか大石と一緒になって焦ってくるんですね。ああ、お金が減っていく~!

 

大石の気持ちと観客の気持ちが、一つになって行く。そうして突入するクライマックス。

 

上手すぎる!

 

 

そうして訪れた元禄15年12月。浪士全員が集まっての討ち入りの具体的な打ち合わせが行われ、必要な武器や小道具類が提示されるのですが、会議が白熱するうち、あれも欲しいこれも欲しい、あれが足りないこれが足りないとなっていき、計算上の残金は遂にマイナスになってしまう。どうする大石!

 

このシーンが、この映画最大のクライマックスとなるわけですが、あとは観てのお楽しみということで(笑)

 

まあでも、忠臣蔵に詳しい方なら、どういう展開になるか、先は読めちゃうと思いますね。おそらく「あの人」が登場してこういう情報を伝えて…みたいな部分は、通なら予測が付けられると思います。

でもつまらないかというと、決してそうではない。むしろ予想通りの展開になることを楽しみにしている自分がいることに気付きます。そうしてその通りになったときのカタルシスったら、

 

たまりませんね(笑)

 

忠臣蔵「通」をも納得させる絶妙のクライマックス。そこまで持って行く展開の見事さ。

 

脚本の勝利ですね。

 

 

経済という面から描かれた忠臣蔵は、おそらくこれが初めてでしょう。でもなんというか、忠臣蔵「らしさ」のようなものは決して外してはいない。ちゃんと忠臣蔵になっているところが素晴らしい。

では忠臣蔵「らしさ」とは何か、と問われると、上手く答えられないのですがね(笑)

 

 

面白いです!これは是非とも見て欲しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

『決算!忠臣蔵』

制作 池田史嗣

原作 山本博文(『忠臣蔵の決算書』新潮新書)

音楽 高見優

撮影 相馬大輔

VFXプロデューサー 斎藤大輔

脚本・監督 中村義洋

 

出演

 

大石内蔵助 堤真一

矢頭長助 岡村隆史

不破数右衛門 横山裕

堀部安兵衛 荒川良々

貝賀弥左衛門 小松利昌

吉田忠左衛門 西村まさ彦

原惣右衛門 木村祐一

間瀬久太夫 寺脇康文

板尾創路

滝藤賢一

大地康雄

村上ショージ

笹野高史

近藤芳正

上島竜兵

千葉雄大

桂文珍

大石松之丞(主税) 鈴木福

大野九郎兵衛 西川きよし

大石りく 竹内結子

搖泉院 石原さとみ

菅谷半之丞 妻夫木聡

大高源吾 濱田岳

浅野内匠頭 阿部サダヲ

 

令和元年 松竹配給 


麒麟がやっときたよー!

2020-01-19 22:16:49 | 時代劇

 

 

 

 

 

明智光秀の前半生は謎、ということで

 

かなり好き勝手に描いてましたね(笑)まあそれ自体は、全然悪くないんだけど、

 

 

『七人の侍』を相当意識してましたね。あえてパクリとはいわないけど(笑)

 

 

色鮮やかな映像に縦横無尽のカメラワーク。さすがNHKの映像技術は抜きんでたものがあります。私は楽しめましたけど、「国民から徴収した金を、こんなことに使うな!」と怒る人もいるんだろうね。やれやれ…。

 

 

長谷川博己さんの演技はまだ手探り状態なのか、賢さと荒々しさの両面を見せようとしているのでしょうけど、なんだかちょっと妙というか変というか、やり過ぎてる感じ。そのうち纏まってくるのかな。

 

門脇麦ちゃん、よかったですねえ。この方は独特の空気感を持ってる。良い女優さんです。

 

明智光秀と松永久秀が知り合いだったなんて話、聴いたことがないんだけど(笑)久秀役の吉田鋼太郎さんが良い味出してたので、まあ良しとしましょう。

 

川口春奈、ちょこっと出てきましたね。いまのところは可もなし不可もなし、か。

 

