荻野洋一 映画等覚書ブログ

http://blog.goo.ne.jp/oginoyoichi

《朝倉摂展 アバンギャルド少女》@BankART1929

2010-11-06 06:43:37 | アート
 朝倉摂の舞台美術は、たとえば昨年のタニノクロウ演出、ヘンリック・イプセン『ちっちゃなエイヨルフ』(東池袋・あうるすぽっと)での、主人公夫婦(勝村政信、とよた真帆)の住む海岸に近い邸宅がまさにそうだったが、王朝時代を連想させる荘厳な石柱とアーチが施され、19世紀の中産階級一家が住むような様式からは完全に隔絶していた。リアリズムと反リアリズムの間を往還するこうした空想の飛躍は、様式上の折衷が生み出すものである。つまり、劇空間の精神的な折衷が、一見似つかわしくない様式を寄生的に召喚するのだろう。

 横浜・海岸通のBankART1929で開催されている《朝倉摂展 アバンギャルド少女》は、朝倉美術の寄生的な折衷傾向を、雄弁に証拠だてる展覧会となった。舞台上空に光る半月は、琳派がよく描いていた冷たい銀色の月であり、大正モダニズム、モネの睡蓮、ドイツ表現主義、クリムトの金色などが、折衷的に組み合わされてゆく。
 伊東深水の直系の門下でありながら、美術界の権威に反撥し、村山知義のダダイズム、伊藤喜朔を頂点とするシュルレアリスムが戦前から形成してきた前衛の流れを、盟友の蜷川幸雄らと共に断ち切っていく。これは、タランティーノの折衷主義的反権威志向に近いのではないか。
 鍵となるのは、ドキュメンタリー番組『情熱大陸』の取材班が、彼女を採り上げた際に、野外オペラへの参加活動に密着しながら浮かび上がらせた「借景」という語であろう。彼女のモーターは常に、様式上の「借景」にあるのではないか。そもそも、今回の展示会場であるBankART1929ほど、朝倉摂的なセット空間もないだろう。横浜の旧市街に残された銀行建築がリノヴェートされ、自作を顕揚するミュージアムに「見立て」られる。枯山水の世界においては、「借景」と「見立て」とは同じ思想である。彼女にとって、この展覧会じたいがひとつの「借景」を形づくっているのである。


本展は、BankART1929(横浜・海岸通)にて11月7日(日)まで開催
http://www.bankart1929.com/

P.S.
 朝倉摂展のあとは、10分ほど歩き、関内・住吉町のとんかつ屋「丸和」に立ち寄る。上等なロースと日本酒の燗一合が、風邪気味の五臓六腑に染みわたる。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