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パキスタンとのトラブル

2006-07-13 00:16:29 | 時事問題
7月8日付のエコノミスト誌記事「パキスタンとのトラブル 皆が心配するべき国家」。北朝鮮よりも世界にとって脅威があると主張している。確かにそうかもしれない。私はパキスタンについてあまりにも無知であるので、学習のために記事の要旨を記す。

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テロリズムの中心があるとすれば、パキスタン北部とアフガニスタン南東部のトレーニングキャンプ、マドラサ(イスラム神学校)、戦場である。そこでタリバンとその同盟者アルカイダが形成された。そこからジハードを唱えるものが世界に拡散した。それ以外にアフガニスタンの無法、大量のアヘンを生産する能力がある。この二つの地域で起きていることが、なぜ他の世界に対してものすごく重要なのか明らかだ。

本誌は、1999年に権力をつかんだムシャラフ将軍が、素早く動き過激主義を断固として押さえつけ、経済を立て直し、兵営に戻ったならば、彼にチャンスを与える用意があった。彼はそれらに失敗をした。しかし2001年9月11日以降、彼は、危険な近隣の中で相対的な安定を与えるもの、「テロとの戦争」での同盟者として再定義された。だが彼は、過去5年間、パキスタンを危険な場所としないために、多くのことを行わなかったのではないか。

確かに2001年以来経済は相当改善した。しかしもっとも危険なマドラサを管理するとの約束は守られていない。インドやアフガニスタンに対する有用さゆえに、長い間大目に見られていたISI(統合情報局:パキスタン軍の諜報機関)のトレーニングキャンプは現存している。もっとも危険なLashkar-e-Toibaは禁止されたが、新しい意匠で再現しただけにすぎない。2004年に、アメリカの圧力を受けて、カーン博士は逮捕された。

ムシャラフ将軍に対するもっとも厳しい批判は、長期的に考えて彼はパキスタンの政治にひどい害を与えているということである。7年の在職期間中、陸軍をパキスタンの公的活動の中にあふれさせ、政党を去勢し、議会を無為なものにした。

ムシャラフ将軍は、イスラム主義者との取引を行うことに抗しきれない。彼は、バラバラのイスラム政党をブロックにまとめあげ、そのブロックは、彼が民主的反対派を出し抜く手助けとなっている。イスラム主義者は、イスラム法の拡張を熱心に追求しているのだ。

アフガニスタンの問題のすべてをパキスタンのせいにするのは公平ではない。しかしアフガニスタンの慢性的不安定に、パキスタンも関係していることは、過小評価されるべきではない。タリバンとアルカイダの残党は、パキスタンの地に避難することができている。このために西側の兵士たちの仕事が、いっそう困難になっている。タリバンは、部分的には、ISIの産物である。ISIは、タリバンを、パキスタン西部に友好国家を形成する方法と見ているのだ。

ムシャラフ将軍は、部族地域からタリバンを根絶するためにあらゆることをしている、600人以上の兵士をそのために失ったと主張している。批判者は、パキスタン軍の規模からすれば、もっと熱心に試みることができたであろうと述べている。さらにオスマ・ビン・ラディンは、パキスタンに隠れていると一般的に考えられている。

パキスタンの介入と西側の無視のために、アフガニスタンが2001年9月以前の状態に戻りつつあることが危険なのである。

不安定で核武装をしたパキスタンと、タリバンが支配する混沌としたアフガニスタンが絡み合っている。安心できない。これらはすべて以前に起きたことである。その結果は9月11日であった。そしてその後に起きた印パ全面戦争の直前にまでなったデリーでのテロ騒ぎであった。次はなにが起きるのか?
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コメント
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