国際学どうでしょう

私が気にしている情報のメモ

中国におけるインターネットのメモ1

2006-05-31 10:53:07 | 時事問題
「エコノミスト」2006年4月29日記事「党、人民,サイバートークの力」は、参考になったので、いささか古いが記録のために残す。問題となっているのは中国のインターネットである。その全般的な評価として、カーネギー平和財団の2003年報告書が引かれる。「インターネットは,権威主義体制にとって困難をもたらすが,インターネットは、権威主義体制強化にも使える。中国は,インターネットを指導しながら使用することにおおむね成功をしている。」

このように中国がインターネットを体制強化のためにうまく利用している側面が強調されている。しかし記事では必ずしもそうではないことを指摘しているのである。すなわち「インターネットは,共産党支配の単なる道具ではない。過去三年間,中国ではインターネットの使用がずっと広まり,党の見解と同じではない見解を共有する集団が発展した。」

そうしてネットの発展を数字で跡づける。インターネットに接続しているPCの数は,2002年終わり以来倍増した。4560万台。ユーザーは75パーセント増の1億1100万人。アメリカに次ぎ第2位。その半分は、ブロードバンド。インスタントメッセージの利用者は8700万人、ブログは3000万以上ある。携帯電話の普及は、昨年(2005)末で3億9300万人の登録がある。

ビジネスチャンスというわけで、アメリカ企業も中国のネット市場に参入する。しかしそこで中国当局によるネット規制が起きる。2006年2月米国議会公聴会に、中国で活動をしているシスコ,グーグル,マイクロソフト,ヤフーが呼ばれた。ヤフーは,中国の官憲のためにe-Mailの記録を提供した。マイクロソフトは,官憲の求めに応じてブログを強制的に閉鎖したのである。

米国企業は弁明する。「米国企業の存在が中国におけるネットの発展を助け、情報アクセスを促すことを助けている」マイクロソフトの幹部は、マイクロソフトのネットサービスが中国で終われば、中国人民が敗者となると言った。要するに中国政府の規制の下で活動をしているが、米系企業は少しずつ言論の自由の強化に役立っているという反論である。私も理屈がわからないではない。しかしこれは誇張であるとこの記事は断言する。中国を変革しているのは、むしろ中国系企業である。(続く)

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米原万里さん逝去にさいして

2006-05-30 08:53:31 | 雑談
米原万里さんが、卵巣ガンのために25日亡くなったというニュースを見た。ビックリした。ちょっと前に米原さんが、NHKテレビに出ていたのを覚えていたからだ。彼女は、自分がガンであることを告白し、様々な療法を行っていることを説明していた。療法の詳細は忘れたが、ゆっくりとご飯を噛むというものがその一つであったことが印象に残っている。失礼を承知で言えば「そんなことで効果があるのかしら」と感じたからだ。

もちろん個人的面識は全くないが、私にとっては、米原万里さんはエッセイストである以前にロシア語の達人であった。ロシア語の格変化を考えても考えても変化させられない私には、恐るべき人であった。さらに彼女が、ロシア語を学んだ経緯を知ってからは、ますます興味が沸いた。少女時代を旧チェコスロバキアのプラハのソヴィエト学校で過ごしたということである。そしてそれは彼女の父が日本共産党の幹部だったことと関係している。

私の師匠は、私の大学院時代には、国際共産主義運動ならびにフランス共産党を研究されていた。それゆえに共産党とか共産主義運動という言葉に、私も敏感に反応するようになってしまった。共産党幹部の娘で、プラハでソヴィエト学校に通っていたロシア語の達人。私の好奇心が刺激されるわけである。

ソヴィエト学校での事情は『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』(角川文庫)にビビッドに描かれている。今読み返す余裕はないが、この本を取り出したら一箇所だけ私が付箋をつていた箇所があった。完全に忘れていたが、これも何かの縁だと思うので、記録しておこう。この本の「白い都のヤスミンカ」というチャプターである。ソヴィエト学校で一緒に学んだヤスミンカを、1990年代内戦の渦中にあったユーゴスラビアに訪ねて行くという話である。

私が付箋を付けたのは、ユーゴスラビア内戦に関する説明の箇所である。内戦は、カトリックのクロアチアと正教のセルビアを主軸にして、ボスニア・ムスリムが巻き込まれたとする。
 
