国際学どうでしょう

私が気にしている情報のメモ

イスラエルはなぜ軍事行動を始めたのか

2006-07-31 22:18:40 | 時事問題
イスラエルは7月30日、レバノン南部空爆の48時間停止を明らかにした。レバノン南部カナに対するイスラエルの空爆で、民間人54人が死亡した事態をうけての措置である。停戦を求める国際世論に配慮せざるを得なかったためと考えられる。

今回のイスラエルのレバノン侵攻の直接的原因は、イスラム教シーア派組織ヒズボラが、イスラエル北部でイスラエル軍兵士二人を拉致したことである。ヒズボラは、兵士解放の条件として、イスラエルによるアラブ系収監者釈放を要求した。

7月12日、イスラエルは、レバノン南部からイスラエルに砲撃を加えていたヒズボラを根絶するために軍事行動を開始した。イスラエルは、なぜこのような行動に出たのか。(別にこの地域の問題に詳しくないので、エコノミスト誌7月15日号「偶発戦争」を下敷きにしていることを明らかにしておく。)

「引き金を引いたヒズボラの攻撃であるが、ヒズボラ側は何ら新しいことをしていない。ヒズボラはイスラエルを何度も攻撃している。バラクやシャロン首相の時代は、イスラエル側の反応は比較的穏やかであった。ヒズボラのナスララ師は、12000発のロケット弾がイスラエルに対する抑止となったと誇っていたという。

今回もナスララ師はイスラエルからの形だけの反応を予期していたかもしれない。そうであれば計算違いだ。イスラエルは、ヒズボラの前に、ガザのハマスから屈辱を受けていた。イスラエルのオルメルト首相は、軍人ではないので強く見えることが必要である。それゆえ二重の屈辱は耐えられないと談じた。それゆえに戦争を始めた。」

このような指摘が真実なのかどうかは分からないが、文民であるがゆえに強く見せなければならず強攻策に走ってしまったということはよくあることだ。たとえば、日中戦争を開始したのは文民である近衛文麿首相であった。

この話題は重いので少しずつ語りたい。
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白地に赤が基本でしょう

2006-07-30 02:26:08 | 雑談
私の子ども時代だから、昭和40年頃であろう。家庭用かき氷器が販売され始めた。私も欲しくてたまらず、親にねだって買ってもらった。ガリガリ手動式のレバーを回して、かき氷を作った。当然、イチゴ味のシロップをかけた(明治屋だったような気がするが、定かではない)。白い氷には赤いシロップをかけるのが定番でしょう。白地に赤は、日本人の基本でしょう。

初めのうちは、喜んでかき氷を作った。しかし生来飽きっぽい性格のために、すぐに飽きてしまった。かき氷屋さんで売っているかき氷とは、明らかに違ったからでもあろう。売っているものの方が、はるかにおいしかった。そして夏の終わりには、中途半端に残っている毒々しい赤い色のシロップが、冷蔵庫の片隅に放置されていたことが、記憶に鮮やかに残っている。
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FC2ブログのプライベートモード

2006-07-29 15:32:33 | 雑談
ワケあって数十人程度にだけ公開できるホームページの作り方を考えていた。もちろんド素人にもできるというのが大前提であることは言うまでもない。グーグルでいろいろと検索をしていると、FC2ブログにはプライベートモードというのが存在していること。それが私の考えに適合しているようであること。さらに私の技量でも使えそうであることが分かった。

考える前に飛べというモットーで、プライベートモードのブログを作ってみた。もちろんプライベートモードと言っても、インターネット上にあるのだから(さらにロハなんだから)、本当に機密性のあるものは掲載できないことは分かっていた。当たり障りのない文書等を掲載して様子を見ようと考えた。

しかし作って分かったことは、ブログ閲覧にはパスワードが必要になること。そのパスワードも閲覧する個別のメンバーに対して、個別のものを発行するのではないこと。つまり閲覧パスワードは単一であること。そして閲覧パスワードさえ分かれば、誰でもブログを読めることである。さらに数十人に同じパスワードを通知すれば、それがいかなる第三者に伝わるか予測できないことは、火を見るより明らかであった。

タダで何をどこまで期待しているのかと、おしかりを受けそうであるが、半日つぶして分かった結果が以上のことである。しかし作ったサイトは内緒であるが、使い道がないわけでもないことも分かった。たとえば仲間内で作っているブログにエントリーを正式に公開する前に、仲間のチェックを受ける場所としては使えるのだ!

