国際学どうでしょう

私が気にしている情報のメモ

澤地久枝『密約』について(4)

2007-01-02 00:11:34 | 
テレビ朝日系の『ザ・スクープ』という番組が、2006年12月10日、西山事件を取り上げた(「沖縄返還35年目の真実 ~政府が今もひた隠す”密約”の正体~」)。私はネット配信の映像で見た。老境に入った西山氏の凛とした姿を見ることができたのは満足であった。

何よりも驚いたのは、吉野文六氏が出演し、密約について淡々と語っていたことである。そしてさらに驚いたのは、2000年アメリカ公文書公開により、「密約」が明らかになったとき、外務省高官から吉野氏に対して、「密約」に関しては、従来通りの方針(すなわち密約は存在していないということ)で行きましょうという電話がかかってきたと、吉野氏がこともなげに語ったことであった。さらに追い打ちをかけるように、吉野氏は、外相からも直々に同趣旨の電話があったと語ったのだ。

2000年の外相といえば、河野洋平氏だ。実は河野氏は、西山事件裁判控訴審で弁護側証人として出廷したのだ。澤地氏の要約によれば、1975年11月27日、河野氏は次のように発言している。

「父子二代の与党政治家の体験から、マスコミの役割を高く評価し、外交交渉について、開かれた場で、徹底した取材活動がなされなければ後遺症を残すと証言」

つまり河野氏は一般論ではあるが、西山氏を弁護しているのである。25年後に外相になったとき河野氏は、その西山氏が裁かれる原因になった密約に関して、従来通りで行きましょうと吉野氏に求めたというのである。河野氏は、外相として、別の大きな目的を追求していたのかもしれない。そのために昔の密約問題で省内に波風を立てたくなかったのかもしれない。たとえそうだとしても別のやり方が、あったように思える。(もっとも、公平のために記せば、国会においてこのことが2006年質問されたとき、麻生太郎外相は、当時の外相から吉野氏にこのような電話があったことは承知していないと答弁している。)

さらにまた驚いたことに、当時検察のサイドでこの裁判を「情を通じる」という方向に誘導したのは、現在の民主党参議院議員佐藤道夫氏であるということだ。佐藤氏も『ザ・スクープ』に出演していた。そして当時知識人が「国民の知る権利」と騒いでいたことに対抗するために、「情を通じる」というスキャンダルの方針を打ち出したと述べていた。佐藤氏は、スキャンダルこそが事実であると確信していた。なお国会で佐藤内閣を追及していた横路氏も、今では同じ民主党に属する。両氏はこの問題について、意見交換をしたことがあるのだろうか。

西山事件はまだ終わっていない。西山氏は、密約の存在がアメリカ側文書から確認されたことを契機に、不当な裁判で被害を被ったと国賠訴訟を行っている。裁判は結審し、来春判決が出されるという。裁判所は、密約に対してどのような判断を下すのだろうか。

『ザ・スクープ』
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澤地久枝『密約』について(3)

2007-01-01 00:36:52 | 
私はこの「密約」(米軍基地原状回復に関する費用400万ドルを日本が肩代わりするが、あたかも米国が支払ったかのようにすること)にさほど関心がないと言った。実際、大学の講義において沖縄返還交渉について簡単に説明するとき、私はこの「密約」に触れることはない。私が、日本政府は常に正しいことを行っているという立場に立っているからではない。

沖縄返還には、これよりももっと大きな「密約」があるからである。例えば、沖縄返還の代償として、日本がアメリカに対する繊維製品輸出自主規制を約束したこと。またこの交渉で密使をつとめた若泉敬氏が『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス 』で明らかにしたように、有事に沖縄に核兵器を持ち込む約束をしたことを説明することで手一杯であるからなのだ。

さらにお金の話しをすれば、沖縄返還の際に日本がアメリカに対して負担した金額3億2000万ドルそれ自体が、そもそも「つかみ金」みたいなものなのだ。例えばその中に、沖縄に存在した核兵器の処理費として7000万ドルが計上されているが、実際の費用は500万ドルであるのだ。このようなことを考えると、400万ドルのお話は陳腐に思えてしまう。

もちろん陳腐と書いたのは、私の傲慢のなせる技である。この「陳腐な密約」すら、日本政府は一つも認めていない。陳腐な密約を認めると、すべての密約が明らかになという連鎖が恐れられているのだろう。

