国際学どうでしょう

私が気にしている情報のメモ

NOVAのCM

2006-10-26 22:44:30 | 国際学入門の入門
本日、教育関係の人々とお話をしていて、英語偏重の風潮を批判する関連で、NOVAのCMが一つの例として、話題に出た。英語を話す男性がジャングルジムに襲われているが、そこに遭遇した少女が、襲われている人が喋っている言葉が分からず、NOVAに英語を習いに行く。おそらく月単位の時間が経過してから、少女は公園に戻り"Can I help you?"と答えるものである(いくつかのバージョンがあるらしいが、私はよく分からない)。英語を学ばなければ、他人を助けられないのかと批判されていたのだ。

NOVAのCMで思い出すのは、熟年のおばさんがカラカラと笑い、"No problem . I am Nova."と叫ぶものである。これは当時、他の英会話学校が流していたCMに対抗するものであった。他の英会話学校のCMでは、飛行機内で「チキンですか、ビーフですか」とCAに英語で尋ねられた日本人が、"I am chicken."と返答したことが非難され、当校に来れば文法的に正しく話すことができますという旨のものであった。

私は、熟年おばさんが出演するNOVAのCMに共感したことを覚えている。状況が共有できていれば、文法が間違っていてもコミュニケーションは成立する。文法的に正しく話すことばかり気にかけて、結局のところ話すことに臆病になっている日本人を皮肉ったものである。英会話にとって大事なことは、正しい文法ではなく、もっと別のことであると主張していると判断したからだ。

だから必ずしも評判の良くないジャングルジムのCMも、私は深い意味があると信じている。表面的にこのCMを見れば、NOVAは、いい英語教育を実践しているとは、誰も思わない。本日私が聞いたような批判(英語を学ばなければ、他人を助けられないのか)が、出てくるのも当然である。

しかしこのCMは逆説なのだ。困っている英語圏の人が語りかけてくることに対して、何を言っているのか分からないと、NOVAに駆け込む少女を戯画的に描いて、逆のことを主張したいのだ。つまり、英語を第一言語とする人とコミュニケーションをとる場合であっても、別のものが英語より重要である。それは、ともに社会に生きている人間としての意識であるということなのだ。これは凄いことだ。英会話学校としては、自己否定的なメッセージではある。しかしうちの学校は、そこのところを分かって教育しているのだという、他校と違った特色を打ち出しているに違いない。

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高校での授業(8)-他者の立場を理解できる人間

2006-04-01 01:55:06 | 国際学入門の入門
 第四番目のポイントについてお話しさせていただきます。他者(異なる文化を持つ人々)の立場を理解できる人間になってほしいということです。

 外国語が良くできても、他の文化を理解できない、自己文化中心主義から逃れられない人がいます。たとえば戦前陸軍に「支那通」と呼ばれる中国専門家がいました。軍隊は、皆さんは戦う集団と理解されているでしょう。しかしそれと同じくらい教育研究にも力を入れていたのです。ただ「支那通」は、いくら上手に中国語を操っても、中国人の気持ち、あるいは新しい中国の息吹を理解することはできなかったようです。中国人は政治的能力に欠ける民族であると断定するものが多かったのです。
 
 20世紀前半の中国は、今日からは考えられないほどひど中央政府が弱体で、秩序維持能力に欠けていたのは確かです。しかしそれはあくまでも産みの苦しみの時代であり、新しい国を目指して努力している中国人もいたのです。もちろん、日本人の中にも、ナショナリズムに燃えた中国人に理解を示す人もいました。
 
 たとえば吉野作造という人物がいます。皆さんには彼は大正デモクラシー=民本主義者という形で知られていると思います。それだけではなく、彼は中国問題・朝鮮問題にも、なみなみならぬ関心を示しました。もっとも吉野は、中国専門家ではありませんでした。むしろ専門はヨーロッパの政治でした。それにもかかわらず、彼は中国のナショナリズムが将来の可能性を秘めていることを見抜きました。
 
 一例を挙げましょう、1919年5月北京で反日運動が起きました。第一次大戦のパリ講和会議において、山東問題処遇に対する不満が爆発したのでした。(5・4運動)

 日本は第一次世界大戦に、日英同盟のよしみで、英仏露の協商側に立って参戦します。日本のねらいのひとつは、山東半島にドイツが持っている権益でした。日本は、真っ先に山東半島のドイツ軍を制圧します。そして講和会議では、ドイツの権益を日本のために確保するために努力します。中国も、最終的には英仏側に立って参戦し、パリ講和会議に参加します。そして中国は、山東半島の権益を中国に返還するよう求めますが、大国の利害のために、日本に移ることが認められたわけです。これが5・4運動の原因です。
 