FC2ブログ
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環国人情

2006-07-27 00:34:31 | 雑談
「かんこくにんじょう」って知っているか?とK先生に尋ねられた。「韓国の人情」がどうしたのか?と思ったが、全く筋違いもいいところであった。漢字では「環国人情」と書く。その意義は、Yahooの新語探検には、次のように載っていた。

「最近、大学の新設される学部のなかで数が増えており、なおかつ受験者も多くなって目立っている、「環境学部」「国際関係学部」「人間学部」「情報学部」の頭文字。」

新語探検では「かつては「文経法理」(文学部、経済学部、法学部、理工学部)が主流といわれていたが、次第に受験者たちは「環国人情」に移りつつある」と極めて好意的に書かれている。

私が聞いた話は、全く違う。K先生曰わく、予備校では「環国人情」は、うさんくさいから進学先として薦められていないということである。

(うさんくさいと言えば、一般的に学問の存立それ自体が、何らかのうさんくささを持っているが、それはさておき)

私もそのうさんくさい国際学部の一員である。確かに学部創設時から、学部の根幹である国際学とは何かについて、果てしない議論が行われてきて、様々な論文が書かれたが、すっきりとはしていない。

私は、理論的では全くない。それゆえ、国際学には周辺の各論があるだけで、中心は空(くう)であるとうそぶく。しかし同僚各氏は、ものすごく寛容なので、あまり強い反発を受けない。議論は尽くすが、他者の意見に寛容なこの雰囲気が、私の気に入っているところである。

私は、うさんくさい国際学が全く気にならない。私の専門・政治学も、国際学と同様に、うさんくさいものであるからだろう。

政治学というものは、きわめて緩やかな学問である。対象としているのが政治であるということが共通であるだけ。その政治に、どのような問題意識を持ち、どのようなやり方で接近するかは、各人の自由に任されていると言ってもよい。このあいまいさが、私には魅力であった。

国際学部の勉学も同様で、外国(異文化)の視点から考えるという一点さえ押さえれば、あとはどのような対象を、どのような方法で研究しても自由というのは、面白いと思うのだが。うさんくささと面白さは、関係しているのではないか?

これは私の独りよがりではない。私の勤務先・大阪学院大学国際学部を卒業した人々も似たり寄ったりのことを言っている。どうか次のブログをご覧いただきたい。ちきゅうじんブログ
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てんぱる

2006-07-26 12:50:17 | 雑談
「てんぱる」という言葉を、若い芸人さんがテレビで使っていたのを聞いたが、その意味がよく分からなかった。昨日参加者40歳以上の宴会で尋ねた。さすが教員の集まりだけあって、麻雀のテンパイが語源ということは教えていただけた。(テンパイ『聴牌』、麻雀で、あと一枚必要な牌がくればあがることのできる状態。「大辞林」)

しかし語義がよく分からない。「酔亭」店員のおねえさんに聞くと、即答えが返ってきた。パニック状態の一歩手前みたいな感じらしい。なるほど。

聴牌とパニック一歩手前がどうしてつながるのか?手持ちの国語辞書には、まだ掲載されていない。しかしYahooの国語辞典には載っていた。Yahoo畏るべし!

(動ラ五)
〔補説〕 名詞「聴牌(テンパイ)」の動詞化
[1] 麻雀で、聴牌の状態になる。「三巡目で?・る」
[2] 転じて、用意がすっかり整って対応できる状態になる。また、目一杯の状態になっている。

なるほどそういうことか。よく分かった。秋から学生さんの前で使うことにしよう。
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中国における弱者の擁護者が権力に楯突く-陳光誠氏のこと

2006-07-25 00:12:59 | 時事問題
ニューヨークタイムズの7月20日付の記事「中国における弱者の擁護者が権力に楯突く」に関して。中国における開放政策の今後を占う上で、法治主義は非常に重要である。ニューヨークタイムズでも、中国における人権とならんで法治主義に対する関心は高い。

もちろん、中国でも最近法治主義に対する自覚が高まってきた。たとえばこの記事が扱っている陳光誠(Chen Guangcheng)氏は、盲目であり独学で法律を修めた活動家である。彼は、農民の権利の擁護者であり、それなりの成果を収めてきた。たとえば、彼の地元の製紙工場が、有害物質を含む排水を川に垂れ流すことをやめさせた。このような人物が活動できること自体、中国が法を重視していることの証拠である。しかしこの人物が昨年から、一人っ子政策に関わる集団訴訟を行う中でトラブルに遭っている。