「各勢力とも優劣つけがたい残虐非道を発揮した。ロシア語が理解できる私には、西側一般に流される情報とは異なる、ロシア経由の報道に接する機会がある。だから、「強制収容所」も「集団レイプ」も各勢力においてあったことを知っている。
 にも拘わらず、セルビア人勢力のそれだけが衝撃的なニュースとなって世界を駆けめぐり強固な「セルビア悪玉論」を作り上げてしまった。NATOの三千数百回以上もの空爆の対象とされたのもひとりセルビア人勢力のみであったし、EUと国連の制裁にはセルビアの後ろ盾として新ユーゴスラビア連邦まで対象とされてしまった。」
 
 米原さんが指摘するこのような情報操作に私も引っかかっていたのだ。時間的余裕があれば米原さんの指摘を検証してみたいと思う。もっとも大したことができないのはわかっているが。
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「干からびたチーズ」の第二幕

2006-05-29 09:32:50 | 時事問題
小泉首相と森前首相の関係について、毎日新聞ウェッブに面白い記事が載っていた。「土曜解説:首相と森氏の関係」である。
自民党総裁選を展望するとき、この二人の関係の見極めがポイントになるという。現在、森派から安倍晋三、福田康夫の両氏がポスト小泉の有力候補者とされている。ここで脱派閥型の選挙を掲げる小泉首相と、派閥会長として融和を重んじる森氏の論理が食い違っている。しかしこれは結局は役割分担であり、最終的には森派候補は一本化されるという見方が強いとしている。(http://www.mainichi-msn.co.jp/eye/kaisetsu/news/20060527ddm004070052000c.html
)

「『干からびたチーズ』の第二幕かもしれないな」。これは、以上のような森・小泉の関係を評したベテラン議員である。なかなかうまく表現していると思う。「干からびたチーズ」とは、次のことを指す。

「昨年の「郵政解散」の際、森氏は首相公邸で解散見送りの直談判に失敗した直後、ビールの空き缶を手に記者団の前に現れ、つまみの「干からびたチーズ」(実際はフランス産高級チーズ)とともに、嘆いてみせた。しかし、森氏によると、これは首相と打ち合わせたうえでの、芝居だったという。切られ役となった森氏の姿は首相の決意を宣伝する格好の材料となり、自民の衆院選圧勝を経て森派は最大派閥の座を、揺るぎなきものにした。」

フランス産の高級チーズは、ミモレットというものであるらしい。小泉首相は意識しなかったかもしれないが、ドゴール大統領の好物でもあったという。
雪斎の随想録

じゃあ今回はどうなるの?というと「首相にとっては小泉路線の継承、森氏にとっては分裂回避が譲れない一線。逆にこの前提が両立するなら、安福対決の回避に向け、首相と森氏が話し合う余地はあるとみるべきだ。」

私も全く同感である。森派は安倍さんに一本化されるでしょう。小泉後は、基本的に「小泉路線」を引き継ぐ、自民党員からの支持の強いリーダーが総理総裁となると考える方が無難であるからだ。

毎日新聞はこの記事の前日26日の社説で「自民総裁選 福田さんも手を挙げては」を掲げた、安倍官房長官が7月中旬の主要国首脳会議後に出馬表明する意向を示したことを受けてのものである。福田康夫氏が反小泉の受け皿になっていることも前提とされる。(http://www.mainichi-msn.co.jp/eye/shasetsu/news/20060526ddm005070029000c.html)

「福田氏は小泉首相の靖国参拝に批判的で、アジア外交の改善を唱えている。つまり、福田氏は小泉政治に不満を持つ人たちの「受け皿」になっているということだ。」

しかしアジア外交の改善は重要だが、そればかりが注目されるというのも困ったものである。それ以外にも重要な問題があるからだ。もちろん毎日新聞の主張は、自民党総裁選挙が政策論争として活性化するために、小泉路線を修正する議論をする人物の出馬を待ちたいということなのだろうが。

