国際学どうでしょう

私が気にしている情報のメモ

春の甲子園-ゲームセット

2006-03-31 02:11:00 | 散歩写真
3月30日の第四試合は、昨日の再試合関西VS早実でした。第四試合は、連日のナイトゲームになりました。寒さも厳しく、最後には小雪もちらつきました。早実が4-3で勝ちましたが、どちらも勝たせたい試合でした。
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高校での授業(7)-問題意識

2006-03-31 02:01:57 | 国際学入門の入門
 第三番目のポイントについてお話しさせていただきます。問題意識の高い人になってほしいということです。

 大学が高校とは違うことは、学ぶものの自主性が尊重されることです。たとえば、大学生は自分の時間割を、かなり自由に組めます。それで様々な工夫をして、自分の関心にあった時間割を組み、授業を受けることができます。
 
 大学というと、大人数の階段教室を思い浮かべる人がいるかもしれません。確かにそのような講義がも存在します。しかしそれだけではありません。先生が一方的に話をする形ではなく、学生と双方向で授業をするゼミナール(ゼミと略されます)形式の授業です。たとえば、学生に対して何らかのテーマについて発表することが求められたります。さらにその発表をもとにして、先生や他の学生が、参加する討論が行われます。またその討論をふまえて、レポートを書くことが求めれたりします。学生の立場からすれば、ゼミは課題が厳しいのですが、しかしその分やりがいがあります。
 
 国際関係の学部では、このような少人数教育が重視される傾向にあります。私の勤務先の大阪学院大学国際学部では、1回生から4回生まで4年間ゼミに属することが必修となっています。4回生のゼミで、大学の総決算として卒論を書くことが求められます。他大学でもほぼ同じでしょう。
 
 ゼミでは、大まかなテーマが示されます。たとえば「国際協力」「ドイツ文化」「比較経営」などです。学生は、自分の関心にあったゼミを選択することができます。しかしいくら枠が決まっているからと言っても、それは相当広いもので、発表のテーマを選ぶとき、学生さんの主体的な問題意識が問われます。先生が発表のテーマを押しつけることはまれで、学生各自にテーマの選択がゆだねられます。
  
(私も、基本的には学生さんの提示のテーマを否定することはしません。しかし数年前、2年生のゼミで、自由なテーマで発表の練習をしてもらったとき、ある学生さんからUFOというテーマが出され、扱いに困ると考えて却下したことがありました。しかし最近、まじめでまともなUFO研究があることを知りました。『UFOとポストモダン』木原善彦著、平凡社新書です。【この本の産経新聞による書評はここをクリック】UFOが国際関係とどうつながるのかって?書評を見てください。UFOをモチーフにしたアメリカ文化論なんですよ。)

 そんなときテーマとして、何を選んで良いか分からないという人が出る場合があります。言われることはこなすが、意識的に問題を追求することができない。これは困ります。ですからなるべく、知見を広げるように努めてください。そして私の立場からすれば、できるだけ社会で起きていることに関心をもってもらいたい。できればテレビのニュースをなるべく見るとか、新聞を読むことを希望したいわけです。

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春の甲子園-ナイトゲームの外野席

2006-03-30 02:14:57 | 散歩写真
3月29日の第四試合、北大津VS日本文理は、春の大会では珍しいナイトゲームとなりました。しかし寒さのあまり、私は途中で帰宅してしまいました。試合をしている選手の皆さんはもっと寒かったでしょう。試合は日本文理が6-3で勝利をして、新潟勢では初のベストエイトに進出しました。
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高校での授業(6)-国語重視

2006-03-30 00:12:36 | 国際学入門の入門
 高校生の皆様に、大学で学ぶための基礎として、第二番目のポイントについてお話しさせていただきます。国語を重視してくださいということです。
 
・ 国語を重視せよ
 
 大学では、英語以外に第二外国語を学ぶことがあります。私はフランス語でした。フランス語初級文法を教えてくださったM先生が言っていたことが、いまだに、私の心にしみています。それは大体次のような主旨でした。(この先生に関心があったので、私はそれなりにフランス語を勉強しました。大昔の外交文書は、フランス語、しかも簡単なフランス語で書かれることがあります。このフランス語を、辞書を使えば、とりあえず読めるのは、M先生のおかげだと感謝しています。)
 