山東省臨沂市人民政府は、物理的強制手段で一人っ子政策を遂行していた。彼は、これを非難したのだ。現在では物理的強制手段は違法である。説得と罰金で政策遂行するのが筋である。しかしこれでは成果があがりにくいので、昔ながらの物理的強制手段が用いられがちである。

さらに彼は、北京において集団訴訟を準備していた。そのとき(昨年9月)臨沂市人民政府関係者に拉致され、彼の自宅などに軟禁され、外部との連絡が絶たれている。そして今年6月についに、陳光誠氏に対する訴訟が行われた。公共財産の破壊と交通妨害がその罪名である。

前者は、今年2月、地元住民と陳氏を警備している警官との間の衝突が原因である。地元住民は、旧正月に、弱っている婦人を、警備している車で病院に連れて行くことを拒否した警官に対して怒りを爆発させたのだ。その過程で車が傷つけられた。

後者は、今年3月、陳氏が、友人が役人に殴打されたと聞き、責任者に会いたいと要求したことに関わっている。地元の党本部を訪問することが許された。そのとき警備のものが付いていき、車を遮断することを助けた。そして陳氏が道の真ん中で車を止めている写真が撮られたのだ。

陳氏の弁護団は、臨沂市を訪問すれば死を招くと脅迫され、実際市に入ることを妨害されている。警察は捜査を拒否している。住民は、陳氏の証人にならないように警告を受けているという。
(Advocate for China’s Weak Crosses the Powerful, http://www.nytimes.com/2006/07/20/world/asia/20blind.html)

この事例は、中国の法治主義を権力に楯突くために使うと、まだ復讐を受けることがあるという実態を示したものである。もっとも、このような情報が外部に届くこと自体が進歩なのかもしれない。
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ムンバイのテロ

2006-07-24 00:05:42 | 時事問題

「インドの恐怖。ムンバイのテロ攻撃は、印パが、カシミール問題を解決しなければならないことを指し示している」(エコノミスト誌、7月15日号)。学習のために大意を記す。

===
今回の積極的な面は、インドのシン首相の最初の反応が、平穏と抑制を呼び掛けたことである。2001年12月、テロリストがデリーのインド議会を爆破しようとしたとき、当時のインド政府が、パキスタンとの全面戦争のために動員したのとは対照的である。

パキスタンのムシャラフ大統領に対して、インドでは二つの見方がある。彼は、本質的に、平和派であり、カシミールについてインドと取り決めをして、武闘派を抑えようとしているというもの。他方、多くの影響力あるインド人は、ムシャラフ将軍を信用していない。彼は、一方で平和を語るが、ISI(パキスタン情報機関)がインドに圧力をかけるために、テロ集団を利用することを許していると考えるのだ。

問題は、無実のインド人が死ぬごとに、インドのパキスタンに対する態度が硬化することである。それは誰の利益でもない。ムシャラフ将軍に対しては、メッセージは明らかである。彼の情報機関がパキスタンで養成した聖戦を実行するものを処分しない限り、パキスタンの国家イメージを改良するあらゆる試みは無に帰するであろう。しかし責任は、ムシャラフ将軍にだけあるのではない。

ムンバイで起きたテロ行為の言い訳になるようなことはない。まだイスラム過激派とテロとの関係は証明されていない。しかしカシミールの公正な解決は、流血を減らすであろう。ムシャラフ将軍は、何度も建設的提案を行った。しかしインドは、シン首相の努力にもかかわらず、ぐずぐずしたままだ。

インドは、力の立場から交渉をするのだ。インドは、カシミールの非常に豊かな地域を保持している。インドが考えるいかなる解決も、それを変化させない。しかし管理ラインを超えたバス運行、インド人のための自治権提案は、インド統治下の平和的カシミール分離派さえ満足させない。まして殺人を厭わない聖戦を唱えるものは満足しない。インドが、カシミール問題の解決のために多くのことを行う必要があるというのは、テロ融和ではない。今までのところ、インドは、公正な取引をするために、テーブルに十分なものを積み上げていない。