「かつて田中角栄内閣が金脈問題で退陣した後、クリーンなイメージの三木武夫内閣が誕生したように、そもそも自民党の総裁選びは「振り子の原理」で動くと言われてきた。政策やイメージを一新することで政権政党が変わったかのように印象づける。それが長期政権の秘けつでもあった。
 それでも福田氏が出馬しないというなら、今の福田氏のような役割を果たす、他の候補の登場を待ちたい。あるいは麻生氏や谷垣氏が、もっと旗幟(きし)を鮮明にするというのも方法かもしれない。」
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残念さんの墓

2006-05-28 10:25:37 | 散歩写真
この写真は、元治元(1864)年、蛤御門の変のさい、京都からの帰国途中、尼崎・大物付近で捉えられた長州藩士山本文之助の墓である。彼は、捉えられた日の内に、留置した会所で自殺した。文之助は書き置きを残したようで、「残念で口惜しい、もし口惜しいことがあれば自分に参ればひとつだけ願いをかねてやろう」とあったという。この噂を聞いた人々が文之助之墓に参詣をした。願い祭りが大流行し、大阪町奉行所はこれを一切禁止しようとした。この間、彼の墓は「残念さん」と呼ばれるようになった。

このような「残念さん信仰」は、幕末から明治初期に大流行した。大物の「残念さん」以外にも、吉野の天誅組・吉村寅太郎の墓、湊川の楠木正成の小祠などが信仰を集めた。無念の最後を遂げた人々の墓に、願いの成就に霊験があると認めるのである。

尼崎の「残念さん」は、現在でも「願かけの神様」として参詣客があるという。確かに墓はきれいに整備され、ろうそくをともす箱が設置され、花も美しいものが活けられていた。
(最寄り駅 阪神電鉄大物駅)

蛇足
残念さんの墓の東すぐのところにある大物公園には、蒸気機関車D51が静態保存されている。野ざらしなんだが、手入れが十分にされているためであろう。大変美しい状態であった。

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ジョン・ダワー氏インタビューメモ

2006-05-27 08:59:59 | 時事問題
5月25日付朝日新聞にジョン・ダワー氏の「戦争は総括できたのか」という長いインタビューが掲載されていた。それほど面白いものではないが、備忘のためにメモ。

ダワー氏は、東京裁判について多くの欠陥を認める。しかしそうであるからといって日本の指導者の戦争責任の免責にはならないと言う。

「戦争責任は、東京裁判の問題よりも、もっと大きな問題なのです。しかし、東京裁判の問題は、そうした責任をあいまいにしてしまったことです。米国は占領を円滑にするために昭和天皇を利用しようとして、訴追しなかった。当時の日本の保守派の間ですら、天皇免責はおかしいとする意見がありました。天皇の名の下に行われた戦争で、天皇が免責されたら、戦争責任をどう考えたらよいのかわからなくなります」

次に、米ソ冷戦が日本の戦争責任をあいまいにすることに繋がったことについて。

「もっと日本に許された時間があり、すぐれた指導者がいれば、戦争責任の問題に取り組み、戦死者を悼むこととナショナリズムを区分できたかもしれません。しかし、現実には、急速に進んだ米ソ冷戦が環境を変えたのです。東京裁判が終わった48年に、米国の関心は日本を罰することから共産主義にどう対抗するかということに移っていました。東条英機は、裁判の後半には『日本を共産主義から守るために戦った』という趣旨を言っています。ちょうど米国人がそのころ主張していたことと同じです。」

東条英機は、裁判の対策上このようなことを言ったのだと思うが、「なんだかなー」という感想を抱かざるを得ない。ところで、ダワー氏は、当然のことながらリベラルであり、それゆえブッシュ政権に対する批判を行い、一種の典型的な平板な議論をする。

「現在の米国は、保守派が非常に強くなって、ナショナリスティックな国になっています。ブッシュ政権はそういう正確が色濃いと思います。米国の保守派は、日本に憲法9条を改正して、もっと軍事的な役割を果たして欲しいと考えている。その意味では、日本の保守派と目標を共有しています。」
「それを進めるひとつの方法が、日本の戦争責任や過去の問題をあいまいにして、日本国内の軍国主義批判を弱めることではないのでしょうか。戦争の記憶が薄まることは、双方の保守の利益になるというわけです。ブッシュ政権は、日本が軍事的役割の増大に応じる限り、首相の靖国参拝には異議を唱えないということではないでしょうか。」