本年度日本アカデミー賞優秀助演男優賞受賞・岡村隆史さんもでてましたね。これからどう関わってくるのか、ちょっと楽しみ。

 

 

第1話としては悪くない出来だったんじゃないかな。この1話目を観る限り、少なくとも前半部はかなり好き勝手な展開になる感じですね。まあドラマなんだから、好き勝手だろうとなんだろうと、「面白い」ことが大事。

 

史実よりも、はっきり言って「面白い」事の方が大事、かも。

 

果たして「面白い」ドラマとなりますかどうか、

 

 

しばらく、観て行きましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

そうそう、声優の大塚明夫さんがゲスト出演してましたね。声優ファンのみなさん、気が付きましたかー!?


麒麟がこない (何故か大江戸捜査網のテーマ)

2020-01-05 23:55:40 | 時代劇

 

 

 

 

 

通常ならば、今日あたりから今年の大河ドラマ『麒麟がくる』が放送されるはず、でしたが

 

皆さまよくご存じの通りの事情により、2週間ほど放送が遅れておりますね。

 

 

そういうわけで、麒麟はまだ、こない。

 

 

主人公は明智光秀。興味深い人物ではありますが、あまり世間のイメージはよろしくない。

 

思えば、NHK大河ドラマというのは、割とイメージのよろしくない人物を主人公に据えることが多いですな。

古くは『花の生涯』の井伊直弼。『樅の木は残った』の原田甲斐。

『元禄太平記』の柳沢吉保。『風と雲と虹と』では平将門。『草燃える』では源頼朝。

 

『徳川家康』なんかもそうかもしれませんね。近年では『平清盛』などがその典型例でしょうか。あとは『太平記』の足利尊氏。『花の乱』の日野富子。

 

結構色々あります。

 

 

結構ね、大河ドラマって視点が面白かったりする。この伝統は大事にして欲しいなあ。

 

 

 

 

大河ドラマということで、今まで観てきた大河ドラマのなかで、一番印象に残っているのはなんだろう?と考えてみた。

 

やはり、昭和55年(1980)に放送された『獅子の時代』でしょうね。

 

二人の架空の人物が主人公なんです。一人は菅原文太演じる会津藩士。もう一人は加藤剛演じる薩摩藩士。二人は幕末の動乱を経て明治に至り、加藤剛の方は政府内で出世していくが、理想の政治と現実とのギャップに悩み続け、菅原文太の方は常に社会の底辺にあって、持ち前の反骨精神で、世の矛盾に立ち向かっていく。

立場を越えた熱い友情。激動の時代を両極の視点から描いていく。脚本は山田太一。非常に面白く、印象的なドラマでした。

大河ドラマでなにか一本おススメするとしたら、私は迷わずこの『獅子の時代』を選びます。

 

あとは『八重の桜』かな。『炎(ほむら)立つ』は、ドラマとしてはいまいちだったなあ。

 

 

 

そんなこんなで、『麒麟がくる』はたしていかに。

 

 

 

 

大江戸捜査網のテーマ

 

 

CS時代劇専門チャンネルにて杉良太郎バージョンの『大江戸捜査網』の放送が始まりました。

内容自体はどこにでもある、勧善懲悪痛快時代劇ですが、音楽がいいですよね。このテーマ曲が好きだって人、多いんじゃないかな。

 

【隠密同心 心得の条】

『我が命我が物と思わず

武門の儀 あくまで陰にて

己の器量伏し 御下命如何にても果たすべし

死して屍拾う者無し

死して屍拾う者無し』

 

 

 

かっちょええ~!


