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↑高野城趾
10月18日(水)、東近江市高野町の「近江・高野城」を訪れた。
高野城は高野地区の西端部、愛知川を見下ろす八風街道の左岸の河岸段丘上に築かれている。小倉城から近い。
高野城は、築城年代は定かでないが近江の守護佐々木六角氏の配下であった小倉氏によって築かれた。小倉氏は小倉城を居城にしていたが応仁の乱の頃より、伊勢に抜ける八風街道を押さえるこの地域に進出した。山上城を拠点としていたが戦国時代には高野城も本拠としていた。
高野城とする一帯の地名を「姫屋敷」と言うらしく、信長の側室であるお鍋の方の屋敷跡という伝承がある。また、織田信長の側室であるお鍋の方の子・織田信吉が、天正13年(1583)に羽柴秀吉から神崎郡高野村や犬上郡宇尾村に2000石の所領を得て、羽柴武蔵守と名乗って高野に館を構えたとされ、これが高野城とも考えられている。
高野城域の石垣は50cmほどの石を高さ3mに積み上げ、50m位にわたって築かれている。石垣は段丘地形に沿って2段に積まれており、この間の方形の広い空間が曲輪と考えられるが、余りにも広い。一帯は今では削られ、茶畑となっている。遺構形状などからは城郭とするよりも屋敷跡とする方が似つかわしく思う。
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