 5・4運動時に、日本の論壇では、表面に表れた反日的色彩に反発を示す風潮が強かったのですが、吉野はこの騒動のなかに現れた中国ナショナリズムの可能性を指摘して、日本も反省するべき点があるのではないかと問いかけました。吉野の偉い点は、自国ナショナリズムに盲目にならず、それを乗り越えることができたことにあると思います。
 
 国際関係学部で、他の文化を学んで、そこから自国の文化を見つめ直す。そのような作業が、盲目的ナショナリズムを克復するひとつの道につながるのかもしれません。

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高校での授業(7)-問題意識

2006-03-31 02:01:57 | 国際学入門の入門
 第三番目のポイントについてお話しさせていただきます。問題意識の高い人になってほしいということです。

 大学が高校とは違うことは、学ぶものの自主性が尊重されることです。たとえば、大学生は自分の時間割を、かなり自由に組めます。それで様々な工夫をして、自分の関心にあった時間割を組み、授業を受けることができます。
 
 大学というと、大人数の階段教室を思い浮かべる人がいるかもしれません。確かにそのような講義がも存在します。しかしそれだけではありません。先生が一方的に話をする形ではなく、学生と双方向で授業をするゼミナール(ゼミと略されます)形式の授業です。たとえば、学生に対して何らかのテーマについて発表することが求められたります。さらにその発表をもとにして、先生や他の学生が、参加する討論が行われます。またその討論をふまえて、レポートを書くことが求めれたりします。学生の立場からすれば、ゼミは課題が厳しいのですが、しかしその分やりがいがあります。
 
 国際関係の学部では、このような少人数教育が重視される傾向にあります。私の勤務先の大阪学院大学国際学部では、1回生から4回生まで4年間ゼミに属することが必修となっています。4回生のゼミで、大学の総決算として卒論を書くことが求められます。他大学でもほぼ同じでしょう。
 
 ゼミでは、大まかなテーマが示されます。たとえば「国際協力」「ドイツ文化」「比較経営」などです。学生は、自分の関心にあったゼミを選択することができます。しかしいくら枠が決まっているからと言っても、それは相当広いもので、発表のテーマを選ぶとき、学生さんの主体的な問題意識が問われます。先生が発表のテーマを押しつけることはまれで、学生各自にテーマの選択がゆだねられます。
  
(私も、基本的には学生さんの提示のテーマを否定することはしません。しかし数年前、2年生のゼミで、自由なテーマで発表の練習をしてもらったとき、ある学生さんからUFOというテーマが出され、扱いに困ると考えて却下したことがありました。しかし最近、まじめでまともなUFO研究があることを知りました。『UFOとポストモダン』木原善彦著、平凡社新書です。【この本の産経新聞による書評はここをクリック】UFOが国際関係とどうつながるのかって?書評を見てください。UFOをモチーフにしたアメリカ文化論なんですよ。)

 そんなときテーマとして、何を選んで良いか分からないという人が出る場合があります。言われることはこなすが、意識的に問題を追求することができない。これは困ります。ですからなるべく、知見を広げるように努めてください。そして私の立場からすれば、できるだけ社会で起きていることに関心をもってもらいたい。できればテレビのニュースをなるべく見るとか、新聞を読むことを希望したいわけです。

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高校での授業(6)-国語重視

2006-03-30 00:12:36 | 国際学入門の入門
 高校生の皆様に、大学で学ぶための基礎として、第二番目のポイントについてお話しさせていただきます。国語を重視してくださいということです。
 
・ 国語を重視せよ
 
 大学では、英語以外に第二外国語を学ぶことがあります。私はフランス語でした。フランス語初級文法を教えてくださったM先生が言っていたことが、いまだに、私の心にしみています。それは大体次のような主旨でした。(この先生に関心があったので、私はそれなりにフランス語を勉強しました。大昔の外交文書は、フランス語、しかも簡単なフランス語で書かれることがあります。このフランス語を、辞書を使えば、とりあえず読めるのは、M先生のおかげだと感謝しています。)
 
 「外国語の能力は、最大でも母国語の能力の十分の一程度である。外国語の能力を高めるためには、外国語自体の勉強ももちろん必要である。それ以上に国語能力を向上させなければならない。」
 
 ですから皆さんには、国語もおろそかにせずに勉強してもらいたいと思います。
 
 どんな問題集をこなせばいいのか?という質問がでるかもしれません。そうではないのです国語の教科書や問題集以外にも、本を読んでほしいのです。難しいことはありません。皆さんが面白いと思った本から始めてください。ジャンルは推理小説でもなんでもかまいません。毎日ほんの10分くらいでもいいですから、活字に親しんでください。
 