忠臣蔵の「怒り」~ファンタジーとしての時代劇~

2019-12-16 15:50:27 | 時代劇

 

 

 

 

 

所謂「赤穂事件」が起きたのは、徳川5代将軍・綱吉の治世。

 

綱吉は真面目な人だったかもしれませんが、学問に熱中しすぎた頭でっかち。儒学の教えを忠実に守ろうとし、特に親孝行には熱心でした。

 

綱吉の母・桂昌院は綱吉に子が出来ないのを心配し、時の高僧・隆光にその旨を相談します。これに対する隆光の返答が

 

「上様には前世に動物を多く殺したという因縁がございまする。この因縁を払拭するには、動物、特に上様の干支であられる犬を大切にされるとよろしいでしょう」

 

信心に篤い桂昌院はこの話を信じ、綱吉に進言します。綱吉もまた母に倣って信心深く、さらには親孝行に想いもあって、これを受け入れます。

 

この事が、いわゆる「生類憐みの令」へと繋がっていくのです。

 

この法令、初めは「動物を大切にしましょう」程度のものだったのですが、徐々にその内容はエスカレートしていき、ついには残飯をあさる野良犬を追い払っただけで、死罪にされかねないところまでいってしまう。

 

 

庶民は当然、こんな悪法を出した御公儀を恨みます。幕閣内では御側御用人の柳沢吉保が権力を握り、賄賂が横行しくさりきっている。

 

御公儀なんざ当てにならねえ!そんな大衆の不平不満が溜まりに溜まっていた丁度そのとき

 

「赤穂事件」「吉良邸討ち入り」が起こった。

 

大衆はこれに、やんやの大喝采を送ります。

 

 

 

 

 

 

 

 

浅野内匠頭が江戸城内松野廊下にて、吉良上野介に刃傷に及んだ理由は、実はよくわかっていません。

 

ただ、吉良上野介が非常に評判の悪い人物だったことは確かなようです。幕府はそんな「悪名」高い人物を一方的に保護し、一切御咎めなしとしておきながら、一方で浅野内匠頭には即日切腹という厳しい処罰を下します。

 

こんなのはおかしい!喧嘩両成敗はどうなった?幕府は悪い奴=吉良上野介を守り、被害者=浅野内匠頭を処罰するのか!?

 

御公儀は腐っている!

 

 

吉良上野介が本当に悪い人だったのかどうか、わかりません。しかし大衆にとって吉良は、腐った御公儀の象徴のような位置に置かれていたのでしょう。

 

 

いつしか大衆は期待します。腐った公儀に鉄槌を下してくれる者たちが現れることを。

 

 

悪漢吉良を、浅野の遺臣が討ってくれることを。

 

 

大衆は待ちに待った、そうして凡そ2年越しで、その願いは叶えられた。

 

赤穂浪士たちによる、吉良邸討ち入り。

 

 

大衆は歓喜します。

 

 

 

 

 

事件より5年後には、早くも人形浄瑠璃となって上演され、そうして事件より50年後には「仮名手本忠臣蔵」という歌舞伎の演目として完成されます。

 

 

大衆は何故、これほど熱狂的に事件を迎え入れたのか。失われたと思われていた武士道が、まだ生きていたことに感動したのか。

 

それもあるでしょう。しかし1番の理由は、大衆が、それもどの時代の大衆も常に抱えている、体制への「怒り」です。

 

 

赤穂浪士たちは武士道をもって、大衆の怒りを、鬱憤を晴らしてくれた。

 

そこに大衆は歓喜した。

 

 

 

 

いつの時代でも、一般大衆は体制に対してある程度の不平不満を常に抱いているものです。

 

しかし、大規模な体制転覆までは望んでいない。でも適度な鉄槌は下して欲しい。

 

赤穂事件は、『忠臣蔵』は、そんな大衆の想いに見事にマッチしたわけです。

 

 

 

忠義だなんだというのは、実は忠臣蔵の要素の極一部に過ぎない。一番の要素は「怒り」です。

 

怒りと言って悪ければ、「義憤」と言ってもいい。

 

だからこそ、そこには「正しき」武士道の発露が必要となる。

 

 

 

 

いつの時代でも、人を殺すことは、基本的には良くないことだとされてきました。

 

しかし武士は戦闘集団。戦いはつきものだし、武士の戦いには人を殺すことも伴う。

 

だからこそ、そこには大義名分がいる。武士としての「道」が必要となる。

 

 

