荻野洋一 映画等覚書ブログ

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『毛皮のヴィーナス』 ロマン・ポランスキー

2015-01-10 16:12:55 | 映画
 ロマン・ポランスキーが前作の『おとなのけんか』79分に引き続いて、短尺の室内劇を発表した。『毛皮のヴィーナス』96分。出演者は2人、ロケセット1個、たった一夜の物語。すべての製作条件が安直に見えるが、軽さを失わずにいながら、その内実のなんと緻密なる練り上げようだろうか。
 マゾヒズムの語源となったザッヘル=マゾッホの小説『毛皮のヴィーナス』を翻案した舞台作品のオーディションを終えて、その日の収穫の少なさを携帯電話でワーワーこぼしている演出家のマチュー・アマルリックの前に、その名も “ワンダ”(同小説のヒロインの名前)と名乗る無名の女優が急に現れて、時間外のオーディションが──もとい、もはや舞台稽古が始まってしまう。
 “ワンダ” を演じるのは、スコリモフスキ『エッセンシャル・キリング』の一軒家の主婦が印象深かったエマニュエル・セニエだが、彼女は『赤い航路』『フランティック』『ナインスゲート』と1980~90年代のポランスキー映画でミューズをつとめてきた。オーディションに遅刻してきた図々しい女優の彼女が、「『毛皮のヴィーナス』って、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの “セヴェリン!セヴェリン!”のパクリ?」ととぼけて見せるのが微笑ましい。公式サイトによれば、エマニュエル・セニエは1985年の『ゴダールの探偵』にも出ているそうだから、ひょっとすると、「緑の時代」のゴダール映画を長年支えるプロデューサーのアラン・サルドが、ポランスキーとエマニュエル・セニエを引き合わせたのではないか。
 アラン・サルドは、あの『戦場のピアニスト』(2002)以来、ポランスキーの近作を一手にプロデュースしてきた。ゴダール、アンドレ・テシネ、ベルトラン・タヴェルニエ、ジャック・ドワイヨン、アルノー・デプレシャン、フィリップ・ガレル、デヴィッド・リンチ、そしてポランスキーと、そうそうたる監督たちのプロデュースをし、しかもその監督たちの最良の作品が数多く含まれている。まさに現代最高の製作者と言っていいだろう。
 サルドや、妻のセニエ、音楽のアレクサンドル・デスプラら信頼できるチームに囲まれながら、1セットの2人芝居という小さな冒険を、ポランスキーは完璧にこなしていく。『ゴーストライター』以来好調の続くポランスキーだが、ようするに、そもそもこれくらいはやれてしまう才能の持ち主だったことが再認識されたということだろう。もともとすごい人だったのである。
 そしてなんといっても、セニエの波状攻撃をノリノリで受け止めておののくマチュー・アマルリックの、縦横無尽のマゾヒズム七変化がすばらしい。アマルリックといえば、盟友デプレシャンの新作『ジミーとジョルジュ 心の欠片を探して』が、きょう1月10日に公開初日を迎える。こちらもじつに滋味溢れる作品である。この2作は、アマルリックの俳優人生のひとつのハイライトを形成するのではないか。


2014年12月20日(土)よりヒューマントラストシネマ有楽町(東京・有楽町イトシア)ほかにて公開
http://kegawa-venus.com


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1 コメント

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アレクサンドル・デスプラの表記について (中洲居士)
2015-01-10 19:14:55
作曲家のアレクサンドル・デスプラの表記につきまして、当記事ではアップ当初、以下のように記述しておりました。「デプラはデスプラという二通りの表記があって、蓮實重彦でさえもとまどいを、たしか『ムーンライズ・キングダム』のレビューで書いていた覚えがあるが、某ネイティヴの発音を聴くかぎり、sは読まずに「デプラ」で確定してOKに思える」。

この点について、先ほどさるお方からありがたい連絡をいただきまして、「デスプラ問題は、ひとまずこのインタビューで決着かと思われます」との文面と共に以下のURLをご教示いただきました。
http://www.tower.co.jp/article/interview/2011/10/14/Alexandre_Desplat
本人の証言ほど確かなものはありませんから(まれにそうでない場合もあるのですが)、訂正を急いで施し、ここにいきさつを記しました。連絡を下さったNさんに感謝します。
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