西山(中ア)の経ヶ岳にたくさんの雪が降った。ここら辺りも夜間には雪が舞ったようで、そうなると、入笠のことが当然気になる。集落の裏にある開田に上がってみたら、そこからは入笠山は見えなかったものの、尾根続きの鹿嶺高原にはしっかりと雪が降ったことが分かった。余計なことをしてくれた、という思いが一気に湧いてきた。
肩透かし、尻切れトンボ、いやまったくそうだ。「この事故及び判決の結果が、今後にどのような影響を及ぼすかを考えてみたい」などと言っておきながら、曖昧に済ませてしまった。そもそもまだ裁判になるかも分からない段階で「考える」はなく、「成り行きを見ていきたい」とでもしておくべきだった。2017年3月に起きた、那須塩原の高校生の雪崩事故についてである。
それにしても、簡単な問題ではない。文科省や各県の教育委員会は、できれば高校生の冬山登山など禁止にしたいだろう。遭難事故を防ぐにはこれが一番確実で、かつ簡単である。そうしておけば何かあったとしても、非難の火の粉は防ぐことができる。結局、可否を判断する場合、最後はそこへ行くのかも知れない。「生きている喜びが一瞬に凝縮するような感動を体験させてやりたい」などと考える人は、少数だろう。
それでも、冬山登山の意義を生徒たちに教えたいと考える教師たちもいるはずだ。綿密な調査、周到な計画、緊急時対策(登山の続行か中止かを判断する地点を幾箇所かあらかじめ決めておく)などの準備を徹底する。その上で、苦痛と忍耐、自制と克己心、達成感と感動、それらを背中の重い荷物より身に沁みて感じることができれば、まずは成功と言えよう。報われるもの多く、応分の自信も付くだろう。
当然のことながら、指導者たる教師にもそれ相当の技量、経験、体力、そして判断力が求められる。単なる役割分担で受けてはまずい。役不足であるなら断るか、冬山登山は行うべきではない。
ただし、雪のない山、積雪量、標高などの条件をあらかじめ定めるとか、ピッケル、アイゼンなどの道具を必要としない山に限定するなどの方法もある。また、TV撮影の際などでは専門の山案内人を雇う場合もあるが、指導者をOBや外部に求めることも考えられる。妙案を考え、重ねて、今後も高校生の冬山登山を禁止せず、続けていけるようにしてほしいと思う。
冬山登山が、高校時代だけ安全であればいいわけではない。また、山が安全で美しくさえあればいいというわけでもない。多感な時代の山が、どうか生涯の糧になって欲しいと願っている。