しかし驚いたことに、2006年2月、吉野文六氏がこの「陳腐な密約」を認める発言をしているというのだ。吉野文六氏は、西山事件のときの外務省条約局長であった。裁判では、吉野氏は職務上、密約は存在しないという証言を行った。

吉野氏が、一転して密約を認める発言をした真意はよく分からないが、2000年、2002年にアメリカ公文書の公開により、この密約がアメリカサイドから明らかにされたことが関わっているらしい。(続く)

池田龍夫『沖縄返還密約「吉野文六証言」の衝撃と米軍再編』
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澤地久枝『密約』について(2)

2006-12-31 00:12:17 | 
失礼を承知で言えば、私が感心したのは「密約」や「すりかえ」ではなく、澤地氏の人間観察力である。澤地氏が、同じ年生まれで相当苦労をしてきた蓮見事務官に関心を持ったことが、『密約』を書くきっかけであった。澤地氏は実際法廷に通い、蓮見氏にもアプローチする。蓮見氏は、裁判では起訴事実を全面的に認め、裁判を早く終え、世間から忘れられたいと望んでいた。

「『あのとき、女として私は魔がさしたのかも知れない。しかし過ぎたことは、過ぎたこと、後悔はすまい。それよりももう一度、沖縄返還交渉そのものが、正確に真実を歴史の上に記されることを願う』という心境にまで、這い上がってきて欲しい。」このように澤地氏は蓮見氏に呼び掛けるが、拒絶された。

蓮見氏は、法廷では、政治や経済に関心のない平凡な女、情事におぼれて秘密書類を持ち出させられた弱い受け身の女であると提示された。このようなことを前提として、蓮見氏は起訴事実を全面的に認めた。一審判決は、懲役六ヶ月、執行猶予一年であり、蓮見氏はこれに服した。しかし澤地氏は、このように描かれた蓮見氏の人間像に基づいた議論に疑義を呈する。

「十九やはたちの小娘ではない。有能な秘書事務を十年も続けてきた分別と、四十代の女盛りをむかえた生身のひとりの女。……隙間風の吹くはだはだの夫婦生活。ゆれて燃える女心がそこにあったとしても不思議ではない。なにも知らずにだまされて肉体関係をもち、書類の持ち出しをそそのかされたのだと主張する方がむしろ不自然なことであった。」

そして澤地氏は、この蓮見氏とかつて関係をもったX氏の証言を引き出している。X氏は仕事で外務省に出入りをしていた。蓮見氏と仲良くなったX氏は、食事をする関係になった。あるとき蓮見氏はX氏を食事に誘い、「遅くなってもかまわない」と言い、暗かった青春時代、結婚生活の中での寂しさ、自殺を企てた過去などをはき出すように述べた。蓮見氏は店を出ると、酔うほどのアルコールではなかったが、歩けいないと言う。タクシーに乗せると、蓮見氏は、正体がなくなったように体をもたせかけてきた。とてもそのまま帰れる状態ではなく、どこかで休もうと言うことになった。X氏はつぶやく。「そういうときの男がどんな気になるものか、わかりますか?」

このように抜き出すと澤地氏が、蓮見氏を断罪しているかのように受け取れるが、決してそうではない。政治に翻弄された一人の女性として、しかも自分と同時代を苦労して生きた女性としての共感を持ちながら記述されるのである。このあたりを理解するには、本を読んでもらうしかない。(続く)
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澤地久枝『密約』(岩波現代文庫)について(1)

2006-12-30 13:43:58 | 
絶版になっていた澤地久枝『密約』が、岩波現代文庫から出版され、書店にならんでいたのに気がついて購入した。『密約』とは、沖縄返還交渉に関わるものである。返還される米軍基地原状回復に関する費用400万ドルを日本が肩代わりするが、あたかも米国が支払ったかのようにするということである。

毎日新聞の西山太一記者は、この件に関する機密電信を外務省事務官蓮見喜久子氏から得た。71年5月から6月における新聞紙上の報道では、機密電信自体を暴露することは避けた。機密電信を公表すれば、情報提供者を保護することができなくなると判断されたからである。新聞報道だけでは状況は変化しなかった。

