国際学どうでしょう

私が気にしている情報のメモ

環国人情

2006-07-27 00:34:31 | 雑談
「かんこくにんじょう」って知っているか?とK先生に尋ねられた。「韓国の人情」がどうしたのか?と思ったが、全く筋違いもいいところであった。漢字では「環国人情」と書く。その意義は、Yahooの新語探検には、次のように載っていた。

「最近、大学の新設される学部のなかで数が増えており、なおかつ受験者も多くなって目立っている、「環境学部」「国際関係学部」「人間学部」「情報学部」の頭文字。」

新語探検では「かつては「文経法理」(文学部、経済学部、法学部、理工学部)が主流といわれていたが、次第に受験者たちは「環国人情」に移りつつある」と極めて好意的に書かれている。

私が聞いた話は、全く違う。K先生曰わく、予備校では「環国人情」は、うさんくさいから進学先として薦められていないということである。

(うさんくさいと言えば、一般的に学問の存立それ自体が、何らかのうさんくささを持っているが、それはさておき)

私もそのうさんくさい国際学部の一員である。確かに学部創設時から、学部の根幹である国際学とは何かについて、果てしない議論が行われてきて、様々な論文が書かれたが、すっきりとはしていない。

私は、理論的では全くない。それゆえ、国際学には周辺の各論があるだけで、中心は空(くう)であるとうそぶく。しかし同僚各氏は、ものすごく寛容なので、あまり強い反発を受けない。議論は尽くすが、他者の意見に寛容なこの雰囲気が、私の気に入っているところである。

私は、うさんくさい国際学が全く気にならない。私の専門・政治学も、国際学と同様に、うさんくさいものであるからだろう。

政治学というものは、きわめて緩やかな学問である。対象としているのが政治であるということが共通であるだけ。その政治に、どのような問題意識を持ち、どのようなやり方で接近するかは、各人の自由に任されていると言ってもよい。このあいまいさが、私には魅力であった。

国際学部の勉学も同様で、外国(異文化)の視点から考えるという一点さえ押さえれば、あとはどのような対象を、どのような方法で研究しても自由というのは、面白いと思うのだが。うさんくささと面白さは、関係しているのではないか?

これは私の独りよがりではない。私の勤務先・大阪学院大学国際学部を卒業した人々も似たり寄ったりのことを言っている。どうか次のブログをご覧いただきたい。ちきゅうじんブログ
コメント
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