荻野洋一 映画等覚書ブログ

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アンドレ・ケルテス写真集『On Reading』

2010-12-26 01:18:17 | アート
 〈読む〉という行為によって、人は沈黙を完成させる。漠然とではあるけれど、私は都市生活の中で、地下鉄車内やカフェ、劇場の開演前など、多くの〈読む〉人を眺めたりしつつ、ついそんな風に考える。もっと大袈裟に言うと、人は死なないために本を〈読む〉とも言える。「死なないために」とは荒川修作の著作名だが、実際、人は真に何かを〈読む〉とき、文字の氾濫を目に許しているとき、自ら命を絶つことはできない。では、自らの死によって〈読む〉ことが中断されることに耐えられないほどに、次ページへの好奇心を高ぶらせておけばよい、ということになるのだろうか。

 ハンガリー出身で、おもにフランスと米国で活躍した写真家アンドレ・ケルテス(1894-1985)が、1920年から1970年まで撮り続け、1971年に刊行した写真集『On Reading』(米W. W. Norton & Company 刊)が最近リイシューされ、入手しやすくなっている(以前はマガジンハウス社から日本語版も出ていた)。NY、ワシントン、パリ、ル・アーヴル、ヴェネツィア、ブエノスアイレス、東京、マニラ、京都、ニューオーリンズ。各都市、各時代、各シチュエーションで写された、群衆の中の〈読む〉人々。彼らの生の時間は周囲の時間の進行から遊離し、パラレルな別の時間が流れる。たとえ紛争中の国境地帯で出撃を待つ兵士でさえ、この時間の流れを享受するだろう。
 唐突だが、〈読む〉ことと〈茶を飲む〉ことの類似性を、『On Reading』をめくりながら考えた。そういえば、ルイ・マル『鬼火』(1963)の主人公(モーリス・ロネ)が、ピストル自殺の直前まで読みかけの本を読了しようと努めていた光景も、ふと思い出した。あんなこともあるのかね、と今さらながらに思うが。

 このリイシューのことを港の人のtwitterで知った。その中では、広尾の流水書房の閉店のことが記されていた。青山ブックセンター広尾店が潰れて以来、不安定な書店運営が続いた広尾ガーデン2階だが、潰れた流水書房に代わって、10月から文教堂が入ったようだ(流水書房跡ではなく、文具の伊東屋跡?)。私はもう、すっかり広尾に寄りつかなくなった。本屋も次々にダメとなり、レンタルビデオ店もCD店もこの街からは消滅してしまった。


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1 コメント

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ケルテース・アンドル (中洲居士)
2010-12-28 04:25:35
アンドレ・ケルテス André Kertészという名前は、彼がパリに出てきてからのフランス風の変名で、実名をケルテース・アンドル Kertész Andorというそうです。ケルテースが姓、アンドルが名。ハンガリー人の姓名は、日本など極東諸国と同じく〈姓-名〉の順番となることは、よく知られています。ですから、バルトーク・ベーラ、サボー・イシュトヴァーン、ヤンチョー・ミクローシュとするのが正しい。サッカー選手も、プシュカシュ・フェレンツ、コチシュ・シャーンドルとなります。

また、Kertészのように母音の上にアキュートアクセントがくる場合、これは〈長音記号〉です。たとえばバルトークの綴りはBartókですし、ヤンチョーの綴りはJancsóなのです。あ、はいそうですね、タル・ベーラはTarr Bélaというわけです。『天井桟敷の人々』の美術装置家として有名なアレクサンドル・トローネルも、当然これはフランス語名であって、本名は、トラウネル・シャーンドル Trauner Sándorとなります。ちなみに、sはシャ行の読みです。サ行読みさせる場合はszという子音を使う必要があります(例: サボー Szabó)。

この〈長音記号〉としてのアキュートアクセントは、ハンガリー語だけでなく、チェコ語でも利用できますので(たとえば、ロシツキー Rosický)、覚えておくと便利だと思います。
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