事態が急変したのは、機密電信が横路孝弘衆議院議員(当時社会党)にわたり、彼が、72年3月この電信を手にして、佐藤政権の責任を国会で問いつめたことを契機とする。佐藤栄作首相は、密約を認めずのらりくらりと責任を回避した。他方機密電信が公にされたことで、情報提供者の追求が行われた。4月4日蓮見事務官は職務上知り得た秘密を漏洩したこと、西山記者は漏洩をそそのかしたことで逮捕された。

この事件をめぐる裁判は、当初「国民の知る権利」「報道の自由」をめぐって争われるかのようであった。しかしここでも事態は急変し、辣腕記者が外務書女性事務官と「情を通じ」、その関係を利用して機密書類を奪ったというスキャンダルの側面がクローズアップされた。一審判決では、蓮見氏は懲役六ヶ月、執行猶予一年。西山氏は無罪となった。蓮見氏はこの刑に服した。他方検察は西山氏無罪について争った。最高裁まで争われた結果、西山氏に対して懲役四ヶ月執行猶予一年の刑が確定した。

「西山元記者は、国民の知る権利を行使して、国民として当然のことをやってくれたので、犯罪にすべきではないと思う。ただ、その取材の方法が、女の人を脅迫するみたいなやり方で、卑劣だった。いくらかの刑罰は仕方ないと思っていた。こんどの決定は懲役ということで重そうだが、執行猶予つきであり、あれくらいはやむをえないであろう」

これは最高裁判決を受けた、市川房枝参議院議員(当時)のコメントである。おそらく当時の良識的見解と思われる。しかし澤地久枝氏はこの見解に対して異を唱える。「女の人を脅迫するみたいなやり方で、卑劣だった」とは何を根拠にしているのかと?澤地氏は、「国民の知る権利」(密約)を「情を通じ」(スキャンダル)にすりかえた、国家権力のやり方を問題にしているのである。(続く)

密約―外務省機密漏洩事件

岩波書店

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論語と笑い

2006-12-17 00:49:44 | 
呉智英『現代人の論語』(文春文庫)を読んだ。恥ずかしながら、私は論語を通読したことがなく、啓蒙されることが多かった。この本の中でもっとも印象に残っているのは「第三十八講 子游 笑いを呼ぶ謹厳さ」である。なぜならば、論語ともっとも縁遠い(と私が思いこんでいた)笑いの要素が、論語にあることが示されていたからだ。それは次のようなものである。

子、武城に之きて絃歌の声を聞く。夫子完爾として笑いて曰く、鶏を割くに焉んぞ牛刀を用いん。子游対えて曰く、昔、偃やこれを夫子に聞けり、曰く、君子道を学べば則ち人を愛し、小人道を学べば則ち使い易しと。子曰く。二三子よ、偃の言是なり。前言はこれに戯れしのみ。(陽貨篇17-4)


呉智英氏の通釈を次に掲げる。

孔子は弟子たちを伴って魯国内の小さな町武城に赴いた。武城では《孔子の弟子》子游が「宰」(取り締まり)となっていた。…
 さて、武城の町を歩いていると、礼楽の作法に則った琴と歌が聞こえてくる。…それにしても、武城の如き小さな田舎町で文化とは!孔子は思わず笑って言った。「鶏をさばくのに牛刀を使うこともあるまいにな」。師の傍に立って町を案内していた子游が謹厳な顔を一層硬くして言った。「以前、この偃(子游の本名)は先生からこうお聞きしております。為政者が礼楽の道を学べば人民を愛するようになり、民衆が礼楽の道を学べば民度が高まる、と」。こんな小さな武城の町でも礼楽を優先させたのだと、真顔で孔子を見上げる。孔子はおかしさを噛み殺しながら言った。「うむ。そうだ。諸君、子游の言葉が正しいのだぞ。なに、先程のはちょっと冗談を言ったまでだ」


呉智英氏の指摘に大いに心動かされたので、本箱の片隅にあった論語を持ち出して読み始めた。しかしながら昔のことわざに言うところの「須磨源氏、公冶長論語」(源氏物語は須磨の巻でやめ、論語は公冶長篇でやめる)となってしまったことは言うまでもない。
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『ニートって言うな』

2006-11-29 00:12:57 | 
ゼミでニートの話題が出て、学生さんがそれぞれいろんな意見を述べて、大変盛り上がった。ニートという言葉はよく聞くが、それについて深く考えたことがなかった。私はニートとは、フリーターとは対極にある、働くのが嫌な若者たちであると素朴に考えていた。若い人の間にニートが増えているのは、嘆かわしく困ったものだと考えていた。とりあえず、本田由紀他『ニートって言うな』(光文社新書)を読んで見て、ずいぶんいろいろと考えさせられた。

