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ムンバイのテロ

2006-07-24 00:05:42 | 時事問題

「インドの恐怖。ムンバイのテロ攻撃は、印パが、カシミール問題を解決しなければならないことを指し示している」(エコノミスト誌、7月15日号)。学習のために大意を記す。

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今回の積極的な面は、インドのシン首相の最初の反応が、平穏と抑制を呼び掛けたことである。2001年12月、テロリストがデリーのインド議会を爆破しようとしたとき、当時のインド政府が、パキスタンとの全面戦争のために動員したのとは対照的である。

パキスタンのムシャラフ大統領に対して、インドでは二つの見方がある。彼は、本質的に、平和派であり、カシミールについてインドと取り決めをして、武闘派を抑えようとしているというもの。他方、多くの影響力あるインド人は、ムシャラフ将軍を信用していない。彼は、一方で平和を語るが、ISI(パキスタン情報機関)がインドに圧力をかけるために、テロ集団を利用することを許していると考えるのだ。

問題は、無実のインド人が死ぬごとに、インドのパキスタンに対する態度が硬化することである。それは誰の利益でもない。ムシャラフ将軍に対しては、メッセージは明らかである。彼の情報機関がパキスタンで養成した聖戦を実行するものを処分しない限り、パキスタンの国家イメージを改良するあらゆる試みは無に帰するであろう。しかし責任は、ムシャラフ将軍にだけあるのではない。

ムンバイで起きたテロ行為の言い訳になるようなことはない。まだイスラム過激派とテロとの関係は証明されていない。しかしカシミールの公正な解決は、流血を減らすであろう。ムシャラフ将軍は、何度も建設的提案を行った。しかしインドは、シン首相の努力にもかかわらず、ぐずぐずしたままだ。

インドは、力の立場から交渉をするのだ。インドは、カシミールの非常に豊かな地域を保持している。インドが考えるいかなる解決も、それを変化させない。しかし管理ラインを超えたバス運行、インド人のための自治権提案は、インド統治下の平和的カシミール分離派さえ満足させない。まして殺人を厭わない聖戦を唱えるものは満足しない。インドが、カシミール問題の解決のために多くのことを行う必要があるというのは、テロ融和ではない。今までのところ、インドは、公正な取引をするために、テーブルに十分なものを積み上げていない。

インドは大国となることを望んでいる。年間経済成長率6から8%に上げることで、インドは、注目を大いに浴びている。ムンバイにおける惨劇は、この進歩を損なわないであろう。ムンバイは、常に混沌とした都市であった。昨年のモンスーンの洪水を処理できなかった当局の無能を見よ。しかし今回の爆発は、インドはものすごい宣伝にもかかわらず、平和な国家とは限らないということを想起させた。パキスタンと完全に融和するまで、パキスタンが悪の権化を地に伏せさせるまで、インドは、経済的であれ地理的であれ、潜在能力を十分に発展させられない。これらの二つとも、カシミールのしっかりとした解決なしには起こりえない。
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カシミール問題については、私は無知に近い。大ざっぱな事実だけを並べることしかできない。

カシミールとは、インド、パキスタン、中国の国境付近に広がる山岳地域の名称。

1947年8月、インドとパキスタンのイギリスからの独立の時に、問題が起きた。元来カシミールを統治していた藩王は、独立を考えていた。藩王は、ヒンドゥー教徒であったが、住民の多数がイスラム教徒であったことが関係している。周知のようにインドは、ヒンドゥー教が多数。他方パキスタンは、イスラム教を国教としていた。

パキスタンが、武力介入したことで、カシミール藩王は、インドへの帰属を表明して、インドに派兵を求めた。いわゆる第一次印パ戦争である。その後、印パ両国は、1965年、1971年にも戦火を交えた。

2003年4月、インドのパジバイ首相による印パ関係改善の発言を受けて、カシミールの管理ライン付近での停戦、航空便・鉄道の再開、大使の交換が行われた。その後も、関係改善は続き、管理ラインをまたぐバスルートの開通、弾道ミサイル発射実験相互通知の取り決めなどが行われた。
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