長篠落武者日記

長篠の落武者となった城オタクによるブログです。

武田氏の国衆支配

2013年12月04日 | 日本史
ひっさびさに歴史ネタを。
県図書が近くなり資料渉猟とコピーしやすくなったことで、大量の資料が溢れかえり整理してました。

最近の自分のブームは「一騎合衆」。
かなり前になりますが、歴探の高村さんからヒントを頂いた一騎合衆の資料では、後北条氏の戦国遺文を調べて一騎合衆という言葉の持つ意味を検討したものでした。
「じゃあ、武田は?」ということで、戦国遺文武田氏編を読む必要があるな、と、思って県図書へ通っていたわけです。

戦国遺文は閉架文書なので図書館の方に探してもらわねばなりません。
10分~15分程度かかるので、その間の時間つぶしに図書館の本棚を眺めていると、最近の本が出ていることに気づく。
武田氏関係の本で「戦国大名武田氏の権力構造」というものと「戦国大名武田氏の役と家臣」というものを発見。

ぱらぱらとめくってみると、ここ最近自分が「どうにもわからん。」と思ってたところを専門家の方々が研究して成果発表しているではないか!

「戦国大名武田氏の権力構造」では、「取次」という役割に着目しています。
境目領主が近接する大勢力からそれぞれ知行を受ける『両属』ということが、どうやら専門家の問題となっていたようです。
で、大勢力同士が交渉する際、窓口となる「取次」という存在が、両属に大きく関係している、という内容。
要は、取り次いだ相手方の家臣に、うまく交渉が行った暁には、あるいは交渉がうまく行くようにと期待を込めて、他家の家臣に知行を与える場合がある、というもの。そして、この関係を国人領主が大勢力に帰属する場合の家臣においても似たようなことが起こる、という論考がありました。

最初は「ふーん。」と、ただ単に武田家の家臣団構成を考える上で面白いなぁ、と、いう程度で読んでいたんですが、国人領主に話が及んだ際、「山家三方衆に置き換えた場合は?」と、はっと気がつく。

そして、まだコピッてきたばかりで読み込んでないのですが、「戦国大名武田氏の役と家臣」では、自分がずっと追いかけていた東濃地方と武田氏について論考した章がありました!
その名も「武田氏の東美濃攻略と遠山氏」。
自分が一番知りたいところじゃん!と、腰が抜けそうに驚く。
ここが知りたいのに解説してくれるものが何もなくて、ずっとここ1年半くらい、あーだこーだと、あちこちの図書館だの東濃地域の歴史資料館だの探し回っていたのです。
それが、たまたま手に取った本に、どストライクで登場してたので驚いてしまいました。
これは読むのが今から楽しみです。

武田氏関係の研究者は、なかなか奥三河の方まで手を伸ばさない様子。
奥三河関係は徳川・織田視点のものが多い。

武田の研究内容を奥三河に置き換えるとどうなるのか、というのが、今の私の興味がある点です。
従来自分が奥三河関係の話を読んでいて不思議に思っていた部分が、うまく説明できるような気がします。ただ、残念ながら、一次資料があまりないので、ただの推測に終わってしまうかもしれませんけど。

ま、研究者じゃないし、いいや、と、思いながら読み続けております。

しかし、面白すぎて、気がつくと夜の1時、とかに。
1日が30時間位あればねぇ、と、思ってしまいます。

『昔、ワーワー言ってた奴はどうなった?』と、お思いの方々。
まだまだ、水面下ではじりじりと進んでおります。
ご報告まで。

そのうち、この推測については書く予定です。