 もちろん「重要なところはどこか?」「キーワードを探して読め」「全体の論旨はどうなるのか?」などと、言わなければならないのかもしれません。しかしそんなことを考えて読むと読書が面白くなくなります。とりあえず手当たり次第読むということに努めてください。そして読むことの楽しさを見つけてください。すべての始まりはそこからです。文章を書くにしても、文章をたくさん読んで頭に入れておかなければ、ろくな文章は書けません。地道な作業ですがこれを行ってください。
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高校での授業(5)-語学(英語)は重要だけど…

2006-03-29 00:11:38 | 国際学入門の入門
 高校生の皆様に、大学で学ぶための基礎として、四つのポイントをお話しさせていただきたいと思います。

・道具としての語学は重要である(しかしそれがすべではない)

 私は、語学の専門家ではありませんし、昨今のなんでも英語という風潮には、うんざりしています。そのうえ英語は難しい。取り分け慣用表現には手こずっています。いまだに辞書のお世話にならない日はありません。

 しかし英語は、道具として大変有用です。ビジネスでも、アジア人が寄って集まると多分共通の言葉は、当面は英語でしょう。インターネット全盛の時代、やはり英語が使えた方がいいに決まっています。インターネットを使えば、英語のあふれるばかりの情報が得られます。英字新聞などの情報を見れば、日本のマスコミ情報とは違うものがとれます。
 
 たとえば、このブログの3月25日のエントリーには、ニューヨークタイムズ社説の抄訳を載せておきました。「獄中の中国人ジャーナリスト」。私の簡単なコメントとあわせてお読みください。「コメント」

 この日のエントリーに関係しているのは、中国で政府当局のいやがることをした中国人ジャーナリストが、不当な理由で身柄を1年半以上も拘束されていることに対する抗議です。この中国人ジャーナリストが、ニューヨークタイムズ社に属しているのが、このような記事が出る原因のひとつですが、それだけにとどまりません。アメリカでは、人権問題に関する関心が、日本よりもはるかに強いので、人権の観点からの報道が詳しく行われるのです。日本のジャーナリズムもこの問題を報道しないわけではありませんが、やはり質量とも劣ることは否定できません。
 
 さらに、私の関心から述べますと、アメリカの東アジア研究のレベルはとても高いので、東アジアの研究を志せば、英語文献も必読となります。
 
 もっとも大学の学部レベルでは、ここまで要求されません。英語が得意じゃないから、国際関係には進めないとは考えないでください。私は、大学レベルでは、国際関係と語学は、とりあえず別と考えることができると思っています。国際関係に関心を持ち、勉強を続けていく上で必要だから、語学を学ぶという方が、私には自然に思えます。
 
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高校での授業(4)-神舟六号をめぐって

2006-03-28 00:01:23 | 国際学入門の入門
たとえば、2005年10月12日、中国は有人宇宙船神舟(しんしゅう)六号を打ち上げました。中国が有人宇宙船を打ち上げに成功したのは、これで二度目です。これは偉大な事業です。なぜなら、アメリカ、ロシア、中国しか成し遂げたことがないからです。日本は、宇宙開発では、中国に全く立ち遅れいています。しかし日本の社会は、この報道に対して、あまり関心を払うことはありませんでした。「宇宙開発で中国に立ち遅れてどうするんだ!」というヒステリックな叫びもありませんでした。
 
この光景がニューズウィーク誌のジェームズ・ワグナー氏には興味深く映ったようです。
 
「隣国の「偉業」に焦ってもよさそうなものだが、日本の反応は驚くほど冷静だ。中国が初の有人宇宙飛行船を打ち上げた2年前より日中関係が悪化していることを考えればなおさらだ。」

「もしアメリカが同じ立場に立たされたら、48年前にソ連がスプートニクを打ち上げたとき同様に政治家や評論家は拳をたたきつけ、なぜアメリカが「出遅れた」のかを問いつめるだろう。しかし日本は大人の行動を選んだ。」
 
「宇宙での直接対決を避けた日本の決断を、国威喪失だとか、アメリカの「子分」に甘んじている証拠だと批判する人もいるだろう。しかし私にはとても正気に映る。」
(ジェームズ・ワグナー「中国と対決しない日本の大人な行動」NEWSWEEK 2005.10.26)
 
引用部分の真ん中の段落にあるスプートニクは、1957年に、ソ連がアメリカに先駆けて打ち上げた人工衛星です。アメリカは、宇宙開発ではソ連に先んじているというプライドがあったので、このスプートニクは衝撃でした。この時の衝撃と、それが引き起こしたパニックが、ワグナー氏の念頭にあるようです。

