荻野洋一 映画等覚書ブログ

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中川信夫 詩集『業(ごう)』

2015-01-13 22:39:19 | 
 ディスクユニオン新宿のシネマ館で入荷が告知されていた中川信夫1981年の詩集『業(ごう)』を購入した。中川を偲ぶ酒豆忌実行委員会が2009年に復刻した版である。『業』については存在こそ知ってはいても、ついぞ入手しようと努力したことがなかったのだから、ここへ来ての縁に対して、なにやら不思議な心持ちがする。
 この詩集は2部に分かれている。1946年から翌47年にかけての「敗戦直後にうたえる歌」、そして1961年から74年までの詩をあつめた「生きているしるしにうたえる歌」である。中川信夫(1905-1984)は、マキノプロダクション、右太プロ、マキノトーキー、東宝をへて、戦時中は上海の中華電影公司で働いた。終戦の翌年に引揚げたものの、失業状態が続いて困窮したそうである。「敗戦直後にうたえる歌」はそのころの困窮と鬱屈とを赤裸々に歌っている。

川と起伏と環流と邑と亡がらと
この世のすがたなる失楽園が
てのひらの上にうごめく
死神が黒いつばさをはばたいて
禿鷹のように狙う


 と、まるでゴヤの黒い絵のようなこの《掌の地図》(1947年7月)は、「母胎の中で 九ヶ月の胎児が すでに自殺の望みをもつ」と締めくくっている。そしてこの黒さは、名匠と称されて久しい1970年代でも保たれた。1974年10月の《樹下石上》から。

世捨て人になって
三界放浪でもせぬ限り
細民われらは
人間と人間の渦の中で暮らす
樹下石上
風渡る
人間がひしめき合い
罵り
争い
夜が来る
朝になる
人間と人間がもみ合う


 私たち映画評論の徒は、中川信夫を怪談映画のコンテクストから解放しようと試みてきた。『東海道四谷怪談』『地獄』以外にもすばらしい作品はいっぱいあるんだよとくり返し語ってきた。学生時代、在りし日の大井武蔵野館の中川特集に通って得たその確信はいまでも変わっていない。しかし、薄墨でゆらゆらと一文字書かれた表紙をもつ『業』を読んで私は改めて、『地獄』でうごめく煩悩と欲望のあてどない湧出を現出せしめた中川信夫の黒いマグマに、ふわりと心を赴かせざるを得ないのだ。そしてその上で、彼は「樹下石上 風渡る」と詠んでいる。これが中川信夫の真骨頂ではないか。1972年10月の《天陰ラシ》という詩では、次のように歌っている。

天陰ラシ
不毛ノ地果テシ無クヒロガル
コレハ
アタカモ
画家ノイナイノニ
出来上ッタ一枚ノ画ダ


 画家のいないのに、出来上がった一枚の画──それがどういうものか、私は中川ファンのひとりとして、深淵をのぞきこんでいきたい。


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