 「外国語の能力は、最大でも母国語の能力の十分の一程度である。外国語の能力を高めるためには、外国語自体の勉強ももちろん必要である。それ以上に国語能力を向上させなければならない。」
 
 ですから皆さんには、国語もおろそかにせずに勉強してもらいたいと思います。
 
 どんな問題集をこなせばいいのか?という質問がでるかもしれません。そうではないのです国語の教科書や問題集以外にも、本を読んでほしいのです。難しいことはありません。皆さんが面白いと思った本から始めてください。ジャンルは推理小説でもなんでもかまいません。毎日ほんの10分くらいでもいいですから、活字に親しんでください。
 
 もちろん「重要なところはどこか?」「キーワードを探して読め」「全体の論旨はどうなるのか?」などと、言わなければならないのかもしれません。しかしそんなことを考えて読むと読書が面白くなくなります。とりあえず手当たり次第読むということに努めてください。そして読むことの楽しさを見つけてください。すべての始まりはそこからです。文章を書くにしても、文章をたくさん読んで頭に入れておかなければ、ろくな文章は書けません。地道な作業ですがこれを行ってください。
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高校での授業(5)-語学(英語)は重要だけど…

2006-03-29 00:11:38 | 国際学入門の入門
 高校生の皆様に、大学で学ぶための基礎として、四つのポイントをお話しさせていただきたいと思います。

・道具としての語学は重要である(しかしそれがすべではない)

 私は、語学の専門家ではありませんし、昨今のなんでも英語という風潮には、うんざりしています。そのうえ英語は難しい。取り分け慣用表現には手こずっています。いまだに辞書のお世話にならない日はありません。

 しかし英語は、道具として大変有用です。ビジネスでも、アジア人が寄って集まると多分共通の言葉は、当面は英語でしょう。インターネット全盛の時代、やはり英語が使えた方がいいに決まっています。インターネットを使えば、英語のあふれるばかりの情報が得られます。英字新聞などの情報を見れば、日本のマスコミ情報とは違うものがとれます。
 
 たとえば、このブログの3月25日のエントリーには、ニューヨークタイムズ社説の抄訳を載せておきました。「獄中の中国人ジャーナリスト」。私の簡単なコメントとあわせてお読みください。「コメント」

 この日のエントリーに関係しているのは、中国で政府当局のいやがることをした中国人ジャーナリストが、不当な理由で身柄を1年半以上も拘束されていることに対する抗議です。この中国人ジャーナリストが、ニューヨークタイムズ社に属しているのが、このような記事が出る原因のひとつですが、それだけにとどまりません。アメリカでは、人権問題に関する関心が、日本よりもはるかに強いので、人権の観点からの報道が詳しく行われるのです。日本のジャーナリズムもこの問題を報道しないわけではありませんが、やはり質量とも劣ることは否定できません。
 
 さらに、私の関心から述べますと、アメリカの東アジア研究のレベルはとても高いので、東アジアの研究を志せば、英語文献も必読となります。
 
 もっとも大学の学部レベルでは、ここまで要求されません。英語が得意じゃないから、国際関係には進めないとは考えないでください。私は、大学レベルでは、国際関係と語学は、とりあえず別と考えることができると思っています。国際関係に関心を持ち、勉強を続けていく上で必要だから、語学を学ぶという方が、私には自然に思えます。
 
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高校での授業(4)-神舟六号をめぐって

2006-03-28 00:01:23 | 国際学入門の入門
たとえば、2005年10月12日、中国は有人宇宙船神舟(しんしゅう)六号を打ち上げました。中国が有人宇宙船を打ち上げに成功したのは、これで二度目です。これは偉大な事業です。なぜなら、アメリカ、ロシア、中国しか成し遂げたことがないからです。日本は、宇宙開発では、中国に全く立ち遅れいています。しかし日本の社会は、この報道に対して、あまり関心を払うことはありませんでした。「宇宙開発で中国に立ち遅れてどうするんだ!」というヒステリックな叫びもありませんでした。
 