インドは大国となることを望んでいる。年間経済成長率6から8%に上げることで、インドは、注目を大いに浴びている。ムンバイにおける惨劇は、この進歩を損なわないであろう。ムンバイは、常に混沌とした都市であった。昨年のモンスーンの洪水を処理できなかった当局の無能を見よ。しかし今回の爆発は、インドはものすごい宣伝にもかかわらず、平和な国家とは限らないということを想起させた。パキスタンと完全に融和するまで、パキスタンが悪の権化を地に伏せさせるまで、インドは、経済的であれ地理的であれ、潜在能力を十分に発展させられない。これらの二つとも、カシミールのしっかりとした解決なしには起こりえない。
======

カシミール問題については、私は無知に近い。大ざっぱな事実だけを並べることしかできない。

カシミールとは、インド、パキスタン、中国の国境付近に広がる山岳地域の名称。

1947年8月、インドとパキスタンのイギリスからの独立の時に、問題が起きた。元来カシミールを統治していた藩王は、独立を考えていた。藩王は、ヒンドゥー教徒であったが、住民の多数がイスラム教徒であったことが関係している。周知のようにインドは、ヒンドゥー教が多数。他方パキスタンは、イスラム教を国教としていた。

パキスタンが、武力介入したことで、カシミール藩王は、インドへの帰属を表明して、インドに派兵を求めた。いわゆる第一次印パ戦争である。その後、印パ両国は、1965年、1971年にも戦火を交えた。

2003年4月、インドのパジバイ首相による印パ関係改善の発言を受けて、カシミールの管理ライン付近での停戦、航空便・鉄道の再開、大使の交換が行われた。その後も、関係改善は続き、管理ラインをまたぐバスルートの開通、弾道ミサイル発射実験相互通知の取り決めなどが行われた。
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ドミニカ移民問題のとりあえずの解決

2006-07-23 01:21:29 | 時事問題
小泉内閣は、いい意味でも、悪い意味でも世論に敏感である。ドミニカ移民問題では、世論に敏感であることが、被害者救済にプラスに作用した。

ドミニカ移民問題とは、1950年代後半、「豊かな農地が与えられる」と政府が移民を募ったことに対して、ドミニカに249家族1300人あまりが入植したことに端を発する。実際現地では、土地は狭く耕作に適さなかった。困窮した移住者の多くは60年代に帰国した。

残留した移住者が2000年に提訴した。今年6月、東京地裁判決では、移住者の賠償請求権が、提訴時に入植から20年以上すぎて消滅していたために、政府が勝訴となった。

しかしその後官邸のリードで、過去の移民政策について「率直に反省し、おわびする」という首相談話を閣議決定し、救済策もまとめた。

「政府は今後、全移住者に「特別一時金」として1人あたり最大200万円を支給するほか、2つの日系人団体を通じた移住者保護謝金も年間最大22万円から55万円に増額する。また、ドミニカの日系人社会の拠点作りのため、資金援助も行う予定だ。」

これを受けて、訴訟の原告は、訴訟を取り下げることを決定した。21日には、首相と原告団の面会も行われた。

「小泉首相との面会後、ドミニカ移民訴訟の原告ら6人は東京・霞が関の司法記者クラブで会見。嶽釜事務局長は、「これから政府が約束を守ってくれたら、今までだまされたことを許せるのかな、と今は思っている」と話した。移住から4年で集団帰国した小市仁司さん(78)も「本当はまだ闘っても良いと思うが、総理は温かい言葉をかけてくれた」と述べた。」
(http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20060721i114.htm)

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バイ・デザイン社長は、アキア元社長だったのか

2006-07-22 01:09:43 | 雑談
90年代の終わり、アップルが、一時期互換機を認める路線をとったとき、液晶モニタとセットで、スマートなデザインの(アップル互換)デスクトップを作っていたアキア(AKIA)というメーカーがあった。結局アップルが、互換機を認めない路線に戻り、アキアは振り回されるという格好になった。

アップルの互換機路線が、継続していたら、私はきっとアキアのデスクトップを購入していたはずだ。私のパソコン買い換えのサイクルが、残念ながら、アキアの互換機発売期間とあわなかっただけである。

その後アキアは、PC/AT機を作ったという話であった。しかしPC/AT機は、私の関心外であったので、その後どうなったのかは詳しく知らなかった。結局パソコンからは撤退となったらしい。

アキアのマック互換機は、私の潜在意識に強く影響を与えていたのであろう。現在のMacMiniプラス液晶モニタというのは、中で動いているソフトはさておき、外形的には90年代に見たアキアのデスクトップとほぼ同じものである。