ニートとはNot in Education, Employment or Training の略である。イギリスで最初に使われた言葉である。2003年頃から日本でも使い始められた。しかしイギリスでの用法と、日本での用法は相当違う。イギリスでは16歳から18歳までを対象にしていて、特に貧困、低学歴、人種的マイノリティのために、社会から排除されがちな人物をいかに救うかということにポイントがあるという。この中には当然失業者が含まれる。しかし日本でニートというと、対象が15歳から34歳に拡張され、その中に失業者は含まれていない。マスコミでは、ニートは「ひきこもり」などと同じ意味合いで使用される傾向が強い。

本田氏はニートという概念が含む問題を提起する。すなわちニート中には、「ひきもり」「犯罪親和層」なども含むが、「とりあえず働く必要もない人」、さらに「非求職型」すなわち働く意欲があるが当面は求職していない人々(進学希望者、資格取得中のもの)を含む。概念的に雑多なものである。さらに第3のカテゴリは、ニートとはされない失業者やフリーターとの関連が非常に強いが、ニートという概念はそのあたりの理解を困難している。概念として有効であるかどうか問題であるという。

さらにそれだけでなく、ニートという概念が現実を覆い隠しているということに注意をも促す。長期不況や、グローバルな経済競争のため、日本の企業が人件費を切りつめたために、正社員を減らして、非典型的雇用を増やしているため、若者の失業率が高まっていることが隠されていることである。すなわち考えられるべきは、労働需要側を刺激していかに仕事を増やすかということであるべきなのである。しかしそれが無視されて、問題が労働供給側の問題、つまり若者がだらしがないこと、またやる気がない、それゆえにいかに教育するのかということにすり替えられてしまっているということであるという。

さらに本田氏は学校と企業との関係にも批判的視線を投げかける。現状では長期不況などの理由で、学校を卒業してすぐに就職する「学校経由の就職」が縮小しているが、しかしこのルートが正社員への独占的ルートと位置づけられていることは変わっていない。ゆえに「学校経由の就職」にたまたま失敗してしまった人は、正社員になれる確率が非常に少ない。本田氏はフリーターとして働いている人たちが、必ずしも正社員に劣ることはないと指摘し、企業側にフリーターを雇用するようにと促している。さらにそれだけでなく、正社員と非典型雇用の人物の間との格差を緩和するようにも提言している。

また本田氏は学校教育にも批判的で、日本では「教育の職業的意義が希薄」であると談じる。本田氏の言うのは今日はやりのキャリアデザインとかいう一般的なものではなく、もっと専門的具体的な教育であるようだ。この問題は、我々としても考えていかざるを得ないであろう。
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万里の長城のくびき

2006-08-27 23:01:04 | 
加藤徹『貝と羊の中国人』(新潮新書)をとろとろと読んでいるが面白い。

本日「へえー」と思った箇所は、地政学の話。15世紀初めの鄭和の大航海が、彼の死後なぜ中止されたのか?そして中国はなぜ、七つの海を征するチャンスを自ら手放したのか?

その理由が「万里の長城のくびき」である。明王朝は、北方のモンゴル民族に備えなければならなかった。中国も海陸の二正面同時作戦を進めるほどの国力はなかった。

「かつて、火薬や羅針盤をいちはやく発明したのは、中国人だった。火薬は十二世紀ごろから、宋軍によって使用された。しかし、中国起源の火薬や羅針盤を改良し、世界を制覇したのは、「万里の長城のくびき」をもたぬ西洋人であった。中でも、幸運な地理環境にあったアメリカ合衆国が、科学技術をリードするようになる。」

この「万里の長城のくびき」は、過去千年で三度消滅した。一度目は、十三世紀の元のフビライの時代。二度目は、十七世紀の清の康煕帝の時代。三度目は、二十一世紀初頭の現代である。

元のフビライは、日本本土を侵略した。東南アジアに海軍を送っている。清の康煕帝は、台湾を中国に組み込んだ。しかしこの二度の海外進出は一時的であった。陸の国境の緊張が程なく復活したからである。