そんな大衆の願いを、赤穂浪士たちはほぼすべて叶えてくれた。

 

だから熱狂をもって迎えられ、時代を越え。

 

いつしか「ファンタジー」となっていった。

 

 

 

 

 

考えてみれば、時代劇というのはすべからく、大衆の不平不満を、鬱憤を晴らすファンタジーですね。

 

悪党どもをバッタバッタと斬り倒す。現実に考えれば残酷で酷い行為ですが、そこにあるのはリアリティよりも様式美。

 

いわばこれは「ファンタジー」なわけです。

 

 

そのファンタジーたる時代劇の最たるものが「忠臣蔵」

 

なのでしょう。

 

いわば時代劇の「原点」なんですな。

 

 

 

さて、昨今の一般大衆は、ファンタジーよりもリアリズムを求めているかのように思われますが

 

しかして、ファンタジーがまったく捨て去られたわけでもない。

 

 

その辺りに、時代劇復活の「ヒント」が隠されているような気が

 

しないでもない。

 

 

リアリズムとファンタジー性とが見事に融合された時代劇の登場を

 

望むものです。


映画『赤穂浪士 天の巻 地の巻』 昭和31年(1956)

2019-12-08 22:22:10 | 時代劇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今一つ、中途半端感が拭えない映画でしたねえ。

 

 

監督は松田定次。脚本は新藤兼人。大石内蔵助役には、東映の株主で役員でもあったという御大、市川右太衛門さん。

北大路欣也さんの御父上ですね。

 

 

忠臣蔵というと大概、オールスターキャストという印象があるのですが、この作品はどうもそうとは云えない。宿敵・吉良上野介役に月形龍之介さんというのは、定番だし文句はない。浅野内匠頭には東千代乃介さん。

 

この方、2枚目として当時はそれなりに人気のあった方のようですが、錦兄いや橋蔵先生に比べると、申し訳ないですが格落ちの感は拭えない。

四十七士に至ってはほとんど知らない役者さんばかり。唯一、中村錦之助さんが出演されているのですが、その役は小山田庄左衛門という、あまり出番のない役で、しかも討ち入り直前になって、女と逃亡してしまうという役。

 

錦兄いに何故こんな役を?これには当時の観客もかなり戸惑ったのではないでしょうか。

 

 

 

この作品には、他の忠臣蔵モノには登場しない、オリジナルのキャラクターが存在します。

 

大友柳太郎演じる、浪人・堀田隼人と、その相棒で、進藤英太郎演じる大泥棒・蜘蛛の陣十郎です。

 

見ていて思ったのですが、この作品の本当の主人公は上の二人、堀田隼人、蜘蛛の陣十郎の両人らしい。

 

世を拗ねて半ば自暴自棄になっている浪人・堀田隼人と、その相棒・蜘蛛の陣十郎は、ひょんなことから上杉家家老・千坂兵部の間者となり、大石の動向を探るため、ずっと大石の後をおいつづけるんです。

 

堀田は訝しんでいます。戦国の世ならともかく、元禄の泰平の世に、武士道も地に落ちたこの時代に、

本当に、討ち入りなどするものがいるのか、と。

 

この作品は本来、そんな堀田の視点を中心とした物語だったのではないでしょうか。

 

少なくとも、新藤兼人氏が手掛けた脚本の段階では。

 

 

新藤兼人氏の脚本は、当初かなり前衛的なものだったらしく、そのままではとても観客の同意は得られないと判断した松田定次監督が手直したらしいです。

 

 

おそらくは、元々の脚本では大石内蔵助の出番はもっと少なかったのではないでしょうか。

 

なんとっても右太衛門御大は会社の重役だし、会社大看板である大スターです。その大スターを立てないわけにはいかない。

 

だから、右太衛門さんのシーンを増やした。

 

結果、今一つまとまらない、中途半端感が拭えない作品なってしまった。

 

間違ってたらごめんなさいね。

 

 

 

とはいっても、右太衛門さんの演技は素晴らしいです。これぞ時代劇といった様式美。細部まで計算されつくされた演技は芸術の域です。

 