しかしながら、ダワー氏は中国に対して突き放した見方をしている。

「歴史問題を政治化しているのは、首相の靖国参拝を批判する中国にも言えることである。中国が歴史問題を言い出したのは80年代に入ってからでした。南京大虐殺の記念館ができたのもそのころです。日本の戦争責任を追及することは中国のナショナリズムの一部でもあります。日本を非難することで、中国共産党の過去に関心が向くことをそらす効果もあるでしょう。日中双方が、国内向けに戦争の記憶を使って、ナショナリズムのゲームをしているのです。」
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民間軍事会社についてのメモ

2006-05-26 11:20:35 | 時事問題
エコノミストの5月20日号に気になる記事があった。「民間軍事会社(private military companies)だれが利益をあえてとるのか?イギリスが民間軍事会社を作るのがうまい理由」である。以下それについてのメモである。

民間軍事会社は傭兵と混同されることを好まない。傭兵は,資源豊かなアフリカ諸国で内戦に従事し,政府転覆などを行う。これに対して民間軍事会社は,元兵士のスタッフを抱えるが,基本的には,危険地域で活動をしている会社の安全を守ることを目的としている。しかしイラクにおける事態が、民間軍事会社と傭兵の違いを曖昧にしている。

イギリスではこのたび民間軍事会社の業界団体ができた(British Association of Private Security Companies)。この団体の綱領では,人権を尊重し,イギリス外交政策を支持するということを掲げ,傭兵ではないことを明らかにしている。

イギリスはこのたぐいの仕事がうまい。米国の会社は,イギリスの会社よりも規模が大きいが,イギリスの会社は民間からの仕事をより多く受注している。イギリスには25社ほどの相当規模の民間軍事会社があり、その役務が,おそらくイギリスの対イラク輸出の最大品目であろう。

なぜイギリスはこの面で強いのか?第一に市場への参入が早かったこと。大帝国の崩壊後,新興独立国から以前の占領者に対して,警備・訓練の問い合わせが相次いだことがそのきっかけ。現在のイギリスの民間軍事会社のルーツは,60年代の中東やアフリカの傭兵活動にある。

第二に,幼少期のこの産業が,ロンドンにあるエネルギーや鉱山会社企業により支えられたこと。現在大手のサラディン・セキュリティ、ディフェンス・システム、コントロール・リスクは,70年代これらの需要に応えるためにできたのであった。

第三に,武器を使わずに,武器を誇示することで,平和を維持することに秀でている英国陸軍兵士出身者を雇用したこと。文民を射撃せず,危険な北アイルランドの地域をパトロールする兵士が,このたぐいの仕事に最適であるという。
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リチャード・マイニア教授についてのメモ(東京裁判について)

2006-05-25 14:12:27 | 時事問題
5月3日付の朝日新聞にリチャード・マイニア(Richard H. Minear)教授(マサチューセッツ工科大学)の長いインタビューが掲載されていた。マイニア氏は、1938年生まれの米国の歴史学者。1971年『東京裁判-勝者の裁き』(福村出版)を出版した。東京裁判が、国際法、法的手続き、史実のいずれの観点からも間違った裁判であるという結論を出した。

インタビュー冒頭の発言が大変刺激的であった。「米国の左は日本の右に歓迎され、日本の左は米国の右に歓迎される」という発言である。マイニア氏は、ベトナム戦争に対する批判として『東京裁判-勝者の裁き』を書いた。「米国がインドシナで繰り広げていた好意は、道義的に支持できないものでした。東京裁判に表れた偏狭で自己中心的な米国の考えが、後のベトナム介入の過ちに繋がっていると考えたのです。この本は、米国人に向けに書いた米国批判の本なのです。」しかし日本のこの本は、日本の保守派に大歓迎を受けた。

また戦争責任の追及に厳しい態度をとる家永三郎氏の『太平洋戦争』(岩波書店)が、英語に翻訳されたとき、米国の保守派は、「自分たちが正しい、日本が間違っていると日本人の歴史家も言っている」と考えたという。

マイニア氏が挙げる東京裁判の問題点は、被告の選定。つまり、原爆投下をも含め連合国の行為が裁かれなかったこと。昭和天皇は起訴されず、証人としても呼ばれなかったこと。さらに戦勝国だけで構成された判事の問題を挙げる。

