↑曽谷城があったI氏邸の裏庭に残る土塁(林の中には空堀がある)
11月16日(水)午前、市川市曽谷にあったとされる「曽谷城」を訪れた。
「曽谷城」があったとされる辺りは、昔、「曽谷殿屋敷」または「曽谷殿館」と呼ばれ、曽谷一族の居城のあった所である。
偶々、梨畑におられたI氏の案内で、今もI氏邸内に残る土塁と空堀を見せて頂いた。
今日では台地は崩され、I氏宅の裏庭に僅かに土塁と空堀の一部が残されているだけで曽谷城の全容はよく判らない。しかし、地形と周囲を歩いてみると城か城館があったのではないかと感じる。
曽谷城主については、「曽谷重胤」が千葉の守護、千葉介胤鎮から、曽谷村の近在3000町歩を与えられ、城主になったと伝えられている。この重胤の孫に当るのが「曽谷教信」で、日蓮聖人に帰依し、法蓮日礼の法号を得、建立したのが長谷山安国寺である。
また、大野城も曽谷氏に関係する城だったとの説もあるが定かでない。
↑曽谷城の案内板
↑I氏邸に残る曽谷城の空堀
↑曽谷城の空堀
↑曽谷城があったI氏邸の裏庭
↑曽谷城の台地裏
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