その様式美は、もう一方の東映大看板、片岡千恵蔵御大とはまた違うんですね。千恵蔵さんは感情を激発させる演技が得意で、泣くときは顔をくしゃくしゃにして思いっ切り泣く。

対して右太衛門御大は感情をグッと抑える、こらえる演技が得意なんですね。泣くときも静かに、一筋の涙を流す。

どちらも素晴らしい。

 

 

この両御大が対決する名場面が、この作品には用意されています。

 

「大石東下りの場」

 

全体的に地味な印象の強いこの作品中、唯一忠臣蔵映画らしい華やかさがありますね。流石に両御大だけのことはあります。

 

 

この場面を見るだけでも、観る価値のある映画だと、

 

言えるかも、知れません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

討ち入りシーンは割とアッサリ短め。最大のクライマックスシーンのはずなのに、ここでも地味な印象は拭えない。

 

うーむ、やはり

 

中途半端感が、否めないなあ。

 

 

 

 

ラストシーン。江戸市中を行進する赤穂義士たちを見送りながら、堀田隼人がつぶやきます。

 

「死んだら終わりだ」と。

 

その後ろから千坂兵部、「彼らは永遠に生き続ける」

 

 

つまりはこれがやりたかったのでしょう。堀田という、赤穂義士の行動に懐疑的な人間の目を通して、忠臣蔵物語が日本人の心に残り続けてきた訳を語ろうとしたのだ。

 

しかし到底、上手く行っているとは言えない結果となってしまいましたが。

 

 

それでも、御大・市川右太衛門は素晴らしい。それだけは

 

 

間違いない。


映画『決算!忠臣蔵』予告編

2019-10-15 23:42:10 | 時代劇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

歴史学者、山本博文氏の著書、『「忠臣蔵」の決算書』(新潮新書)を原作とした映画『決算!忠臣蔵』が、11月22日より公開されます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

忠臣蔵を経済という側面からとらえた点がちょっと新しい、かな。

 

まあ、大河ドラマ『峠の群像』なども、経済学者の堺屋太一氏原作ということで、経済という視点が大きく加えられていたわけですが、今回はもっと、「金!金!金!」の話になるらしい。

 

そりゃあ一年半もの時間を掛けて事を成就させたわけですから、その間かなりの費用がかかったでしょう。江戸に潜伏するにしても家賃やら食費やらもかかるだろうし、江戸と上方を何度も往復すれば旅費も嵩む。病気になれば薬だって用意しなきゃならん。それと肝心の討ち入りのための武器も揃えなきゃならない。まあ、金掛かるわあ!

 

 

忠臣蔵は様々な視点から描ける物語だと、以前書いたことがあります。まさしく、私が指摘したとおりの忠臣蔵映画ができました!

 

流石私!誰も褒めないだろうから自画自賛しておこう(笑)

 

 

出演は大石内蔵助に堤真一。浅野内匠頭に阿部サダヲ。その他矢頭長助役でナイナイ岡村隆史が出てます。ていうか岡村さんが物語の中でも中心的な役割を果たしているようです。岡村さんは来年の大河に出演するし、時代劇づいてますねえ。

監督が中村義洋(殿、利息でござる!)ということもあるし、多分に笑える要素満載の忠臣蔵に仕上がっているようです。笑える忠臣蔵?さて、どうなんでしょうね。

 

実はそんなことよりも(ゴメンナサイ)、原作本を読んでいてよくわかったことがあるんです。

 

それは、かの三船プロ制作によるドラマ『大忠臣蔵』のことです。

 

山本博文氏による「原作本」を呼んでおりますと、経済的な話の他に、様々な史実が記載されています。

大石内蔵助が藩士たちに「退職金」を分配した話だとか、城明け渡し後も後始末が残っていたので、しばらくの間〇〇寺に滞在していただとか、そうした細かい話が書かれている。討ち入りに参加した者たちは下級武士が多かったとか、経済的なことと関連させながら実に細かいエピソードが書かれているわけですが、