さらに根本的には、侵略戦争を理由に訴追することは不可能であるとする。侵略を定義するのは常に勝者であり、それはプロパガンダになるかもしれないからである。もっとも個別の残虐行為を裁くことは可能と考えている。

「日本人の間にも、東条元首相や軍部に対する批判は強かった。もし日本人の手で裁いていたら、日本にとっても米国にとってもより健全なことだったでしょう。米国は東京裁判をやったことで、自分たちだけが正しいと思いこんだ。それは非常に危険な考え方で、ベトナム戦争でも、イラク戦争でも、その独善性が災いしたのだと思う」

もちろんマイニア氏は、日本が被害者意識から抜け出し、「日本の戦争責任を問い直すことが必要なのではないでしょうか。日本の保守派のうち、いったいどのくらいの人たちが、真剣に戦争責任の問題を考えているのでしょうか」と結ぶ。

国内の左派が、外国の右派に支持されるという現象はおもしろい。尖閣諸島問題で、中国の方々が、日本の左派の歴史家井上清氏の著作を頻繁に掲げていたことを思い出した。井上氏は、尖閣を中国領と主張しているとするのだ。

さらに、我々は中韓などの被害者意識を前にすると辟易する。しかし我が身を振り返る必要があろう。日本は被害者意識を克復して、過去を見つめよという提言は説得的であった。マイニア氏の著書は恥ずかしながら、未見であるが、是非読みたいと思う。

ましてや、安藤仁介先生が翻訳されているのだから。先生には25年ほど前に、法学概論を教えてもらった記憶がある。大教室の講義であったが、先生は、学生を指して質問をしていた。私も一度尋ねられたが、「国連人権宣言」と答えることができたように記憶している。


東京裁判―勝者の裁き

福村出版

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白紙答案の英雄:文化大革命40周年

2006-05-24 10:58:43 | 時事問題
文化大革命40周年と言うことである。今週のエコノミストでも扱っている。エコノミストの記事は,すでに「溜池通信」さんが扱われている。

溜池通信→かんべえの不規則発言5月20日

文革って何よ?という大変答えにくい問いも当然出るだろう。へまをして権力失墜した毛沢東という中国のカリスマ政治家が,文化大革命ということをスローガンに掲げて,青少年を動員して,自分に反対する政治家をなぶり殺させた一連の事件。結局毛沢東が死ぬまで10年間近く続いた。分かってくれるかな?

エコノミストも言っていたのであるが,文革は,外から見れば悲劇であるより,むしろ喜劇である。もっとも中国に住む者からすれば,悲劇であることは間違いない。建国の英雄毛沢東が,ある日突然,共産党のものすごい偉いさんたちを「反革命だ!打倒せよ!」と叫び、さらに「もっと反対派を見つけろ!」などと言いだしたのであるから。

当時私は子供であるが,しかしその奇妙な様子は、おもしろおかしいニュースとして伝わって来た。子供にも分かった変なことは、「白紙答案の英雄」である。白紙答案を出した学生がほめられ,英雄となったという話である。多分両親がつけていたラジオで聞いていたのだと思う。私の両親は,朝日放送のファンである。

「白紙答案の英雄」は、文献でも確認することができた。張鉄生という人物である。文革も終わりに近づいた1973年彼は,大学の入学試験を受けた。しかし国語は38点,数学は61点、物理化学の問題を見て絶望的になった張鉄生は、答案用紙の裏に当局者にあてた手紙を書いた。「全く心はせいても力が及びません」「大学入学という幼い頃からの理想が水泡に帰すのかとしみじみ思います。」

これが毛沢東のおい毛遠新の目に留まった。そして「遼寧日報」の一面トップにこの手紙を載せ,編集者の,「大学新入生の路線問題について,優れた見識に満ち,深く考えさせられる答案を提出した」という絶賛の言葉を添えた。

要するに、文革中に停止されていた大学を再開させ,中国をまともな道に戻そうとしていた人たちに対する批判のために,この普通のひとである張鉄生が祭り上げられ,利用されたにすぎないのだ。張鉄生は、鉄嶺農学院に入学を許され,共産党党員にもなり,全人代の常務委員にまでなった。

外から見れば全く喜劇的なのである。ところで張鉄生は、今何をしているのであろうか?