この光景がニューズウィーク誌のジェームズ・ワグナー氏には興味深く映ったようです。
 
「隣国の「偉業」に焦ってもよさそうなものだが、日本の反応は驚くほど冷静だ。中国が初の有人宇宙飛行船を打ち上げた2年前より日中関係が悪化していることを考えればなおさらだ。」

「もしアメリカが同じ立場に立たされたら、48年前にソ連がスプートニクを打ち上げたとき同様に政治家や評論家は拳をたたきつけ、なぜアメリカが「出遅れた」のかを問いつめるだろう。しかし日本は大人の行動を選んだ。」
 
「宇宙での直接対決を避けた日本の決断を、国威喪失だとか、アメリカの「子分」に甘んじている証拠だと批判する人もいるだろう。しかし私にはとても正気に映る。」
(ジェームズ・ワグナー「中国と対決しない日本の大人な行動」NEWSWEEK 2005.10.26)
 
引用部分の真ん中の段落にあるスプートニクは、1957年に、ソ連がアメリカに先駆けて打ち上げた人工衛星です。アメリカは、宇宙開発ではソ連に先んじているというプライドがあったので、このスプートニクは衝撃でした。この時の衝撃と、それが引き起こしたパニックが、ワグナー氏の念頭にあるようです。

私たちが、神舟六号にあまり反応しなかったのは、たいしたこととは思えません。しかし東アジアに関心があるアメリカ人からすれば、この日本の無関心は、日本社会の余裕、あるいは大人の態度と見えたようです。だって日中両国の関係は、良好ではなく、相当微妙な状態にあるからです。

このように私たちが、それがどうしたの?普通じゃない?と考えることでも、他者の視点からすれば、高評価を得ることがあるわけです。
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春の甲子園-外野席の風景

2006-03-27 00:31:48 | 散歩写真
3月26日(日)の第三試合京都外大西VS東海大相模の試合の外野席の様子です。

日曜日の午後でしかも近畿勢の登場で、スタンドはほぼ満員でした。試合よりも東海大相模のブラスバンドの演奏がうまいのに感心しました。

阪神甲子園駅では、野球開催時に混乱を防ぐため、普段は閉まっている北口を開けます。これがその北口です。一件何の変哲もないこのようなものを、いい年をしたおじさんが、嬉しそうに写真を撮っているのは、他人からは奇妙に見えたようでした。自転車に乗ったご婦人が、冷ややかな目で私を眺めて去っていきました。
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高校での授業(3)-日本近現代史の立場から

2006-03-27 00:23:52 | 国際学入門の入門
 短時間で、国際関係論を高校生の皆さんの関心を引くようにお話しするのは、私の力に余ります。だから、最近では、私の専門(日本近現代史)の立場から、国際関係をどう見るかというお話をすることにしています。

 私の専攻は、歴史の一部門です。きわめて地味なもので、要するに古い文書や書物をあさって、それを読んで、考えてまとめるという学問です。全く先進的でない。むしろ、華やかな国際学部を落ち着かせていると言えるでしょう。
 
 しかし何か新しいことを期待して、国際学部に来た学生さんを失望させることがあります。昨年度にも、ゼミの学生さんに「フィールドワーク(実地調査)はやらないのですか」と尋ねられましたが、「やらない」と言ってひどく失望させたようです。
 
 ところで、日本近現代史を研究するのに、なぜ外国のことも一緒に勉強する必要があるのでしょうか?
 
