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近江(滋賀)探訪 石田三成の居城「佐和山城」(彦根市)散策(1) (11/23)

2016年12月01日 05時00分00秒 | 近江の城郭

↑佐和山城(佐和山)前にある「佐和山城遊園」の全景

11月23日(水)夕方、彦根市の佐和山にある「石田三成」の「佐和山城」を訪れた。

よくよく考えてみれば過去、いつでも行く機会があったのに佐和山城は訪れた記憶がない。
佐和山城の石田三成は豊臣政権の五奉行の一人で、伊吹山の麓、近江国坂田郡石田村(滋賀県長浜市石田町)の生まれで幼名は佐吉である。関ヶ原の戦いにおける西軍側の主導者で、その「石田三成」の居城だったのが彦根市の「佐和山城」である。
佐和山城は彦根市を走る国道8号線の西側・脇の小山の佐和山にあった。今回は現地に到着が遅れたため、佐和山への入山は取りやめた為、佐和山の国道8号線を挟んで対面の「佐和山遊園」の外形と佐和山を見ただけだった。後日、改めて佐和山城跡を訪れることにする。

佐和山城は歴史的に鎌倉時代初期、近江国守護「佐々木定綱の六男の佐保時綱」が築城した。
織田と浅井の姉川の合戦時「磯野丹波守員昌・員昌父子」が城代として入城し、織田・豊臣政権下においては機内と東国を結ぶ要衝として軍事的にも政治的にも、重要な拠点であり、16世紀の末には「織田信長の配下の丹羽長秀、豊臣秀吉の奉行石田三成」が居城としたことでも知られる。

彦根は彦根藩主「大老・井伊直弼」の居城である彦根城があるが、佐和山城は井伊が彦根城に入る前にあった城で関ヶ原の戦いの後落城した。彦根城完成と伴い、佐和山城は廃城になり、石垣の一部、土塁、堀、曲輪などの城趾だけしか残っていない。佐和山城は関ヶ原の戦い後の徳川の治世になり歴史から消えた城の1つである。


↑「佐和山城遊園」

↑「佐和山城遊園」に復元された立派な佐和山城の正門

↑佐和山城があった佐和山

↑佐和山の案内板

↑佐和山のこの道を登って行く

↑入山口付近の中(今回は夕方で時間がなく佐和山には登らなかった)























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