「一九九一年末、ソ連が崩壊した。中国最大の仮想敵国が、自滅したのである。中国は、象徴としての「万里の長城のくびき」から、三百年ぶりに解放された。その結果は、今日のわれわれが見ているとおりである。大陸棚や南沙諸島、尖閣諸島、沖ノ鳥島などをめぐる中国の強硬な主張。中国原潜の日本領海侵犯。台湾回収の布石としての反国家分裂法可決。一連の動きの根底にあるのは、「海へ」という、中国人の千年来の悲願である。

中国は、三度目の正直で、今度こそ永久に「万里の長城のくびき」から解放されるだろうか。それとも、過去の二回と同様に、またすぐ内陸へと引き戻されてしまうのか。

その鍵を握るのは、今後の中ロ関係と、新疆ウイグル自治区やチベット自治区など、内陸部の独立運動である。」
 
ソ連崩壊が日本にとって何を意味しているのか?それは、われわれが今経験しているところである。一番身近なところでは、日本人のロシアに対する関心の極端な低下である(もちろんそれにとどまらないが)。

しかし私は自分の視野が狭く、ソ連崩壊が中国にとっても大きな影響を持っていたのを忘れていた。そのことをこの本は、想起してくれた。


貝と羊の中国人

新潮社

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筆坂秀世『日本共産党』の些末な部分に対するメモ

2006-07-20 13:27:08 | 
筆坂秀世『日本共産党』新潮新書を遅ればせながら読んだ。コアな部分の批評に関しては、付け加えることがない。たとえば有田芳生氏の「共産党は筆坂氏の発言に答えるべきだ」などをご覧いただく方がいい。

『日本共産党』の些末な部分が、私の関心を引いたので記録する。筆坂氏が、議員と秘書の関係として論じている箇所である。共産党の場合、秘書は党本部で採用して、そこから各議員に振り分けられている。秘書には、議員に雇用されている意識はない。さらに秘書は、議員よりもベテランで、特定の問題に精通しているという場合もある。

「…今では緒方靖夫参議院議員を除けば、すべてが「共産党」と書いてもらって当選してきた比例区の議員ばかりである。小選挙区との重複立候補で復活当選してきたなかには、ぎりぎり得票率10%基準をクリアしたという議員もいる。それに対し小選挙区で過酷な選挙を勝ち抜いてきた議員は、本人の自負心、矜持が違う。」
「秘書の側も、当然そういう眼で議員を見るわけである。小選挙区で当選した議員には文句なしに敬意をはらうが、比例で当選した議員に対しては、「たまたま順位が上だったからじゃないか」という見方になってしまうものなのだ。」(pp.106-107)

議員の中で質問作りもできないという人がいることも暴露されている。これに対しては「共産党もかよ!」と思うだけである。たいして驚かない。

しかし私が、驚いたのは次のような比例代表選出議員の態度である。

「…2005年の郵政民営化法案が参議院で否決された国会には、障害者自立支援法案が提出されていた。共産党は、この法案は障害者の自立支援どころか、障害者の自己負担を課すもので、「障害者自立破壊法」と批判していた。障害者団体も強く反対し、このメンバーたちが国会前に集まり集会を開いているので、国会議員団事務局が女性参議院議員の一人に激励の挨拶に行ってほしいと要請したそうである。ところが、この女性議員は、「何を話したらよいのかわからないから、激励にいくのはイヤだ」と断ってしまったというのである。私はこれを聞いた時、その無責任さに開いた口がふさがらなかった。小選挙区選出議員なら、みずからお願いしてでも挨拶に行き、たとえ一票でも支持をふやそうとするものだ。」(pp.108-109)

私は、比例代表に期待するところが少しあったので、ショックだ。こんな人ばかりではないのかもしれない。しかしやはり政治家たるものは、自分の名前で選挙戦を勝ち抜かなければならないという極めて当たり前の考えに、私がようやく立ち至ったということである。


日本共産党

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橘玲『臆病者のための株入門』文春新書

2006-06-25 01:05:04 | 
帯にでっかく「カモられずにお金を増やす方法」と書いている。また同じく帯には次のようなことも書かれている。「……「経済的にもっとも正しい投資法」が完成した。それはサンダルをつっかけて近所の証券会社にでかけ、「すみません、●●●●●●●●●●10万円分ください」と注文することなのである」。●は伏せ字であるが、150ページ代を読めばわかると帯に記されている。立ち読みすればすぐわかることなので、伏せ字を起こすと「インデックスファンド」である。

私は、株は別世界のことと考えているので、そんなもんかなと思っただけ。しかし一番蒙を啓かれたのは、この本ではどちらかといえば些末な部分。銀行の「いかがわしいキャンペーン」と題して5つが列挙されているが、その4番目だ。

「D銀行:年利1%5年もの定期預金をキャンペーン中。ただし銀行側の判断で満期が10年に延長される特約がついている」

いい条件ではないか。何が問題なのか?