参考「毛沢東秘録」 産經新聞社


毛沢東秘録〈上〉

産経新聞ニュースサービス

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因習打破主義者TARA KONO?

2006-05-23 08:13:07 | 時事問題
5月20日発行のエコノミストに「因習打破主義者」(Iconoclast)という表題で、日本政治のことが報じられていた。冒頭にその「因習打破主義者」の名前が、大文字で書かれているのだ。TARA KONO?タラ・コーノ?一体誰なんだ?

タラ・コーノ氏は、年金改革を掲げて自民党総裁選に出馬するらしい。本当に国民に関心のある政策を掲げて立候補しようとしている人は、他にいないという。コーノ氏の改革は、現在の賦課制度をおじゃんにして、消費税に基礎をおいた基礎年金をつくることらしい。

さらにコーノ氏は、自民党議員の支持を求める舞台裏の活動をせずに、主張を国民に訴えることで違いを出している。ここまで書いてお分かりいただけると思うが、TARA KONOはTARO KONOの間違いである。河野太郎法務副大臣のことである。日本語の分からない欧米人のやることだから、目くじらたてるなと言う向きもあるかもしれない。しかし河野太郎副大臣と同じグループに属している麻生太郎外相のことは、同じ記事でTaro Asoと正しく綴られている。

何だ河野太郎副大臣の知名度がないことをおちょくっているのか?と言われると困る。このブログも、恐ろしく知名度がない。それに私は河野太郎副大臣が発行しているメルマガ「ごまめの歯ぎしり」もちゃんと毎号目を通している熱心な読者である。私と同年代なので、それなりに好感も持っている。単にエコノミストのチョンボを非難しているにすぎない。一番肝心なところを間違ってはいかんじゃないか?(あるいはイギリス人一流の嫌がらせか?)

最後に河野副大臣の派閥をぶちこわすとの意欲が書かれた箇所を訳出して終わりたい。

「2001年に小泉氏は、内閣を作るときに派閥の意向を聞くことを拒否して、派閥の力を破壊した。しかし小泉氏はそれ以上はしていない。河野氏は、派閥から有力な委員会委員や副大臣を任命する能力を奪うことで、派閥をぶっ壊すと言う。その後は、木曜日のランチのような派閥の週ごとの儀式さえ、大きな意味はなくなるだろう」
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常識力検定について

2006-05-22 01:43:14 | 雑談
先日のエクステンション・センター*)の会議で、O先生から講座の新設について提案があった。常識力検定の講座を設置してはどうかということであった。会議の速やかな運営にのみ寄与する委員である私は、遠ざかる意識の中で脊髄反射した。「常識ってか?」
*) 学生のキャリアップのために資格取得支援の講座を開設したり、あるいは広く一般に教養講座を開いたりする大学内の機関。名称は様々であるが、最近の大学にはたいてい存在する。たとえば私の勤務先では大阪学院大学エクステンションセンター

私はかつて「常識」という名前のもとに厳しい「指導」を受けた体験がある。それがトラウマになっていて、自分には「常識」がないと思い込んでいた。それだから他者に対して「常識がない」と言うことは全くできない。さらに会議後、委員のN先生からもメールが回って来て、常識検定についての意見を述べられていた。

「常識力検定,さっそくサイトにアクセスし,試してみました。出題の範囲もひろく,面白いですね。世間でかなり話題になっているようですが,任意団体というところに,この協会の心意気を感じます。家族受験アリというのもイイですね。
ただし,エクステンションセンターで受講料をとって対策講座を開くのにふさわしい検定かどうか,まだ判断しかねます。1年次のゼミなどでみんなでやってみると面白く,単位にもつながるので,よいのではないでしょうか・・・。」

こりゃ大変ということで、私も早速サイトにアクセスしてみた。日本常識力検定協会である。そこには常識力オンライン診断テストがあった。ともかく受けてみた、内容は敬語の使い方、憲法、時事問題様々な分野から出題されていた。

受験すると、あらまあ全問クリアしてしまった。これは衝撃である。大阪学院でもまれたから、常識がついたのかもしれないと思ってはみた。しかし常識のないと認識している私が満点を取ってしまったので、この協会に対する不信感が生まれた。わざと簡単な問題ばかり出して、受験者に常識を乱発するのではないか?これは悪い冗談だが、私もN先生と同意見であった。
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