荻野洋一 映画等覚書ブログ

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『黒沢清、21世紀の映画を語る』

2010-11-04 02:21:48 | 
 黒沢清の喋り方は、元来じつに紳士的で、私は彼が壇上で喋る姿をティーンエイジャーの頃から眺めてきたが、その性質は、今も昔も変わっていない。映画監督という人種は、竹を割ったような断言やら恫喝的な物言いやらに自己陶酔を見出しているらしいタイプや、反対におそろしく口が重く、コワモテ顔で相手を煙に巻いてしまうタイプが、どうも少なくない。しかし黒沢清という作り手の場合、いくぶんか自己韜晦の気はあるとはいえ、誠実かつ繊細なその話しぶりが、彼の作品にいつも無視しがたく宿るあの感覚的な才気を、静かに証拠立てているように思える。

 今回出版された『黒沢清、21世紀の映画を語る』(boid刊)は、日本国内、海外のさまざまな聴衆に向けて話された、自己の映画観の披瀝の記録である。したがって、「呼ばれたから、しかたなく喋らされている」といった自己弁護の様相が強まってはいる一方、その内容も必然的に、これまで以上に誠実かつ繊細なものとなる。東京という都市で映画を撮ること、フレーム外と意識の外に世界が広がっていること、人間を描くとはどういうことなのかということなどについての彼の率直な言葉は、読者に大きな果実をもたらすと思う。
 私は以前、ある雑誌に黒沢清映画への疑念を表明した文章を書いたことがあり、そしてその疑念は依然として、キレイさっぱりと晴れたわけではない。また、本書にしても、私の疑念を晴らすには至らなかったことも、正直に告白しなければならない。それでも常に変わらず彼の活動は、私の半生にとって最大の関心事のひとつであり続けてきたのである。
 とりわけそんな中、本書において大島渚に讃辞を傾けた章は、読み手としての私に意外の感を抱かせた。「黒沢清は、大島渚にそれほど関心がないだろう」と私は勝手に決めつけていた。ところが、そこで読む大島論は、凡百の研究者のそれよりもずっと刺激的で美しいものだった。


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2 コメント

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読みたくなりました (Taxxaka)
2010-11-04 09:19:24
『トウキョウソナタ』を通じた荻野さんの率直な態度には黒沢清さんに通じる誠実さを感じました。今も時折読み返します。
また、大島渚監督は、僕のようなに人間には判断が難しい山のようなところがあり、いつも困惑させられながらも惹かれてきたため、本書の記述がとても気になります。ある意味、黒沢清さんと大島さんには通じるとこがあるのかもしれませんね
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好著です (中洲居士)
2010-11-05 03:17:29
本書はなかなかの好著だと思いました。原論的なところを突っ込んで言葉にしている点が興味深く読めます。

それから、黒沢清と大島渚には「通じる」点があるというのは、私には掴みにくいことですが、卓見ではないでしょうか。あの、ワンカットの悦ばしい持続を見ながらゾクゾクさせられる感覚、これは彼ら2人の映画に共通するもので、こういうのは、じつは非常にまれなものだなあ、と思ったりもします。
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