「この商品の実態は「10年満期、中途解約付加」の定期預金なのだ。そのうえさらに銀行側は、5年目に一方的に早期償還する権利を持っている。だがこのことを正直に告げるとだれもお金を預けてはくれないので、話の順序を逆にして、あたかも魅力的な金融商品であるかのように装っているのである。」

「5年後に現在のような低金利が続いていれば年利1%の預金は銀行にとっては損だから、D銀行は早期償還の権利を行使して契約を強制解約する。逆に金利が上昇して、年利3%や5%になっていれば、1%しか利息のつかない定期預金は銀行にとっては得だから、預金はそのまま継続されるだろう。」

「この預金のポイントは、どう転んでも銀行に有利、顧客に不利なように仕組まれていることだ。その代償として、顧客は年利1%というボーナス金利を与えられているのである。…」

なぜ「蒙を啓かれた」などと述べるのかと言えば、これは、私が口座を持っている新生銀行がキャンペーンをしていたものと同様であり、私も心が動いたからだ。しかし後半の条件が小さい文字で書かれていたのを読んで、一気に萎えたことを覚えていたからだ。リスクなしにうまい話は転がっているわけはないのである。(新生銀行は、日曜休日にコンビニで預金をおろしても手数料が必要ないので愛用している)

ちなみに橘玲氏は、現在は「合理的な投資方法」は行っていないそうである。
「ひとには、正しくないことをする自由もあるからだ。」

臆病者のための株入門

文藝春秋

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沢木耕太郎『危機の宰相』魁星出版

2006-06-10 00:04:17 | 
1960年代安保騒動で岸信介首相が退陣した後、政権を受け継いだ池田勇人首相が提唱をした「所得倍増」をめぐるノンフィクション。池田は、「所得倍増」により、人心を分裂させる安保問題から、皆がその利益にあずかれる高度経済成長の成果分配に関心を転換した。沢木氏は、「所得倍増」を「国民的信仰」とまで書いているが、それほど人々の心を捉えたのであろう。野党社会党も安保騒動では、総理の首を取るという勝利を得たが、自民党のチェンジオブペースに対して、新しい別の理念を打ち出すことはできなかった。

この「所得倍増」の背後には、三人の敗者がいるというのである。すなわち池田首相、エコノミストの下村治、池田の派閥・宏池会の事務を担当していた田村俊雄である。彼らは元来大蔵省に入るが、病気や戦争抑留などの理由で出世が遅れるという共通点を持っていた。しかし三人とも、逆境をくぐり抜けたためであろうか、楽観主義的な態度を身につけた。さらに、根拠のない楽観ではなく、使命感に裏付けられ、事実に基づいたものである。

私の関心を引いた箇所を抜き書きする。第一は、池田が安保の混乱後、側近の反対にもかかわらず、政権を取りに行こうとしたときの言葉。やはりリーダーたるものは、困難に立ち向かう意気がなければならないのだ。

「政治家というものは、自ら困難の中に飛び込んでやらなければならないんだ。この騒ぎの後では誰が考えても損をすると思うだろうが、災いを転じて福となすという言葉もある。私はやるよ。」

第二は、1964年9月、IMF総会開会式での池田の歓迎挨拶。「所得倍増」が必ずしも内向きの政策とは言い切れないことが、私の関心を引いた。それは、アジア諸国に対するメッセージでもあったのだ。

「IMFの皆さん。日本の爆発的エネルギーを見てください。君たちから借りた資金は、われわれ国民の頭脳と勤勉によってりっぱに生きてはたらいています。明治維新以来、先人のきずきあげた教育の成果が、驚異的な日本経済発展の秘密なのです。
 アジア諸国の人びとよ。君たちが今、独立にともなってうけつつある苦難は、敗戦以来二十年、われわれがなめつくした苦難でした。そこから一日もはやく抜けだしてください。その手がかりを見出すことこそ、IMF東京総会の意義なのです。」

危機の宰相

魁星出版

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