 

これらのほとんどが、ドラマ『大忠臣蔵』で描かれているんです。

 

 

なんだか感銘を受けてしまいましてね。『大忠臣蔵』というドラマは、実に細かく資料を下調べして、史実という土台をしっかりと組みあげ、その上に虚構を積み重ねて、一つの「忠臣蔵」というドラマを組み上げたのだなあと、感心してしまいましたねえ。

 

結構いい加減なんですよ、忠臣蔵って(笑)そんな中、しっかりと資料を調べて、お金と時間も掛けて、オールスターキャスト

で、一年間という長丁場で、大河になんか負けない、忠臣蔵の「決定版」を作るんだという意気込み伝わってくるんですよね。

 

『大忠臣蔵』って、只者じゃない。

 

『大忠臣蔵』って、スゲエ。

 

ホント、スゲエよ。

 

 

 

 

あれ?『決算!忠臣蔵』どこ行った?

 

 

まあ、いいか(笑)

 

 

 

『大忠臣蔵』しばらく途絶しておりましたが、そろそろ鑑賞を再開しようかな。

 

話の展開、憶えてるかなあ……。

 

 

 

 

 

あっ、一応。映画『決算!忠臣蔵』11月22日(金)全国一斉公開!

 

 

 

 


時代劇『鬼平犯科帳』第1シリーズ 第19話 「むかしの男」

2019-09-04 05:31:59 | 時代劇

 

 

 

 

 

【脚本】安倍徹郎。【監督】小野田嘉幹。

 

 

 

 

この作品のハイライトは何と言ってもラストの鬼平さんのセリフです。そういう意味では「時代劇」カテゴリーとともに、「名ゼリフ」カテゴリーにも入れられるべき名作であるといえるでしょう。

 

 

主人公は鬼平さんではなく、鬼平の妻、久栄(多岐川裕美)です。

 

鬼平こと長谷川平蔵(中村吉右衛門)はじめ火付盗賊改一党は、甲州の方へ盗賊捕縛のため出張し、留守を久栄が守っておりました。

そんな久栄の元へ、一通の手紙が届きます。

 

差出人は近藤唯四郎(鹿内孝)。この男かつて久栄も家の隣に住み、世間知らずの少女だった久栄を口説き落とし散々弄んだ挙句に捨てた男でした。

 

かつては平蔵と同じ旗本だった近藤でしたが、人を殺めるなどして身を持ち崩し、今では盗賊の用心棒になり果てていました。

近藤の狙いは久栄の過去をネタに、捕らえられていた盗賊砂吉(きくち英一)を釈放させることでしだ。

 

しかし久栄はこれを毅然と跳ねのけます。近藤としては、昔の世間知らずの小娘だったころの久栄のイメージしかなかったのでしょう。この久栄の態度に戸惑います。

 

「おんなははじめての男を忘れぬものだが……」などと腑抜けたことをいうような男、それが近藤唯四郎でした。久栄の心底軽蔑したような視線にたじろぐ近藤。

 

これでは埒が明かぬと、近藤とその一味は久栄の姪と女中を拉致し、久栄を脅しにかかります。

しかしこれに屈するような久栄ではありません。近藤は久栄の家来や息子の手によって捕らえられ、蔵に入れられます。

 

帰ってきた平蔵が近藤と対面します。

 

近藤は平蔵に、久栄をおんなにしたのはこの俺だ、と勝ち誇ったように言い放ちます。

 

男にとって、特に武家の男にとっては、自分の女房に自分より先に男がいたなどというのは屈辱的なはず。自分が鬼平に勝てるのはこの点だ、と思っていたのでしょう。

 

しかし平蔵さんは平然として言い返します。以下そのセリフをほぼ全文掲載いたしましょう。

 

 

 

