ちかさんの元気日記

辛いことを乗り越えて元気に生きている私“ちかさん”の
涙と怒りと笑いの介護記録。

花川戸の親分さん

2014-07-22 01:22:59 | 日記
宮本輝の小説を読んでいる。
その中で、こんな一節があった。

「人間には誰しも、意味や理由がありそうでなさそうなフレーズが
心のどこかに隠れていて
何かに集中しているとき、もしくは気が散って神経が散漫になっているとき
あるいはぼんやりと気持ちがほどけているときに
ふいにそれが呪文のように浮かび出て
しつこく反復しつづけたりする…」

あー、わかるわ。そうなのよ、そうなのよ。
ときおり私の中で起こる現象が人にもあると知り
見えない“あるある”ボタンを幾度もクリックする。

私の心のどこかに隠れている
意味や理由がありそうでなさそうなフレーズ…
それは

「花川戸の親分さん」

である。

どういうときと、限定できずにいるが
ふと気づくと、心にそのフレーズが降りてきているのである。

花川戸といえば、東京・浅草の繁華街の一角をなす地域。
いわば江戸文化の息づく町だ。
しかし、私には縁もゆかりもない。
しかも「親分さん」である。
そんなご職業の方と、残念ながらお付き合いがない。

それなのにどうしてそのフレーズが降りてくるのか。

おそらく時代小説にでも登場したのだろう。
そうとは思う。いや、それしかない。
しかしこれまで数え切れないほどたくさんの小説を読んできた。
どこかに記憶して、ふとした折に心に降りてくるフレーズなら
ほかにいくらでもあるだろうよ!?
それがナンデ、「花川戸の親分さん」なんだ!?

もしかしたら前世は江戸時代の花川戸の町娘で
そこで幅を利かせる十手持ちの親分に世話になったのかもしれない。
だとすると
魂の存在や生まれ変わりもありえるよなあ。

そんな悶々とした思いを抱いて10数年。

「誰でも心のどこかに隠れている
意味や理由がありそうでさそうなフレーズがあり
それがある瞬間に浮かび出て呪文のように反復しつづける」と知り
少しホッとしながらも
ますます“花川戸の親分さん”への疑問を深める私である。