 皆さんもご存じの通り、日本の近代は、黒船来航により、開かれました。その後の日本の繁栄も失敗も、国際的環境に左右された側面が強いのです。たとえば全世界が1930年代に同時不況に陥ったとき、新興の日本は、現状打破を求める余り、武力に頼りすぎて、侵略戦争を起こしてしまいました。また戦後の日本の繁栄も、パックスアメリカーナ(アメリカの平和)を無視する訳にいきません。
 
 さらに第二に、他者の視点から、自己の社会を眺めることが、私たちの知見を広げるかもしれないのです。私たちは、物事をありのままに客観的に見ているつもりです。しかしそう考えるのは正しくないでしょう。私たちは、何らかの色眼鏡をかけて、物事を見ていると考えた方が適切でしょう。別の視点(他国の視点、他文化の視点)から、同じことを見れば違った風に見えているということがあるのです。(もちろん別の視点も、色眼鏡付きであることには違いありません。しかし私たちのとは違う色眼鏡をかけているので、別のものが見える可能性があるのです。)
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獄中の中国人ジャーナリスト(簡単なコメント)

2006-03-26 00:05:08 | 時事問題
 中国では1970年代の後半、改革開放が行われました。経済面に関して門戸を世界に開き、技術やお金を中国に呼び込もうとしたのです。そのために計画経済を捨て、市場経済が目指されました。その成果は、ご存じの通り、今や中国は世界の工場と言われるまでになりました。しかし政治においては、いまだ共産党の一党独裁が維持されたままです。(共産党が生き延びるために、経済改革を行い、人々を豊かにしようとしているのです)
 
 一党独裁のため、党が許さない報道は中国では行われません。江沢民引退も、共産党幹部人事であるために、中国国内ではものすごい統制のもとに置かれています。ですからこの統制が破られたことに、中国共産党幹部はいらだち、結局スケープゴートを探し、たまたま趙岩氏が逮捕されたということになるでしょう。他のジャーナリストにも、見せしめとなるでしょう。(もっとも江沢民引退という情報は、意外なものでも何でもなく、中国に関心のある人なら誰でも予言できた類のものにすぎません。)
 
 これに対してニューヨークタイムズは、言論の自由、法の支配をかかげて、中国を批判しているのです。我々からすれば、何の異論もない原則ですが、中国からすれば認めがたいものです。なぜならば言論の自由は、共産党批判につながり、法の支配は、法に従い共産党が政権から退場ということにつながりかねません。要するに一党支配を、危うくするものは、みとめられないということです。中国では、このような主張を平和的な体制変革であると考え、大変神経質な態度をとっています。
 
 最終的には、妥協が行われるでしょう。胡錦涛訪米の手みやげとして、おそらく趙岩氏などが釈放されることになるのだと思われます。中国の経済発展の結果として、教育も政治的関心もある中産階級が増えてきているのですから、このような中国共産党の政治手法はいつまでも続くとは考えられません。
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獄中の中国人ジャーナリスト

2006-03-25 03:49:44 | 時事問題
ちょっと気になる記事を見つけましたので、抄訳を試みました。

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2006年3月24日
ニューヨークタイムズ社説

獄中の中国人ジャーナリスト(抄訳)

中国が世界市場へと前進するとき、中国の究極的成功は、購買力だけに依拠するわけではない。中国は、言論の自由と、政治権力ではなく法の支配に基礎を置いた裁判制度を持たなければならない。この二つは、中国当局が、趙岩を釈放するかどうかで試されるだろう。趙氏は、ニューヨークタイムズに国家機密を暴露したという非難のために18ヶ月近く獄中にいるのだ。
 
先週、中国当局は、趙氏に対する非難を撤回するかのように見えた。趙氏は、中国のニューヨークタイムズ記者の調査員なのだ。しかし彼を直ちに釈放する代わりに、中国政府は、趙氏の地位に関する、困惑するほど複雑な信号を送り続けている。そして彼は、北京の獄につながれたままだ。
 
趙氏は、44歳であり、2004年4月にニューヨークタイムズに入る前から、農村問題を取り扱う著名な熟練ジャーナリストであった。彼は、その年の9月に、ニューヨークタイムズが、江沢民は最後の公的ポストから引退するであろうと予言した記事を公表した直後に、逮捕されたのだ。
 
中国当局には、アメリカの指導者や世界のマスコミは、このケースを忘れないことが明らかになったはずである。趙氏の苦境は、来月に行われる胡錦涛国家主席の最初のワシントン訪問のための議題であるべきだ。中国が、趙氏に対する非難撤回を追認して、彼を直ちに釈放することが、良い結果となるであろう。
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http://www.nytimes.com/2006/03/24/opinion/24fri3.html

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