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東近江探訪 蒲生氏郷の居城「近江日野城(中野城)趾」(9/4)

2016年09月05日 05時00分00秒 | 近江の城郭

↑戦国大名「蒲生氏郷(がもううじさと)」の出身地の城「日野城(中野城)」城趾跡石碑

9月4日(日)の夕方、初めて「蒲生氏郷」氏の居城だった滋賀県蒲生郡日野町の「日野城」を訪れた。日野城は別名「中野城」とも言う。

蒲生氏郷は戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。初め近江日野城主、次に伊勢松阪城主、会津若松城主を経て最後に陸奥黒川城主だった。近江(滋賀)生まれの武将では「石田三成」が有名だが蒲生氏郷も優秀な戦国武将であった。
蒲生氏郷はこの地に産まれ、織田・豊臣秀吉に認められ、伊勢国「松坂城」に移封、その後、「会津若松城」の2代目城主になり、伊達正宗の抑え役も果たした。しかし、文禄4年(1595年)2月7日、伏見の蒲生屋敷において享年40で病死している。

日野城(中野城)は鈴鹿山系綿向山に近い日野町の日野ダムの貯水池の脇にあった。
城趾らしきものは殆ど判らず、茶畑の隣の雑林みたいものだった。途中の案内看板と中野城跡石碑が無ければ全く判らない。
蒲生氏の旧城の音羽城跡がもう少し山側にあったがこちらの方が城らしかった。唯一、日野城(中野城)が有利なのは鈴鹿山系水脈の水脈に近いこと、地形がフラット(弱みにもなるが)、交通の便が良いことか。
しかし、戦国時代以降に近江の南東部に大規模な城がなかったことから治世に必要性がなかったと言える。
いずれにしても蒲生氏の出世により、近江を離れたため蒲生氏イコール近江出身が薄まってしまったのは後世の近江商人が近江を出て活躍した足取りに似ている。


↑茶畑の隣にある城跡

↑町内中心部にある蒲生氏郷公の銅像




















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