長篠落武者日記

長篠の落武者となった城オタクによるブログです。

田峯城② ~城にまつわるエピソード~

2012年02月14日 | 日本史
田峯城は丸みを帯びた曲輪が連続して配置し、常に高所から攻撃されつつ本丸へ向かうところが見所。立地も台地から一旦切れた川沿いに配置されており防御がしやすかったでしょう。

※手前が台地で奥の木々が田峯城です。

さて、前回の田峯城話で城所道寿という筆頭家老について少し触れました。
この田峯城は長篠合戦で重要な役割を果たしますので、ぜひ現地でそのエピソードを思い描いていただきたいと思います。城ヲタ分類『逸話萌え』向きの城です。
今からの話は結構メジャーなので「ああ、あれね。知ってるよ。」と言う方も多いかもしれません。「ええ、こんな話あったの?」と言う方は、まだまだ城に毒されていない幸せな方です。
引き返すならば今です。

長篠合戦当時の田峯城主菅沼定忠は、複雑な過去を持っていました。
弘治二年(1556年)に定忠の父親である菅沼定継は、今川家に対して叛旗を翻します。しかし、今川義元の命を受けた弟の菅沼定直を始めとする連合軍に敗れ命を落とします。定直は、まだ幼い甥()の命を奪うことはせず、を養いながら田峯城を治めていたようです。ところが永禄四年(1561年)、菅沼氏が今川氏真から松平元康へ乗り換える際、元康はを取り立て定継の後を継がせることとし、の親である定継を倒した叔父達に後見をさせました。
このように、菅沼定忠は、親の敵に養われて後見を受けていることになります。彼らの間にどのような感情が流れていたのかは、非常に興味深いところです。ただ、定忠自身の権力基盤は、さほど強いものではなかったでしょう。

そして、元亀年間に武田軍が奥三河侵攻を開始します。その際、武田に近い田峯菅沼は降伏します。その際、定忠が幼かったため人質に提出できる身内が無かったためか、家老の城所道寿の娘ともう一人家老の娘が武田に差し出されます。その後、城所道寿は長篠菅沼の調略や奥平の徳川寝返り時の詰問使など表舞台へやたらと登場してきます。甲陽軍鑑でも武田の武将として田峯菅沼40騎と並び城所道寿3騎と記載されるなど、独特の地位を築いて、ブイブイ言わせていたようです。
ネットで身元を調べてみると、どうやら野田城攻めで武田信玄に最後まで抵抗した菅沼定盈の野田菅沼の前身である富永氏の家老の家柄らしい、という情報もありますが、私自身は資料で確認しているわけではありません。
結構定忠が若かったので、取り立ててくれた徳川家康を裏切ったりしていることから、城所道寿の影響力が強かったのでは、と見ている郷土資料が多いです。

さて、この道寿と田峯菅沼当主の定忠は長篠合戦に武田方として参戦し、敗れた武田勝頼を警護しながら田峯城へ案内しますが、なんと、後見人であり、かつて父を殺した菅沼定直と次席家老今泉道善が反逆し、入城を拒みます。長篠合戦で負けた勝頼が一息つこうとしたら締め出しを食ってしまったのが、この田峯城なのです。
この時、城所道寿の家族は城の不穏な雰囲気を察知して事前に逃げ出しましたが、奥さんは近くの川へ身投げしたため、梅が淵という名になっているとか。

やむなく稲武の武節城まで引き上げ、ようやく武田勝頼は梅酢で一息ついたとされています。そして、なんとか甲斐まで勝頼は落ち延びて行きます。
しかし、憤懣やる方ないのが菅沼定忠と城所道寿。武田勝頼と別れ、自分達は面目を失ったので自害したと言う偽情報を流し田峯城を油断させ、一ヶ月後に突如として急襲。菅沼定直はこの時討取られたとも言われますが、そうでもない、という説もあるようです。しかし、96名全員が討取られ、さらに、次席家老今泉道善は恨みが集中したためか、鋸引きの刑に処されてしまいます。
今でも、その場所は『道善畑』として残されています。この場所は結構祟りが恐れられており、将門塚のようにふざけてみると結構ヤバい目に遭うらしいので、お気をつけください。

※道善畑です。南無阿弥陀仏。写真取るときにはひたすら念仏を唱えてシャッターを切りました。

なお、残りはさらし首にされてしまったそうで、その場所が『首塚』とされています。

さて、そんなおどろおどろしい歴史にまみれた田峯城。
見学の際には、併せて霊験あらたかな田峯観音をお参りされることをお勧めします。

ここは、昔殿様の山でうっかり木を切って田峯観音の建物資材に使ってしまったことがばれて、殿様の検使が来る際「なんとかしてください。もし願いを聞いてくれたら家が3軒になるまで歌舞伎を奉納します。」と祈ったところ、夏なのに雪が降り、雪が積もって見れないのと寒いのとで、検使が遠くから見て不問にして帰っていった、という伝承が残されています。
そのため、会計検査などがあるときなどは、ここでお参りすると良い、とも言われています。田峯歌舞伎は地歌舞伎として、大変頑張って地元が盛り上げていますので、一見の価値があると思います。私もまだ見てませんが、今年は見てみたいものです。
今ネットでみたら、今年は2月12日だとか。

あっ!終わってる!!がーん。。。