平蔵「それがどうした。だからどうだというのだ

そんなことは百も承知だ。承知の上で久栄を娶ったんだよ。

久栄はおもちゃにされ、傷ものにされて捨てられた。だがな、

久栄はおれの女房となって生まれ変わったのだ。

おめえの覚えている久栄は抜け殻同然の女だ。あの時久栄の親父殿がもう嫁にはやらんとあんまりこぼすんでな、よしそんならおれがもらおうと言ったんだ。

よくよく考えてみると、とうの昔から久栄に惚れていたんだな。ははははは。

惚れなきゃあ駄目だ。女にゃあ心底惚れなきゃ、女のほんとうの値打ちはわからねえ。

おれもお前さん同様さんざん道楽はしたが、命がけで惚れたは久栄たった一人だ。

久栄をほんとうの女にしたのはこのおれだ。

それがわかっているのは世の中、おれと久栄のたった二人きりだ」

 

 

 

 

私は基本、恋愛等の話はいたしません。ただ男女のことについて、なにか云える事があるとすれば、

 

それは、「リスペクト」があるかどうか、ということではないかな。

 

 

この鬼平さんのセリフには、久栄さんに対する強いリスペクトを感じます。久栄さん個人に対してもそうですが、女性全般に対するリスペクトも含まれている感じすらしますね。

 

 

基本、女性に対するリスペクトのない男は駄目なんじゃなかろうか。近頃話題の某俳優の裁判。あれなどは女性対するリスペクトのない男の典型なんじゃなかろうか、と思う今日この頃。

 

 

 

ちなみにこのセリフ、原作にはない、ドラマオリジナルのセリフなんです。でもいかにも鬼平さんが云いそうなセリフでしょ?

 

鬼平さんことをよく理解しているからこそ書けるセリフでしょう。流石です。

 

だから「鬼平犯科帳」は素晴らしいのだね。

 


アニメ『忍風カムイ外伝』昭和44年(1969)

2019-05-28 05:19:43 | 時代劇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

忍者漫画の泰斗、白土三平先生原作の『カムイ伝』のスピン・オフ作品をアニメ化したもの。『カムイ伝』によれば、カムイは層出身で、忍者となっても厳然たる身分差別があることに反発し、「抜忍」となるわけです。

 

忍者は「頭」の命令には絶対服従で逆らうことは許されない。そこから抜けることは「死」を意味する。

 

抜忍となったカムイは、生涯命を狙われ続けることになる。

 

 

『忍風カムイ外伝』とは、そんな抜忍カムイの、孤独で果てしなき逃避行を描いた作品というわけです。

 

 

逃亡者の話ですから、物語は当然ながら暗く、重い。

 

この作品、日曜日の夕方6:30からの放送だったそうで、日曜の夕方にこういう暗くて重い作品は流石に不評だったようで、視聴率がとれず放送打ち切りとなってしまったのだそうな。

 

 

ちなみにこの作品の後番組として始まったのが、国民的アニメ『サザエさん』なのだそうです。全然方向性違うね(笑)

 

 

私はこの作品を再放送で観たのですが、この独特の暗さ重さが魅力的で、夢中になって観たのを覚えています。

 

カムイの必殺技、「変位抜刀霞斬り」「飯綱落とし」いずれもかっこよかった。ちょっと水墨画っぽい画の質感とか、好きでしたね。

 

 

原作の『カムイ伝』は、マルクス主義的な階級闘争が描かれているとする解釈があるようですが、私は原作をちゃんと読んだことがないし、勿論子供の頃にそんなことがわかるわけはない。

 

ただこの作品の持つ、逃亡者の哀しみとか、戦いの激しさとか、それ故のある種の美しさとか、そうしたものに子供心に惹かれていたのであろうことは、間違いないです。

 

「名張の五つ」とか、敵忍者も魅力的でしたね。なぜ「五つ」という名前なのかわかりますか?それはねえ……。

 

 

いずれにしろ、日本のアニメ黎明期を支えた傑作編であることは、間違いないです。

 

 

 

 

 

「忍びのテーマ」歌・水原弘

 

日本レコード大賞受賞第1号歌手、水原弘さんが主題歌を歌っています。

 

渋いっすねえ。