「ケチケチで対ブランド」(朝日新聞7月21日、ウェッブ版はなし)という記事を読んでいて、アキアの元社長が、バイ・デザインの社長を務めているということに、私は強烈に反応してしまった。お名前は飯塚克美さんである。(もっともアキアの前はデルの日本法人社長も務めたのである)

バイ・デザインは、地デジチューナー搭載の37インチフルハイビジョン液晶テレビを19万円台で売るベンチャー企業ということである。私のテレビ環境が、何年も前に買ったブラウン管14型であり、バイ・デザインが売っているものとは、違いすぎるのでよく分からない。しかしバイ・デザインのものは、ブランドメーカーより10万円安いということである。

なぜ安く売れるのかというと、バイ・デザインは、「工場を持たず(いわゆるファブレス)、ブランドイメージを高めるための広告宣伝費を大手のように使わず、出費がかさむ営業もしない」からである。

それじゃどうしてバイ・デザインの商品を広められるの?という疑問が出るが、飯塚さんによれば「口コミを使えば、お金を使わずに認知度を高められる。それにはインターネットで取り上げてもらうのが一番」ということになる。

「バイ・デザインの売上高の約7割は、消費者がブランドをあまり気にしない北米の稼ぎによる。だが、飯塚社長は「日本人のブランド志向は弱まっている」とみる。米アップルコンピュータの携帯音楽プレーヤー「iPod」が、ソニーの「ウォークマン」をけ散らしたではないか、そう考えている」

うーん。私は「アップル」もブランドで、ブランドイメージを維持するために、ものすごいお金をかけていると思うので、飯塚さんの見解には同意できない。日本人のブランド好きはまだまだ強固だと思う。でもバイ・デザインというメーカーを私は強く支持したいと思う。2011年くらいに、14型のブラウン管テレビを買い換えざるを得ないであろうから、そのときにはバイ・デザインのものを買います。多分。
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米政府が自民・穏健野党へ秘密支援

2006-07-21 00:26:59 | 歴史
冷戦後に広まった認識では、日本の戦後政治(冷戦崩壊まで)は、つまるところ、米ソ冷戦の国内版であったということである。誤解を恐れずに極言すれば、自民党=アメリカの応援団、社会党=ソ連の応援団と言ったことになろうか。

社会党は、あからさまにソ連を応援したと言うよりも、日米安保反対・非武装中立を唱えるという意味で反米的であった。それに「敵の敵は味方」という政治の論理を当てはめれば、ソ連の応援団ということになるということなので、社会党支持の皆さんは怒らないでほしい。

その社会党がいつまで政権を本気で執る気だったのか?うろ覚えでは、岸信介内閣の1958年選挙が、社会党の議席の最大であった。その後の選挙で敗北し、ついには当時の中選挙区制のもとで、共倒れをおそれ同一選挙区複数候補者の立候補を躊躇することが通例となった。これでは政権はとれない。だからおおざっぱなな話、1960年代前半までか?

1950年代末には、社会党の勢いに対して、自民党内でも警戒がなされていた。竹下登元首相が初当選したのもこのころであるが、自民党議員の先輩から、野党になったときの心構えを考えるように言われていたという。(これも典拠うろ覚えだ)

10年ほど前、アメリカの情報機関が日本の保守党に資金を提供していたと言うことが話題になった。それが今回、アメリカの公文書で再確認されたという記事が出ていた。しかも時期的に、上記の社会党が政権とるかもしれないと恐れられていた時期と重なる。さらに社会党を分裂させて、穏健野党を作り出すことにも関係しているらしい。多分民社党のことだろう。これは好奇心を刺激させられる。

「米政府が自民・穏健野党へ秘密支援 米外交文書で確認
2006年07月19日06時19分
 米国務省は18日、ジョンソン政権(1964~68年)下の対日外交文書集を刊行し、複数の自民党幹部と野党内の穏健派を対象とした米政府の「秘密支援作戦」(資金援助)が、50年代後半から64年まで存在していたことを裏付ける文書を公開する。中央情報局(CIA)による自民党への資金援助については、94年に米紙ニューヨーク・タイムズが報道したが、公文書で確認されるのは初めて。野党の一部にも資金が及んでいたことが明らかになり、戦後史に新たな光が当てられることになる。」
(http://www.asahi.com/politics/update/0719/001.html)

記事にも書かれているように、もう現実政治ではなく、戦後史の話になったんだな。また余裕ができたら、この公文書を見てみたい。
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