私たちが、神舟六号にあまり反応しなかったのは、たいしたこととは思えません。しかし東アジアに関心があるアメリカ人からすれば、この日本の無関心は、日本社会の余裕、あるいは大人の態度と見えたようです。だって日中両国の関係は、良好ではなく、相当微妙な状態にあるからです。

このように私たちが、それがどうしたの?普通じゃない?と考えることでも、他者の視点からすれば、高評価を得ることがあるわけです。
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高校での授業(3)-日本近現代史の立場から

2006-03-27 00:23:52 | 国際学入門の入門
 短時間で、国際関係論を高校生の皆さんの関心を引くようにお話しするのは、私の力に余ります。だから、最近では、私の専門(日本近現代史)の立場から、国際関係をどう見るかというお話をすることにしています。

 私の専攻は、歴史の一部門です。きわめて地味なもので、要するに古い文書や書物をあさって、それを読んで、考えてまとめるという学問です。全く先進的でない。むしろ、華やかな国際学部を落ち着かせていると言えるでしょう。
 
 しかし何か新しいことを期待して、国際学部に来た学生さんを失望させることがあります。昨年度にも、ゼミの学生さんに「フィールドワーク(実地調査)はやらないのですか」と尋ねられましたが、「やらない」と言ってひどく失望させたようです。
 
 ところで、日本近現代史を研究するのに、なぜ外国のことも一緒に勉強する必要があるのでしょうか?
 
 皆さんもご存じの通り、日本の近代は、黒船来航により、開かれました。その後の日本の繁栄も失敗も、国際的環境に左右された側面が強いのです。たとえば全世界が1930年代に同時不況に陥ったとき、新興の日本は、現状打破を求める余り、武力に頼りすぎて、侵略戦争を起こしてしまいました。また戦後の日本の繁栄も、パックスアメリカーナ(アメリカの平和)を無視する訳にいきません。
 
 さらに第二に、他者の視点から、自己の社会を眺めることが、私たちの知見を広げるかもしれないのです。私たちは、物事をありのままに客観的に見ているつもりです。しかしそう考えるのは正しくないでしょう。私たちは、何らかの色眼鏡をかけて、物事を見ていると考えた方が適切でしょう。別の視点(他国の視点、他文化の視点)から、同じことを見れば違った風に見えているということがあるのです。(もちろん別の視点も、色眼鏡付きであることには違いありません。しかし私たちのとは違う色眼鏡をかけているので、別のものが見える可能性があるのです。)
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高校での授業(2)-国際関係を1時間で説明できるわけない

2006-03-23 22:00:52 | 国際学入門の入門
 「国際学、あるいは国際関係論は、第一次世界大戦後の惨禍の中、戦争を防止し、平和を追求する中で産声をあげたかなり若い学問である。
 それは、政治、経済、文化などが交錯するところに成立する諸問題を解明する学問である。」

 かつてはこのような一般的なお話を高校生の皆さんにしてきました。しかし聞いている方からすれば、普段学習している科目と一致するわけではないので、イメージが全然わかない。やはり、短時間の説明では、無理があったのです。だいたい大学に入ってこのようなことを幾つかの科目で、学習させられます。(それでも受講した学生さんによれば、抽象的でよくわからないと言われます。)
 
 もちろん、この説明でも何となく分かるよという人もいるでしょう。そんな人には、原康『国際関係がわかる本』(岩波ジュニア新書)などを読んでほしい。この本は、法律的、政治的アプローチから、国際関係にアプローチするものです。
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高校での授業(1)-困惑

2006-03-22 10:14:53 | 国際学入門の入門
 私は私大教員やっています。しかし最近数年、高校におじゃまして高校生にお話をするという機会が何度かありました。
 高校生の皆さんに対して、私が所属している国際学部の説明をもとめられるのです(たいていは国際学部と外国学部セット)。
 これって困るんですよね。私たちは、高校生の皆さんとは普段接していないので、高校生がどんなことに関心があって、どんな話をすれば反応があるのか皆目分からないからです。
 
 苦い経験がありました。数年前、初めて行った大都市近郊の高校では、中国問題を扱ったのですが、どうも生徒さんの関心にあわなかったようです。
 都市近郊の生徒さんは、好き嫌いがはっきりしていて、それをストレートにあらわします。後向いて友達と喋り出したり、それはもう大変でした。
 「態度悪い」と一喝するわけもいきません。(高校の先生からは、叱ってもらって結構と言われていましたが…)私はほうほうの体で逃げ出すように話を終えたことを覚えています。
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